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【ドロッセルマイヤーズ渡辺】積みゲーにどう立ち向かうべきか
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印刷2018/05/09 13:00

連載

【ドロッセルマイヤーズ渡辺】積みゲーにどう立ち向かうべきか

渡辺範明 / 遊びと創作ボードゲームの店「ドロッセルマイヤーズ」代表

画像集 No.001のサムネイル画像 / 【ドロッセルマイヤーズ渡辺】積みゲーにどう立ち向かうべきか

ドロッセルマイヤーズ渡辺の ゲームボーズ

Twitter:@Drosselmeyers_


 積みゲーの量がヤバい。
 学生時代からワゴンセールのゲームを掘り返してきた習慣が,最近はインディーズゲーム発掘に形を変えて続いている。PlayStation Plusで毎月提供される無料ゲームにもうつつを抜かし,ボドゲ屋やゲームマーケットでは気になるゲームは迷わず買う。iPhoneには一度も起動したことのないゲームアプリのアイコンが並び,整理のためにフォルダ分けをしたら,起動の確率がさらに下がるという悪循環。そんな自分史上最大の積みゲー量に直面している僕が,積みゲーへの罪悪感について思うところをお伝えしてみたい。

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“ツミの意識”はなぜ生まれるのか


 人はなぜ,“ゲームを遊ばず保有していること”に罪悪感を覚えるのだろうか?
 “ツミの意識”――ここでは「積みゲーの罪悪感」をこう呼ぶことにする――が生まれる原因として最初に思い当たるのは,「もったいない」という感覚ではないだろうか。大なり小なりお金を払って入手したゲームを放置していることによる,経済的な損失。その「もったいなさ」が“ツミの意識”を生んでいる側面はありそうだ。
 しかし食品と違ってゲームは時間経過で劣化するものではないから,よく考えたら放置してもそれほどの損失があるわけではない。もちろん中古化という面で考えたら,確かに時間とともに価値は下落するかもしれないが,少なくとも僕は転売を前提にゲームを買ったことはない。
 そもそも“ツミの意識”の源泉が,入手コストからくる「もったいなさ」だとしたら,無料のゲームは入手コストもゼロなのだから“ツミの意識”が生じないはず。しかし実際には,程度の差こそあれ生まれるから,どうもこれは違う。

画像集 No.004のサムネイル画像 / 【ドロッセルマイヤーズ渡辺】積みゲーにどう立ち向かうべきか
 では入手コストとは別の「もったいなさ」についてはどうだろうか? ゲームを所有していながら,そこから本来得られるはずの面白さ/楽しさを得られていないんじゃないかという,いわゆる機会損失的な意味合いの「もったいなさ」。これならば,無料のゲームにも“ツミの意識”が生まれることの原因を説明できるかもしれない。

 ここで先ほどの「程度の差こそあれ」という部分について考えてみよう。同じ無料のゲームであっても,“ツミの意識”を生むものとそうでないものがある。実はこれは,自分がそのゲームに対して感じている「面白さの期待値」の差と言えるかもしれない。
 なぜ無料のゲームよりも,お金を払って買ったゲームのほうが“ツミの意識”を生みやすいのか? それは購入する段階で価格以上の期待値が必要となるからだ。価格が高いゲームほど“ツミの意識”が強いという現象も,一見,入手コストと“ツミの意識”が比例しているように見えて,実は期待値の高さに比例していると考えると納得がいく。価格が高ければ,購入時にクリアすべき期待値のハードルもそのぶん上がるわけで,“ツミの意識”は入手コストそのものではなく,その裏にある「面白さの期待値」にこそ影響されるというわけである。

 というわけで,「面白そうなゲームを放置していると罪悪感が強く,つまらなそうなゲームはそうでもない」。あらためて書くとバカみたいな話だが,これが“ツミの意識”について僕がたどり着いた仮説その1である。

 そして仮説その2。機会損失的な「もったいなさ」についてもっと掘り下げて考えてみると,「面白さの期待値」がかなり高いゲームであったとしても,充分なプレイ時間さえ確保できていれば“ツミの意識”は感じないという当たり前の事実に気付く(だってそもそも積んでないわけですからね)。ということは,“ツミの意識”は,正確には「まだ満たされていない期待値」によって強さが決まると考えられる。
 つまり「面白さの期待値」を器のようなイメージでとらえ,「今その器がどの程度満たされているのか?」という感覚値=「充足度」がパラメータとして重要ということになってくる。これを用いて個々の積みゲーの状態を「期待値」「充足度」の2項目(単位:おもしろ)で示すと,こんな感じになる。

■例

[ゲームA]期待値:4おもしろ × 充足度:75% = 3おもしろ(1おもしろが未充足)
[ゲームB]期待値:6おもしろ × 充足度:50% = 3おもしろ(3おもしろが未充足)

 このケースでは,現時点でゲームAとBから得られた「おもしろ」はどちらも3となり等しい。プレイヤーである僕は,どちらからも同程度の面白さを感じていることになる。しかし,まだ残されている「おもしろ」を比較すると,ゲームAは1の,ゲームBは3の「おもしろ」が未充足である。つまり,ゲームBはAの3倍満たされていない「おもしろ」を抱えており,それが“ツミの意識”となって,僕に襲いかかってくるわけだ。

 まあ,数値化できたからなんだという声が聞こえてきそうだが,この「充足度」の導入によって,とある現象が説明できる。僕が常々感じていた「ゲームジャンルによって“ツミの意識”がまったく違う」という現象だ。

 例えば僕の“ツミの意識”は,アナログゲームや「スプラトゥーン」のような対戦ゲームよりも,シナリオクリア型のアクションやRPGのほうに強く出る傾向にある。より正確にいえば,ゲームにまったく手をつけていない状態なら,ジャンルに関係なくほぼ「面白さの期待値」だけが“ツミの意識”の大きさを決めるのだが,ちょっと遊んだ後に放置しているゲームの場合,このジャンルごとの格差がかなり大きいのだ。
 このあたりは個人の感覚の違いも大いにありそうだが,あくまで僕の場合,アナログゲームは一度でも遊べば,“ツミの意識”はほぼゼロに近くなる。格闘ゲームや対戦メインのFPSであれば,数日遊んで「大筋どういうゲームかは理解できた」と思えば,それ以上は自分との相性次第と割り切れる。ところがゼルダ,ドラクエといったシナリオクリア型のゲームとなると,途中で放置することに強い罪悪感と,プレイを続けるべきというプレッシャーを感じてしまう。

 これはつまり,ゲームジャンルごとに「面白さの充足」に至るメカニズムが異なる,ということではなかろうか。アナログ/デジタルを問わず対戦ゲームでは,そのゲームを自分の中で正しく「評価」「理解」できたと感じた時点で,充足度は100%に近くなる。
 一方で,RPGのようなシナリオクリア型のゲームは,明確な「始まりと終わり」を備えた狭義の物語形式を持つからこそ,お話が完結するまでハッキリした「評価」が下せない傾向がある。
 「評価」が下せないということは,つまり「面白さの充足度」は低いまま――逆にいえば大きな余地や可能性を残したままプレイが進行することになり,これは物語がエンディングを迎えるまで続く。この宙吊り状態こそが,シナリオクリア型ゲームを途中で放置した場合の“ツミの意識”の強さの原因ではなかろうか。

 考えてみれば,映画も明確な「始まりと終わり」を備えた狭義の物語メディアだが,明らかに退屈な映画でも「もうちょっと観れば面白くなるのかも?」という可能性に後ろ髪を引かれ,なかなか席を立ちづらかったりする。もちろん対戦ゲームだって「もうちょっとやり込めば面白くなるのかも?」という可能性は常にあるが,そのアリ/ナシの判断のタイミングは常にプレイヤーに託される。それに比べ,「オープニングからエンディングまで見届けて,初めて作品として完成する」という構造を持つ映画やRPGは,受け手がアリ/ナシを判断できるタイミングが物語のエンディングに固定される。実際,物語体験というのは,最後のワンシーンで劇的に良くなったり台無しになったりするものだ。すべては完結してみないと分からないわけである。

 このような構造的差異により,対戦型のゲームよりも,シナリオクリア型ゲームのほうが積む者へ与える“ツミの意識”は強くなる。これが仮説その2である。

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ゲームはクリアしなくてもいい


 さて,ここまで長々と積みゲーについて語ってきたが,ようやく今回一番言いたいことにたどり着けそうだ。それは,「本当は,積みゲーはぜんぜん悪いことではない」ということ。つまり「ゲームはクリアしなくてもいい」という提言だ。

 以前,本好きの知人に言われて「なるほど」と思ったことがある。それは「本は途中から読み始めてもいいし,途中でやめても,飛ばし読みしてもいい」という話だ。確かに,あまり読書慣れしていない僕らなどは,すべての本を小説のように頭から読み進めようとする傾向がある。そして,しばしばどこかで理解に詰まったり退屈したりして,読むことそのものを放棄してしまうわけだ。
 でも実際のところ,世の中には実用書もあればエッセイもあり,学術書や画集もあって,それらは必ずしも頭から読んでいく必要はなかったりする。データベース的な側面が強い本なら,「どの情報に」「いつ」「どんな順番で」アクセスするかは,情報の利用者が自由に決めたほうが都合がいい。だから,本をツールとしてうまく使いこなす人ほど,読み飛ばしや中断をあまり気にしないのだそうだ。

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 この考え方,ゲームにも当てはまらないだろうか。
 本に小説とそれ以外があるように,ゲームにも物語性が強いものとそうでないものがある。ただ本よりもジャンルの区分けがはっきりしておらず,どのように扱うべきなのか分かりにくいだけなのだ。
 例えばノベルゲームは物語性の強いゲームの筆頭で,こうしたタイトルは頭から進めていくしかないし,そもそもシステム的に途中から始められないようになっている。とはいえ,往々にして何かしらのパズル要素だったり,キャラクターを愛でる環境ツール的な側面があったりもするので,(ノベルゲームではその大部分を占めるとはいえ)シナリオはゲームが持つ面白さの一要素でしかない。ハック&スラッシュでお話をほとんど意識せずに遊ぶRPGだってあるし,逆に格闘ゲームやレースゲームにだって物語性を見出すことはできる。要は,物語にどれほどの比重を置いているかの違いでしかないわけだ。

 こうしたゲームの中で,物語はルールやシステムの理解をうながし,プレイのモチベーションを維持するという重要な役割を持っている。しかしこれは諸刃の剣でもあって,物語の存在感が強くなればなるほど,“小説を読み進めるようにゲームをプレイしなくてはならない”という義務感を,プレイヤーの心に植えつける。もちろんそれも立派なゲームの楽しみ方だが,本来もっと多様なはずのゲームの楽しみ方を,一つの方向に固定してしまう。物語には,いわば副作用があるわけだ。

 本来,ゲームは人生を楽しく豊かにするためのツールの一つであって,主体はあくまで僕ら自身の人生にある。しかし,積みゲーを崩すため義務感でプレイするような状況は,その主従が逆転してしまっている。「ハサミを買ったから何かを切らなきゃいけない」という妄執に取りつかれるようなものだ。
 強調しておきたいのだが,物語作品としてゲームを味わいつくしたいという気持ちはまったく否定しない。僕自身,むしろウェットに感情移入するタイプだったりするし,ちょっとナメた気持ちでプレイしたゲームにうっかり泣かされ感動しちゃった……ということもしばしばだ。でもだからこそ,そういったゲームには我々を無理矢理引きずってでもエンディングまで連れていくパワーがあることを知っている。「もう寝なきゃ」「いいかげん仕事を」「明日がやばい」と,いくら抵抗したところで無駄なのだから,わざわざ「進めなきゃ」「終わらせなきゃ」と焦る必要なんかない。自然と「進んでしまう」「終わってしまう」ものなのだ。

 そんなことよりも,自分達の実生活のなかで,ゲームという道具をどう有効活用していくかを考えていかないと,われわれは簡単にゲームにコントロールされてしまうし,そっちのほうがずっと問題だろう。空虚なやり込みや長時間プレイを誇るのも,そろそろやめたほうがいい。でも豊かなプレイ,自分にとって充実した時間が過ごせているなら,いくらでも人生を捧げればいい。大事なのはそこの違いだ。それが,ゲームをツールとしてうまく使いこなせているか? ということじゃないだろうか。とにかく,必ずしも積みゲーを崩し,クリアを目指すことがゲームとの正しい付き合い方ではないはずだ。

 まあ実際のところ,スマホを中心に最近はそもそもクリアやエンディングのないゲームも多く,もはやそっちが主流ですらある。コンシューマゲームでも,シナリオモードは豪華なチュートリアルのような位置づけでしかなく,その後のやり込みこそがメインコンテンツ,という作品が増えた。つまりゲーム全般が物語的性質を弱め,ツール化の傾向にあるとも言える。しかしながら,ゲームが「終わらない」あるいは「終わりが果てしなく遅延された」コンテンツになっていくほどに,“ツミの意識”から来る呪縛の問題は深刻さの度合いを増していく。

 まるで神々が人間に罪の意識を負わせることで自らの支配力を強めるように,ゲームはプレイヤーを“ツミの意識”によって支配しようとする。我々はそれに抗い,自らの意思でゲームをコントロールする側に回らないといけない。そのための第一歩は,「ゲームはクリアしなくてもいい」という言葉を,深く心に刻み込むことではないだろうか。

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■■渡辺範明■■
ドロッセルマイヤー商會代表取締役。創作ボードゲームと雑貨を扱うネットショップ「ドロッセルマイヤーズ」を経営するかたわら,アナログゲームを中心にさまざまなタイトルを手がけるゲームデザイナー&プロデューサー。代表作に「巨竜の歯みがき」「アダムとイヴ」「未来逆算思考」など。ただいま新作創ってます。
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