連載
あまりに壮大なスペースオペラ。「放課後ライトノベル」第73回は『天冥の標』で果てなき宇宙の歴史を目撃すべし
間もなく2011年も終わろうとしているが,今年も本当にいろいろなことがあった。忘れられない震災に始まり,スティーブ・ジョブズをはじめとする多くの著名人の逝去。サッカー女子ワールドカップでの日本代表チームの優勝。「魔法少女まどか☆マギカ」が話題になったこと。「TIGER & BUNNY」が話題になったことも。
なかなか世の中が良い方向へと向かっていかない昨今,「どうせまた来年も同じだろ」と諦め気味の人も多いことだろう。だが,希望はある。なかなか忘年会に呼ばれないぼっちの筆者ですら,前向きな気持ちで来年を迎えようと思うほどに,我々の前には大きな希望が待ち受けているのだ。そう,年明けからの「探偵オペラ ミルキィホームズ」第2期の放映開始である。
思えば本連載も今年はミルキィホームズで幕を開けた。年を締めくくるにあたり,これほどふさわしい話題もほかにないだろう。そして,その伝説の第2章が幕を開ける瞬間を見届けなければ,2012年は始まらない。さあ読者諸君,2012年1月5日23:00にはTVの前に全裸待機だ!(※TOKYO MXが映る地域の人々に限ります)
といったところで本年最後の「放課後ライトノベル」で取り上げるのは,ここまでの前振りとはまったく全然なんの関係もない小川一水の長編SF『天冥の標』。全10巻予定の折り返し地点となる第5巻『羊と猿と百掬の銀河』を紹介する。この年末年始はいつもと少し趣を変えて,壮大なスペースオペラにどっぷりと浸ってみよう。
『天冥の標V 羊と猿と百掬の銀河』 著者:小川一水 出版社/レーベル:早川書房/ハヤカワ文庫JA 価格:798円(税込) ISBN:978-4-15-031050-9 →この書籍をAmazon.co.jpで購入する |
●とある植民惑星での反乱。それは巨大な物語の始まりに過ぎなかった――
シリーズ第1巻『メニー・メニー・シープ』は西暦2803年,地球から遠く離れた惑星ハーブCにある植民地,メニー・メニー・シープで開幕する。26世紀初頭,人々は大型植民宇宙船シェパード号に乗ってこの惑星にたどり着いた。だが,到着の際の事故によって資源の多くを喪失。人々はロボットの統制権を持っていたシェパード号の甲板長(ボースン)を中心に据えることで,この難局を乗り切った。しかし,300年に及ぶ植民地生活の中で,甲板長の後継者たちは徐々に勢力を高め,今や植民地臨時総督(人々は侮蔑を込めて「領主(レクター)」と呼ぶ)という名の独裁者として,メニー・メニー・シープに君臨していた。
真綿で首を絞めるような領主の政策を不本意ながらも受け入れていた住民たちだったが,じわじわと制限を強めていく相手に,ついに反旗を翻す。日に日に戦いが過激化していく中,住民たちや,領主とその部下に加え,勇敢な船乗りたち《海の一統(アンチョークス)》,領主の忠実な僕である《石工(メイスン)》,そして人々に快楽を提供するアンドロイド《恋人たち(ラバーズ)》など,多数の勢力が入り乱れた群像劇が展開する。多くの犠牲を払いながら,ついに領主を追い詰める人々。だがそのとき――。
とある惑星の植民地の内乱を描いたと思われていた物語は,無数の謎を抱えたまま,まるで予想もつかない結末を迎える。果たしてこの先,メニー・メニー・シープは,そこに住む人々はどうなってしまうのか? 1巻を読み終えたとき,誰もがそう思い,続きを渇望するはずだ。
発売後すぐに1巻を読んだ筆者もその一人で,読了してからはとにかく2巻の刊行が待ち遠しくて仕方なかった。そして,満を持して刊行された第2巻をいそいそと手に取り,期待と共に読み始めたところで,思わず「はぁ!?」と叫ぶことになる。
てっきりメニー・メニー・シープのその後が描かれるとばかり思っていた第2巻――その舞台は,ハーブCから時間も空間もまったく離れた,201X年の地球だったのである。
●時間も空間も超えて,その物語はどこまでも広がっていく
驚きと戸惑いを抱えつつも,2巻,3巻と読み進めていくうち,読者はようやく,これが膨大な時間と広大な空間にまたがって展開する,宇宙の一大叙事詩であることに気づくだろう。各巻はそれぞれ独立したエピソードを織り成しながらも,互いに深い部分で関わりを持ち,巻を重ねるごとに少しずつ全体像をあらわにしていく。そして完結した暁には,圧倒的な情報量を持った一つの物語として完成することになる(はずだ)。
だがその全貌は,5巻を数える今になってもおぼろげにしか見ることができず,むしろ読めば読むほどそのスケール感と世界観の豊饒さに圧倒されるばかりだ。いったいこの物語はどこに向かうのかと,1巻を読み終えたときとは別の意味で続きが気になることしきりである。
と同時に,1巻ごとに大きく趣向を変えながら描かれる,各巻の物語も見逃せない。それぞれの巻は舞台や時代が違うだけではなく,描かれるエピソードの中身までまったく別のシリーズかと思うほど方向性が異なっており,我々読み手に毎巻新鮮な驚きを与えてくれる。
第2巻『救世群』は,突如として発生した謎の疫病と,人類との悲壮な戦いを描いたパンデミックもの。地上の一角で発生した病が世界中に広がっていく様や防疫の描写が生々しく,同様の事態が現実に起こらないことを祈らずにはいられない。
西暦2310年に時代を移した第3巻『アウレーリア一統』で描かれるのは,セナーセー級強襲砲艦エスレルの艦長アダムス・アウレーリアとその一統,《酸素いらず(アンチ・オックス)》による,海賊との激闘。宇宙の真空を縦横無尽に暴れまわる《酸素いらず》たちの波乱万丈の冒険譚だ。
さらに第4巻『機械じかけの子息たち』では,「混爾(マージ)」――ある人物が提唱した,理想的性交――を求めて,一組の少年少女が試行錯誤を繰り返す。全編にわたって無数の性愛のかたちが描かれる,淫靡で妖艶な1冊となっている。
●謎のベールが剥がされ始めた第5巻。物語の最前線に,追いつくなら今!
そして第5巻『羊と猿と百掬の銀河』では,西暦2349年の小惑星パラスで農業を営む一人の男と,6000万年前にとある惑星の海の底で目覚めた知性体との物語が交互に描かれる。
パラスの農夫タック・ヴァンディは,大手チェーンの進出による稼業の危機や,一人娘ザリーカの扱いに日々頭を悩ませていた。そんなある日,タックは地球からやってきた科学者を救助し,家に住まわせることになる。彼女,アニーの存在はタックの日常に徐々に変化をもたらすが――。苦心しながら作物を育てる人々の描写と,アクションも交えた後半の意外な展開が印象的だ。
一方,その合間に挿入された「断章」は,それとは大きく趣を異にする。はるか昔,海底の原始サンゴ群の中で目覚めた知性――のちに「ダダーのノルルスカイン」の名で呼ばれることになる存在は,進化と変化に伴って宇宙の大海へと活動の場を広げていく。しかしそれは,自身と同質の異なる存在との出会いと,そこから何千万年という単位で続いていく長い戦いの始まりだった――。物語全体の背後に横たわるものの存在が明らかになる,シリーズのカギを握るエピソードとなっている。
一見すると,まるで繋がりのない2つの物語だが,共に“あるシステム”との対立を描いているというところに共通点を見出すことができる。工夫を繰り返してもなかなか大地に根付かず,かと思えば,ほんの数粒の種から急激に広がっては土壌をダメにしていく――タックたちが生涯をかけて挑む植物(作物)との戦いは,ノルルスカインが臨んでいるそれとの相似形だ。そして最後にはこの2者のエピソードもまた,巨大な物語の流れの中に回収されていく。ノルルスカイン言うところの「懸命で可憐な人々」の行く先は,これからの物語の中で明らかになっていくことだろう。
一応のナンバリングこそあるものの,必ずしも巻数順に読み進める必要はない。まずは1冊,興味を惹かれた巻から手に取ってみるのもいいだろう。ようやく中間地点を迎えたこの未知なる巨大な物語は,きっとあなたに充実した読書体験をもたらしてくれるはずだ。
■地球の引力に魂を引かれた人にも分かる,小川一水作品
小川一水は1975年生まれ。1993年,17歳の若さで集英社ジャンプノベル小説・ノンフィクション大賞の佳作に入賞(作品名『リトルスター』)。1996年には『まずは一報ポプラパレスより』で同賞の大賞を受賞,デビューを果たす(河出智紀名義。なお,もう一人の同賞受賞者に当時16歳の乙一がいる)。1997年の『アース・ガード』より現在の小川一水の筆名を使い始め,現在に至る。
『老ヴォールの惑星』(著者:小川一水/ハヤカワ文庫JA)
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当初は今でいうライトノベル風の作品を手掛けることが多かった(実際,ライトノベルレーベルから刊行された作品も数多い)が,のちに本格的なSFに主な活動領域を移す。現在まで,年ごとにSFファンの投票によって決められる星雲賞を三度(『第六大陸』で第35回長編作品部門,『漂った男』で第37回短編作品部門,『アリスマ王の愛した魔物』で第42回短編作品部門)受賞している,現代日本SF界を代表する作家の一人である。
数ある作品の中でも,『導きの星』『復活の地』『第六大陸』といった長編作品が代表作として挙げられることが多い。一方で中短編も数多く手掛けており,入門としてまずはこちらから手に取ってみてもいいだろう。事故に見舞われた宇宙ステーションでのサバイバル&サスペンス『天涯の砦』や,前述の『漂った男』――広大な海を持つ惑星に不時着し,漂いながら生き続けた男の物語――を所収した『老ヴォールの惑星』あたりがおすすめだ。
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