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[CEDEC 2011]ゲームとコミュニケーションの関係を語るパネルディスカッションが開催。数々の取り組みによって探られる,ゲームとコミュニケーションの本質的な関係
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印刷2011/09/12 19:57

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[CEDEC 2011]ゲームとコミュニケーションの関係を語るパネルディスカッションが開催。数々の取り組みによって探られる,ゲームとコミュニケーションの本質的な関係

 CEDEC 2011の初日,ゲームとコミュニケーションの関係を語るパネルディスカッションが開かれた。女流プロ棋士,将棋AI「あから2010」の制作に携わった研究者,ソーシャルゲーム開発者などが並んだ異色の企画をお伝えしたい。


「どうぶつしょうぎ」の普及


北尾まどか氏
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 最初は日本将棋連盟のプロ棋士,北尾まどか氏の将棋についての話。氏は高校時代に将棋の魅力にとりつかれ,プロへの道を目指すことになったが,とはいえ「将棋は認知度が低かった」と語る。
 今でこそ羽生名人のようなマスコミ露出度の高いスタープレイヤーがいたり,将棋をテーマにした漫画がヒットしたりと,知名度は上がっているが,「少し前には将棋にプロがいることすら,あまり知られていなかった」とのこと。またコンシューマーゲームの普及により,将棋をはじめとした伝統ゲームのプレイヤーが少なくなったのも事実だろう。
 将棋の普及を目指すにあたって,氏は将棋が難しすぎ,ハードルが高いゲームであると考えた。そしてこの問題を解決するために,簡易版の将棋である「どうぶつしょうぎ」を考案する。

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 どうぶつしょうぎは3×4マスの狭い盤面に,ライオン,キリン,ゾウ,ヒヨコという四つの駒(プレイヤーが2名なので,合計8駒)でプレイするゲームだ。それぞれのコマには移動方向のマーカーがあり,コマの動かし方で混乱する心配はない。また1ゲームが短いため,「手早く,簡単に楽しめる」工夫もされている。将棋は1ゲーム最低30分程度を必要とするが,1ゲーム30分は現代の指標から見ればもはや「長い」のだ。

 どうぶつしょうぎでは,ゲーム用語や演出にも注意が払われている。ゲームの目的は相手のライオンを捕まえることで,これを「キャッチ」と呼ぶ。将棋の歩に相当するのは「ひよこ」だが,これが成ると「にわとり」に変化する。ゲームが「詰み」で終わるのではなく,相手のライオンをキャッチするまでプレイするというのも,直感的に分かりやすい。

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 どうぶつしょうぎは3〜4歳からプレイ可能で,4歳でゲーム内容は完全に把握できるという。一度ゲームを覚えた子供は,友達にもルールを教え,そうやってどうぶつしょうぎの輪は広がっていく。
 東北大震災の被災地の避難所では高齢者のための娯楽が少なかったため,日本将棋連盟として普通の将棋盤やどうぶつしょうぎを持っていったところ,まず子供がどうぶつしょうぎを覚え,それをきっかけに周囲の大人が将棋を教える,といったコミュニケーションが発生したそうだ。ゲームには確かに,「人をつなぐ力がある」のだ(なお,どうぶつしょうぎはネット上でもプレイできる)。
 北尾氏は,株式会社ねこまどを立ち上げ,将棋の普及に務めている。どうぶつしょうぎを屋外でデモンストレーションしたり,将棋のフリーペーパーを発行したりしているほか,世界最大のボードーゲームの祭典「エッセン・シュピール」にも将棋のブースを出しているという。


もうAIが人間に勝つのは当たり前


松原 仁氏
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 続いて,公立はこだて未来大学の松原 仁教授が,将棋AI(厳密には「人と対戦するAI」)の来るべき未来について語った。
 松原氏は2010年10月に「あから2010」が女流王将に勝利した事実を前提に「将棋はあと2年,囲碁は約10年で,トッププロにAIが勝利する」と宣言した。そして,「限定された状況においてCPUのほうが高い対応力を発揮するのは,当然のこと。もう人間とAIのどちらが強いのかといった議論はやめるべきだ」と断じた。むしろこれからのゲームにおいて重要なのは,「人生を豊かにする,QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を向上させるためのゲーム」の実現だと氏は語る。

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 これまではしばしば,デジタルゲームと思考ゲームは違うものだと理解されることがあったが,しかし本来これらはすべてゲームであり,「数百年後にはテトリスも囲碁も将棋もすべて古典ゲームと評価されるだろう」と氏は述べた。そのうえで松原氏は「Universal Game for Life」として,「日常の場面/人に貢献でき,社会に存在するさまざまな障害を軽減する,安心,安全,快適で楽しいゲーム」という概念を提示する。

 また松原氏はゲームの定義そのものが変わってきたことも指摘する。最近のゲームにおいて,「勝ち負けが決まる」という要素が必ずしも存在しないことがあり,むしろ,「楽しければなんでもゲーム」といった流れが存在するのだ。ゲームの概念はこのように広がっており,またゲームを楽しむ層も急速に拡大している。ゲーミフィケーションにみられるように,仕事や勉強の中にもゲーム的な要素を見つけることは多くなってきた。

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 いまやゲームは,コミュニケーションツールとしてのゲーム,人生を楽しくすごすためのゲームという側面が大きい。「人生を健康に過ごすためのツール,それがゲームである,と言えるようにしたい」というのが氏の言葉だ。もっともこの「健康」という点については,「不健全なゲームも大好きな私としては,不健全性もまた健康のためのツールであると補足したい」とするあたり,ゲーマー魂を感じる。

 AI研究という面から言うと,「もはや将棋は研究対象から外れている」と氏は語る。「いま必要なのは,手抜きを悟られないAI,誰と打っても“いい勝負”ができるAIだ。プレイヤーをいい気分にすることが重要なのだ」。そしてまた,「強さにモードがあるのではなく,相手の強さを途中で読める,そういうAIが求められている」――これが非常に難しいのは言うまでもないし,応用範囲が広いのもまた事実だ。
 「この技術が完成すれば,これはつまり『相手に話をあわせる』技術でもあるので,さまざまなBOTに応用することもできる」と松原氏。将棋AIの研究は,「より強いAI」から,「より人を楽しませるAI」フェーズへと移行しつつあるのだ。


誉め合うゲームとしてのソーシャルゲーム


木村将人氏
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 松原氏に続いてコントロールプラスの木村将人氏が,ソーシャルゲームについて簡単に説明した。氏は200万ユーザーを擁するソーシャルゲーム,「スイーツコレクション」の開発運営に携わっている。
 まず,木村氏は「ソーシャルネットワークサービス(SNS)はそもそも,人と人がつながる場所,コミュニケーションの場であり,ゲームをする場所ではない」と語る。このため「ゲームは可能な限りシンプルに進むことが重要」と指摘した。携帯電話においては「5ボタンゲーム」という言葉があるが,この言葉が示すように,「5」のボタンを押していればとりあえずゲームが進行する,そのようなシンプルさが不可欠なのだ。

 スイーツコレクションは主婦層をメインのターゲットとしており,「終わりのない家事,『おいしい』の一言もない毎日」に対し,「誉めてもらう」「達成感を得る」ことをコンセプトとしている。またデコレーションを主眼としたゲームとして,新しいアイテムを獲得する楽しさや,変身願望を満たすツールとしても機能すると木村氏は語る。

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 さらに,携帯電話がゲームプラットフォームとなっているため,「いつでもどこでもつながれる」「生活の一部として楽しめる」という側面もある。SNSと連結していることで,ゲーム内部の連絡を,SNSのメールや日記機能を使って行うことも可能だ。
 「ソーシャルゲームは人と人のコミュニケーションの場であり,そこには勝ち負けはない。世界中の人とスイーツで交流するのが,スイーツコレクションの目的」と氏は指摘する。「そのため,クリアという概念はないし,レベルといった数値もない。これはあくまで,誉め合うゲームなのだ」


コミュニケーションツールとして


伊藤毅志氏
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 最後に,電気通信大学の伊藤毅志助教が,自身の体験をもとにゲームとコミュニケーションを論じた。
 まず伊藤氏は,「ゲームとは何か」という疑問に対し,「コミュニケーションツールとしてのゲーム」を提唱し,「心を豊かにする遊びとしてゲームが存在する」と語る。

 例えば,氏が祖父と楽しんだ花札(こいこい)は,「ゲームではあったけれど,同時に,祖父が孫と時間を共有し,また孫にお小遣いを渡すための手段でもあった」と言う。
 同様に,学生時代に楽しんだ麻雀は勝負を競うというよりも,ダラダラとダベって馬鹿話をすることが主眼だったし,旧友と将棋を打てば盤をはさんだ非言語コミュニケーションが成立する。草野球やゴルフにしても,野球であれば勝った試合を肴にして飲み会が行われ,ゴルフであれば通称「19番ホール」での酒宴が大きなイベントとなる。重要なのは,ゲームによって共通の経験が生まれていることなのだ。

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 時代は変化し,ゆったりとした娯楽の少ない時代から,忙しくかつ娯楽の多い時代へと移り変わっている。かつては1ゲーム30分〜1時間かかった将棋,あるいは東南西北全局を打って1ゲーム2時間をかけていた麻雀に対し,今ではすばやく決着する「どうぶつしょうぎ」が生まれたし,麻雀であれば半荘あるいは東風戦が普及している。ゲームもまた,時代にあわせて変容した。
 「かつてゲームのプレイヤーは,いわばライバルのような関係でゲームに参加した。今では,プレイヤーは時間を共有する一体感を求めてゲームに参加している。そしてその先には,人間を超えるAIが人間と協調してゲームを楽しんでいく世界があるのではないか」と伊藤氏は指摘する。
 このように,ゲームには「場を共有させる」「人と人をつなぐ」魅力がある。「ボールを一つ置いておけば,そこで自然とサッカーが始まる」のだ。また近年では,ゲームセンターが高齢者のコミュニケーションセンターとして機能し始めてもいる。かように,ゲームはコミュニケーションの場,経験を共有するツールとして成立しているわけだ。


やや不満の残るセッション


 このあと「ゲームを通じた経験の共有」という論点について参加各者から簡単な意見が出されたが,時間の都合もあって,さわり程度で終わってしまった。
 さて,この「ゲームとコミュニケーション」というパネルディスカッションだが,いささか期待外れだったことは,正直に言わねばならないだろう。もともとパネルディスカッションは水物で,盛り上がるかどうかは当日やってみないと分からない部分が大きいことは承知したうえで,「ちょっとこれでは論点が古すぎないか」と感じたのは事実だ。
 ゲーム開発のプロが集まる場所において「ゲームがコミュニケーションツールとしても機能している」ことを再確認する必要があるのかは疑問だ。

 また,コミュニケーションは語られたように無敵ではない。ネットゲームを遊んでいる人であれば,コミュニケーションが原因で嫌な思いをしたことはあるだろう。人に言葉の暴力を振るうのもまたコミュニケーションの一つの表出(あるいは暴走)だから,ゲームとコミュニケーションを論じるならば,「ゲームシステムによって,より楽しいコミュニケーションを実現する方法」が議論されるべきではないだろうか。

 世界中のプレイヤーとつながり得るゲームは,ボイスチャットの発達と一般化によって,言語依存をさらに増している。このようなテクノロジーの普及に対し,「ゲームとコミュニケーション」はどのようにあるべきなのだろう? 人間を楽しませてくれる程度に「うまく手を抜いてくれる」AIは,具体的にどのような存在になり,またそれは本当に面白いゲームになるのだろうか?
 「ゲームがコミュニケーションツールとして機能する」「ゲームがコミュニケーションの場を醸造する」という議論の,その先こそが,CEDECという狭き門でなされるべき議論ではなかったのだろうかと個人的に思う。
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