連載
連載企画:TCG「ドレッドノート」公式ストーリー「Dreadnought Episodes」第4回
後輩の敷島ヒカルからの相談で,ストーカー事件の解決に動き出すユイと,強引に付き合わされる羽目になったレイジ。一方,組織から受けた任務のため,なにやら怪しげな動きを見せるレオナ。そして黄の組織の異端者パドマは,この八幡学園都市で起きようとしている出来事に,どのように関わっていくのだろうか。いよいよ物語は動き出し,見逃せない展開に。
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旭レイジ 昼行燈のサボタージュ #2
「今日ひま? あなたにとって、ためになる話があるんだけど」
校門を越えたところで、恵比寿ユイに声をかけられた。
ユイはレイジのクラスの学級委員長で、模範生だ。見た目からすでに凛とした風格と清潔感を醸し出しており、一般的には美少女として好印象を持たれる。教師たちは彼女を「問題児であるレイジへのお目付け役」と考えているらしく、授業で頻繁にペアを組ましてくる。だから自ずと、レイジはユイの性格を、ユイはレイジの性格を他のどの同級生よりもよく知っている。
レイジから見たユイは、ひとことでいえば「おせっかい焼き」だ。同義語は「面倒くさいやつ」。
うげえ、とレイジがあからさまに顔を歪める。
と、ユイはなぜか嬉しそうに微笑んだ。
……ほんとドSな性格だなこいつ。
レイジはいっそうテンションを下げた。目を逸らして、ユイの脇を通り過ぎようとしたところで、腕を掴まれた。
「ちょっと、無視はないでしょ。私がどれだけここで待ってたと思ってるの?」
レイジはその手をふりはらって、舌打ちする。
「知るかよ。俺は忙しいんだよ」
「嘘。あなたが忙しかったことなんて一度もないでしょ、サボり魔なんだから」
「宿題はちゃんと出してるだろ」
「適当な答えばっかで埋めたやつをね。でも他の提出物は? 進路希望票、出してないのレイジだけだって先生が言ってたわよ」
「……ああ、あれな。その回収のために、わざわざ待ってたのかよ」
別に、出さなくても怒られなそうだったので忘れていた。レイジは必要最低限のことしかしない、エコな人間なのだ。
「本当はプライベートなことだから自分で出した方がいいの。けど、私から急かした方が効果があるからって、先生に任されたのよ」
まったく、最近の教師は悪知恵ばかり身につけやがって。ユイは教師より遥かにしつこいので厄介だ。レイジは仕方なく、学生鞄を開く。中から、くしゃくしゃになった用紙と筆箱を取りだした。シャーペンでさらさらと雑な文字を書いて、ユイに差し出す。
「ほれ、もってけ」
「なによこれ」
「進路希望だよ」
「主夫って、ふざけてるでしょ」
「大真面目だよ。働く女性を支えていきたいと思ってるんだよ」
「見え見えの嘘。ていうか、あなたみたいな男と結婚してくれる女性なんていないでしょ」
「んなの、お互い様だろうが。彼氏ができたこともねーくせに」
「そ、それは今関係ないでしょ。あなたの進路の話をしてるのよっ!」
「なにムキになってんだよ。ただの冗談だろ」
やっぱり面倒なやつだ。結局レイジは無難に、大学、と書き直してユイに渡した。ユイは自分の鞄にそれをしまいながら言う。
「勉強、わからないところがあったら言いなさいよ、教えてあげるから。特に数学とか、不安でしょ」
「はあ? なんだよお前は。俺のなにを知ってんだよ」
「だいたい何でも知ってるわよ。少なくとも他のクラスメイトよりはね」
「キメえ、ストーカーかよ。あんまりしつこいと訴えるぞ」
「そう、それよ!」
「あ?」
ユイがにっこりと笑って、レイジに人さし指をむけた。
「あなたを待ってた理由。実は後輩の子からね、ストーカーに遭ってるって相談を受けたの。これって問題じゃない?」
レイジは一瞬、硬直する。目を左上、右上の順に動かしてから返す。
「……ストーカー? まあ、大変だな。でもそれがどうした。俺には関係ねえだろうが」
「ばか。おおありでしょ。同じ学校の後輩が困ってるのよ? 助けないなんて可哀想よ!」
「おいおい、ばかはお前だよ、そんなの警察に任せとけよ」
「いろいろと事情があるのよ。詳しくは聞けばわかるわ」
「嫌だよ、ただの他人だろうが。ていうか……それのどこが俺のためになる話なんだよ」
レイジの信条は「日常を極力ローコストで過ごす」だ。ユイみたいにおせっかいを焼くのは趣味じゃない。ストーカーだかなんだか知らないが、関わって得なことなどひとつもないだろう。
「あなたはせっかく実力があるのに、先生からも生徒のみんなからもあまりよく思われてないでしょう? こういう機会に人助けをすれば、信用を回復できるかもしれないわ」
「求めてねーよ」
たしかにレイジは、入学試験こそ優秀な成績だったので初めのうちは教師から期待されて同級生からは尊敬されていたが、サボり癖が治らないことがバレると、多くの人たちから呆れられ、哀れまれるようになった。
でもレイジはその状態に不満がない。ダラダラと快適に学園生活を送れるのだから、理想的な環境とすら思っている。
「あなたが求めていなくても、あなたを正当に評価してもらうのが私の責任なのよ」
「真顔で勝手なことを言うな。そもそもな、それをいうなら俺はもう充分に信用を回復したよ」
「…………どういうこと?」
「噂で知ってるだろ? 誘拐事件の話。犯人が他の神醒術士も狙ってると聞いたから、俺はみんなのために、やつらを倒したんだ。こりゃーもう、俺の評価はうなぎのぼり間違いなしだぜ」
レイジは自信満々に言ったが、ユイはため息をつく。
「ああ、なんだ、そんなこと」
「そんなことってなんだよ。素晴らしい正義感だろうが」
「ごまかされないわよ。どうせ自分のためでしょ。ダラダラした日常生活がこれ以上脅かされたくないから、仕方なく事件を解決しとこうっていう」
……完全にバレていた。警察のおっさんは、これで騙せたのに。
レイジはばつが悪くて、思わず顎を引く。
「な、なんでわかるんだよ」
「本当に正義感のある人は、あなたみたいに瞳が曇っていないのよ」
「…………」
ぐうの音も出ない。
「というわけで」
ユイは言って、またレイジの腕を掴む。
「あなたの更生の意味も含めて、ストーカー事件の解決に協力してもらうわ。よろしくね♪」
「わっ!? こら離せ! やめろ俺は家に帰って録画したお笑いを――おまわりさん助けて! 誘拐です!」
レイジは必死に抵抗するが、ユイは武術をやっているだけあって細身のわりに力が強い。レイジはずるずると引きずられ、夕暮れの街へと連れ去られた。
恵比寿ユイ よすがのレスポンス #2
レイジを連れ去ったユイはコーヒーショップに向かう。
ストーカーの悩み相談を、他の生徒がいそうなところでするのは気持ちよくないので、学校からは少し離れた店を選んで待ち合わせた。着いたときには夕日は地平線に沈みかけていて、空は明度を落としつつあった。
ユイは抹茶のフラパチーノ、レイジはチョコレートソースがかかったフラパチーノを頼んで、向かい合わせの席につく。5分ほどで後輩は来た。
「こんばんは! 放課後にわざわざありがとうございます、ユイ先輩。お待たせしちゃってすみません!」
はきはきとした口調で、手を挙げて近づいてくる少女。もう片方の手にはホットミルクを持っている。ユイの知る限り、この子は身体によさそうなドリンクを好む。
「いいのよ。私たちが早く着いちゃっただけだから」
少女は、ありがとうございます、とまた言ってから、レイジに視線を向けた。
「あ、こちらのかたが、おっしゃってた――」
「旭レイジくんよ。レイジでいいわ」
「おい、なんでお前が決めてんだよ」
少女は深々と礼をしてから、勢いよく頭を上げる。
「こんばんは、レイジ先輩! 私、高等部1年生の敷島ヒカルです! 今日は貴重なお時間とっていただいてありがとうございます!」
ヒカルは出身も育ちも日本で八幡学園に通っているが、所属はアメリカを拠点とする国際機構I2COだ。
これには八幡学園都市のオープンな運営体制が関係している。八幡学園都市は基本的に異文化交流を推奨しているため、街に他国の人間を受け入れるし、学園に他組織の教師陣を迎える。おかげで学園都市内には世界中の優秀な人材が集まる。
逆に他組織からすれば、学園に協力することで、高い能力をもった人材にツバをつけて自組織に呼びこめる可能性が上がるメリットがある。I2COは特に、学園に教師を多く派遣していて、学園内の寮を八幡と共同で管理もしているので、代わりに引き抜きが事実上許されている。I2COの構成員名簿に登録した学生にはアメリカ研修を無料プレゼント、というキャンペーンのようなこともやっている。
都市内でのこういった異文化チャンプルー的状況を、差別的視点から嫌う人もごくまれにいるけれど、ほとんどの人たちは気にしていない。特にヒカルは、そういう暗さとは無縁の性格をしている。彼女はより楽しそうだから、という単純な理由でキャンペーンにつられてI2COに籍を置いた。
そんなヒカルのはきはきしたお礼に気圧されたのか、レイジはぎこちなく微笑む。
「……お、おう。まあ、いいんだけどよ」
それを見てユイはくすりと笑う。ひねくれた性格のレイジだからこそ、こういう毒のない子は苦手なのかもしれない。どうすればいいんだよ、と言いたげにこちらをうかがう、その困った表情も微笑ましい。
ユイはヒカルに、どうぞ座って、と隣の席を手で示した。それから正面に座るレイジのほうを向く。
「ヒカルちゃんと私はね、部活の関係で知り合ったのよ」
「部活?」とレイジは首を傾げる。「お前、部活なんてしてたっけ」
「正式には入っていないけど、助っ人に呼ばれて行くことはよくあるの。あのときは陸上部だったわね」
席に着いたヒカルが、ぴしっと伸ばした姿勢のまま補足する。
「はい。でも私も、陸上部じゃないんです。水泳部なんですけどユイ先輩と同じように助っ人で呼ばれまして」
「…………なんというか、複雑なんだな」
レイジは興味なさそうにフラパチーノをすすっている。ユイが続ける。
「うちの学校じゃ助っ人って珍しくないからね。ヒカルちゃんは凄いのよ、そのときの陸上の大会で、助っ人なのに大会記録を出しちゃったんだから」
いえいえそんな、とヒカルは謙遜している。
「ふーん。そりゃあすばらしい」
「ちょっとレイジ、あからさまにどうでもよさそうね」
「いや、まあ別に俺は世間話をしに来たわけじゃないしな」
レイジは、フラパチーノのクリームをすくって口に入れる。
「――主題はストーカーなんだろ? さっさとそっちの話に移れよ」
ストーカー、とレイジが口にしたとたんにヒカルの表情が曇った。ユイはため息をついて、レイジの頭を軽くたたく。
「ばか。だから、この話をしてるんじゃない」
ユイは事前にヒカルから、今回のストーカー事件の概要を聞いている。陸上の話題を出したのは、説明のために必要だったからだ。
は? と怪訝そうな顔をするレイジに、ヒカルが咳払いをした。ホットミルクを少し口に含んでから、声を抑えて切り出す。
「実はですね、私が遭ったストーカーは、ただのストーカーじゃないんです。尾行されてるのに気づいてから、私は全力で走って逃げたんですけど、ぜんぜん巻けなくて」
「………………??」
いまだに理解できていないレイジに、ユイは人差し指をたてる。
「さっきも言ったでしょ。ヒカルちゃんは陸上の大会記録を持ってるの。具体的には、100メートルをだいたい11秒で走れるの。そんな子を追えるストーカーって、聞いたことある?」
レイジは少し考えるように眉間にしわをよせてから、首を振る。
「そんなの絵面がシュールすぎるし、まあ聞いたことはないな」
「でしょ」
「犯人の顔は見なかったのか? それだけ全力で追いかけてくるなら、振り返れば確認できただろ」
ヒカルはうつむき、申し訳なさそうにする。
「ごめんなさい。私もそう思って、振り返ったんですけど、ちょうどそのタイミングで犯人はパッと消えちゃうんです」
「消える? 物陰に隠れるってことか」
「いえ、開けた場所でもです。振り返ると同時に、すっかり透明になっちゃったみたいにいなくなるんです」
「……えーと、つまり姿はぜんぜん見てないってことか? 体格や服装すらも、まったく?」
「はい。視界の端で、気になる影がずっとちらついてるし、背中ごしに息づかいも聞こえるので、いるのは間違いないんですけど。でも振り返ると、いない」
「はあー、なるほどなあ……確かにそりゃ、普通じゃねーわ」
まさにレイジの言うとおりだ。
ユイの知る限りヒカルは嘘をつくような子ではないので証言は信じるしかないのだが、そうなると犯人は透明になれる人物ということになる。でも、そんな芸当が普通の人間にできるわけはない。オカルトや都市伝説に類する現象のようにも聞こえる。
「どう思う?」と、ユイはレイジに尋ねる。
レイジは、普通じゃないと言っていたわりにはそれほど驚いていない様子で、のんきにちゅーちゅーとストローをすすった。それからフラパチーノをテーブルに置いて答える。
「どうって、そりゃまあ、神醒術を使ってるんだろうよ」
「そうなるわよね」
と、ユイは頷く。
この街で不可思議な現象が起こった場合、それはオカルトや都市伝説よりも神醒術事件であることを疑ったほうが理性的だ。
ここは世界中の神醒術士が集う街、八幡学園都市なのだから。
レオナ・メリタ デキる女のナリッジ #2
電灯くらいしか明かりのない裏路地を抜けると、いくらか広い通りに出た。雑なグラフィティアートが描かれたレンガの塀にそって、レオナは歩く。
ヴォルフは連れてきていない。彼はよく言って自由人、率直に言えば自分勝手なので、常に共にいるのは難しい。
じっさい今も彼は、コーラを買いに行くからと、任務をほったらかしている。レオナからすれば、信じられない神経だ。
呆れたレオナは、とりあえずこの街の詳細な地図だけを彼から受け取って、あとはひとりで仕事を進めることにした。神醒術士はふたり一組で行動するのが原則と言われてはいるけれど、いざというとき、臨機応変に動けないくらいならひとりのほうがいい。これは仕事で、目的の達成が何よりも大事なのだから。
今回レオナが上層部から受けた指令は、あるターゲットの捜索だ。
そのターゲットは、この街の中に、なんらかの神醒術によって意図的に隠されていることがわかっている。また、捜索は迅速に進めなければならない。厄介な計画が動いているからとのことで、猶予は、指令を受けた時点で1週間を目途にと言われた。
となると、やみくもに捜しても期間内の発見は難しい。八幡学園都市は広い。
レオナには考えがあった。
捜しものというのはなにも、それ自体を見つけなくても、それの場所を知っている人間から情報を得ることでも達成できる。
そのためにレオナは、渡日してからのここ数日、人間が多く集まる場所を用意しては独自の方法で調査を進めてきた。はじめはライブハウス、続いてスポーツジム。近々ビアガーデンも予定している。さて、その次は?
地図の情報を頼りに、レンガの塀沿いを5分ほど歩くと、赤いネオンで店名が書かれた店が見えた。遠くから観察する。
クラブだ。外観からして、なかなかの人数が入りそうな建物だった。人の出入りも多い。活発な若者たちの溜まり場になっているのだろう。
レオナは歩を進め、近づく。
入口の前で、酒くさい若者に声をかけられた。その軽薄そうな口調から、目的はナンパだろうと、なんとなくわかった。レオナはこういった手合いによく好意を持たれる。それを嬉しくは思わないけれど、今回は都合がいい。微笑んで、優しい声を返す。
「ここのお店で、特別なイベントを開きたくて来たの。管理者さんとふたりきりで予定を詰めたいから呼んできてくれるかしら? そうしたら、気持ちのいいご褒美をあげるわ」
ご褒美とは、ちょっとした金銭のつもりだった。それで互いに気持ちよくウィンウィンの関係になれるのなら安いものだろう。彼も、この提案を気に入ってくれたようだ。らんらんと目を輝かせると、はや足で店の中に消えていった。
残る猶予は2日しかないが、今のところレオナの想定通りに事は動いている。締め切りぎりぎりで、任務は達成できる予定だ。
パドマ・アステラス 黄金のデストラクション #1
パドマ・アステラスは、不干渉を基本姿勢とする「おとなしい組織」リグ・ヴェーダの中では、粗暴な行動が目立つ異端者だ。違法な事業に手を出して金を稼いでいる点でも、組織内では煙たがられている。
それでも組織に所属し続けられている理由には、曾祖父がマハラジャであることが関係している。曾祖父は優れた神醒術によって「豊かな平和」を国にもたらした。リグ・ヴェーダは身分や力に秀でた者をひいきする。そしてマハラジャの子孫であるパドマは、その両方を持っている。
組織はパドマを切り捨てない。パドマとしても組織に所属している方が都合のいい点があるので、自らすすんで組織を抜ける気はない。
しかし、いつまでも曾祖父の威光にすがりついて生きるつもりもない。パドマにとって曾祖父は尊敬する対象であると同時に、超えるべき存在だ。曾祖父を超えるために曾祖父と同じ手段は選ばない。対極にある「破壊」によってそれを実現すべきだとパドマは考える。ガンディーは偉大と言われるが結局、国の分離独立を止められなかった。一方、カエサルの死後には大国ローマの領土が残った。具体的な破壊には、抽象的な綺麗事を捻じ伏せるだけの力がある。曾祖父を超える影響力を、破壊によって残すことが、パドマにとっての勝利条件だ。そのためであれば今は、曾祖父の威光も組織も最大限に利用する。
そして、そんな威光も組織もぶっ壊して、いずれ遠くない未来にパドマ・アステラスという傷痕を、世界に刻みつけると決めている。
パドマが違法な事業に手を出すのは、大いなる破壊のために小金を稼ぐ必要があるからだ。日本に渡った理由もその事業の一環で、あくまで長居するつもりはなかった。
ただ、日本に渡ってから、どうにも肌にぴりぴりとした緊張感があるのは気にかかっていた。仕事柄か、パドマには迫りくる厄介事を察知するカンみたいなものが備わっている。絶対に当たるとは限らないし、厄介が自分の身にふりかかるものかも判別できないが、少なくとも近いうちに近い場所で、物騒な事件が起こることは感覚で知れる。
パドマは埠頭で犯罪組織と「なごやかなやりとり」を終えたあと、八幡学園都市の中心部まで移動した。拠点として設けている事務所へと続く、帰り道を歩く。
周囲は歓楽街だ。夜だというのに、ネオンサインが煌々と主張していて目にまぶしい。ぜんぶかち割ってやりたくなる。
その光に照らされて気づく。ジャケットに、わずかだが返り血が付いている。爪で擦りとろうとするが上手くいかない。舌打ちが出る。
別に愛着がある服ではないが、醜いおっさんの濁った血で汚されるのは不快だ。それに運悪く警察に目をつけられても面倒くさい。今度からはもう少し綺麗に壊さなければ、と反省する。
そうして視線を前方から逸らしていたのが悪かったのだろう、向かいから来る男とすれ違いざまに肩がぶつかった。
パドマは反射的に振り返り、男を睨みつけた。
そいつはパドマとは反対に真っ黒なスーツを着ていた。彼も振り返り、しかしパドマとは反対に、余裕のある微笑みを浮かべて丁寧に頭を下げた。
その態度に毒気を抜かれたわけではないが、パドマはそれ以上何も言わなかった。別に、睨んだのもただの条件反射だ。こんな人目につきそうな場所で喧嘩をふっかけるつもりはない。
パドマがなげやりに手で「行け」と示すと、男はすんなりと背を向けて去ってゆく。パドマも、その背が遠のくのを見送ってから、再び事務所へと歩き出す。なんのことはない接触だった。
しかし、しばらくしてから違和感を覚え、パドマは眉根を寄せた。
首筋に、なんとなくぴりぴりと、心地良い刺激を感じていた。
パドマには危険事を察知するカンがある。そのカンがきっと、あの男に反応した。思い返せば男の身体からは香水と、その香水の下に隠しきれずに残っている微かな別の臭いが立ち昇っていた。血の臭いではなかった。だが、高そうなスーツにはそぐわない野蛮な異臭ではあった。
パドマは首筋に軽く手をやる。
――まともな世界で生きてる奴に、あの臭いは出せねえよな。
自分と似た業種の者か、あるいはもっと性質の悪い人種か。具体的にどうとは言えないが、ともかくいずれ近いうちに物騒な事件を呼び込む奴である可能性は高いように思う。
物騒はパドマの領分だ。暴力に訴える人間は、暴力で屈服させることができる。屈服させれば、またひとつ、目標のための礎が増える。
パドマは無意識に、口の端を上げている。
なんとなく、もう少しの間、この街にとどまってもいいと思えた。
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