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1980年代のベストセラー「パーティジョイ」シリーズのデザイナーが20年ぶりに挑んだボードゲーム制作。そのノウハウを聞いてみた
1980年代から1990年代にかけ,130タイトル近くが生産されたパーティジョイ作品の中には,今では埋もれてしまった名作・傑作も多い。またメインターゲットが子供だったため,ルールは平易でプレイ時間も短めと,実のところ昨今の国産ボードゲーム文化を先取りしたような方向性を有していたのだ。
そんなパーティジョイのデザイナーの一人であったのが,野村紹夫氏だ。現在はルートイレブンというゲームデベロッパを立ち上げ,再びボードゲーム市場に参入を決意し,その第1弾となる航空マネージメントゲーム「Air Alliance」がSPIEL’15に展示されていた。
「Air Alliance」の多言語版を,ヤポンブランドの助力を得てSPIEL’15で販売する野村紹夫氏に,パーティジョイの歴史とデザインの秘話,そして20年を経た現代日本のボードゲームシーンについて,大いに語って頂いた。
「Air Alliance」公式サイト
数万のオーダーで売れていたパーティジョイシリーズ
4Gamer:
まず,自己紹介からお願いしてもよろしいでしょうか。
野村紹夫氏(以下,野村氏):
野村紹夫と申します。20年前くらい前は,バンダイさんのボードゲームを作ってました。80年代半ばから90年代の半ばまで続いた「パーティジョイ」シリーズを中心に,大型の「ジョイファミリー」シリーズ,あとはドンジャラなんかも手がけていたんです。通算で15年くらい作っていた計算になりますね。
4Gamer:
今はどういった活動をされているのでしょうか。
野村氏:
ここ20年くらいは,ずっと,コンピュータゲームを作ってました。そして今年になって,急にボードゲームに復帰したという感じです。今はルートイレブンという自分の会社を作って,自社商品という形でボードゲームを作っています。
4Gamer:
では,SPIELへの出展は今回が初めてなんですね。
野村氏:
ええ。ここ4年くらい見には来ていましたが,出展するのは初めてになります。なにせ,20年ぶりのボードゲーム制作です。こうしてブースに立つのなんか,28年前のおもちゃショー以来ですから,それ以上です。だいぶ長いブランクですね(笑)。
4Gamer:
パーティジョイを作っていた頃は,バンダイの社員として作られていたのですか?
野村氏:
あれは外注での制作でしたね。当時,バンダイと付き合いのあった印刷会社に「ゲームの企画もやらないか」という話が来て。印刷とゲームの企画をセットでやる会社がいくつかあったんですね。僕が所属していたのも,その中の1つです。
4Gamer:
となると,パーティジョイというシリーズ自体の企画者は,別にいたわけですよね
野村氏:
そこはよく分からないですね。自分がパーティジョイのデザインを始めた頃には,すでにシリーズが20作ほど作られていました。逆算すると……企画がスタートして1〜2年というところでしょうか。パーティジョイは,すでにラインとして確立していて,そこに僕も飛び込んだという形です。
4Gamer:
パーティジョイシリーズは,当時のおもちゃ屋さんにはまずあったと記憶しています。相当売れていたのではないかと思うのですが,いかがですか?
野村氏:
そうですね。今のボードゲーム市場から考えると,比較にならないほどの桁で売れていました。具体的な数字までは言えませんが,万の単位です。中には,何十万単位で売れたものもあります。
4Gamer:
それはすごい。
野村氏:
ただ,版権ものが多かったので,どんなに売れていても半年後にはなくなってしまう,という制限もありました。1年経ってテレビ番組が終わるとか,半年くらいで話が新しい展開に入るとか。そういったタイミングで,ボードゲームの販売も終わってしまう。結果として,タイトル数は多くなったのですが,新陳代謝も激しかったですね。
4Gamer:
原作があるゲームの場合は,原作の資料を見ながら作っていたのでしょうか。テレビ放送に先駆けてデザインしなければならないわけですし。
野村氏:
原作はできるだけ追いかけるようにしていました。週刊少年ジャンプのような雑誌はスクラップしておいて,いつでも参照できるようにしていましたし。ただ,「資料が見られるとは,何とありがたい!」という状況の方が多かったですね。「来週から新しいライバルが出てくるから,それをゲームに出してくれ」とか言われても,そもそもライバルがどんな奴なのか分らない(笑)。
4Gamer:
なるほど(笑)。パーティジョイシリーズって,最終的には130タイトルくらい出たわけじゃないですか。ゲームのメカニクスは,毎回新しいものを考えていたのですか?
野村氏:
テーマに合わせて,イチから考えてましたね。原作があるゲーム場合,その原作のどういうところを楽しんでもらいたいか,どういう世界を感じてほしいか,というのを重視していました。当時,僕らはこれを「ごっこ遊び」と呼んでいましたが,それを実現するためにはどんなルールにしたらいいのかを考え,そこからゲームを組み立てていたんです。
4Gamer:
なるほど。しかし,毎回違うものを考えるのは,すごく大変だったのでは。
野村氏:
もちろん,使い回しもありましたよ。マニアの方からは,「パーティジョイはすごろくがベースになったゲームが多い」ってよく言われるんですが,これは実はある程度意識してやっていたことなんです。
4Gamer:
というと?
野村氏:
クライアントからはよく言われたのが,「ファミコンは説明書を見なくてもゲームを始められる。ボードゲームは始めるまでに読まなきゃいけない説明書の量が多すぎる。読まなくても遊べるボードゲームが必要だ」っていう話で。ちょうど任天堂からファミコンが出始めた時期だったんですね。目新しいルールって,やっぱりなかなか頭に入って来ないものですから,そこで挫折してしまわないようにするために,説明不要なすごろく形式を多用していたんです。
4Gamer:
それは現在にも通じる話ですね。ボードゲームのインスト問題は,今もよく議論の的になりますから。
野村氏:
あまり凝り過ぎちゃうと,間口が広がらないんですね。マニアにとっては良いかもしれないけど,一般のプレイヤーにはやっぱり厳しい。パーティジョイの時は,まずゲームをスタートさせてから,ゲームが進んでいく途中で引っかかったところでルールを読む,という作り方をしていました。
4Gamer:
ダイスを振って,コマを進める。何も問題は起きなかった。じゃあ次の人がサイコロを振る,みたいな。
野村氏:
そうそう。それを繰り返すうちに,いろいろなイベントが起こり,終盤近くになると組んず解れつの奪い合いになって,クライマックスではギリギリ誰もが勝てるというラインで決着する――これが理想的なゲーム展開です。
4Gamer:
しかも,パーティジョイは価格が1000円に統一されていましたよね。これはつまり,「1000円で利益が出るもの」という枠組の中で制作されていたことになります。
野村氏:
そうです。販売価格が決まっているわけですから,原価もだいたい決まります。単純に,使える紙の量が決まってくるんです。ゲームに必要なのは,ゲームボードとして使う厚紙を貼り合わせた合紙(ごうし)と,もっと薄いカード紙が主ですが,原価が決まっているから,どのくらい大きな紙が使えるがまず決まってしまう。ゲームをデザインしたうえで,サイズが決まった紙をどうカットすれば必要なパーツが得られるのか。そこまで考えて作っていたんですよ。
4Gamer:
ゲームボードやカードのほかに,ダイスが入っている場合もありましたよね。
野村氏:
ありました。これはデザイナー次第で,僕はあまりダイスを使いたくない派でしたね。というのも,ダイスは原価が高いですから。ダイスを入れるなら,プラ矢を一本入れて,ゲームボード上にルーレットを配置したほうが安価なんです。それにルーレットであれば,乱数の偏り具合なんかも自由に設定できますから。
4Gamer:
当時,パーティジョイシリーズを制作していたデザイナーは,何人くらいいたのでしょうか。
野村氏:
何社も関わっていたので,総数は分からないですね。僕が実際にお会いしたことのある範囲では,10人くらいでしょうか。
4Gamer:
それは多いですね。言い方を買えれば,当時のボードゲームデザイナーというのは,それだけで仕事として成り立っていた。
野村氏:
ええ。当時はボードゲームの仕事がひっきりなしに来てましたし。僕の場合は,グラフィックスデザインの仕事もしていたので,ゲームデザインとグラフィックデザインの仕事が交互にくるような状況でした。「来週中にパーティジョイを1つテストプレイまで持ってかなちゃならないんだけど,その間にデザインの仕事が3つくらい入って来ちゃった。どうしよう」みたいな(笑)。
4Gamer:
すごい売れっ子ですね。なんだか,いろいろ思い出して来ました。おもちゃ屋さんにパーティジョイやいろいろなボードゲームが並んでいて,そのうちファミコンが勢いを増してきて。ミニ四駆の最初のブームもこの頃ですよね。あの当時のボードゲームって,人生ゲーム以外にどんなものがありましたっけ。
野村氏:
人生ゲームは,僕が小さい頃に出てきて,いまだにロングセラーを続けていますからね。あとはモノポリーとか,UNOとかオセロとか。今と一緒ですね(笑)。もう少しマニア向けでは,パーティジョイより少し前に,ウォーシミュレーションゲームのブームがありました。ツクダやエポックからたくさん出ていて,バンダイからも出ていたと思います。
4Gamer:
ありましたね。ガンダムとかスターウォーズとか,当時の人気作品をモチーフにしたシミュレーションゲームがたくさん。パーティジョイの頃にも,まだその流れは少し残っていたように思います。
野村氏:
あとは,時期的には今で言うテーブルトークRPGが知られはじめた時期でもありました。「よく分らないけど,RPGっていうゲームのがあるらしい」って,一部のマニアの間で交わされていた時代ですね。日本語でアクセスできる範囲だと,「エンタープライズ」か「ローズ・トゥ・ロード」くらいしかありませんでしたけど※。
※「エンタープライズ」……「スタートレック」を原作としたテーブルトークRPG。ツクダホビーより1983年に発売された。
※「ローズ・トゥ・ロード」……門倉直人氏のデザインによるファンタジーRPGシリーズ。現在も続いているシリーズだが,初代の発売は1984年。こちらもツクダホビーより発売された。
4Gamer:
となると,参考にできそうな先行作品というのは,あまりなかった?
野村氏:
ゲームメカニクスについてだと,参考にしたものは何もありませんでしたね。参考になるものがあること自体,知りませんでしたから。ただ,Milton BradleyやKenner Parker,それからHasbroといったアメリカの大手玩具メーカーのゲームを,バンダイのアメリカ出張組が買ってきてくれることがありました。そういったゲームから刺激を受けたことなら,あったかもしれません。
4Gamer:
その頃の北米のボードゲームって,どんなものだったのでしょう。
野村氏:
タイトルまでは覚えてないですが,どれもかなり大型のゲームでしたね。あ,それとパーティジョイを作り始めて少しした頃ですが,光栄(当時)からボードゲームの本が出ていまして,参考にした覚えがあります。とはいえ,1ページあたり8つのタイトルが並んでいて,簡単な概略が書いてあるだけだったので,「へぇ,こんなゲームがあるんだ。こういうルールかなあ」って想像していただけなんですけど。
4Gamer:
パーティジョイは1000円で小型でしたが,もっと大型のボードゲームも出ていましたよね。
野村氏:
大型のゲームは,人生ゲームの価格帯を意識したラインでした。当時は大体5000円くらいだったので,バンダイではこれに対抗して,3000円くらいのシリーズを出していた。今も発売されている「お化け屋敷ゲーム」なんかもこの類ですね。これが成功した後で,より安価なラインとして,パーティジョイシリーズが生まれたのだと思います。
4Gamer:
ああ,なるほど。あの当時で1000円のボードゲームというのは,なかなか衝撃的な値付けだったのですね。
野村氏:
ええ。1000円なら子供のお小遣いでもなんとか手が届く範囲ですし,ねだればおばあちゃんが買ってくれるかもしれないっていう。作る側から見ても,低価格化したことによって毎月リリースできるようになり,多少実験的なことをやって失敗しても,ダメージは少ない。恵まれた環境だったと思います。
4Gamer:
では,なぜシリーズが終わってしまったんでしょうか。
野村氏:
端的に言えば,だんだん売れなくなっていったんですよね。どうしても原作ありのキャラクターゲームのほうが売れるので,そちらに偏ってしまうんです。でもキャラクターゲームは制約が多く,長く遊べるようなゲームは作りにくい。
4Gamer:
一方で,子供向けのおもちゃとしては,ファミコンの存在が大きくなり,無視できないようになってくる。
野村氏:
そうです。それによって,パーティジョイは売上げを落としていきました。何か対策が必要だったわけですが,そこで出てきたアイデアが,「ゲームにオマケのフィギュアをつけよう」というものでした。
4Gamer:
……そんなのありましたっけ。
野村氏:
後期にはあったんですよ。僕らとしては,これには大反対でした。ボードゲームを遊びたい人は,ゲームで遊びたいんだって。でも,「そのボードゲームにフィギュアが付いていたら,もっと買いたくならないか?」って説得されてしまい……売れてる時代であれば反論はできるんですが,数字を見せられたらそうも言えない。とはいえ,フィギュアってタダじゃないわけです。
4Gamer:
フィギュアを入れた分だけ,コンポーネントの質を落とさなくてはならない。
野村氏:
単純に,使える紙の量が1/3になります。そうした強い縛りの中で,ゲームを作らなくてはならなくなった。でも結局,フィギュアを入れても,やっぱり売れなかったんです。それで終焉に向かっていったんですね。
4Gamer:
野村さんの知るパーティジョイ作品で,名作を挙げるとしたら何になりますか。
野村氏:
「ぼくら少年探偵団」シリーズは良かったですね。僕の同僚と先輩が作ったゲームで,原作のないオリジナル作品なんですが,すごろくにアクション要素が混じった内容で面白かった。それから,「探偵物語ゲーム」というのがすごく良いゲームでした。証拠を集めて,消去法で犯人を特定していく推理ゲームです。これも先輩の作品ですね。
4Gamer:
それは原作もの?
野村氏:
いえ,オリジナルです。タイトルからも分るとおり,映画を原作に作ろうと思っていたんだけど,許可が下りなかったパターンです。やっぱりゲームとして見たら,面白いのはオリジナル作品に多いですね。
ご自身の作ではいかがですか。
野村氏:
僕が作った中だと,「日本全国ミケ猫トマトの配達屋さん」(以下,ミケ猫トマト)が傑作と言われていますが……そうですねえ,自分が作った作品はどれも好きですよ(笑)。
4Gamer:
ぜひ遊んでみたいです。
野村氏:
今となっては入手困難ですね。ネットオークションとかに出ることもありますが,とんでもない値段になっちゃいますから。正直,5000円を越える値段で取り引きされているのを見ると,疑問に感じることもあります。
4Gamer:
それは……得てしてそういうものですけれど。
野村氏:
もっとも,ファンの人達はパーティジョイシリーズを後世に残すために頑張ってくれてたりもするようで,それはありがたいのですけど。オークションでも,そういうコレクション完成を目指すファン達が身内で競り合っていた,なんてこともあったそうですし(笑)。
20年ぶりの野村作品,「Air Alliance」
4Gamer:
では,パーティジョイ以降の話を聞かせてください。パーティジョイが終息を迎えたあと,1995年に「カタンの開拓者たち」(以下,カタン)が現れます。2008年には「ドミニオン」が生まれ,日本でもブームになるわけですが,その頃の野村さんはコンピュータゲームを作っていた?
ええ。まさにちょうどその頃は,携帯電話向けのゲームやオンラインゲームを作ってましたね。フィーチャーフォンでiモード端末が出はじめ,やがてソーシャルゲームに向かっていくゲームの,その途中段階にあるような作品を手がけていました。
4Gamer:
カタンやドミニオンの盛り上がりは,どんな風に見てらしたんでしょうか。
野村氏:
正直,あんまり意識してはいなかったです。昔を知る人からは「ボードゲーム作らないの?」って聞かれましたが(笑)。
4Gamer:
その時はもう,ボードゲームに対する興味を失っていた?
野村氏:
いや,作りたくないわけじゃないけど,作れる環境になかったんですね。あとやっぱり,少し疲れてたんだと思います。それまで相当な数のボードゲームを作ってきて,やり切った感があった。でも,その後にパーティジョイファンの集いみたいなところに呼ばれる機会があり,ゲーム会に誘われたんです。そこでドイツゲームに触れてみたら,「なんだ,ヨーロッパでも随分ゲームを作ってたんじゃないか」って。それで俄然,制作意欲が湧いてきた(笑)。
4Gamer:
ドイツゲームを実際に遊んでみて,どう思われましたか。
野村氏:
正直,難しいゲームだと思いました。説明書を自力で読んで理解する自信がなかったです。今も,この会場にあるほとんどのゲームがそうだと思います。プレイヤーが事前に読み込んで予習してくるなんて,パーティジョイの時代では考えられない。
4Gamer:
確かに。
野村氏:
僕らは当時,説明書を読まなくても遊べるゲームを作るというプレッシャーの中でゲームを作っていたのに,今じゃプレイヤーのほうがプレッシャーを感じて,インストの仕方を勉強しているわけじゃないですか。だからまったく逆ですよね。ただ,それが良いのか悪いのかは,僕には分りません。ただその結果として,大人が真剣に考え,悩んで夜通しプレイするようなゲームとして成立しているんだと思います。
4Gamer:
今回,野村さんが出展されているタイトルを紹介していただけますか。
野村氏:
ええ。これは「Air Alliance」という航空マネージメントゲームです。世界地図のボードがあって,その中に各国の空港があります。それらの空港を航路でつないで,旅客機を運用していくんです。プレイ人数は2人から4人で,4人が最適です。プレイ時間は50分くらいですね。
4Gamer:
20年ぶりにボードゲームを作ってみて,何か違いを感じたでしょうか。
野村氏:
なにより,昔と違って好きにゲームが作れるのがいいですよね。だからこそ,どんなゲームを作ろうかというところで悩みもするんですが(笑)。そうやって悩んでいるときに思い出したのが,パーティジョイで出した「ミケ猫トマト」なんです。
4Gamer:
おお,先ほど話題に上ったタイトルですね。
野村氏:
ええ。「ミケ猫トマト」は宅配便のゲームで,プレイヤーが自分の拠点で荷物を受け取り,それを期限内に目的地まで運ぶことを繰り返すゲームです。こういうマップ上のある場所から別の場所に何かを運ぶ――いわゆるピックアンドデリバリーのゲームなんですが,やっぱり自分はこのタイプのゲームが好きなんですよ。パーティジョイの27番という,自分のキャリアの最初期のゲームでもありますし,それを今のプレイヤーにも届けたいと思った。なので今回も,そこに戻ることにしました。
4Gamer:
飛行機をテーマに選んだのは?
野村氏:
旅行が好きなので(笑)。海外旅行って,計画しているときが一番……とはいいませんが,すごく楽しいじゃないですか。地図を見ながらどこで宿泊して,どこで乗り継ぎいで,というような。あれをゲームの中でやるようなイメージです。ただ,そもそもは旅行をテーマにしたゲームを作ろうと思ったのがきっかけなので,「ミケ猫トマト」は,後付けなんですけどね。
4Gamer:
あくまでテーマが先にあって,メカニクスは後から出てきたわけですね。
野村氏:
そうなります。でも,「ミケ猫トマト」を遊んだことがあっても,これがそうだとは気付かないと思いますよ。パーティジョイではできなかったことをたくさん詰め込んでいますし,ゲームとしては全然別のものになっています。
4Gamer:
今のボードゲームプレイヤーに向けて作ったということは,ドイツゲームを意識した内容になっているのでしょうか。
野村氏:
いや,そうではないですね。ドイツゲームを作る人はたくさんいますし,自分がそれと同じものを作っても仕方ないですから。ただ,パーティジョイの頃とはターゲットの年齢層が違うので,もう少し「考え込む」ゲームにする必要がある。なので,わりと実力が出やすいゲームになっています。とくに序盤がキモになっていて,運と実力の割合は……6:4といったところでしょうか。
4Gamer:
分りました。ボードゲームが華やかだった時代を知る野村さんに,これは聞いておきたいのですが……日本でまたボードゲームが活気を取り戻すには,何が必要だとお考えですか。もちろん,その兆候はすでにあるわけですが。
野村氏:
昔と違って,今は大手メーカーがボードゲームを作るっていう時代じゃないんですよね。それこそゲームマーケットみたいな場で,個人がゲームを作って発表し,販売する。今のこの流れがどんどん広がっていけば,道は拓けると思います。
同時に,もっと初心者向けのゲームが必要ですね。ゲーマー同士で遊んで盛り上がるゲームじゃなくて,もうちょっと遊びやすさ,手軽さを意識したゲームがあるといいなと。
4Gamer:
その方向性は,まさに日本のボードゲームが世界で評価されている部分ではないですか?
野村氏:
ええ。ですが,まだ十分ではないって思うんです。作り手の立場からすると,初心者向けのゲームって怖いんですよね。あまりに簡単なゲームだと「つまらない」って言われてしまうし,だからどうしても歯ごたえのある凝ったゲームの方を作ろうとしてしまう。
4Gamer:
それは……分かる気がします。
野村氏:
でも,それでは間口が広がらないじゃないですか。もっと大胆な,いろんなゲームが出てきて欲しいし,僕もなるべくそういうゲームを作っていくつもりです。それによってボードゲームを遊ぶ機会が増え,シーン全体が盛り上がることを期待しています。1980年代のシーンは,「結局キャラクター」っていうところに落ついたので,今度はそうならないように。
4Gamer:
かつてパーティジョイで遊んでいた人達が,もう一度戻って来られるようなゲームを期待しています。本日はお忙しい中,ありがとうございました。
「Air Alliance」公式サイト
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