企画記事
ドリキャスで出会った,たったひとりの親友へ――「なあデカオ。ぐるぐる温泉からいなくなったおまえは今,どこにいる?」
「ドリームキャスト」。セガ・エンタープライゼス(現セガ)が1998年に発売したそのゲーム機は,ネットワークサービスを利用することで,家でゲームをしているのに,友人知人,他人とまでインターネットを介して一緒に遊べてしまう。そういう夢のはじまりだった。
そんな夢で出会った友のことを,私は今も忘れない。
これは,彼がその日,俺に言ったことで。
俺がその日,放り捨てた夢の切れ端で。
一生の,呪いの話だ。
あらかじめ言っておこう。私にはゲーム業界の一部界隈で濃いめにこすられがちな,生粋のセガファンといった習性はない。
物心ついてからの遍歴も,ファミコンで「ロックマン」。スーパーファミコンで「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」。ゲームボーイで「ポケットモンスター」とありふれたものだ。
その先の分岐路だって,セガサターンから入ったもののPlayStationに浮気した。NINTENDO64は友達ん家で遊ぶものだった。
サターンは,コンボのコの字も知らずに友達とアホ面で対戦格闘ゲームを遊ぶか,シルミラ(シルエットミラージュ),ガーヒー(ガーディアンヒーローズ),銀銃(レイディアント シルバーガン)などのトレジャー作品,そのほかDDSOM(ダンジョンズ&ドラゴンズ シャドーオーバーミスタラ)にプリクラ(プリンセスクラウン),あるいは「バーチャコップ」「ドラゴンフォース」「ウルフファングSS」「ゴジラ 列島震撼」「テーマパーク」,もしくは「ダライアス外伝」「“レイ”シリーズ」「ソルディバイド」といったSTG群を遊ぶものだった。
「蒼穹紅蓮隊」のステージ開始前の出撃シークエンスは史上最高にカッコいいと思っていたが――嗚呼,斑鳩が行くまでの話だ。
サターンはけっこう遊んだ。けれど,プレステの約束された勝利のルート「ファイナルファンタジーVII」以降は見向きもしなくなった。PS作品を挙げはじめれば,上記の数倍ものタイトルが出てくる。
だから,セガハードに特別な思いがあったわけではない。ただ中学生のころ同級生に「オンラインゲームって知ッてッか?」と煽られ,それを成すのがドリームキャストなる機械だと知っただけのことだ。
発売は1998年11月27日。当初の価格は2万9800円。掲載日を合わせれば25周年企画を吹かせたが,なに。そんな大層な話じゃないさ。
お高いドリキャスをなけなしの貯金で買ったのは,中学二年生のころ。そのときは彼が最後の力を振り絞りきった,2001年3月のこと。
製造の打ち切り決定により「9900円に価格改定」されてからだ。
当時は世代の覇者PS2がもう発売されていたが,そちらは金が足りず。親にねだったところで到底買ってもらえない値段だった。なので同級生に「オンラインゲームって知ッてッか?」と煽られるがままにドリキャスにした。あくまで,ふところ事情による消去法の末だ。
ま,当のそいつは「兄貴がドリキャスにハマってる」その一点でイキっていただけだったので,ついぞ一緒に遊ぶことはなかったがよ。
媚びではなく本音でいこう。ドリキャスは神だった。軽い意味でも重い意味でもだ。ビジュアルメモリの購入費用がかさみ,一発目はどのゲームショップでも980円で売っていた「ルーンジェイド」しか買えず,美しいコメントがしづらい体験に出鼻をくじかれたものの。
「ソニックアドベンチャー」
「神機世界エヴォリューション」
「トレジャーストライク」
「ゾンビリベンジ」
「パワースマッシュ」
「フレームグライド」
コロ落ちにカプエス2にサカつく。バーチャと名のつくものはオラタンだけで,十年早いほうはVF5FDの十年後までノータッチ。
人生史観で考えると移植版「Kanon」「AIR」と出会っちまったことが,今この仕事をしている未来にまで影響したが,まあいい。
なかでもハマったのは,オンラインゲームの意味を心の底から実感した「ファンタシースターオンライン Ver.2」と,ガルーダ&パウダーイーター風単ブックで一戦おなしゃす「カルドセプト セカンド」だ。
とくにPSOv2は,知らない人と一緒にリアルタイムで遊べて,チャットで交流までできてしまう衝撃体験に頭が破壊された。
ときには総督の部屋で「アイスアイスアイス>みんな」した。自慢のつたないシンボルチャットを見せつけた。なぜか森に落ちている高属性値のスプニやラヴィス=カノンを不思議がって拾った。
一つだけ謝罪しなければならないことがあるとすれば,超レアだとは知らずに拾った「ゴッド/バトル」を,価値をまるで存じてねえからどうでもいいかと野良で無言でもらっていったことくらいだ。
こうした,あのころの未熟で特別な体感は,その後のオンライン社会において,いまだに同質の感覚を味わったことはない。
中二の俺はゲームまみれですごしていた。ドリキャスを通じて,初めてのオンラインゲームにもどっぷり浸かった。
ただし,知ったのはインターネットの世界の楽しさだけ。ネットの構造は「変な線を電話口につなぐ」以上は理解していなかった。
「ピポポピパパ……ピーギュルギュルガー(中略)ビガーンガーン」。腹を下したときでももう少しつつましいと思える怪音を発するダイヤルアップの概念や,プロバイダの仕組みも当然知らなかった。深夜の英雄テレホーダイもなんのこっちゃ。1年後に知ったレベルだ。
そのため,ドリキャスのオンラインプレイの非道な罠にかかった。設定で選んだ「毎月30時間は無料で遊べる(らしい)KIDSコース!」でネット接続を楽しんでいると,家の電話料金が6000円ほど爆上がり。
毎月毎月,NTTの請求時期に,鬼と化した母に怒鳴られた。
この意味が分からない人は,要は「ネットにつなげばつなぐだけ電話料金がかかる」と思っておけばいい。コース料金は無料でも,1分1秒の通信料金がかかるわけだ。それにおびえつつも毎月完走するものだから母に怒られ続ける,悪質な依存症のトリックでもある。
今では死語となりつつあるADSL以前,先んじて死体と化したISDN時代とはそういうものだった。駅前でバラまかれていたYahoo!BBのモデムを,意味も分からずキョトンと受け取ったのも少し先の未来だ。
つまり,このころよりも前時代のPCオンラインゲームが好きすぎて生まれた4Gamer.netの歴史において,私は新世代なのである。
まあ,そろそろ年齢を言いづらいくらいのニュージェネだがよ。
「あつまれ!ぐるぐる温泉」というゲームがあった。
同作は,ドリキャスのオンラインプレイを気軽に体験できるカジュアルゲーム群,ならびにアバターチャット要素などを詰め込んだ作品であり,“知らない人とトランプなどで遊ぶためのゲーム”だった。
画面のイメージも「プレイヤー4人のアバターを表示しながら麻雀」などと,オンライン麻雀ゲームのそれを想起すれば大差ない。
数年後にはYahoo!JAPANなどのプラットフォームが人寄せに無料提供していたような内容だが,当時はフルプライスの価値があった。
俺はこうしたパーティゲームの類いに興味はなかった。買う金も惜しいくらいにだ。これを遊んだきっかけは,ドリキャス本体に同梱されていたWebブラウザソフト「ドリームパスポート3」にある。
そこに“ぐるぐる温泉の一部がタダで遊べますよ”との触れ込みがあったため,ぷちバージョンという名の体験版で遊んだだけのことだ。
当のぷち版では,たしかトランプの「大富豪」しか遊べなかった。オンラインマッチングやアバター,チャット要素はあれど,大富豪中毒者でもなければ長くは遊べない代物だった。それでも。
今では想像するだけで苦笑が漏れるが,ただただ己のアバターが表示されるだけのゲーム画面で,知らない人と大富豪を遊ぶ。それがあんなにも鮮烈で,楽しく思えたのだから不思議だ。こういうのはあの時代,その時代にしかない未発達な感覚がもたらす体験なのだろう。
でもだ。KIDSコースにはオンライン接続の累計時間が「月30時間まで」という制限がある。時間超過はいっさい許されず,30時間ぴったしでブチッと切られる強権仕様。それ以上の時間をオンラインにつなぐには,定額あるいは従量コースで追加費用を払わないといけない。
そのため,俺たち哀れなKIDSコース民は毎月,ゲーム30時間という100メートル走よりも早くにゴールできてしまうチキンレースを腹時計で調整しながら走った。だから,ぐるぐる温泉ごときに生き死にのかかった酸素ボンベの残量を渡しすぎるわけにはいかなかった。
そんなこと言いつつも,ソフト資産がなかったので大富豪で遊んでいたときのこと。プレイ中はチャットなどをできなかった気もするが,遊びのテンポが合ったのか,雰囲気に感じるものがあったのか。
ゲーム終了後に名刺(プロフィールカード)を交換した人のなかで,そこに書いていたんだろう,ドリームパスポート専用のメールアドレス宛にたどたどしい連絡を送ってくるヤツがいた。
そいつの名は,仮に「デカオ」としよう。正確な名前は記憶にないし,今はもう自前のドリキャスが起動しないので確認できないためだ。
仮名の由来は,当時のドリキャスと言えば(湯川専務は置いといて)「ダイナマイト刑事2 カリブの海賊編」のTVCMがキャッチーで,小中学生らが「ダイナマイト〜,デ〜カ〜(ツー!)」と歌っていたのと。
彼が,嫌いなゲームだったから。
デカオは俺と同じく,ぷち版のぐるぐる温泉で遊んでいた。見た目の第一印象で「コイツ,ナヨいな」と思ったのを覚えているように,線の細い好青年風なアバターを設定していたと思う。それがどうして,社交辞令の名刺交換から出会い厨じみたメール突撃をしてきたのかというと。
こっちの雰囲気を察して,同年代だと思ったかららしい。
この点については,できることなら思い出したくないが,悔しいくらい鮮明に覚えてる。中二の俺は当時,周りのダチがヤンキーだらけだった。当然のようにヤンキーマンガにもハマっていて,「今日から俺は!!」に次ぎ,GTOと並行して「湘南純愛組!」を楽しんでいたところ。
作中のワードが,カッコよく見えたんだろうな。
「暴☆走☆天☆使」(ミッドナイトエンジェル)を名乗り,リーゼント髪のヤンキー風アバターで,ぐるぐる温泉に浸かっていた。
思い返すと,そんな意気込みのヤツがのうのうと温泉にいるのだから,暴対法に屈しない反社スタンスで逆に政治的主張を唱えているようにすら思えてくる。当然,まるで考えなしの中二病だっただけだが。
電子の温泉のふところの広さを,今になって知るところである。
ともかくデカオは,俺のそんな見た目と名前から精神年齢を推し量ってきたんだろう。当て感で連絡してきた。逆に,出会い厨としてはなかなかどうしてなセンスだが,時代が時代だったとフォローしておく。
それにデカオがおじけずメールを送ってきて,こちらの年齢を探って,「僕ら同い年じゃん!」と中二男子同士であることを確かめられたから,俺たちはそれぞれ最初のメールだけで友人になれた。
肉体なき,触れることも叶わぬ,電子の理の友人関係にだ。
デカオは俺と違い,中二男子ながらも「あいさつ」や「礼儀」をメール上でちゃんとできていた気がする。
こっちは恥ずかしげもなく暴走天使(ミッドナイトエンジェル)を名乗る身だ。礼儀礼節を通信簿で褒められた記憶もいっさいないので,俺たちの関係はすべて,彼の歩み寄りからはじまっていた。
デカオはぐるぐる温泉でのアバターと同じく,文章にも線が細めな少年の雰囲気があった。実際の体格や「どこ住み?」は知らなかったが,少なくとも仮名にそぐわぬ,ナイーブな口調が見え隠れしていた。
メールのやり取りはだいたい1日1通。ぐるぐる温泉以外で同じゲームを遊ぶことはなかった。ぐるぐる温泉自体,フレンドマッチングがあったかなどを詳しく覚えていないし,製品版の仕様も知らずだが,一緒に大富豪を遊んだのは2回くらいしかなかったはず。だから。
デカオとは基本,ドリキャス自体のメールフレンドだった。
そんな彼はゲームが好きで,プライベートのこともよく話した。
だけど,学校や友達のことは,ほとんどしゃべらなかった。
先んじて書いておこう。以降の彼とのやり取りに関しては,今はもうドリームキャストでメール本文を確認できなかった。そのため流れに間違いはないが,細かな言葉はあやふやな記憶頼りとしている。
また,この先は,周りのダチがヤンキーな俺と,線細めな少年デカオ。毛色の違う2人の繊細な中学生男子らの,思春期特有のセンシティブな話に移っていくため,そういうのが琴線に触れてしまう人……。
とくに女性は,あまり読まないほうがいいかもしれないな。
当時はもう,ポケベルが産廃扱いされていたPHS時代も終盤で,携帯電話ブームが訪れていた。中二ではそんなもの買ってもらえなかったが,そもそも当時の俺にはそんなものあまり必要なかった。
学校で話すか,友達ん家に突撃するか。それで世界を回してた。
けれども,ドリキャスでだけ。地元や学校ではいっさい話せないのに,オンライン上でだけ会えるデカオの存在は,それまでの人生では感じたことのない新たな形の友人とあってワクワクした。
それはきっと,雑誌を介して文通していたようなもの。俺は一つ前の世代の人らが楽しんでいた体験を,ドリキャスで味わっていた。
デカオはフレンドリーなタイプで,メールを重ねるごとにフランクな印象に塗り変わっていった。それでも俺よりは礼儀正しく,敬語もちゃんとできていたので,こっちも負けじと言葉を盗んでいった。
きっと当時の文章を掘り起こせたものなら,2人とも稚拙でたどたどしい礼節だっただろうが。ネチケットなる警鐘も聞かなかった時代だ。同い年の中二男子たちならネットの神だってお目こぼししてくれる。
それでも,やはりというか。ゲームの話は乗る。ドリキャスのKIDSコースの世知辛さや,親に怒られる電話料金の話にも乗ってくる。
だけど,学校や友達の話になると。
「あー,まあ…………ね」
乗ってこないし,触れようともしない。学校というせまい生活空間でのせまい交友関係。そこに,彼なりに,いろいろあったのだろう。
俺なりに察するところはあったから,こっちもわざわざ触れることはしなくなった。楽しい話を,楽しく話すだけの関係にしよう。
それが俺にできる,唯一のやり方だったはずだから。
俺はデカオから丁寧な言葉を吸収することで,オンライン上での柔らかな人付き合いを学んでいった。その反面,デカオは少しずつ,少しずつ,ナイーブな性格を文面に表出させるようになっていった。
「いや,僕さ,学校で……ううん,なんでもない」
「学校の友達が最近ちょっと……ね」
「ダイナマイト刑事好きなんだ……僕は嫌いだな」
それらは細かなニュアンスだった。あるときは思わせぶりな彼女のような態度で,言いたいことがあるだろうに言いきらない。回りくどく,煮え切らない。スマホですらない,ゲーム機専用メールという鈍重なレスポンスにあって,弱音アピールが丸わかりな自己主張をしてくる。仲良くなったからこそのフランクさも悪い方向に作用しはじめる。
正直,うっとうしいと思いはじめた。口頭ではないメール文に,そうした微細な感情表現を乗せ,なにか欲しい言葉を求めてくるような姿。癇に触った。だって,ヤンキーマンガに出てくる不良たちはみんな,さわやかにサッパリしていたのだ。オンライン上だけの関係だとしても,カラッとした男友達のようにすがすがしい雰囲気でいたかった。
学校や友達のことでなんかあんのはもう分かってんだよ。だからおまえも触れなければいいだろ? 俺もおまえも,無責任な電子の世界で,うわべだけ楽しがってればそれでいいじゃん。
そう言えれば,どれだけよかったか。俺はストレートな言の葉を編まないくせに,毛嫌いした態度だけはたぶん,メール文に乗せていたんだ。俺が嫌っていた,デカオのイヤな一面のようにして。
俺たちのメールのやり取りは,しばらくすると倦怠期のカップルのように送受信頻度が下がっていった。最初は1日1通。次第に2日に1通。気付けば数日に1通にまで落ち込んだ。こちとら中二男子だ。合わなくなってきた相手にわざわざメールするのは,ダルいし,めんどい。
俺はそうなって初めて,目に見えない友に感じていた新鮮さに飽きた。遊びきったゲームに見向きしなくなるように,熱が冷めていった。
リアルで顔を見合わせない相手でも,オンライン上で,文字だけで,しっかりと人格が透けて見える。そのことを知った。どちらが悪いという話じゃない。人間はそうなっていて,俺たちは未熟だった。
だから,そんなふうになってしまったから。
俺のもとに,あのメールが届いたんだろうな。
ここまでのやり取りが,2週間だったのか。2か月だったのか。正直記憶にない。けれど,俺は過去に何度も何度もデカオとのメールを最初から最後まで読み返したから,これから起こることに齟齬はない。
アイツはあの日,俺に打ち明けてきた。
もう抱えきれないと吐露してきた。
学校の話と,周囲の友達の話を。
それは初めて聞く,デカオの秘密で。
「僕,実は,学校で――――」
急な独白。そのメールには,耐えきれなくなった悩みを相談するような神妙なトーンで,デカオのリアルの学校生活がつづられていた。
俺はこのときのことを思い出すと,いまだに後悔する。なんでもっと優しくしてあげられなかったのか。うわべだけでもいいから,俺がもっと楽しいゲームの話を,いや,ありふれた夢の話だって構わない。
デカオともっと楽しい関係を築いていれば,彼が楽しくない相談なんてしてくることはなかった。そういう関係を努力でもなんでもして続けていれば,彼は打ち明けることなく,悲しみも生まれなかった。
リアルのコイツを知らない,なんにもしてやれない無力な俺に。
デカオが,相談してくることなんて絶対になかったのに。
これは,彼がその日,俺に言ったことで。
俺がその日,放り捨てた夢の切れ端で。
一生の,呪いの話だ。
「僕,実は,学校で――――」
「学校で,男友達にチン○デカすぎって騒がれてるんだ……」
メールには,イカのような形のお手製AA(アスキーアート)が添えられていた。サイズ感を必死に伝えようとする意地に他ならなかった。
「プールのとき,すげえダイナマイトデカだ! って言われる」
たしかに,イカはビビるほどダイナマイトだった。
「だからダイナマイト刑事も大嫌いで……」
そうか,だからおまえ,デカのこと――。
今でも覚えてる。俺はこのメールを見た瞬間,ものすごく親身になって共感し,痛ましい感傷をデカオと共有してやったが。
真面目に受け止められた中二の俺はスゴいし,どうかしてる。
けど,マジになってセンシティブに受け止めてあげた。分かるか。分かんだろ? この話題の繊細さがよ。思春期にとっちゃ笑いごとじゃねえ,事件のデカさがよ。おいデカいってゆうんじゃねえよ!
デカオのメールには,彼本人が悲痛に受け止めているそぶりが見て取れた。実際,本人は痛ましく感じていたのだろう。
ただ,文章力がなかったのか,もしくは実際の声がそうだっただけか。男友達が言っている風のコメントは明らかにイジメのそれではなく,称賛のそれであった。もちろん,周囲のいじり具合により現場の温度感は変わる。だが湘南純愛組の銭湯エピソードのように,中二男子なんてものは「デカい=エラい=強い」くらい単純な方程式に従うもの。俺も,彼の気持ちを推し量るのは履修を諦めた二次方程式くらい困難だった。
その理解のしがたさのおかげで,感情ではなく理性で返信できた。
俺は,独特な形状が今でも好きなコントローラを手にした。打ちづらい文字入力を駆使して「だいじょぶだってデカオ!」「俺なんてほら,こんなんだし!」。慰め目的とプライドの妥協線を吟味しつつ,彼よりも一回り小ぶりなイカをメールに丁寧に描き,返信した。
人の体をどうこう言わず,気配りという選択肢を取れた当時の俺には,今のご時世だからこその拍手をしてあげたい。そして,そういう自分に成長させてくれたデカオの礼節に今一度,敬意を表したい。
彼からの返信はすぐにはこなかった。だから待って,待った。
数日ほど経ったころ,メール着信のアイコンが光っていた。
うれしかった。それは紛れもなくデカオからで。
「ちっさ(笑)! えっ? まじで?
えー,まじでそんなんなの(笑)???
うわー,ありえねー。超かわいそう(笑笑笑)」
俺はインターネット越しの相手に初めて。
「コイツマジぶっ殺してやろうか」という本気の殺意を覚えた。
あらかじめ,思春期特有のセンシティブなお話であると忠告しておいた(はずな)ので,今も残ってるのはお年ごろな男子だけだろうと安心しているから,このまま最後までバイブス上げてくぞ。
このあとの展開は実にあっさりである。マジのガチでブチ切れた俺は,その大罪メールを境にデカオへの友情を絶ちきる。今後一生無視してやる意気込みで,ドリキャス上での縁を光速で切断した。
俺のフォローがヤツを心から安心させたんならいい。それで構わない。若気の至りに免じて許してやる――わけあるか。許さねえぞテメェ。
こっちゃあ長年,坊主憎けりゃドリキャスまで憎いんだよッ!!!
俺はオンラインフレンドという決して殴ることのできない相手に顔真っ赤になった。前述のとおり,それから何度も何度もデカオとのメールを最初から最後まで読み返した。そのたびに「コイツいつか絶対ぶっ殺す」という恨みを蓄えていった。だから流れのねつ造は絶対にない。
もちろん,ヤツからの返信内容に関しては,文章の細部は確実に違う。けれども,こっちが親身になって寄り添ってやったのを完全にないがしろにして煽ってきた大胆なカマしの姿勢は絶対にこのとおりだ。
むしろ俺の力では,ヤツのおちょくり力を表現しきれていない。
当時はもう「2ちゃんねる」が大盛況な時代だった。ドリキャスでもドリームパスポートを使えば,いつでもシスプリ板を堪能できた。場所によってはそれこそ,温かなヌクモリティに浸れた時勢だ。
ゆえにネット上のリテラシーを育めていなかった。煽り合いという概念も耐性もまるで持っていなかった。だから,顔の知らない相手にあれだけキレた。今も昔もデカオがNo.1。頭沸騰レベルでキレた。
ついでに,この先の未来で使うことはまずないだろうが,ドリキャスを用いた俺秘蔵の中二男子最強ライフハックも教えておく。
ドリパスでネットを閲覧中,がんばって見つけたエロ画像をメモリーカード4X(約200KBのビジュアルメモリ×4内蔵のクソデカ保存媒体)に厳選して保存することで,ゲームのセーブデータの取捨選択に悩むことなく,いつでもオフライン素材として数枚ぽっちのエロ画像を堪能できるというPCチックな離れ業を,ドリキャスであれば駆使できた。
現代であれば,ペアレンタルコントロールなどの青少年教育の理念で,一部界隈からラフォイエ(訴訟)されかねない仕様だが。
これこそが,まだPCを持たなかったアナログ時代の中二男子としては「ドリキャス最高!」だった最強アピールポイントであり,個人的にもっとも評価している偉大さにして,ドリキャスが神であるゆえんだ。
それはまあいいとして。
こうして,デカオの許されざる非道は,今日に至るまでドリキャス史における最大の事件であり続け,呪いのように俺を苦しめてきた。
その後,ドリキャス自体は高校生くらいまで遊んだ。それ以降はバイトして買ったPS2とPCに移り変わった。最後に遊んだのは,リアルタイムストラテジー「ハンドレッドソード(@barai版)」だ。
こちらは“1000円で序盤を遊べて,残り半分は3000円で遊べる”といった,Web Money後払い(あっとばらい)スタイルの商品だった。
そして同作でマルチプレイ型RTSの中毒性を学び,そこからストロング的なクルセイダー,エイジ的なミソロジー,ライズ的なネイションなどのPC向けRTSの戦場に移っていった……のもまあいいとして。
俺はデカオのせいでトラウマを負った。オンライン上で相手に気を許すことをしなくなり,仮面をかぶった。その数年後,とあるオンラインゲームで他者をもてあそぶためだけに萌え萌えなネカマを演じた。
そして気付けば壮絶な人間ドラマのシンデレラ役として,ゆうに2クール分は作れそうな何角関係かも分からぬピュアラブストーリーの主演女優を張らなければならない状況に陥り,どうにか全員の痛みを抑えつつビターエンドなフンイキにもっていけないかとゴリ押しの子と化し,涙と別れと脂汗のシナリオをフィナーレまで演じきるハメになった。
こちらはゲーム内テキストを全抽出し,いまだに保存しているので完全再現余裕だが。金銭問題こそいっさい発生させなかったものの,一部男性らのメンタルにほのかな淡い痛みを与えたことだけは確実なため,墓まで持っていく。そのうえで,なにが言いたいのかというと。
俺はデカオに心を壊され,壊れた心で他者を傷つけた。その結果「もうオンゲで友人を作るべきじゃない……」となり,いやまあオンラインゲームは普通に遊ぶが,戒めの十字架を背負って生きてきた。
分かるか? デカオ。
すべてはおまえと出会っちまったからだよ。
なあ,デカオ。そこにいるか?
おまえももう,おっさんになったのか。
なあ,デカオ。触れてるか?
これがおまえのデカい態度が生んだ傷だ。
なあ,デカオ。見ているか?
見てんなら,その薄汚え手を挙げてくれ。
なあ,デカオ。覚えてるか?
この話は紛れもなく現実の事実の真実の実話だからこの世界におまえが絶対に1人はリアルに存在してることは俺だけは分かってんだぞ。
なあ,デカオ。届いてるか?
あの日の友の悲痛な叫び,今になって受け止めろ。
なあ,デカオ。聞こえるか? なあデカオ。
デカオ。デカオよ。デカオよぉ――――…………。
私は今も「ドリームキャスト」「ぐるぐる温泉」「ダイナマイト刑事」が,この世で自分だけのセンシティブなブロックワードになっている。コイツらを目にすると,実家の押し入れに埋まっている夢の残骸と,あの日のデカオへの怒りを思い出し,顔も知らぬヤツにブチ切れる。
まあ,2000年代以降のオンラインゲーム問題。昨今のSNS問題。そうしたものと照らし合わせると,この感情は時代的に適切ではない。むしろ早いうちにインターネットの経験を積んでおけてたのは悪くはなかった……というのは建前でよかったわけあるかテメェおらデカオ調子に乗んじゃねえぞテメェおまえおいデカオ忘れねえからなあの痛みは一生。
オンラインフレンドに生まれて初めてつけられた傷痕は,今もジュクジュクと出血してはカサブタを作り,ドリキャスの名を聞くたびに剥がれ落ちては,新鮮な血を吹き出し,また怒り色に染まっていく。
ヤツとの思い出は吐き出しきれぬ呪いだ。この世にドリキャスが残存する限り,私は今日もデカオにブチギレ,大声でわめき続ける。
そしてそのあと少しだけ,あの日の青い俺たちを笑うのだ。
ドリームキャスト「セガハード大百科」
ドリームキャスト「セガハードストーリー」
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