イベント
[GDC 2016]VRを活用したオンラインコミュニケーションに潜む罠とは。「VRハラスメント」の危険性とその対策が語られたセッションをレポート
だがその一方で,VRならではの問題も指摘されている。3D酔いにも似たVR酔いはその筆頭と言えるもので,これについてはさまざまな克服方法が模索され続けているが,ほかにも大きな問題はある。今現在,我々がとくに何の疑問もなく楽しんでいるコンテンツをそのままVRに実装すると,これまでになかった事態を引き起こす可能性があるのだ。
Minority MediaのLead Game DesignerであるPatrick Harris(パトリック・ハリス)氏は,VR技術を用いたソーシャルコミュニケーションにおいて,従来にない深刻な問題が発生しうると指摘する。その解決策までが語られた講演の模様をレポートしたい。
「史上最悪の実験」と,その結果
それは,ひとつの何気ない質問から始まった。
ある日,Harris氏は同僚から「VRを使ったら,俺をどれくらい不愉快にさせられる?」と聞かれたのである。
かくしてここに,Harris氏による史上最悪の実験が始まった。
技術は人に,「新しい不愉快さ」を体験させることがある。
例えばインターネットの発達と普及により,我々は飛躍的にコミュニケーションの機会とバリエーションを増やしてきた。しかしHarris氏は「Call of Dutyのオンラインマルチプレイや,League of Legendsといったゲームをプレイすれば,ものの10分程度で,オンライン世界は必ずしも愉快な体験に満ちているわけではないことに気づく」と指摘する。
おそらくは読者の方々にも経験があるように,そういったゲームのチャットでは,現実世界ではめったに耳にしないような,下品で過激な罵声が,ごく普通に飛び交っているのである。
「史上最悪の実験」の第1段階は,3つの材料を用意することから始まった。
オンライン機能を持った,ソーシャルVRソフトのプロトタイプと,底意地が悪いゲームデザイナー(この役目はHarris氏が務めた。氏いわく,自分はオンラインで幾多の人々を憤慨させてきた実績があるという),そして善良な被験体A(女性)である。
実験は簡単で,Harris氏と被験体Aがプロトタイプのテストを行う。このテストにおいて,被験体Aには,これが本当は何のテストなのか具体的には教えられていない。
Harris氏は,被験体Aに対して,持てる限りの技術を駆使して「不愉快な気持ちにさせよう」とする。
だがこの実験は,意外な結果に終わった。Harris氏と被験体Aは,非常に楽しい時間を共有できてしまったのである。
実験がHarris氏の予想に反する結果に終わった理由は簡単で,Harris氏と被験体Aは顔なじみであったからだ。被験体AはHarris氏の性格や日々の言動,癖などを把握しているため,Harris氏が被験体Aに不愉快な思いをさせようとしても,被験体Aは「何をまた馬鹿なことをして」と,大笑いするだけだった。
というわけで,再実験が行われた。新たな被験体Bは,Harris氏のことを知らない人物である。この被験体Bを相手に,Harris氏は再び「不愉快な思いをさせる」ことに奮闘した。
今度の実験は大成功(?)に終わる。
実際にどのようなことをしたかの動画が流されたが,Harris氏の技術は“本物”であり,遺憾ながら「こういうことをした」と具体的に記述するのがはばかられる,文字どおりのハラスメント行為であった。そして,VR HMDを通じてそのハラスメントを受けた被験体Bは,困惑と怒りと恐怖が入り混じった顔で,「いったい何がしたいの?」と強い嫌悪感を示したのである。
この結果についてHarris氏は,「オンラインでのハラスメントは,知ってのとおり,そもそもが邪悪な行為だが,VR技術を加えることで,邪悪さをブーストできてしまう」と指摘する。
さて,オンラインでのハラスメント行為が人を傷つけるというのは,我々にとっても(残念なことに)馴染み深く,また容易に理解できる。だがなぜ,VRを用いると,人をより深く傷つけることが可能になるのだろうか?
この理由として,Harris氏はVRに関してのバズワードとなっている「Presence」(プレゼンス。そこに実在するかのような存在感・臨場感)の力が働いているからだと語る。
VRコンテンツを体験している人は,強烈な没入感によって,現実と非現実の境界が曖昧になることがある。これはまさにVRの利点なのだが,これが悪意をもって利用された場合,それだけ深く人を傷つけることになるのだ。
具体的に言えば,オンラインのチャットで罵倒や罵声が飛び交うだけであれば(それだけでも十分にひどいが),そこにはまだ,罵倒している側とされている側の間に,一定の距離がある。
しかしVR空間において,罵倒したり嫌がらせしたりする側は,被害者のパーソナルスペースに侵入して,ハラスメントを行うことができる。被害者にただ言葉をぶつけるだけでなく,その耳元に口を寄せて囁きかけ,手振りで悪意を暗示し,「物理的に」つきまとうことができてしまう。被害者にとってみれば,これは「言葉の暴力」を完全に超越した,まさに「現実の暴力」そのものなのだ。
パーソナルスペースへの侵入を食い止める
さて,VRによって,オンラインで「現実の暴力」が行使可能になるということが紹介されたが,となると次の問題は,どのような対策をすべきか,である。
Harris氏は原則論として,「現代におけるオンラインゲームやオンラインサービスで一般的になっている仕様を,右から左でVRを利用したゲームやサービスに持ってきてはいけない」と語る。その最も顕著な例がチャットだ。
一般的なオンラインゲームにおいて,プレイヤー間のチャットは,「チャットが届く範囲」程度しか考慮されていない。だがVRにおいてこの仕様は,複数のプレイヤーを「離れられない空間に押し込める」ことになる可能性が高い。
例えば「League of Legends」のようなゲームであれば,プレイヤーは試合の途中で「落ちる」ことが基本的に許されない。5対5のチーム戦において,片方のチームが実質4人になってしまえば,その試合は双方のチームにとってつまらないものとなってしまうからだ(ゆえに,意図的に「落ちる」行為に対する罰則もある)。
この仕様は,「League of Legends」というゲームにとっては重要だが,VRコンテンツという視点から見れば,10人のプレイヤー(そのうちとくにチームメイトである5人)を,同じ空間に閉じ込めるものとして,プレイヤーに牙を剥きかねない。
こういった「プレイヤーを同じ空間に閉じ込める」仕様は,想像以上に多い。ロビーチャットもこれに類する状況を作ることがあるし,インスタンスダンジョンやレイドといったコンテンツもまた,その危険性に満ちている。
Harris氏はこれに対する予防策として「パーソナルスペースの境界線を,選択的に他者を排除する境界線とする」ことを提案する。
メカニズムとしては簡単で,VR空間において,あるキャラクターが他のキャラクターのパーソナルスペースに侵入してきた場合,侵入してきたキャラクターを画面に表示しなくする,という仕組みだ。
これはプレイヤーをハラスメントから守るだけでなく,ハラスメント行為そのものに対する防止策ともなる。というのも,ハラスメントしようとして接近する側も,対象のパーソナルスペースの内側に入った途端,目標としていたキャラクターを見失うためだ。
そのうえで,Harris氏が「選択的に排除すべき」としているのは,先の「史上最悪の実験」の,被験体Aが示した反応によっている。つまり,友人であれば,パーソナルスペースに入れたほうが,体験はむしろ向上するのだ。近づくと必ず相手が見えなくなるというのでは,せっかくVRを利用しているのに,友人とハイタッチをすることすらできなくなる。
またこの機能は,細かなカスタマイズができるべきであるとHarris氏は提案する。
理由はさまざまだが,人によっては「どんな相手であっても,自分のパーソナルスペースに対する侵入は望ましくない」と思う人もいるだろう。また文化や地域によって,パーソナルスペースとされる距離も異なる。
またフレンドリストも,しっかりと見直す必要がある。フレンドによっては,フレンドと認めていてもパーソナルスペースには入れたくない相手はいるだろうし,あるいは「ほかの人よりは接近されても構わないけれど,それでも至近距離は嫌」ということもあり得る。
筆者も個人的に,このあたりの機微は過保護などではなく,現代的なSNSが「投稿の公開範囲」をきめ細かに設定できることから考えて,むしろ実装するほうが自然であるように感じる。
なおHarris氏は,「これは決して完璧な対策であるとは言えない」とした。それでも,やらないよりは,やったほうがずっとマシな施策だという。
一見するとHarris氏の考案した施策はとてもうまく作られていると感じられるが,この施策を打ち破ってハラスメントを行うことは可能なのだろうか?
覆る「ゲームの常識」と,変革の必然性
答えは簡単,可能である。人間の悪意とその表出に,限界はないのだ。
2016年3月現在,最も有名なケースとして挙げられるのは,「VR交流空間において,キャラクターが自殺するところを見せられて,とても嫌な気持ちになった」というものだろう。これに限らず,人間は強烈な悪意を遠距離から他人にぶつける手段をいくつも有している。
だが,これはとても難しい問題だ。
Harris氏はまず,「そもそも,ゲーム内において自殺するところを,他人に見せてはいけないのだろうか?」と問いかける。実際,少なからぬ対戦型オンラインゲームにおいて,明らかに勝ち目がなくなったとき,自分のキャラクターをさまざまな方法で「自殺」させるプレイヤーは多い。そして,たとえVRを使っているからといっても,「自殺」を抑止したり罰したりすることによって,ゲーム体験が向上するという保証もない。
結局この問題は,「ゲームに依存する」のである。どのような行為がハラスメントにあたるのかは,ゲームを作る側が決めていくしかない。
実際のところ,人間は無限にも近い多様性を持った生物であり,したがって「不愉快に感じる行動」もまた,ほぼ無限の種類が存在しうる。「不愉快に感じる人がいるから罰する」のでは,ゲームは成立しない。
けれども,それらの「ゲームとしての方針」を越えてなすべきことはあると,Harris氏は指摘する。
まずは,ハラスメントと報告された行為について,追跡調査とリプレイの確認は欠かせない。また,対戦ゲームであれば,マッチメイキングの段階で,特定のプレイヤーを「ブロック」できる(チームメイトや対戦相手を「ブロック」しているプレイヤーがいるなら,マッチに組み込まれない)ような仕組みも必要だろう。
そして,VRによってプレイヤーの体験がリアルになれば,ハラスメント報告に対するレポートも,これまでと同じままでいいわけがない。Harris氏は「Dota 2」の「迷惑行為の報告に対する返答」を例に出した。簡単に和訳すると「以前あなたが素行の悪さで報告したプレイヤー1人もしくは複数人について,我々は行動を起こしました。Dota 2コミュニティに対する貢献に感謝します」といった感じのものだ。
これについてHarris氏は,「こんな文面は,現実社会だったら絶対にあり得ない」と憤慨する。例えば警察から「以前あなたが窃盗犯として報告した犯人1人もしくは複数人について,我々は行動を起こしました」という文章をもらったら,どう思うだろうか? 少なくともこの文章をもらって「良かった,これでもう安心だ,さすがは警察だな」と思う人はいないだろう。
さらにマズいことに,この文章に見られるような言い回しは,「DOTA2がとくにひどい」のではない。オンラインゲームにおいて,これはわりと一般的な表現なのだ。こういった「ゲームの常識」は,VRが持つ「現実と非現実の境界線を曖昧にする力」の前には,何の意味も持たなくなる可能性が高い。
講演の最後にHarris氏は,「我々にはこの問題に対して,正しく対応する責任がある」と呼びかけ,「なぜなら我々は,この問題を解決する力を持っているからだ」と力強く語った。氏に寄せられた大きな拍手からは,VR技術とそれを利用したゲームの未来を信じる開発者達の熱意がこもっていたように感じられた。
4Gamer GDC 2016関連記事一覧
- この記事のURL: