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[CEDEC 2023]AIと向き合い,新たな表現を模索しよう。自動生成の歴史を振り返り生成系AIの問題と“可能性”を語ったセッションをレポート
大きな話題を呼び,そして流行となっている生成系AIだが,あらゆる可能性を秘めたものである一方,人の創作物を総体として模倣し,生成するようなあり方が,アーティストやクリエイターの仕事やアート文化そのものに与える影響への懸念もまた広がっている。
同セッションでは,現行の生成系AIの問題と可能性,AIと人の創造性の関係性などをテーマに,2000年前後からAIの創作活動への応用を模索し,ツール制作や企業向けR&D案件,そしてアーティスト活動を行ってきたQosmo代表取締役である徳井直生氏の知見が語られた。
セッションは,自動生成による制作の歴史を振り返りながら,現在の問題点や可能性について語られた。
AIの自動生成による表現や制作というと,この1年ほどで話題に上がったものだが,「自動生成」(Procedural Generation)という仕組み自体は,1980年代からすでにゲーム開発に生かされていたことは[こちら]の奥谷海人氏の連載にあるとおりだ。しかし,さらに自動生成の歴史をさかのぼっていくと,19世紀にはすでに議論されているものだった。
“世界初のコンピュータ※プログラマー”として知られる数学者のAda Lovelace(エイダ・ラブレス)は,1843年に発表した論文で「コンピュータが音楽のルールを理解できれば,新しい音楽を生成することだって可能なはず」と,プログラミングによる音楽の自動生成に言及している。一方で,自動生成では新しい表現は生まれないと明言。用意してあげたものの範囲で人間の模倣はできるが,それ以上のことはできないと考えていた。
※コンピュータと言ってももちろん現在のPCなどではなく,初期の汎用計算機である解析機関(The Analytical Engine)のこと
時代が進んでおよそ100年後,それに異を唱えたのが数学者Alan Turing(アラン・チューリング)だった。音楽のルールを理解させられれば,そこから新しい表現が生まれる可能性があると,コンピュータの原理を生んだ“コンピュータ科学の父”は当時の技術の段階から感じていたのだ。
自動生成による音楽制作は,Artificial Intelligence(AI)という言葉が生まれた翌年の1957年に実現を迎える。コンピュータが作曲した世界初の楽曲として知られる「イリアック組曲」だ。
以降,1970年代にイギリスの芸術家Harold Cohen(ハロルド・コーエン)が,プログラミングによって自身の絵の描き方を模倣するシステムを構築したり,さらに時代が飛んで2018年に,世界的なオークションハウスであるクリスティーズでAIの作品が高額で取引されたり(そして物議をかもしたり)と,アートの世界ではさまざまな形で自動生成を用いた実験的な取り組みや作品制作が話題に上がるようになる。
これまでの自動生成によるアートの取り組みの歴史を踏まえ,徳井氏は「DALL-E 2」「Midjourney」「Stable Diffusion」などが生まれた2022年以降とそれ以前の違いについて語った。
2021年以前のAIアートは,自動生成という技術を応用し,新たな表現,未知なる表現を模索する試みが主だった。またHarold Cohenのように「自身の芸術活動の過程とそれに付属する事柄を明確化」する,つまり機械によって可能になった正確で厳密な定式化を行い,自分自身の作風を一歩引いたところで見直すといった実験的な使われ方もまた存在した。
一方,2022年以降の生成系AIによるムーブメントについては,模索ではなく模倣――既存の表現物(主にイラスト)の“それっぽさ”の真似や再生産をする試みに矮小化されていると語った。徳井氏はそれらの作品について,「精度が高い絵ができるものの,よく見るとどれも“それっぽい”。でも簡単にそれができるからこそ楽をしてしまい,それっぽい表現に安住してしまう」と話す。
そのあたりの危機感は,表現者はもちろん,彼らの創作物を好むユーザーの多くも持っているところだろう。SNSなどでは危機感や忌避感から声をあげる絵師・イラストレーターは少なくない。
一方,徳井氏の周囲にいる現代アートのアーティストやメディアアーティストはほとんど危険視していないという,真逆と言える反応を見せているそうだ。活動のフィールドや拠り所としている創造性のあり方の違いといったさまざまな理由が考えられるが,これを興味深い事象として取り上げた。
また,AIアートへの不安を持つ絵師やイラストレーターへは,「AIによって仕事を奪われることはないし,逆にAIを取り入れることで新たな表現も可能になるかもしれない。心配しすぎないで胸を張って創作活動を続けてほしい」とその思いを語った。
徳井氏はこのセッションで,現在の生成系AIを良いか悪いかではなく,どう向き合うか,どう活用するか模索することが重要であると,さまざまな例で伝えていた。面白かったのが「創造性における田中角栄とコロンブス」と「既知の表現の組み合わせから生まれる未知の表現」(生成AIはすべての人をDJにする!)の2つだ。
「創造性における田中角栄とコロンブス」は,創造性を「ある表現の枠の中での探索」と「枠,領域のあり方そのものの拡張」に2分化し,OpenAI的生成系AIがもたらすもの/もたらせないものを説明するという内容だった。
OpenAI的生成系AIがもたらすものは,「ある表現の枠の中での探索」にあたる。ほかの誰かによる過去の創作物による既知の表現の領域での,探索や組み合わせの効率がよく,「○○っぽさ」の表現をしたいときも高速で低コストなアクセスが可能だ。
これを,高速道路や新幹線を張り巡らせて国内の高速ネットワークの形成を目指した,田中角栄の“日本列島改造論的”とした。
OpenAI的生成系AIが(それ単体では)もたらせないものが,「枠,領域のあり方そのものの拡張」。つまり,ラーニングした領域から出た,新たな表現ジャンルやスタイルを生み出し,AI自身でその領域を拡張するのは苦手であるという話だ。これは,コロンブスほか多くの航海者が未知なる大陸を目指して大海原へと旅立った“大航海時代的”という表現で説明がなされた。
「既知の表現の組み合わせから生まれる未知の表現」では,自身もDJとして活動するアーティストである徳井氏ならではの形で,生成系AIをポジティブ受け入れる考えが語られた。
DJやエレクトロミュージックなどのアーティストは,既存の楽曲や曲の一部,楽器などのサウンドをパーツにし,組み合わせたり,並び変えたりするといった,いわゆるサンプリングやリミックスといった形で既存のものを再構築したり,まったく別の楽曲を作り上げたりして新たな表現を生みだす。つまりそれは,生成系AIが行っていることと近く,生成系AIでの表現は(模倣ではなく創造できれば)それはDJ的なものであるということだ。
なお,こういった既存の制作物を“切ってつないで”新たな表現を生む技法は音楽だけでなく,画家のBrion Gysin(ブライオン・ガイシン)や小説家のWilliam S. Burroughs(ウィリアム・バロウズ)の「カットアップ」など,アートやアングラ/サブカルチャー好きや表現者にはおなじみのものである。さきほど語られた,現代アートのアーティストやメディアアーティストの反応は,創造性の拠り所としてにそれらの心得があるからかもしれない。
セッションの終盤では,徳井氏の活動の一つであるAI DJプロジェクトをとおし,AIの自動生成を活用した新たな表現を模索する方法が紹介された。
最後にまとめとして,創造性は「枠の中を探索するタイプ」と「枠そのものを拡張するタイプ」の二つに分けられ,生成系AIは前者の創造性を加速させる可能性を高く秘めている。現在流行している“OpenAI的”な生成系AIのあり方(人の創作物をまるっと模倣し,再生産する)を絶対視せず,新たな表現を生むものとして向き合うことが大事だと語られ,セッションは終了した。
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