連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ:第178回「個性って何?」
初詣でおみくじを引いて,こう書かれていたことが,そういえば一度も無いわ。それどころか,今年は大吉を引いたはずなのに……
金運 無駄を省けば上昇
願望(ねがいごと) 機会を待て
学問 ふとしたことで開花,それまで我慢
待ち人 念ずれば来る
なる内容でして。これ,本当に最もいい結果なの? 大吉って,一体何なんでしょうねえ……。しかし! ここまで待ち人が来なかった私に! とうとう来るのよ待ち人が! 人じゃないけど!
そう,具体的に言ってしまえば,いよいよ発売されたってこと。「ファイアーエムブレム 覚醒」が。
いやー待ったわ。この連載でも楽しみだと言い過ぎて,自分の中でハードルを上げすぎてしまったきらいがあるわね。ホラ,ファンって基本的に自分勝手だから,好きなものに対してめちゃくちゃ期待するのよ。無責任に。で,いざ体感してみたときに自分の望む方向に仕上がっていないと,可愛さが余って憎さに転じてしまうの。
ファイアーエムブレム 覚醒に限らず,あくまで一般論として言うけれど,今って一人一人がメディアを持っている時代だから,その憎い気持ちを手軽にネット上で人の目にさらしてしまう。場合によっては,一人が複数人になり済まして,さも多くの意見がそうであるかのように装うこともできなくはないし。それで,買うかどうかを迷っている人が,その評判を見て二の足を踏んでしまう,と。
全部が全部こういう事例ではないだろうけど,実態のないネットの声って,何が正しくて何が間違っているか判断しづらいから恐ろしいのよね。……っていう私のこの意見も,ネット媒体を通して発信しているから説得力が無いっちゃあ無いんだけどね。
で,「最近は尖ったゲイムが減った」みたいな雰囲気が世の中にはあると思うんだけど,実はそれは当然のことだと思うのよ。だって,ファンに「揚げ足を取られない」ような商品作りにしなければならない時代だから。じゃないと,いろんな角度からツッコまれ,それが可視化されて不特定多数の目に触れちゃうからね。だから,好き嫌いが分かれる作品よりも,嫌いな人を少なくする作品が増えてくるのは,ある意味必然だと思うのよ。
だから,例えばネットや雑誌なんかで「最近のゲイムはソツが無いけど飛び抜けた面白さが云々」的な意見を見ると「イヤイヤイヤ,君らがそうさせたんやないか」と思ってしまうのよね。日本の教育に対する批判みたいなもんで。「短所を削ることができても,長所を伸ばす教育ができていない!」「個性が育たない!」的な意見は多いんだけど,ちょっとしたことで目くじら立てて批判するのって,実は評論家のほうなのよ。そりゃまあ全体的に無難な教育にもなるわいな。
だから,意見するほうも闇雲に批判するんじゃなくて,なぜそういう教え方をしたのかという真意を,教育者がきっちり伝えることができるような,また,その真意を汲み取れるような社会に変えることのほうが大事なことではないか,と私なんかは思うわけです。
ゲイムに関しても同じ。いい部分も悪い部分も含めてクリエイターがどういう意図で作ったかっていうのを,もう少しオープンにしたほうが,むしろプレイヤーの共感は得られると思うんだけどなぁ。
確かに「最高のゲイムに仕上がりました!」って言っておいたほうが無難だとは思うのよ。私もサービスを提供する側だからその気持ちは分かるし,何なら自分でも「最高のモノをお見せします!」って思い込まないといけない部分はある。でも「あの部分はこういう意図で作ってみました。あの層は切り捨てたんで今のプレイヤーに受け入れられるかどうかは分かんないけど,どうですかね?」って言われたほうが何となくだけど信用できる。
「すべてがサイコー」って,ちょっと胡散臭いじゃない。だったら,「アレはそこそこだけど,ここはこだわったよ!」的な発言のほうが生っぽいからリアリティがあるわよね。ま,リアリティがあったほうがいいのかどうかは,これまた別の問題だけど。ただ少なくとも,そのスタンスのほうが「個性」を感じるわ。まあ,ゲイムも教育も誰か一人だけのものじゃないから,個人の意見を出すことができない事情もあるんでしょうけど。
ともかく! このむやみやたらとツッコミ体質な風潮が変わらないことには,ゲイムだろうが人材だろうが,個性は生まれにくいですよって話でした。
個性に関して思うところはもう少し掘り下げたいんだけど,これ以上深くイっちゃうと,もうこの話の取っ掛かりであったはずのファイアーエムブレム 覚醒ではなく,私のほうが覚醒しちゃうから,また別の機会に。
というか,なんでファイアーエムブレムの話ををせずに日本の教育について自分の思っていることを熱く語ってしまったのか,現代社会の前にまずそこから疑問を持たなくてはならないわ。話が逸れるにもほどがある。さすがにここまで話がストライクゾーンに入らないと,反省せざるを得ないわね。
ホラ,私ってタイプとしては変化球投手だからね。変化球が曲がり過ぎるっていうのも考えものよねー。直球は速くないけど,逆に変化球で勝負するから相手の弱点を研究するという。だから,この場合は,日本の教育を相手バッターとして……あぶねえ! また魔球投げてストライクゾーン外すとこだったわ!
何が面白いって,テンポが異様に良い。1ミッションあたり5分やそこらで終わっちゃう。だから,ついつい気軽に続けてしまうのよ。
ファイアーエムブレムシリーズの面白さは,“骨太でシビアなシミュレーション部分にこそある”と思っている人がいるならば,必ずしもそうではないということを伝えたいわね。
もちろん,モードによってそういう楽しみ方もできるでしょう。私,カジュアルだから偉そうなことは言えないけど,甘ったれカジュアルの私でも,しっかりファイアーエムブレムを楽しめてしまえるという事実は確実に存在するわ。それは,ファイアーエムブレム 覚醒が,ちゃんとファイアーエムブレムしてるからなんだと思う。
余計な要素というかゴテゴテした新システムを入れず,ストーリーは難しくこねくり回さず……いい意味で変わっていない。そこがいい。それでいて極限までプレイ感覚が軽くなっているの。
そう。ファイアーエムブレムの面白さの本質は,バランスにあったのよ。ストーリーと世界観,そしてシステム,全部ひっくるめたバランス。今回も,全体的に軽くはなったもののちゃんとファイアーエムブレムしてるから,そういう意味では安心してもいいわ。
最初のファミコン版から現在までのおよそ20年。ハードのスペックが上がって,時代も変わって,娯楽自体も変わった。でも,ファイアーエムブレムはファイアーエムブレムとして,磨くべきところを磨き続けてきた。このことは,もっと評価されてもいいのかもしれない。プレイしてみて,そう思ったわ。
面白いです。そして,イメージよりも,はるかに簡単です(カジュアルの場合だけどな)。キャラクターにも嫌味がありません。繰り返すけど,それらのバランスが非常に整っています。これこそが,ファイアーエムブレムです。どうしてもシミュレーションゲイムが嫌いなのでなければ,おススメです。
……そうか。ここまで書いて気付いたことがあるわ。冒頭で個性がどうこうって話をしたけれども,バランスがいいっていうこと自体も個性になりうるわね。
今週はずっと待っていたファイアーエムブレム 覚醒について語ったわ。そこで気付いた。バランスがいい,ということは欠点が少ない,ということでもあるってことに。だとすると,穴が少ないこの作品は,個性が無いということなのか? という疑問にぶつかるんだけど,ファイアーエムブレム 覚醒に関してはそういう感じではない。
もちろん,このゲイムがファンタジーシミュレーションゲイムのスタンダードだからってこともあるけれど,個性はあるわ。そのまんまだけど,「ファンタジーシミュレーションゲイムのスタンダード」っていう個性がね。
そう。バランスの良さが突き抜けてさえいれば,それすら個性になってしまうのよ。要は,徹底するということこそが,個性を形成するには大事なのね。うーん,個性って難しい。
ひとまずは,作り手が徹底すること。なんとなく作るんじゃなくて,徹底する。それが個性の元となる。勉強になりまし……は!! あ,当たりやがった,おみくじ! 学問! ふとしたことで気付いた! すごい! 大吉かどうかは分かんないけど! ではまた来週!
今週のハマりゲイム
(文字通りゲイムスロットにハマっているゲイム)
PlayStation 3:「ワールドサッカー ウイニングイレブン 2012」
PlayStation Vita:「プロ野球スピリッツ2012」
PSP:「クロヒョウ2 龍が如く 阿修羅編」
Wii:「いただきストリートWii」
ニンテンドー3DS:「ファイアーエムブレム 覚醒」
Xbox 360:「トロピコ4 日本語版」
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- 関連タイトル:
ファイアーエムブレム 覚醒
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