レビュー
自立型ロボットシム「カルネージハート・ポータブル」を買わずにはいられなくなる,「あなたがカルポを遊ぶべき三つの理由」を掲載
» 4Gamerスタッフ/ライターが,個人的に大好きなゲームを熱っぽく紹介する不定期連載,「極私的コンシューマゲームセレクション」。今回はライターのGueed氏が,すさまじい剣幕でPSP「Carnage Heart PORTABLE」レビューの掲載を迫ってきたので,さっそくお届けしよう。PlayStation Storeでオンライン販売されている,文字どおりの名作なので,「三つの理由」に何となく納得してしまった人は,ぜひ購入を検討してほしい。
「フッ,バカめ。そんなはずが――」と思っていたらビックリ仰天,周りのほとんどの人が遊んだことがないというではないか。
みんな,それはさすがにふしあな過ぎる。目,耳,鼻,ヘソ,ケツ,すべてがふしあなのストロー人間としか思えない。「だって宣伝見たことないし」などと言われると筆者も販売元を慮ってガクッと膝をつかざるをえないわけだが,既知で未プレイならやはり信じられない。
まさか本シリーズの放つ全体的にややこしい感じのオーラに敬遠する人がいたりしたのだろうか? 本作を遊ばないとはつまり,人類400万年の英知と科学を真っ向から否定し,尻丸出しで野山を駆け回り続けるのとまったく同じことなのである。ましてや「きも! でたオタク専用タイトル! 超ウケるんですけどぉ!」などと考えるのは勘違いもはなはだしい。失敬な。
しかし百歩譲ってそんな人がいたとしたら,今が始める絶好のチャンスかもしれない。何を隠そう2009年11月1日,カルネージハートシリーズ最新作であるPSP「Carnage Heart PORTABLE(カルネージハート・ポータブル)」(以下,カルポ)のダウンロード販売が,PlayStation Storeで始まっているのである。しかも,4Gamerのゴチャゴチャしたトップページから本記事を発見してもうここまで読んじゃってるわけだし,興味を持たない理由は1ミリたりとも存在しないはずなのだ。たぶん。
本記事では,そんな読者諸氏に「あなたがカルポを遊ぶべき三つの理由」を断定的に書いてしまおうと思う。ライフハックブログのようなタイトルで誠に遺憾だが,これを読めばすぐにでもカルポを入手して筆者と遊びたくなるはずだ。たぶん。
ゲームシステムは複雑に見えるが,実はシンプル。
基本的には“ガンダム・アムロの両方を作る”を繰り返すだけ
「三つの理由」に入るまえに,サラッと本作のシステムと特徴について紹介しておきたい。
本作は,プレイヤーがロボット(本作ではOKE:Over Kill Engineという)を制作し,あるときにはコンピュータが,またあるときには他プレイヤーが作ったロボットと戦わせるゲームである。……が,もちろんここまでなら,凡百(?)の“ロボゲー”だ。本作が本作たるゆえんは「プレイヤーがロボットを操作しない」という点にある。
つまり,ロボットのハードウェアとしてのボディや武装を設計し,なおかつ“ロボットの動作”としてのプログラムをあらかじめ組み上げてしまうのだ。強引にガンダムにたとえるなら“ハードウェアであるガンダムと,ソフトウェアであるその頭脳アムロを両方作る”といった感じだろうか。なんだそのたとえ。
筆者渾身のたとえでも分かりにくいという人は,下記の簡潔にまとまったプロモーションムービーを見ておいてほしい。ムービーはUMD版発売当時のものだが,ダウンロード販売版も基本的にはまったく同じ。これで大体の雰囲気は掴めるはずだ。いや,とりあえず無理矢理にでも掴んでおいてほしい。
動画を見ても,やっぱりロボットを作るだけであることが分かるだろう。しかし,たったこれだけ(?)のゲームに,筆者を含む多くのプレイヤーが魅了されたのだ。
シリーズ初代となるPS版「カルネージハート」(1995年/アートディンク)が発売されたのは,なんと15年前である。自立型ロボットシミュレーションの走りといえば「ロボクラッシュ」(1990年/システムソフト)などが知られているが,ロボットと思考ルーチン(プログラム)を用意して戦わせるという根本的な発想はカルポも同じだ。カルネージハートシリーズは,ロボクラッシュのグラフィックス面,プログラムの自由度およびインタフェースの操作性を向上させたタイトルと考えて差し支えないと思う。
この手のタイトルは,一度遊べばいかに新作が発表されようと,プレイヤーが過去作品で培った多くのノウハウを流用することができる。プログラム(厳密にはアルゴリズム)作りはもちろん,デバッグ(プログラムの不具合修正)方法なんてのは,古今東西ある程度普遍的に通用するものだし,当然と言えば当然だ。そんな理由から,カルネージハートはシリーズ作品を重ねるたびにファンを増やし続け,最新作であるカルポも,多くの古参プレイヤーと新規プレイヤーがくんずほぐれつ絡みながら遊べるタイトルとなっている。
ちなみにカルポのUMD版発売は2006年8月3日。発売開始と共に古参ファンや強い嗅覚を持つプレイヤーの間で話題となったが,評価が広まり切る前にソフトの供給が途絶え,“欲しくても買えない”という多くのカルポ難民を生んだ。Amazonやオークションサイトでは一時1万5千円以上というプレミア価格を叩き出したほどだ。購入希望者はもちろん,貪欲に対戦相手を求める既存プレイヤーはこの3年間,頭から布団かぶってブルブルと震えながら過ごしたのだ。心酔したゲームを友達に薦めることすらできないというストレスはいかばかりのものか,よくぞみんな生きてたなという思いを禁じえない。
そんな背景もあり,今回の再販は実にめでたい出来事となった。しかもダウンロード販売というからもうパンツびしょびしょである。これで,ただでさえ軽快な操作感を実現しているカルポからディスクアクセスの時間までが消え去るなんて,UMD所持者から見るとうらやましいとしか言いようがない。
というわけで少し前置きが長くなったが,以降であなたがカルポを遊ぶべき三つの理由を述べていきたい。もちろんすでに興味が湧いたという人は,以下の与太話は読まなくてもいいのでさっさとPlayStation Storeへ突撃してほしい。そうでもない人は,今しばらくお付き合いを。
理由その1:
あなたの身体能力を行使せずリアルタイムバトルを行える
筆者はプレイヤー同士の駆け引きと打撃の爽快感を同時に得られる格闘ゲームが大好きなわけだが,一つだけ大きな問題がある。
それは弱いということだ。
だいたいあんなもの勝てるわけがない。機械でもあるまいし,数フレーム(1フレーム=1/30秒あるいは1/60秒)単位の見切りなど,筆者の能力で反応できるわけがないのだ。機械でもあるまいし。機械でもあるまいし。機械でもあるま……あ!
そう,本作はその機械で遊ぶゲームなのである。機械ということは,すべての命令をCPUで高速処理し,鋼鉄のボディと圧倒的なパワーで動作を表現できるということだ。当然,数フレームの反応などは超余裕。もやしっ子集団の4Gamer編集部員など,1秒もあれば全員をところてんにできる。
もちろん“反応”自体をプレイヤーがプログラムとしてキチンと組み込んでやる必要はあるが,高速で飛び交うビームをびゅんびゅんと回避して接近,敵が旋回するコンマ○秒のスキをついて格闘を仕掛ける,なんてことも簡単だ。それも機械ならではの精密さと高い再現度を併せ持って,である。
つまり本作は,戦いにおける物理的な接触だけをOKEという機械に委任した“知の格闘技”なのだ。筆者と同様,幼少期に養うべき反射神経や動体視力などのあらゆる身体的能力を置き忘れてきた頭でっかちなゲーマー達でも,その知力,情報収集力,根性,場合によっては怨念などのすべてをぶつけて戦えるのである(もちろんその分,敗北感もひとしおなわけだが)。
ここで格闘ゲームを引き合いに出したのは決して思いつきででなくて,不思議なことに本作の戦闘で得られる爽快感は,実に格闘ゲームのそれに似ている。
波動拳の代わりにビームを浴びせ,昇竜拳の代わりに大量のロケットを叩きこみ,対戦用掲示板に「あほ」と書き捨てコーラを飲み干す,といった具合なのだ。大量のロケットを食らった敵OKEのボディは発熱で赤く燃え上がり,衝撃波で武装は弾け飛び,HPを失って粉々に爆発すると同時にプレイヤーが己の矮小さに泣き崩れる。この爽快感はまさに格闘ゲームだ。
“リアルタイムの操作”を廃しプレイヤーの身体能力を問わないにも関わらず,“格闘”“戦闘”としてのエンターテインメント性が損なわれてい。これが遊んでみないと分からない,本作の素晴らしい点でなのある。
理由その2:
あなたに現実世界で応用できるヒューリスティクスを授けてくれる
実際,多くの人は使わない。――と思いきや,画像処理系のプログラマになった理系出身者などは複雑な数値計算をする上で間違いなく使うだろうし,たとえば営業やマーケティングなどの職種についた人も,データマイニングや数値予測,エクセルのマクロ作成に,暇人であれば暇つぶしなどで意外と頻繁に使ったりする。
よくカルポのような頭を使うタイトルは「論理的思考を高める」などと効果の見えにくい言葉でバッサリと(そして漠然と)その効果を謳われるが,実は上記のように,学問を生活や仕事の場で活用できるようなヒューリスティクス(思考方法,あるいは経験則などと考えてほしい)を直接的に授け,成長させてくれることもあるのだ。
たとえばOKEには“ジャミングフォグ”という武装がある。通常,OKEはレーダーを使用して敵(ターゲット)をロックし,攻撃や自機の位置取りなどを行うが,ジャミングフォグには,使用することでレーダーを撹乱し,敵味方すべてのレーダー効果範囲を狭める効果がある。OKEからすれば,目の届く範囲が狭くなるという非常に危険な状態だ。当然,味方同士(通常,戦闘は3対3で行われる)がまとまって行動したり,数的優位作るために味方Aが見つけた敵Aの場所に,味方B,Cが急行したりといった動きが必要になってくる。
その状況下で得られる情報は敵味方の座標だけだったりするわけだが,そんなとき,学校で習った三角関数を知っていれば,座標を基に自機から見た敵味方の方向を算出することが可能だ。可能というか,実際にそうするのが常套手段となっていて,カルポにおける三角関数を用いた方向指定は,ジャミング下での定番アルゴリズムとなっている。
上記はほんの一例だが,学校で学んだ公式を実地で生かすという立派な例である。カルポ上とはいえ,アルゴリズム考案と実装という作業はまさしくプログラミングであり,プログラマ経験者であれば容易に実装できるほか,逆に非プログラマはプログラムの考え方や思考方法を学ぶことができる。そして,その学習効果は筆者がみるに非常に高い。
いや,個人的にはゲームを教育に生かそうなどといったシリアスゲーム的な発想は正直言ってあまり好きではないわけだが,一方でロボコンのように教育カリキュラム外で学問と生産活動を結びつけるヒューリスティクスや興味を与えられることは,ゲームの誇るべき特性だと思っている。カルポには,そういったエンターテインメントとしての愉悦以外のところでもなにかしら体得するものがあり,長時間のプレイでもまったく損をした気分にならないのだ。
理由その3:
あなたが面白いと感じることが構造的に保証されている
これは筆者の持論だが,コンピュータゲームとは詰まるところ“シミュレータ”であると思っている。
たとえばテニスゲームはテニスのプレイヤーや道具,あるいはボールの物理現象をシミュレートしている。またRPGは,仮想世界と住民やモンスターの振舞いをシミュレートし,プレイヤーキャラクターのレベルや経験値というパラメータを変化させて,その変化が仮想世界にどのような影響を与えるかというリアクションを楽しめるような設計といえる。その他多くのジャンルはあれど,プレイヤーのインタラクションとゲームからのリアクションという要素をどんどん分解していけば,最小単位は“シミュレータ”になるのではないかと考えているわけだ。
すると,本作を含め“シミュレータ”として作られたゲームは,モチーフが現実のものであれ架空のものであれ,キチンとモデルを作りこんでインタラクションとリアクションが設計してあれば,どれもそれなりに遊べてしまうのではないだろうか? つまりシムシティなどの箱庭ゲームしかり本作しかり,ピュアなシミュレータとして成立するゲームは,すでにその構造がコンピュータゲームとしての面白さをある程度保証しているのではないかと思うわけである。
「んなもんカルポだけじゃないだろ」などと言われそうだが,特定のモデルを舞台にトライ&エラーをひたすらかつ短いスパンで繰り返す,そういった点にフォーカスしたタイトルは多くない。仮想世界に与えるパラメータを直接的に変更し続けるという意味では,ゲームというより絵画や粘土細工のような遊び心地に近く,カルポの特異なプレイ体験もそこからきているのかもしれない。
ただシンプルさと奥の深さを併せ持つゲームシステムは公園の砂場と同じようなもので,スコップやバケツだけが与えられた状態で作りたいものがあれば作れと言われるようなぶっきらぼうさがある。もちろん,だからこそプロローグやシナリオモードがあり,多少なりとも目標やその設定方法を示唆してくれるものがあるわけだが,やはり最終的には自分で目標を設定する必要がある。この辺りが逆に“構造手的に人を選んでしまう”部分なのだろう。
もう遊ばない理由はないはず。ただ1点だけ白状。
ところで,冒頭で「信じられない」と連呼しておきながら恐縮だが,本作はお察しのとおりかなり人を選ぶ。本作は紛れもなくPSP史に刻まれるべき良作であり,その面白さは前述のとおりり保証付きなわけだが,一点だけ白状すれば,その面白さは条件付きだ。
まず「自分で目標を設定できないと面白くない」という条件がある。これは前述のとおり。また単純な話,本作の情報を得た人が実際に購入して遊び始め始めるか否かは,“ロボット”あるいは“SF”というモチーフを受け入れられるかどうかに分水嶺があるのではないかと思っている。
前者については“気質”なのでしようがない。まるでドラクエやFFを遊ぶようにみんながカルポを遊んでいたら,それはそれでなんか気持ちが悪い(?)し,むしろそんな人間を引き止めることすらしない懐の浅さと,天高くそびえる難度というハードルを併せ持っているあたりも含め,本作の魅力であると捉えてほしいと思う。
後者はさらにしようがないが,同時にとてももったいないと思う。ここでロボットやSFについて布教する気はないが,ロボットやプログラミングという世界を垣間見るキッカケとして本作を試してみるのも一つの方法ではないだろうか。また,近い将来間違いなく訪れるサイバー・ウォーに備えて,ロボット設計能力を鍛えておくと考えるのも,一つの方法かもしれない。
このようにピーキーな本作を世に放ち,(きっと)反響に合わせてダウンロード販売を決定してくれた元気,ひいては開発元アートディンクはあっぱれと言わざるをえない。ニーズに迎合したゲームが乱立する中,本作は完全にシーズドリブンの制作を堅持して我が道を突き進んでいる。その姿勢がメーカーの懐具合をどのように左右するのかは心配なところではあるが,ファンにとってはただ単にありがたいというほかない。
本作は再販タイトルだが,決して内容は色褪せていない。むしろ現在は,過去に蓄積されたアルゴリズムやデータなどの豊富なリソースを活用して,ある程度のレベルまで一気に上りつめられるというメリットがある。ダウンロード販売開始により,あなたの良きライバルとなる新規プレイヤーも多く参加しているはずだし,始めるなら抜群のタイミングだ。
興味を持った人はためらわず入手して,徹夜必至の圧倒的な没入感を体験してみてほしい。もちろん私も,今からPSPを構えて待っている。こんなに偉そうなことを言っておいて実はそんなにうまくないので,私の機体に出会ったらためらわずボコボコにしてくれたらいいと思う。
「Carnage Heart PORTABLE」公式サイト
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