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[GDC 2011]「バーチャファイター」の生みの親 鈴木 裕氏の経歴を振り返るセッション「Yu Suzuki’s Gameworks: A Career Retrospective」
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印刷2011/03/03 15:42

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[GDC 2011]「バーチャファイター」の生みの親 鈴木 裕氏の経歴を振り返るセッション「Yu Suzuki’s Gameworks: A Career Retrospective」

YS NET代表取締役社長 鈴木 裕氏
 Game Developers Conference 2011の開催3日めである2011年3月2日(現地時間),「バーチャファイター」の生みの親として知られる鈴木 裕氏のセッション「Yu Suzuki’s Gameworks: A Career Retrospective」が行われた。このセッションには,かつてセガで鈴木氏の同僚だったこともあるMark Cerny氏も出席し,Cerny氏が進行役を務めつつ,鈴木氏のキャリアを振り返っていくという形で進行された。

(右)「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の開発ディレクターを務めたことでも知られるMark Cerny氏

アウトラン
シェンムー街
 鈴木氏が初めて制作ディレクターとして携わったタイトルは,SG-1000用の「チャンピオンボクシング」だ。1984年発売の同作品では,鈴木氏自身が絵も描いていたという。チャンピオンボクシングはコンソール用のタイトルとして制作されたが,あまりにもデキが良いため,のちに業務用バージョンも制作された。この成功もあって,鈴木氏はその後,業務用の作品を手がけることになる。

シェンムー街 シェンムー街

 そして鈴木氏は,その後,「ハングオン」「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナー」「バーチャレーシング」など,のちに多くのゲーマーにその名を知られることになる名作を手がけていく。セッションでは,タイトルそれぞれの裏話(?)などを交えて,氏のキャリアが明らかにされていった。


スペースハリアー(1985年)


 まずはスペースハリアー。この作品,タイトルに“ハリアー”とあるのに,実際にはフランスの戦闘機「ハリアー」は出てこない。この理由を氏は次のように語る。「あれは実は元々僕の企画ではなくて,あとから僕が引き受けた企画でした。その段階では飛行機のゲームだったので,名前にハリアーという言葉が入っていたんです。その後,ゲームを作っていく途中で,当時のハードウェアではハリアーを飛ばすことが難しいことが分かったため自機が人間になったのですが,ゲームのタイトルだけはそのまま残っていたというわけです。飛行機となると多くのパターンが必要で,そうなるとメモリが足りません。人間だったらパターンチェンジが少なくても良かったので,人間になりました」大らかな時代の雰囲気を感じさせるエピソードだ。


アフターバーナー(1987年)


 アフターバーナーは,第1作の発売直後に,ほとんど内容の変わらない「II」が発売されている。実はこの背景には,“第1作を早くリリースしないとセガが上場できない”という大変な理由があり,まずは第1作を急いでリリースしたためだという。しかしそのときに鈴木氏は,「しっかりと作り込んだバージョンをIIとして出させてください」との願いを社長に伝えており,そのために“I”と“II”のリリース間隔がとても狭いものになったとのことだ。
 また合わせて,この頃のユニークな開発秘話が一つ明らかにされた。
 当時セガの社長を務めていた中山氏は,時々開発現場に足を運んで,きれいな絵が仕上がっていると,発売を急かしてきたのだそうだ。それが嫌だった鈴木氏は,“押すだけでグラフィックスの崩れた開発画面が表示される”というボタンを作り,それを机の下に仕込み,社長が来るたびに押していたそうだ。しばらくはこれがうまく機能していたのだが,アフターバーナーの開発時,自らの不在時にそれがバレてしまってからは使えなくなってしまったのだという。


Sega R-360(1990年)


 R-360の開発は,セガの“メカトロ部隊”が「地球ゴマ」(ジャイロ効果を利用したコマに似た玩具)のような筐体を作りたいと希望していたところから始まったそうだ。筐体の試作品が組み上がったときにもちろん鈴木氏が呼ばれたのだが,「食事はしてこないように」という指定付きだったという。そして試作品に実際に乗り込む際には,イスに縛り付けられたのだそうだ。確かにあの筐体の試作機であれば,そういう乗り込み方になるであろうと,会場に集まったゲーム開発者の間からは,笑いが巻き起こっていた。

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バーチャレーシング(1992年)

バーチャファイター(1993年)


 バーチャレーシングにはポリゴンで描かれた――当時としては非常に動きがリアルだった――ピットクルーが登場する。これは,かねてから人間を動かしたいと考えていた鈴木氏の実験も兼ねていたとのことだ。そしてその成果を生かして作り出されたのが,バーチャファイターであったという。ちなみに鈴木氏は,大学で家の設計図を3Dで描き出す方法を研究していたとのことで,その当時から3Dを使った作品を作りたいと考えていたそうだ。

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バーチャファイター2(1994年)


 バーチャファイター2ではテクスチャマッピングを使用した。実は当時,テクスチャマッピングを使いたくてその技術を持つ会社を探したところ,軍事関連の会社しか見つからなかったそうだ。しかしその頃,すでにソビエト連邦が崩壊してしばらくが経過したという時期だったため,軍事関連企業との協力体制がとれたという。そして当時は基盤を揃えるのに「何十億という資金が必要だ」といわれていたが,最終的にはチップを量産することにより,現実的な価格に抑えることができたのだそうだ。


デジタルダンスミックス Vol.1 安室奈美恵(1997年)


 セガサターン「デジタルダンスミックス Vol.1 安室奈美恵」は,鈴木氏の手がける作品としては異色の一本だ。この頃鈴木氏は「ダンスのゲームが流行るのではないか」と予測していたそうだ。この作品は今日の「音ゲー」にそっくりだったと,鈴木氏は振り返る。しかし鈴木氏は基本的に,一度作ったことがあるゲームと似たようなものは作りたくないと考えており,続編の開発なども頭になかったそうである。

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「シェンムー」(1999年)


 1999年には,あの「シェンムー」に取り組んだ。当時はドリームキャストを盛り上げるために,RPGの大作タイトルが必要とされていたため,鈴木氏に白羽の矢が立ったという。ちなみに最初期の企画では,バーチャファイターのアキラが主人公のRPGになるかもしれなかったとのこと。
 シェンムーといえば,70億円もの予算を使ったものの,いま一つ成果を上げられなかった作品として知られている。開発時にはスタッフの人数が増え過ぎてまとめるのに一苦労したそうだ。なお鈴木氏は,予算などの条件が整う環境があれば,シェンムーの続編を作りたいという気持ちはあるらしい。


 さて,セッション終盤で「ところで失敗作はあるんですか?」と水を向けられた鈴木氏は,2004年頃にアーケードに向けて開発していたタイトル「PsyPhi」を挙げ,その映像を会場で流した。「PsyPhi」は超能力者同士が戦う格闘ゲームで,タッチスクリーンを使ってプレイするところが革新的だった。鈴木氏としては,トム・クルーズが映画「マイノリティリポート」で行っていたような未来的なインタフェースで遊ぶゲームを作りたかったのだという。

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 しかしこの作品は,ロケテストまで漕ぎ着けながらも,最終的には開発中止となってしまった。その大きな理由の一つは,なんと,タッチスクリーンで格闘ゲームのような激しい入力を行うと“指先が摩擦熱で非常に熱くなってしまう”からだったらしい。当時,氏はこの現象に頭を悩ませていたわけだが,裏腹に,会場の開発者達には大いにウケていた

 鈴木氏は現在,自身が設立したYS Netでソーシャルゲーム「シェンムー街」を開発している(モバイル版は2010年12月2日に正式サービスを開始)。鈴木氏は2D,3Dと進化してきたコンピューターゲームの“次のキーワード”は「ネットワーク」であると考えており,それに対して非常に大きな関心を持っているという。携帯電話などで楽しむソーシャルゲームは,今のところビジュアル面で見劣りするものが多いが,「2,3年ですごいことになるかもしれない」と睨んでいるのだそうだ。
 Yahoo!モバゲーに開発中の「シェンムー街」は,そのような鈴木氏のビジョンを反映した作品となるのだろう。鈴木氏は,今度はどのような遊びを生み出してくれるのだろうか? 非常に楽しみである。


YS NETコーポレートサイト

「シェンムー街」公式サイト


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