インタビュー
田中公平氏とヒャダインこと前山田健一氏の対談が実現。前山田氏が「このままじゃ大丈夫じゃないことが分かりました」と語った訳は……?
ニューヨーク滞在時に起きた同時多発テロ
そのとき音楽で人を楽しませようと決めた(前山田氏)
田中氏:
前山田君は東京に出てきて何年目ですか。
大学を卒業してすぐにこっちに来たので,かれこれ10年ぐらいになります。
田中氏:
何か,つてがあって上京してきたんですか?
前山田氏:
かつて,作詞家の松井五郎さんに師事していまして……。
田中氏:
え。なんで作詞家の松井五郎先生に?
前山田氏:
大学4年のときに週に一度一時間だけ,作曲講座に通っていたんですが,そこの先生が「あなた面白いから,東京の作詞家を紹介してあげる」って言ってくれたんです。それが上京のきっかけですね。
当時,松井さんには作詞を教えてもらうというよりも,業界のルールやクリエイターとしてのありかたなどを教えていただきました。口の聞き方や挨拶の仕方から始まり,〆切りまでにできるだけ多くの曲を書くという姿勢に至るまで。
田中氏:
それは貴重ですよ。うちの若手にも聞かせたいね(笑)。
前山田氏:
僕はそれを教えてもらえたので,凄くラッキーでしたね。今でもその教えが役立っていますから。もし松井さんに出会っていなかったら,「どうして誰も評価してくれないんだ?」って腐って終わっただけだったと思いますし。
田中氏:
でもなんで最初,作曲講座に通おうと思ったんですか?
前山田氏:
大学3年の夏休みに,ニューヨークに行ってミュージカルをさんざん見ていたんです。凄く良かったなぁ,楽しかったなぁと思っていたんですが,帰国する前日に,アメリカで同時多発テロ事件が起きて,そこから一週間,帰国できなかったんですよ。
とにかく周囲は物々しい雰囲気に包まれているし……,僕はブロードウェイの安いチケットを買うためにWTC(World Trade Center)に入っていた「TICKETS」にも通ってましたし……。そのときに自分の人生について初めてちゃんと考えたんです。
田中氏:
まあ,そんな経験したら考えるよなぁ。
前山田氏:
帰国予定がもう少しあとだったら,あの日も普通にWTCに行って,そこで死んでいたかもしれないんですよ。そういう思いと,ミュージカルの素晴らしさの影響で,音楽で人を楽しませる仕事をしたいな,と。
田中氏:
その日までは,どんなミュージカルを見ていたんですか?
前山田氏:
「オペラ座の怪人」や「ライオンキング」なんかも見ましたが,繰り返し見ていたのは,「レント」ですね。8回か10回ぐらい見ました。
田中氏:
レントは,「ラ・ボエーム」が下敷きとは思えないぐらいのものになってますよね。ジョナサン・ラーソンが一人で書いているとは思えないほど,いろんな曲があって。
前山田氏:
脚本も演出も全部一人でやって……。
田中氏:
でも初演の直前に死んじゃってね。
前山田氏:
ええ。そういうものが黒人のもの凄い声量で歌われると,なぜか自然と涙が流れてくるんですよ。あの体験は強烈でした。
顔が良くて,踊りが上手くて歌が上手くて演技が上手い
あいつらおかしいんですよ(田中氏)
田中氏:
アポロ・シアターでゴスペルは見ましたか?
前山田氏:
ええ,見に行きました。
前山田君が行った頃は,そんなに治安は悪くなかったと思うけど,私が行っていた頃は大変だったんですよ。地下鉄は24時間走ってるんですけど,危なくて乗れたもんじゃないから,歩くかエクスプレスバスで移動するしかなくて。
前山田氏:
アポロ・シアターはハーレムにありますからね。治安がなかなか……。
田中氏:
そう。160〜170丁目ぐらいがハーレムで,200丁目ぐらいがリバーデイルっていう高級住宅街で,そこに日本人の友達が住んでいたんです。なのでその友達の家を拠点にブロードウェイへ通ったんですよ。……26歳の頃だから30年ぐらい前だ。
前山田氏:
バークリー音楽院に通われていた頃ですよね?
田中氏:
そうそう。2年半通っていたからね。学校はボストンにあって,平日はそこに通い,週末になるとグレイハウンドのバスに4時間半乗ってニューヨークへ向かうんです。朝の5時か6時ぐらいに8丁目に着くんだけど,もう本当に治安が悪い。なんせ,「ウエスト・サイド物語」の舞台になるぐらいだから。
4Gamer:
ギャング団が常に抗争を繰り広げているような。
田中氏:
まさにそう。で,そこからリバーデイルに行くんだけど,バスが動いてないから歩くしかないんです。明け方だっていうのに,たき火しているガラの悪そうなのがいてね。目を合わせたら殺られる! って冷や冷やしながらそーっと抜けて,角を曲がったところで全力疾走して……で,7丁目ぐらいまで行けば比較的安全になるんです。
そこでコーヒーハウスに入って時間を潰してから,リバーデイルの友達の家まで行くんです。で,夕方になるとそこを出て,ミュージカルを見に行くという日々だったんですよ。
4Gamer:
危ない思いをしてでも,見るべきものがたくさんあったということですよね。
田中氏:
「コーラスライン」「エビータ」「レ・ミゼラブル」あたり,全部見てますよ。
前山田氏:
いいですね,羨ましいです。
僕はブロードウェイミュージカルが本当に大好きなんですけど,何から何までレベルが高いんですよね。
田中氏:
顔が良くて,踊りが上手くて歌が上手くて演技が上手いっていうね。あいつらおかしいんですよ(笑)。
前山田氏:
そう。僕は「あ,何もかなうものがない」って打ちのめされもしたんです。
田中氏:
一個一個がかなわないんだからね。
しかも,曲もいい。こんな曲,私に書けるかな? って思ったし。
前山田氏:
でも僕は,そんな人達を見て,日本で自分もそういった存在になりたいな,みたいに思ったんです。それでとりあえず,自分の好きなことで名を上げたいと考えて……。
田中氏:
そのとき,パフォーマーは目指さなかったの?
それはなかったですね。そんな自信はありませんでしたし。
それに僕,就職活動にも乗り遅れていたんですよ。
田中氏:
そら,大学3年でそんなことしてたらなぁ(笑)。
前山田氏:
ですね。なので,そのときに初めて「音楽だな」って思ったんです。
田中氏:
それにしても,大阪星光学院に通わせて,京都大学にまで入った息子が,音楽をやるなんて言い出したら,親御さんも驚かれたでしょう。
前山田氏:
いや,それがそうでもないんです。親とたこ焼きをつついているときに,「あんた,将来どうするん?」と聞かれて,「とりあえず東京にでも行って音楽やろうかなと思ってる」って言ったら,「あ,そうなんだ」で終わりました。
田中氏:
はー,そんな簡単に。何屋さんなの?
前山田氏:
カメラマンなんです。
田中氏:
あ,じゃあ大丈夫かな(笑)。
4Gamer:
これがもう少し堅い職業だったら,ひと悶着あったかもしれないですよね。一般論ですけど。
前山田氏:
ですね。しかもうちの親は石垣島から大阪に出てきて,子供を授業料の高い学校に通わせてくれたので……感謝しかありません。
好きなことを仕事にしましょう
あとから好きになってもいいから(田中氏)
田中氏:
大阪星光学院っていう学校は,医者の息子が多いんですよ。私もそうなんですけど。
前山田氏:
本当に多いですよね。
4Gamer:
そこから多くの生徒が医大に進むタイプの進学校ですね。
私の頃は,まだ医者の息子ばっかりってわけでもなかったんですけどね。もっといろんな家の子がいて。
そうそう,去年の10月に中学3年生から高校3年生までを集めた講演会を,母校でやってきたんですよ。ピアノを弾きながら「ウィーアー!」を歌ったりして。それを見た上山先生が,「あんたのだけや,誰も寝えへんかったの」って言ってくれましたね。
ほかの人の講演ではみんな寝てたらしいんですけど,私は寝そうな奴が見えたらピアノを弾いて一緒に歌わせますから(笑)。
前山田氏:
そりゃ,あんなキラーチューン出されたら目も覚めますよ!
田中氏:
そのときの生徒達は,1/3ぐらいが医者の息子だったんですけど,そこで私は,「医者の息子として生まれたけど医者にならなかった」っていう話をしたんです。
そこで,「自分が本当に医者になりたいんだったら,努力してなればいいと思う。でも,ほかにやることがなくて勉強ができるからとりあえず医者になろうなんて思っていたら,それは大きな間違い。医者っていうのは人の命に関わるんだぞ。お前ら,その覚悟はあるのか?」って話をしたんです。
前山田氏:
息子を医者にしようと思って学校に入れた親御さん達にとっては,とんでもない講演者ですね(笑)。
田中氏:
先生達は焦ってましたけどね(笑)。
そうしたら,私と同期の奴の息子もそこにいたらしくて,メールが来たんですよ。「お前,凄いこと言ってくれたな。えらい考え込んでるよ,うちの子供」って。でも,その子供からは「僕も一度考え直そうと思ってます」ってお礼のメールが来てね。
4Gamer:
そこで考え直して,やっぱり医者になろうと思えた子であれば,きっと,しっかりした医者になれそうな気がします。
田中氏:
だと思います。早い段階でそういうことを悩まないで,とりあえず勉強ができるからってんで医者になったって,そっからがしんどいですからね。
4Gamer:
田中さんも医者の家系だったわけですよね。それなのになぜ,音楽の道に進もうと考えたんですか?
田中氏:
後付けの理由なんですけど,私は命に関わることより,心に関わることをやりたかったんです。きっと。
だからあのとき,命に関わる覚悟のほうはできなくて,医者にはなれないと思ったんですよ。
4Gamer:
そのとき,ご両親の反応はいかがでしたか?
田中氏:
もちろん,反対はされました。代々繁盛していた病院の子として生まれて,しかも男は私だけだったんです。だから私を医者にするために,あの学校に通わせてくれていたんですよね。
前山田氏:
ですよねぇ……。
でも東京藝術大学に行きたいと言ったら,納得してくれましたね。そのときに聞いたんですが,うちの親父は新聞記者になりたかったらしいんです。でも祖父からの許しが出ずに,医者になったと。だから「俺と同じ思いをせんほうがええ。ホンマにやりたいんやったら,やれ。その代わり,日本一の作曲家になれ」って。
4Gamer:
もしもあのとき医者にならずに新聞記者になっていたら? という思いが,どこかにあったのかもしれないですね……。
田中氏:
ね。そういうことは口にしない人でしたけど。
それに私が作曲家としてはまだまだの時期に,親父は死んじゃったんで,そんな話はそれっきりになっちゃってね。
前山田氏&4Gamer:
……。
田中氏:
それでね,その講演のときに,もう一つ,「好きなことを商売にしましょう」という話もしたんです。実際のところ,この世の中で好きなことを仕事にできている人は凄く少ないですよね。
4Gamer:
ですね……。
田中氏:
でもね,あとで好きになってもいいんですよ。
前山田氏&4Gamer:
それだ。
田中氏:
あの学校に通っている子達が親の望むとおりに医者になったとして,最初は医者という仕事が好きかどうか分からなくても,やってるうちに好きになれればいいんです。
4Gamer:
責任感といったことだけではなく,もっと積極的に仕事に誇りを持つとか,その仕事をしている自分に自信を持つとか,そういうことが大事なわけですよね。
田中氏:
そう。それで一番いいのは,朝起きたときに,「ああこの仕事をしていて良かった。仕事場に行くのが楽しくてしょうがない」と思えること。そういう人生を送りましょうという話をしたんです。
前山田氏:
僕もなるべくそういう気持ちでいたいんですけど,それでも理不尽な手直しなんかがあると,なかなか……。
田中氏:
そういうときはね,ちゃんと戦うんです。
もちろん,クライアントの言うことが正しければ,ちゃんと書き直しますよ。こちらの考え方が間違っていたのであれば,それは素直に従わないといけません。でも,理不尽なら戦うんです。
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