インタビュー
プレイヤーに毎日の楽しみを提供する醍醐味――「アルトネリコ」「シェルノサージュ」といった独特の世界に挑戦し続けるガスト・土屋 暁氏にインタビュー
この作品で生まれた,素材を掛け合わせて新たなアイテムを作り出す「調合」,素材を冒険によって入手する「採取」といった特徴的なシステムは,以降のシリーズにも継承され,今やアトリエはガストの看板作品となっている。
今回は,初代となるマリーのアトリエをのぞく,ほぼすべてのシリーズ作品に関わっているという同社のディレクター土屋 暁氏に話を聞いてきた。SFファンタジーとレトロな雰囲気を掛け合わせた世界観や,多重録音を利用した独特の楽曲を生み出すことで知られる土屋氏は,一体どのような考えをもってゲーム制作に臨んでいるのか。
同氏の生い立ちに始まり,代表作である「アルトネリコ」シリーズに関することから,PlayStation Vitaで新たな挑戦を目指す「シェルノサージュ 〜失われた星へ捧ぐ詩〜」の今後の施策に至るまで,いろいろと質問をぶつけてみたのでぜひ読み進めてほしい。
なお,文中にはアルトネリコシリーズのネタバレが含まれているので,プレイしていないという人はご注意を。
建築とゲームの間で揺れた青春時代
4Gamer:
本日はよろしくお願いします。今回は土屋さんご自身のことを伺いたいと思いまして。
なんでも聞いてください。
4Gamer:
では,一体どういう人生を歩まれると,「アルトネリコ」や「シェルノサージュ」のような,ちょっとおかしな世界観を生み出せるようになるのか,というところを。
土屋氏:
その言い方は(笑)。
4Gamer:
土屋さんは98年,ガストにサウンド関連職として入られて,それ以降はアトリエを手がけられていますけれど,その前は何をされていたんでしょう。
土屋氏:
その前は,土木系の大学に通って,そのままの流れで大学院に進みました。ガストには,その大学院から直接入社することになります。
4Gamer:
一体なぜ土木からいきなりガストに?
土屋氏:
これは長くなるので,初めから順を追って話しましょう。
まず,子供の頃から私には目指す方向が2つあったんです。その1つが建築関係で,もう1つがゲーム関係でした。結論から言うと,私の人生は小学生から大学院卒業までこの2軸で進んで,最終的にゲームを選んだことになります。そうですね,まずはあまり関係のなさそうな建築関係の話から,簡単にしましょうか。
4Gamer:
ぜひお願いします。
建築というのは,例えば家のような,普通の建物を作りたいという夢があった,ということでしょうか。
土屋氏:
ええ。小学生の頃から,まさに家を作りたかったんです。当時から建物が大好きで,なぜか近所のショールームに毎日通って「この流し台……かっこいい!」とかいって過ごしていました。あと,人の家に遊びに行って,その家の図面を描いたり。
4Gamer:
……え?
他人の部屋の間取りを描きとっていたということですか。
土屋氏:
そうそう。そのメモに「田中君の家」とかいった名前を付け,封筒に入れてコレクションしていました。私はただ単に家が好きだからやっていたんですけど,周りには随分と嫌な目で見られた記憶があります。
4Gamer:
えっと,もう1度確認しますけど,人の家に遊びに行って,間取りを描いてコレクションしていたと。
土屋氏:
そうです!
4Gamer:
……かなり高度な変態ですね。
土屋氏:
ちょっと(笑)。まぁそれくらい建築が好きだったということです。
4Gamer:
その流れは,大学院まで続いて……あれ,でも大学は土木関係なんですよね。
土屋氏:
ええ。建築を目指していたんですが,高校生の頃に地理を担当していた教師が洗脳工作をしてきたんですよ。授業のたびに「土木は,ええで」って。「橋とかダムを作ってみろ,あと3代はお前の作ったものが残るんだぞ」とか,「アフリカにダムを作ったらお前の名前が付くぞ」とかね。普通,そんな言葉を信じて進路なんか決めます?
4Gamer:
まぁ事実だとは思いますが,あまり現実味がないと言いますか,進路の決め手になるかと言われるとちょっと……。
土屋氏:
ですよね。なのに,私はそこで「なんていい仕事なんだ」と思ったわけで。
4Gamer:
洗脳されちゃったんですね(笑)。
土屋氏:
あっけなく洗脳されました。それで,そのまま進学するわけですが,以降の活動はちょっとゲームとも絡むので,そちらで話します。
4Gamer:
では,そのゲーム方面での活動についても教えてください。
土屋氏:
こっちの夢は,小学校の高学年くらいに,親が「これからはマイコンだ」とかいってPCを買ってきたのがきっかけですね。結局,親は3日でそれを放置したので,私が絵を描いたりプログラムを打ったりするのに使うことになったというわけです。まだPC-6001の時代で,記憶媒体はテープでした。
4Gamer:
データが消えるなんて日常茶飯事だったという話は聞いたことがあります。
土屋氏:
ええ,お金無くてオーディオ用のテープを使っていたのもあって,その辺りはかなり苦労しました。まぁそんな感じで,小学校の高学年から,趣味でいいからゲームを作りたいという願望を密かに持ちつつ,建築を仕事にしたいと思っていたわけです。
4Gamer:
その頃はまだ,土屋さんの中では建築がメインだったんですよね。
土屋氏:
建築がメインというか,ゲーム関係に進むビジョンが見えなかったというべきでしょうか。まだ,ゲーム制作を学ぶ場所なんてほとんどない時期で,ゲーム関係の仕事に就くためにどうすればいいのか,私にはまったく分からなかったんですよ。とくに私は地方出身で,情報もほとんどありませんでしたし。
4Gamer:
なるほど。
土屋氏:
そして,そういう時期の私とゲームをつなげた唯一のものが,高校生の頃に入っていたコンピュータ関係の部活中に,教師が壁に貼り付けたソフトウェアコンテストのビラでした。私はそれを見て,「ゲーム業界というのはコンテストに入賞して業界の人に目を付けてもらわないと入れない,芸能界のような場所だ」と思っていたわけです。
4Gamer:
分かります。私も小学生の頃にゲーム業界に興味を持ったのですが,本などを読めば読むほど,とても遠い存在に感じました。
土屋氏:
実際,狭き門という印象はありましたよね。なので,結局土木関係の大学に進学するわけです。ただ,大学2年から4年までかけて,勉強をしながらMSXでフルアセンブリのゲームを作ったりして,活動自体は続けていました。友達と,「ゲームを作って売る」ためにプロジェクトを組んでね。
4Gamer:
そこでは,どんなゲームを作られたんですか?
土屋氏:
ざっくりと言えば,「聖剣伝説2」のようなアクションRPGです。そして,これが完成した大学4年生くらいの頃に,インターネットが普及し始めたんですよ。
4Gamer:
土屋さんが大学4年生というと,90年代半ばでしょうから,ISDNが主流になって間もない頃ですかね。
土屋氏:
そう。大学の図書館にインターネットコーナーもできて,勢いが出てきた頃でした。そして,そのときにネットで見つけちゃったんです。ナムコが新卒を募集しているのを。そこで初めて,「ゲーム会社が普通に新卒を募集している」という事実を知って,ぐらっときたわけです。
4Gamer:
なるほど。
土屋氏:
かたや,土木のほうはバブルがはじけて斜陽でした。「日本には開発できる場所がなくなった」なんて教授が言うような状態だったんです。私の希望は都市計画だったので,修繕などにあまり魅力を感じなくて。
4Gamer:
修復とか維持ではなく,制作をしたかったわけですか。
土屋氏:
そうですね。維持管理も大切な仕事なんですけど,それしかないと聞いたら,ちょっとモチベーションが下がってしまった。そういう矢先にナムコの名前を見つけたものだから,余計に揺れたわけです。
4Gamer:
ただ,それは大学4年生の頃なんですよね。そこまで思いが募っていたにも関わらず,土木の大学院に進まれたんですか。
土屋氏:
もっともな疑問ですね。正直なことを言ってしまうと,大学院に進学したのは作曲の勉強する時間を確保するためだったんです。
4Gamer:
ここで音楽が絡んでくるわけですか。
土屋氏:
ええ。大学4年の頃に「今の技術ではゲーム業界に入れない」という問題に直面したんです。フルアセンブリのゲームを作っていたと言っても,時代はすでにCでしたから,プログラマーとしては雇ってもらえません。実際,ゲーム制作に関係するコンテストみたいなものにも挑戦したんですが,箸にも棒にもかかりませんでした。そこで,ゲーム制作と並行して趣味と化していた音楽の勉強をすることに決めたんです。
4Gamer:
なるほど。
土屋氏:
ちなみに,大学院ではサウンドスケープという音景観を専攻していて,ちょっと関連があったというわけです。
4Gamer:
音楽そのものは,いつ頃からかじられているんですか?
土屋氏:
中学生の頃からです。親の買ったMSXが,案の定3日で私のところに回ってきたんですよ。
4Gamer:
またですか(笑)。
土屋氏:
本当にミーハーな親で(笑)。MSXってPSGといって3チャンネルまで音を出せたんです。それを初めて触ったときに,「あ! これなら自分で音楽を作れる!」と思って,夢中で“ドラクエ”の曲とかを耳コピしていました。そこからFM音源などに触るようになって,さらに発展してオリジナルの曲を作るようになったんですよ。楽譜の読み方を学び始めたのはその後なので,大学生の頃ですね。
4Gamer:
音楽を本格的に学び始めたのは比較的遅めだったんですね。
土屋氏:
ええ。ただ,大学,大学院ともサークルで軽音をやっていたんです。ベースやキーボードを演奏したり,オリジナル曲を作ってみたり。最後はオリジナルバンドとして活動していましたから,音楽に触れている密度は高かったと思います。
アトリエを中心にガスト作品の多くに携わる
4Gamer:
さて,そういった活動が功を奏して,いよいよガストに入社されるわけですが,ガストを選んだ理由はなんだったんでしょう。
ガストを意識したのは,「マリーのアトリエ」が大当たりしたときですね。
4Gamer:
97年ですね。
土屋氏:
ええ。私がちょうど就職活動をしている頃に,たまたまコンビニの端末でマリーのCMを見かけて,ガストを知りました。そのあとは普通の就職と同じです。ガストを受けて,とおれた。
4Gamer:
あそこから始まったアトリエは,今やガストの看板ですもんね。
土屋氏:
「マリーはやったことがある」と言ってくれる方は多いですね。一方で私は,マリー以外すべてのアトリエに制作側で関わっているんです。A7(※)以降は少し離れつつありますが。
※A7:アトリエシリーズには発売された順にプロジェクトナンバーが振られている。A7はマリーのアトリエから数えて7作めにあたる「イリスのアトリエ エターナルマナ2」のこと
4Gamer:
A7は2005年くらいでしたから,ちょうど「アルトネリコ」が始まる直前ですね。
土屋氏:
そうです。同時開発でした。
4Gamer:
そうなると,アトリエに中心で携わっていた期間というのは,98年から2006年くらいまでですか。この期間は主にサウンド関連のお仕事をされていた,という考えでいいんでしょうか。
土屋氏:
サウンドは必ずやっていますが,リリー(A3)以降は企画と半々くらいです。
4Gamer:
それはキャリアを積まれて,次のステップへも挑戦されていたということですか。
土屋氏:
ええ。実はエリー(A2)に,ノルディス,ダグラスという男の子がエリーとイチャつくイベントがあるんです。ですが,当時イベントを作っていた方はそういう展開がすごく苦手で「どうしよう」と言っていたんですよ。そこで私が手を挙げて,以来そういうイベントの担当になっていったという感じです。ちなみに,続くリリーではいわゆる女性向けの,攻略用男性キャラのイベントをすべてやらせてもらいました。
4Gamer:
しかし,それとサウンドを並行していたというのはすごい話ですね。
土屋氏:
2005年のヴィオラート(A5)までは企画とサウンドをやっていました。この頃にはシステムの半分くらいにも手が伸びて,自宅でお店を開くシステムとか,採取地でアイテムを使って先に進む展開などを作っていたんです。
4Gamer:
「レヘルン」を投げて川を凍らせてから渡るとか,水の中に潜るとかですね。
土屋氏:
まさにそれです。そうやってだんだんと企画側にシフトしていったので,次のイリスでは,サウンドをほとんど降りて,「調合店イベント」なんかを作っていましたね。
4Gamer:
調合店イベント?
土屋氏:
ビオラのイベントとか,ブレアのパン屋で起こるイベントみたいなやつをそう呼んでいたんです。実はあのイベントが,アルトネリコの「調合イベント」のきっかけになったんですよ。
4Gamer:
ああ! 言われてみると確かに似ていますね。
土屋氏:
あれは私の設計なんです。アルトネリコを作ったときに,あまりアトリエと似たようなシステムを入れたくなかったのですが,あれだけはどうしてもやりたかった。調合イベントはアルトネリコの1つの特徴になりましたが,実はA6のイリスが原点だったんですよ。
サウンド出身だからこそ生み出せた「アルトネリコ」
いよいよ土屋さんの代表作であるアルトネリコの話ができるわけですが,この企画はトントン拍子で進んだんでしょうか。
土屋氏:
そうですね。そんなに止められることはありませんでした。ただ,バンダイナムコゲームスさんとの共同企画だったので,「サモンナイト」あたりと競合しないように,若干カラーを変えて出そうかなとは考えましたけど。
4Gamer:
なるほど。当時から企画の柱というのは,やはり「詩」だったんですか。
土屋氏:
一貫して「詩」でしたが,「ムスメ調合」というのもありました。むしろバンダイナムコさんはムスメ調合を気に入ってくださったみたいです。それで先方から「艶っぽくいこう」と押されまして,アルトネリコは女性キャラクターを中心とした艶やかな作品になったんです。
4Gamer:
なるほど。では,スタッフはどのように集められたんでしょう。キャラクターデザインなど,ガスト社外の方が多数参加されていますよね。
土屋氏:
イラストレーターの凪 良さんは,「自分でゲームを作るときにお願いしよう」と以前から目を付けていた方です。シナリオに関しては,1と2は私が脚本までやりましたが,3はプロットだけで,メインは原田早也さんという方が担当してくれています。トークマターなどは,一貫して富松元気さんに助けていただいていますね。
4Gamer:
脚本は膨大な量がありましたけど,それを企画と並行して書いていたわけですよね。
土屋氏:
システムと企画に関しては,1は自分で仕様書まで書いていますが,実は2では,現在アトリエのディレクターを務めている岡村が書いていたんです。あの頃は私がディレクターで,企画のチーフが彼でした。
4Gamer:
アルトネリコ2の頃は,お二人の調和が最もとれていたと聞いています。それが作品に現れた結果なのか,2は評判がいいですよね。
土屋氏:
ええ。とても調和はとれていましたね。確かに,アルトネリコで一番どれが好きかと聞くと,“今は”2がダントツで多いです。
4Gamer:
私は1が一番好きなんですよ。
土屋氏:
おっ,本当ですか。では,1から順番に話していきましょう。ちなみに1は,どのあたりに惹かれたんですか?
4Gamer:
言わずもがな,ラスト直前に待っている,とあるヒロインとの展開です。
土屋氏:
……自分で言うのもなんですが,当時の私は本当にピュアで,あの展開も天然でやっていたんです。プレイヤーさんの反応を見てびっくりしたくらいなんですよ。「え,これダメなの?」って(笑)。
4Gamer:
オリカとミシャという二人のヒロインが,ある意味で競い合い,物語をとおして主人公が葛藤した末に,片方を選ぶ。それなのに,そのあとまさかのどんでん返しで,予想外のところから「行かないで!」って言われたら,普通は驚きますよ。
土屋氏:
ちゃんと言われると確かにひどい展開ですね。ただ,彼女は隠しヒロイン扱いだったんです。ちょっとゲームバランスの問題で,隠せないくらい多くのプレイヤーがそこまでたどり着いてしまっただけで。
4Gamer:
あくまで隠し要素だったと。
ネタバレになってしまいますが,シュレリアが最後にライナーを引き留める展開というのは,イベントの「シンガーエンジェル シュレリア」をクリアしていることが条件じゃないですか。でも,それを出すための手順が結構ありましたから,私の中では,裏コマンドを入れないと出ないくらいの存在だったんです。
4Gamer:
ですが,前提条件はイベントを発生させる程度でしたから,見ようと思ったらみんな見られる仕様でしたよね。
土屋氏:
そこが誤算だったんです。みなさん,当たり前のようにイベントをコンプリートするんだ,ということに驚きました。私個人としては,あれは幻の展開で「なんか,シュレリア様が急に告白してきたぞ!?」という人が,本当にたまに出てくるようなサプライズ要素のつもりでした。
4Gamer:
結果的には,とてもいいイベントだったと思います。そんな展開も助けてか,1は10万本を軽く売り上げているんですよね。
土屋氏:
ベスト版も含めると,合計で18万本強くらいと好調でした。詩とか,ちょっと危ないシーンですとか,それこそシュレリアのイベントのような口コミで広がる要素を入れたのが良かったですね。実際,それでリピートがかかって,本数が伸びました。当時,完全新作RPGでこけなかったのは,ここ3年で初めてだと言われましたので,そこはよかったと思っています。
4Gamer:
要となる詩についてはどうでしょう。かなり力が入っていましたけど,これはやはり土屋さんがサウンド畑の出身だったから,こだわりたかったということなんでしょうか。
土屋氏:
むしろ,それをやりたくてアルトネリコという企画を出したんです。これはゲーム業界に入って分かったんですけど,基本的にサウンドって扱いがおざなりなんですよ。当時のガストもそうで,こっちががんばって作っても「ふーん,ありがとう」という感じでしかありませんでした。
4Gamer:
ゲームの中の一要素という捉え方なんですね。
土屋氏:
そう。大事なプロジェクトを動かすための会議でも,サウンドは呼ばれないわけです。仮に音楽と物語を共存させる作品を提案しても,「うーん」と言われてしまうような状態だったんですよ。だから,音楽がなければゲームが成り立たないくらいのものを作ろうと思いました。その1つの結果が,アルトネリコです。
4Gamer:
スタートはある意味でゲームにおけるサウンドの立ち位置への不満,みたいなところにあるわけですか。
土屋氏:
業界全体に,サウンドなんて外注でいいという風潮がありましたからね。私はそうではなく,ゲーム制作会社の中に,サウンド専門の部署があることの意味を考えて,それ相応のことをやるべきだと思っていました。そんな思いから,サウンド関連でGST(ガスト・サウンド・チーム)というブランドを作ろうという計画を立てたりもしていました。今は,ほとんどその名前も出ませんが。
4Gamer:
ですが,ガストの作品といえば音楽が1つの特徴という捉えられ方はしていますよね。ガスト・サウンドなんて呼ばれていますし。
土屋氏:
以前からの活動が活きてきたと信じたいですね。音楽にこだわり始めたのはユーディやヴィオラートくらいからで,この頃にやっとサントラも自社ブランドで出せるようになりました。アルトネリコは,そういう面でも1つの成功例になっていますね。
4Gamer:
ガスト・サウンドの特徴でもある多重録音は,やっぱり土屋さんが先導されたんでしょうか。
土屋氏:
そうです。ブルガリアンコーラスとかが昔から好きだったので。あと,当時「指輪物語」にはまっていまして,あのコーラス曲みたいなものは,ゲームとうまく調和させられるんじゃないかと思って。
4Gamer:
最初にサウンドチームに「こういうことやろうぜ」って提案したわけですよね。すぐに受け入れられたんですか。
土屋氏:
えっと,すみません。私の独断でやりました。
4Gamer:
ええ……。
土屋氏:
そもそも当時のサウンドチームって3人くらいで,担当する曲の方向性は各自で決めていたんです。だから私も,オープニング曲を作るときに「多重録音しかない」と思って勝手にやりました。でも,これは上司に大変怒られましてね(笑)。
4Gamer:
怒られてるじゃないですか(笑)。
土屋氏:
多重録音をするなんて知らずに,上司が収録現場に来たんですよ。あれって単発の収録だけ聞いているとお経みたいに聞こえるんです。「ウィーニョーウィニョニョー」ってずっと歌っているので。
4Gamer:
ああ……プレイしている方なら,文字でも言わんとしていることが分かるくらい伝わりますね。
土屋氏:
でも上司はそこしか見ていなくて,あとから「なんであんな曲にしたんだ。勝手にやるな」って無茶苦茶に怒られて。「売れなかったら責任とれ」とまで言われました。いや,アルトネリコは本当に売れて良かったです(笑)。
4Gamer:
そういう苦労がある程度の成果を生んだんでしょうね。
土屋氏:
ただし,ちょっと悪い言い方になりますが,1は新作ということもあっていろいろと制約があったんです。経緯のないことに対してのダメ出しには,「そうですね」と答えるほかなくて,やりたいことの根本は実現しているんですが,全体を見ると不完全燃焼でした。
4Gamer:
1で自分の意図を反映できなかったこと,といいますと。
土屋氏:
一番分かりやすいのはシナリオです。あまり退廃的で,絶望するような感じはやめてくれ,もっとポップなファンタジーにしてほしいと言われました。だから,悪役もずっこけ的な愛らしさを残していますし,お話も分かりやすいものを心がけています。
4Gamer:
なるほど。それは本来土屋さんの持っているものとはちょっと違ったんですね。
土屋氏:
ええ。ですが,そうやって作った1の成功のおかげで自分の立場も多少変わり,続く2ではやりたいことの多くを実現できたんですよ。
- 関連タイトル:
シェルノサージュ 〜失われた星へ捧ぐ詩〜
- 関連タイトル:
アルトネリコ3 世界終焉の引鉄は少女の詩が弾く
- 関連タイトル:
アルトネリコ2 世界に響く少女たちの創造詩(メタファリカ)
- 関連タイトル:
アルトネリコ 世界の終わりで詩い続ける少女
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