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[GDC 2014]MMORPGの開発/運営/プレイヤーは,同じ国に集まる住人。「新生FFXIV」吉田直樹氏のセッションをレポート
旧FFXIVが失敗した理由や,新生FFXIVローンチまでの苦労が語られただけでなく,吉田氏の“MMORPG観”とでもいうべきものが明かされたセッションの模様をレポートしよう。
「ファイナルファンタジーXIV:新生エオルゼア」公式サイト
登壇した吉田氏は,簡単な自己紹介を終えると,FFXIVの歴史を解説した。
4Gamer読者にはいまさら説明するまでもないだろうが,FFXIVは2010年9月30日にローンチしたものの,頻繁に落ちるサーバーやコンテンツ不足といった多くの問題からプレイヤーの評価を得られず,同年の12月3日に開発陣が交代。プロデューサー兼ディレクターの吉田氏をはじめとする新開発陣によって,アップデートが継続されながら「新生FFXIV」の開発が行われ,2013年8月27日に新生FFXIVがローンチされるという経緯をたどっている。
一度失敗して新たに作り直された,吉田氏も「非常に特殊」と表現するタイトルなのだ。
では,なぜ旧FFXIVは失敗したのか。吉田氏は「ファイナルファンタジーXI」(以下,FFXI)の成功に,その落とし穴があったと語る。FFXIはローンチの2002年当時としては抜きんでた美しさのグラフィックスなどで人気を博したが,旧FFXIVの開発陣はその成功体験に縛られて,FFXIのローンチから8年が経過し,MMORPGを取り巻く状況が激変した中,同じ手法で開発に臨んでいたという。
その一例として挙げられたのが,街の片隅におかれている花壇だ。なんとこの花壇のモデルには1000ポリゴンと,150ラインものシェーダーコードが使用されていた。この説明では何だかよく分からないという人も,処理負荷がプレイヤーキャラクター1体とほぼ同じだと聞けば,当時の開発陣がいかにグラフィックスのクオリティにこだわっていたかが想像できるだろう。
吉田氏は,FFXIの時代,アーティストそれぞれがこだわり抜いてアセットを作っていたスクウェア・エニックスの開発の様子を刀匠に例えた。
作らなければならない刀(アセット)の数が少なかったり,作成にかかる時間が短かったりするうちは刀匠の人数を増やすことでなんとか対応できていたが,FFXIVの開発に取りかかるころには,同じ手法でいこうとすれば膨大な人数の刀匠が必要になり,とても揃えることができない状況になっていたというわけだ。
また,FFXIの成功が日本のMMORPG市場に与えたインパクトも,別の側面からFFXIVの開発に悪影響を与えていた。上で説明した,膨大なリソースを必要とする“刀匠”的開発手法を取れる企業がなく,日本のメーカーはMMORPGから撤退。その結果MMORPGをプレイする日本人が減り,ひいてはMMORPGの本質を知っている開発者まで減ってしまっていたのだ。
ここで吉田氏は,FFXIV失敗の大きな要因を,以下の3点にまとめた。
・グラフィックスへの固執
・MMORPGに不勉強であったこと
・FFXIのブランドに胡座をかき,多少問題があってもアップデートすればプレイヤーは付いてくるだろうという甘い見通し
この要因を踏まえて,吉田氏はファンの信頼回復を第一に考えて,通常ではありえない,同名タイトルでの作り直しに踏み切ったのだという。
そうして始まった新生FFXIVの開発だが,旧FFXIVのアップデートと同時進行だった上,FFXIVブランドの一刻も早い信用回復が求められ,さらにリリースを約束していたPS3版の市場がいつまであるのか,という懸念も加わり,とにかく時間がない中での作業になった。
ゲームデザインの段階では,判断などの時間短縮のため,吉田氏が400もの項目を自分でデザインし,信頼できるスタッフに仕様化を託して,上がってきたものをチェックするという形式が取られたという。また,デザインは新規要素ではなく,MMORPGとして,できて当然のことを入れていくという方針で行われたとのことだ。
一方で,プログラマーにはシステム設計が完了するまでコーディングは一切させず,その間は旧FFXIVの作業にまわってもらっていたという。この「1つのチームで2つのタイトルを作る」という体制が,意識の共有などで効果を発揮したことで,吉田氏は「これが一番の工夫かも」と振り返っていた。
また,これらと並行して,スタッフの育成も進められていた。その内容はスタッフにひたすらMMORPGの人気タイトルをプレイしてもらうこと。MMORPGを知るにはプレイするのが一番ということだ。
レベルデザインの段階では,どの場所からどんなランドマークが見えて,冒険心をかき立てる作りになっているかといった基本的な要素が,モックアップ上で徹底的にチェックされた。また,この時点でもストーリーはプロット程度にとどめて,変更に対応できるようにしていたという。
そして開発作業以外でも,吉田氏はファンの信頼を得るために,プロデューサーレターや,その映像版であるプロデューサーレターLIVEなどで積極的にメッセージを発信していた。FFXIVのプレイヤーならこのあたりのことはご存じだろう。
こういった嵐のような開発作業を経て,新生FFXIVは2013年8月27日にローンチとなった。吉田氏は旧FFXIVについても,終了時にはプレイヤー数が3倍になっていたというデータを挙げ,「粘り強くアップデートすれば,プレイヤーに届くと分かった。ダメージはあったが,いい終わり方だったのでは」と振り返っている。
FFXIVの事例紹介が終わったところで,テーマは「大型MMORPG開発の未来」に移った。吉田氏によると,MMORPGが成功するために必要なのは「アップデートのしやすさ」なのだという。
というのは,MMORPGの歴史が長くなるにつれて,プレイヤーが求める最低条件のハードルが非常に高くなっているという現状があるからだ。
吉田氏は開発者が常に自身へ問いかけるべきこととして「ほかのタイトルでできて,自分のタイトルでできないことがないか」「十分なコンテンツがあるか」「ユーザーインタフェースに不足はないか」「プレイヤーに十分な報酬を用意しているか」「長期視点でのアップデートプランを持っているか」を挙げた。どれも地味に感じられるが,吉田氏は「しっかり設計を行って,アップデートしやすい環境を整えるというのが,意外と新規性への近道なのでは」と語った。
続いて,ファンとのコミュニケーションについてを話題に挙げた。吉田氏は運営側を政府,プレイヤーを市民になぞらえて「MMORPGの運営は国の運営に似ている」と表現する。政府が打ち出す政策に納得すれば市民は集まってくるし,そうでなければいなくなってしまう。国を繁栄させるためには,市民とコミュニケーションを取らなければならない。
……ここまでは予想できたのだが,次に吉田氏は「そして我々こそがその国の住人でなければならない。自分たちのゲームをプレイしなければ」と続けた。自身が熱烈なMMORPGのファンである吉田氏らしい提言だろう。
そして吉田氏は「開発と運営,プレイヤーの間では,どうしても相容れないポイントもある。だからといって言葉を交わさないのは間違い」と続け,「同じ国に集まった住人なのだから,相互理解を深め,国を生かすことがMMORPGにおいて一番重要な要素と考えます」と話した。
セッションの最後で吉田氏は「新生FFXIVも,MMORPG業界の中では雛チョコボみたいなものです」とFFシリーズのプロデューサーらしく切り出し,「これからも飛んだり跳ねたり,ときには太ったり,海を泳いだり,空を飛んだりしながら,みなさんに愛されるように全力で育っていこうと思っています」と,意気込みをチョコボの種類に見立てて,来場者の笑いを誘いながらセッションを締めくくった。
今回の吉田氏のセッションは「当たり前のことをこなす」ということがいかに難しいのかがよく分かる内容だった。吉田氏が語った「しっかり設計を行って,アップデートしやすい環境を整えるというのが,新規性への近道」という言葉は,それだけ聞けば少々疑いたくなるかもしれないが,プレイヤーキャラクターと同じ作業負荷の置物が作られたり,MMORPGをプレイしていない人がMMORPGを開発していたりと,普通ならありえないことが起こりうる(そして起こっていた)MMORPG開発の現場を知ると,非常に説得力があるものになった。
吉田氏が当たり前のことを貫いてきた新生FFXIV。雛チョコボから成長したとき,その姿はどのようになっているのだろうか。
「ファイナルファンタジーXIV:新生エオルゼア」公式サイト
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