ニュース
PC版「Halo 3」がローンチ。FPS史に残る名作へ――343 Industriesから寄せられた熱量溢れるメッセージを一挙公開
「Halo 3」は2007年にXbox 360用ソフトとして登場したFPSだ。人類最強の兵士“マスターチーフ”が銀河の命運を懸けた戦いに挑む初期三部作(オリジナルトリロジー)の完結編にあたり,シリーズ作品のなかでも高い評価を受けている。その後,Xbox One版「Halo: The Master Chief Collection」に収録されたり,Xbox Oneの後方互換機能に対応したりしているが,PC版の登場は初だ。
FPS史上においても重要なタイトルである「Halo 3」は,世界中のゲーマーに鮮烈な印象を残している。それは現在,Haloシリーズを担当している343 Industriesの開発チームだって同様だ。そこで今回はPC版のリリースを記念して,同スタジオのスタッフから「Halo 3」へのメッセージを寄せてもらった。
Haloシリーズに対する思いがひしひしと伝わるメッセージは,いずれも愛情と熱量に溢れている。相当なボリュームになっているが,ぜひ時間をかけて目を通してほしい。
「Halo: The Master Chief Collection」公式サイト
Lisa Barber氏
「Halo Infinite」環境/世界観アーティスト
「『Halo』は,私がこれまでプレイしてきたいくつものゲームシリーズのいずれをも超えており,創造力をかき立ててくれました。なかでも,『Halo 3』はゲームにおけるクリエイティブな側面,そして作品を取り巻くコミュニティへの興味をより強く刺激してきました。Theater modeやForge modeを使い,独創的な表現を試みたことに大変満足した記憶があります。加えて,Xbox Live上でプレイした初めてのタイトルであったため,その時期に出会った友人たちとは,今でも連絡を取り合う仲です。『Duck Hunt』や『Grifball』といったカスタムマップを,親友と夜遅くまでプレイした日々は忘れられません。あの頃から,私の『Halo』愛は留まることを知らないまま,現在に至ります。343に加わり,『Halo Infinite』を完成に導いていることに,私は大きな誇りを持っています。」
Tyler Ensrude氏
「Halo Infinite」マルチプレイデザイン
「『Halo 3』は,私の人生を永久に変えました。圧倒的な完成度を誇るCampaignや多様なマルチプレイ要素に加え,『Forge』と呼ばれる新たな遊び方が追加されていたのです。この機能を利用することで,プレイヤーはマルチプレイが可能なマップを作製し,全く新しい,自分だけの体験を作りあげることができるのです。当時の私は気づいていませんでしたが,この経験こそがゲーム開発へと足を進めるきっかけになりました。そして,『Halo 3』の10周年に合わせて,『Halo Infinite』のマルチプレイ要素の開発を行うチームへと誘われました。『Halo 3』は数千時間プレイしてきましたが,このゲームはさまざまなものを私に与えてくれました。親友たち,弟との絆,そしてここに至るまでのキャリアは全て,このゲームからの贈り物なのです。『Halo』シリーズに今,関われていることを大変な名誉だと感じていますし,私の人生を変えたように,新たな世代にとってのインスピレーションであり続けてほしいと考えています。」
Ben Madlena氏
「Halo Infinite」サンドボックスクオリティ アナリスト
「子供時代,兄弟と分割画面で遊んだ『Halo 3』にはたくさんの特別な思い出があります。なかでも,私が大きく影響されたのが『Forge』モードでした。私たち兄弟は,何時間もかけて1対1の対戦を目的としたマップやさまざまなカスタムモードを一緒に作りあげました。『Forge』モードで公開されたゲームのサンドボックスは,無限の可能性を指し示してくれていたと感じます。そして,私はそのおかげで『Halo』が一気に好きになり,いつか開発チームの一員になりたいと思うようになりました。世代を経て,『Forge』が進化していく姿を見続けることは,このうえない喜びです。今では,Xbox Liveを通じて兄弟とやり取りをしているのですが,『Halo 5: Guardians』に投稿されるさまざまなマップやモードを一緒にプレイすることが,最近の大きな楽しみになっています。」
Ben Frazier氏
「Halo Infinite」キャラクターアーティスト
「『Halo 3』は私のオンラインゲーム愛を形作り,そして決定づけたタイトルです。ランクモードで最大レベルに上り詰めるにせよ,『Infection』などのカスタムゲームをプレイするにせよ,永遠に遊び続けられる気がしました。ゲームプレイ自体も非常にしっかりとしており,映像も美麗で,他のプレイヤーとの交流もあり,常に「あと1試合」を求めて友達とのゲームプレイを楽しんでいました。あの当時,『Forge』やリプレイ機能は非常に画期的だと感じました。楽しい時間をいっぱい過ごしました。ところで,このスクリーンショットを見てください。良いAIMでしょう?」
Nick Bird氏
「Halo Infinite」Forgeモード,クオリティアシュアランス
「初めて触れたシリーズ作品は『Halo 2』ですが,興味や感情を最も引き出されたのは『Halo 3』でした。毎日,『Forge』で友人たちと作った突拍子もないカスタムゲームを遊んだり,ふざけあったりしていました。障害物だらけのコースをワートホグで駆け回ったり,ランダムな武器を持ちながら超高速で低重力のマップを遊んだりと,当時の思い出は多数挙げられます。数百時間,いえ,おそらく数千時間もの時間を『Forge』内で過ごした気がします。マップ保持数が上限に達してしまい,そのために新しいプロファイルを作成したりもしました。友達にお願いして,マップを保存してもらうためだけにセッションに参加してもらい,その間にどのマップを削除しようかと悩んだこともありました。『Forge』とそのコミュニティで過ごした時間が,この業界を目指す決め手となり,そして愛してやまないシリーズの大好きなコンテンツに関わるきっかけとなったのです。」
Hunter Young氏
「Halo Infinite」3D環境アーティスト
「2007年から2012年にかけて,ほぼ毎日『Halo 3』をプレイする日々を過ごしていました。291に及ぶCampaignミッション,ランクマッチを2521試合,フリーマッチを5374試合,そしてカスタムマッチに至っては大台の10197試合を経験しました。私にとって,『Halo 3』はただのゲームでは決してありません。このタイトルは私にとって,ゲームを超えた何かだったのです。親友たちとチャットし,一緒の時間を過ごす場所。私にも,上手にできる何かがあると証明してくれた競技だといえます。何度でも再体験できる物語であり,友人たちとクリエイティブモードで作り上げたマップと共に,コミュニティの海に飛び込むきっかけも与えてくれもしました。私にとって『Halo 3』は,ゲームを超越した,私の人生の象徴だったのです。
あの時,すでに人生の目標がゲームデザインに携わることだと認識していた気がします。いつか必ずゲームを作るのだと目標を掲げて,艱難辛苦に立ち向かう力に変えてきました。
私は『Halo 3』において「FSC: Fire Stealth Courage」というクランを結成しました。全盛期には,210名ものメンバーが競技チーム,『Forge』チーム,撮影チームと分かれ,そして全体の統括を行う7名の幹部メンバーを従えるまでに至りました。そして,その組織の頂点にいたのが,当時はテネシー州の中学2年生だった私だったのです。完全な二重生活でした。学業で苦労した日があっても,家に帰ると210名のメンバーを率いるリーダーとしての楽しい時間が待っていました。クランを結成し,運営を始めたことは,私の人生を大きく変える転機となりました。『Halo 3』とFSCで紡がれた関係の多くは,今でも続く強い友情へと結実しました。そして,オンラインで生まれた友情は,いつしか液晶の外へと飛び出して,現実世界のものとなったのです。
人生と向き合わなかったというわけではありません。私は,『Halo 3』から人生の体験を与えられていたのです。毎日,楽しみに待ち焦がれる何かを与えられたからこそ,私は今ここにいるのです。あの頃,人生で最も幸福な時期のひとつを送れていたと自信を持って言えるのは,『Halo 3』があればこそだと思っています。」
Richard Meier氏
「Halo Infinite」アソシエイトプロデューサー
「『Halo 2』と『Halo 3』の通算で,マッチメイキングとカスタムを14000試合以上プレイしてきました。『Halo 3』は私が高校を卒業した時期に発売された記憶があります。あの頃は大学の課題を済ませたら,夜遅くまで『Halo 3』をプレイしていましたね。私の自慢の親友のなかには,この時期に『Halo 2』と『Halo 3』を通して知り合い,これまで実際に会ったことのない人が何人もいます。『Halo 3』は競技性が高く,かつ社交的なシーンを生み出すのに最適な環境を提供してくれました。『Halo』シリーズを体験したことが,この業界で働くきっかけになりました。LANパーティー,夜遅くまで続いたカスタムゲーム,そして初めて最高ランクである50に到達した時のことは,今でも鮮明に記憶に残っています。人生のうねりによってのちのち引き離されていったとしても,『Halo』は友人たちと一緒の時間を過ごすきっかけを与えてくれ,同時にまったく新しい,すばらしい人たちとの出会いを手助けしてくれました。私と同様の体験を,これまでとこれからの『Halo』プレイヤーにお届けできれば幸いです。」
Patrick Wren氏
「Halo Infinite」マルチプレイモード,システムデザイナー
「当時,『Halo 2』を頻繁にプレイしていた私は,次世代機の新たな『Halo』に期待をしないはずがありませんでした。『Halo 3』は私に多くの大切な記憶を,思いもしない形で残していきました。Campaignモードから競技性の高い大会,果ては奇抜なミニゲームまで。私は元々,ゲーム開発に携わりたいと思っていたのですが,『Forge』はその思いをより強く後押しする一助になってくれました。『Halo 3』をプレイし続けながらクリエイティブモードにも取り組み,友人たちに完成したマップを試してもらったりいました。時が経ち,私は『Halo Infinite』の開発に携わっており,本作がプレイヤーの皆さまの手元に届く日を待ちわびています。『Halo 3』をプレイして過ごした時間,それも夜遅くまで友達と過ごした時間を,あらためてPCで追体験できると思うと,とても楽しみです。」
Kaleb Nekumanesh氏
「Halo Infinite」Campaignモード,レベルデザイナー
「私は『Halo 3』が初めてプレイしたシリーズ作品だったのですが,瞬く間に虜になりました。友達と一緒にこのゲームをプレイしたという体験は,代え難いものだと思っています。『Forge』モードやシアターモードの登場により,私たちはゲームそのものの枠を押し広げながら,レベルデザインやゲームモード,短編映像を作成し,新たな楽しみを模索することに熱中していました。友人たちに囲まれながら,『Halo 3』を数日単位で遊び続けた記憶は,あの頃の人生で最も輝かしいものだと思っています。今度は新たな仲間たちと共に追体験できると思うと,ワクワクが止まりません。」
Sean Cooper氏
「The Master Chief Collection」ソフトウェアエンジニア,343パブリッシングチーム
「2007年は私に多くの初めてをもたらしてくれました。初めての海外生活を体験し,軍隊生活が1年に達し,『Halo』のベータ版を初めてプレイした年でもあります。任務を遂行していない時は,『Halo 3』の公開ベータテストに積極的に参加していました。少しの間だけ現実から離れ,思考を解き放ち,何千マイルも離れた友人たちと一緒の楽しい時間を過ごすのに最適だったのです。その後,幸いにも『Halo』に関わる仕事に就き,シリーズ作品を担当するようになりました。私の所属するチームは,過去に発売した『Halo』タイトルの維持をしつつ,PC版への移植作業も行っています。今や,私が開発者になり,新たな『Halo』ファンも交えつつ,過去に生き別れてしまった多くのスパルタンたちをPC版という次のステージへと導く役割を任されています。」
Turner Sinopoli氏
「Halo Infinite」環境技術アーティスト,Campaignチーム
「『Halo 3』が発売された当時,私はまだ中学生で,父に連れられて深夜販売に並んだ記憶があります。発売日は平日であり,本来は絶対に寝ていないといけない時間帯にかかわらず外出したこと,そしてゲームに関心の薄い父がわざわざ連れ出してくれたこともあって,非常に大きな出来事だったと認識していました。待機列に椅子を並べて数時間後,私たちは『Halo 3』とお気に入りのソーダのケースと共に帰路に着きました。家に着いた私は,父と画面分割モードでCampaignを何時間もプレイしました。思えば,父とゲームを一緒にプレイしたのはあの時が初めてかもしれません。この父との大事な記憶は,『Halo Infinite』を通じてさまざまな家庭に同様の思い出を送り届けられるようにと,全力を出す際のモチベーションになっています。願わくば,皆さんには多くの暖かい記憶を,『Halo』を通じて作っていただきたいですね。」
Paul Bronowski氏
「Halo Infinite」ゲームエディター開発
「むかしむかし,はるか彼方の会議室で,私たちは『Halo 3』に熱中していました。夜遅くまで,楽しんだものです。システムリンクのパケットが制限されると,サブネットが利用できる新たな会議室を皆で探しました。会議室の利用後には,元の状態にちゃんと戻すようにとお達しをいただいたたことも一度や二度ではありません。ゲームの機材が詰まったスーツケースやリュック,そして宅配ピザの短縮コードの登録された電話から,私たちは片時も離れませんでした。大人向けのジュースも何杯かいただいたかもしれません。2007年にデベロッパ部門がGiving Campaignのための『Halo 3』大会を主催したため,即席のチームを結成しました。私はそんなに強いわけではないのですが,チームはいつの間にか優勝していました。」
Allen Wilson氏
「Halo Infinite」Campaign レベルデザイナー
「『Halo 3』の発売当時,私は14歳で,唯一興味のあるゲームといえばこれでした。友達付き合いも『Halo 3』が軸になっていましたし,家に帰ればすぐにオンラインで活動を開始するのが日課となっていました。『Halo 3』は国内外のコミュニティへと私をつなげてくれました。今でこそ,そう大したことではないように思うかもしれませんが,片田舎の小さな町で育った私にとって,これは人生を変えうる大きな出来事でした。コミュニティの一員から,最新の『Halo』タイトルに貢献できる立場になれたことは,まるで夢のようです。『The Master Chief Collection』チームには,過去の傑作をPCに移植してくれたことに大きな感謝を。早くカスタムゲームに身を投じてみたいものです!」
Daedra Christopher氏
「Halo Infinite」Campaign レベルデザイナー
「末っ子の息子が,自分のことをグリーンアーマーと名乗りだした時にも強く実感しましたが,『Halo』は常に心の中の特別な場所にあります。長男に1対1の試合で圧倒されたり,サンヘイリを呼び込んでしまったことで旦那に盛大に笑われたりと,『Halo』シリーズは私の人生を彩り続けています。私と私の家族は,いつも勢ぞろいで『Halo 3』を大いに楽しんできました。343 Industriesに参加するために故郷であるテキサスを離れる時,独り立ちしているとと分かっていても,可愛い息子たちから離れるのはとても辛いことでした。しかし,彼らの大好きなシリーズに私が携わることが,毎日の励みになっていると確信しています。私は『Halo』の一部であることに大きな誇りを持っていますが,同時に希望やヒロイズム,不思議,そしてコミュニティを尊ぶ多彩なチームの一員であることにも誇りを持っています。そんな私たちだからこそ,『Halo』を生み出せるのです。」
John Louis Wilson氏
「Halo Infinite」環境アーティスト
「『Halo 3』はXboxで初めて所有した『Halo』タイトルでした。『Halo 2』はいつも友達の家で遊んでいたのですが,『Halo: Combat Evolved』の体験版は平日の開校日にPCで遊んでいたため,母親を困らせてしまうことが多々ありました。その時に学んだのが,最高の思い出は何を行ったかではなく,何を感じてどう行動に起こしたかで決まるということでした。人がいっぱいのロビーで,Fat Kidやダックハント,ジェンガを大騒ぎしながら楽しんでいるプレイヤーたちの姿を,私の作るゲームでも再現したいと強く願っています。ゲームの共通の話題に触れることで,一瞬にして人と人の間に共感を生み出せることに,私は大きな満足感を覚えるのです。」
Eric Richter氏
「Halo Infinite」UIアーティスト
「今もオンラインで一緒にプレイしている仲間たちとは,『Halo 3』が発売された頃に出会いました。一番古い思い出と言えば,ヴァルハラでの領土戦やサンドボックスで遊んだカスタムゲーム,そしてすばらしいストーリーを何度も一緒にプレイしたことでしょうか。コミュニティが十分に成熟した頃には,連絡用のフォーラムや『RISK』のような盤上にマルチプレイヤーマップを散りばめて,2つのグループに分かれて激闘を繰り広げました。こうした取り組みが,何年にもわたる継続的なゲームプレイを支え,各々にとって辛かった時期にもゲームを通じてつながり合えました。『Halo 3』を通じた交流,気楽なやり取りや競技性,無限にも思えるゲームプレイの幅,そして共に過ごす最高の時間こそが,友情を育む大きな触媒となり,揺りかごとなったのです。」
Kolbe Payne氏
「Halo Infinite」Campaignレベルデザイナー
「『Halo 3』の発売時,私はまだ中学生でした。学校での永遠にも思える時間を過ごした後に,友人らと集まって一晩中,『Halo 3』を遊んでいた時の胸の高鳴りを忘れることはないでしょう。宿題の存在を忘れてしまっていた私は,授業が始まる直前に大急ぎで仕上げたものです。昔の自分に,『Halo Infinite』のCampaignレベルデザイナーをやっていると伝えたら,間違いなく仰天するでしょうね。」
Noah Benesch氏
PC版「Halo」プロダクトマーケティングマネージャ
「人間誰しも,初めて夢中になったゲームのことは覚えていると思います。夢中になりすぎて,止め時を見失ってしまった経験,ゲームというものの可能性を示してくれた時のことなどです。私が初めて夢中になったのは『Halo 3』で,無限の可能性を指し示してくれたこのゲームに一気にはまってしまいました。重厚なストーリー,ハラハラドキドキのSWATゲーム,混沌の極みともいえるマングースレーシングに至るまで,『Halo 3』は私を飽きさせる事がありませんでした。何を隠そう,『Halo 3』こそ,私が初めて実績100%解除を目指したタイトルです。当時はレジェンダリー難度を攻略できなかったのですが,13年越しの今,PC版でこの実績の解除を狙っています。」
Fernando Reyes Medina氏
「Halo Infinite」マルチプレイヤーデザイナー
「メキシコシティで暮らしていた頃の私は,友人ともどもゲームコンソールを買うお金を持っていませんでした。そのため,私たちはインターネット・ゲーミングカフェに繰り出し,Xboxを1時間1ドルで借りて,何時間も『Halo 2』に明け暮れていました。そして『Halo 3』の登場に合わせて,テクノロジーにあまり詳しくないカフェの店主からXbox Liveの設定をお願いされ,友人たちと一緒にオンラインに接続するシステムを組み上げました。そこで初めて遊んだマルチプレイで,私はまるで魔法にかけられたような体験をしました。世界中のプレイヤーと一緒にゲームを遊ぶことが,人と人の関係をいかに強固に紡ぐかをそこで初めて知りました。世界のどこにいようと,誰であろうと,ゲームの中では皆スパルタンなのですから。その時の体験が,人と人の橋渡しの一助になりたいという夢が,私をゲーム開発に突き進ませたといっても過言ではありません。そして10年後,私は『Halo Infinite』のマルチプレイヤーデザイナーとして,その夢を皆さんにお届けしようとしています。」
Alex Bean氏
「Halo Infinite」マルチプレイヤーデザイナー
「『Halo: Combat Evolved』の協力モードを友人宅でプレイして以来,私は『Halo』ファンだったのですが,『Halo 3』はゲームに対する価値観を一変させました。発売日が近づくにつれて,Bungieが開発に至るまでの道のりを短編ドキュメンタリーという形で発表したり,マルチプレイのベータ版を用意したり,Bungie.netでのコミュニティとの交流を行ったりしていたことに強く興味を惹かれました。発売された『Halo 3』は,私の膨れ上がった期待に完璧に応えてくれたのはもちろんのこと,限定版に収録されていたドキュメンタリーでは,クリエイターたちがありったけの情熱を注ぎ込み,ゲーム作品を完成させている姿に感銘を受けました。14歳の私には,自分が将来,何になりたいかがはっきりと見えていました。」
Amity Mathews氏
シニア データ&応用科学者
「昔の話ですが,Microsoftで働く人に『Halo 3』の社内ベータが公開されたことがあります。長年のファンだった私は,チャンスがあればベータをプレイし,問題のありそうな箇所をいくつか報告しました。後になって知ったのですが,社内の最も貢献したデバッガーのうち16名は,『Halo 3』の発売まで専属として週に1回程度の活動に誘われる予定だったそうで,私は見事にその一員となりました。そこから数か月間,Campaignとカスタムモードをプレイしながら,私たちはゲームプレイの感想を担当者に伝え,エンジニアとバグの再現性について語らいました。このテストプレイは,434 Kirkland Wayに秘匿されていた,今は無き建物で行われていました。
その当時,最も面白かったことが,Isolationという植生豊かなマルチプレイヤーマップで起きました。このマップはフラッドの影響を継続的に受けているため,試合が進むにつれて植生が徐々に萎れていくのですが,コミュニティがこれに気づくには数か月の時を要しました。そこで行われた試合でスコアは49対49,次に点を取った側が勝利するという状況になり,相手はロケットを装備し,私はショットガンでした。両者が発砲してもお互いのシールドが破れるだけに留まりましたが,相手は至近距離のロケット弾でとどめをさせなかったことに苛立っており,その場の緊張感は最高潮に達しようとしていました。私は近接攻撃を選び,相手はロケットをもう一発撃ってきたのですが,今度はお互いに全くダメージを与えられなかったのです。最終的に,近接攻撃を行った私の攻撃が早かったため,大笑いをしながら勝利をもぎ取りましたが,どういう理屈でそうなったのかが全く分かりませんでした。
解散の間際に,試合のデータを保存したBungieのスタッフが調査をしてくれると約束してくれました。その後,私たちに届けられたスクリーンショットには,一連の挙動が仕様であるという説明がありました。『Halo 2』のロケットは,ランチャーの真正面から一本の短い線を射出することで衝突判定を行っていて,その線が私のスパルタンの腿を数ピクセルほど外れていたために衝突判定が行われなかったのです。それでは2発目はどういう理屈で当たらなかったのでしょうか。そもそも発射すらしていないように思える挙動だったのですが,マップをズームアウトしてみると,なんとロケットを持っていたスパルタンの後ろの壁に爆発している物体があったのです。
開発途上のロケットが,格納された状態で爆発してしまう挙動をとることがよくあったため,新たに実装されたロケットはまず動力学的に射出されてから,あらためて武装されるという仕組みだったのです。武装までにかかる時間は1〜2フレームほどですが,その際に攻撃を加えることで,ロケットをあらぬ方向に向けられたのです。その時,「Halo: The Fall of Reach」の作中でマスターチーフがコルタナと連携して,敵のスコーピオンミサイルを反射したシーンを思い出しました。今でも,あの瞬間を思い出すと笑顔になるだけではなく,『Halo』シリーズの奥深さや絶妙さに感心してしまいます。そんなシリーズの一部となれたことを,大変な名誉だと感じています。」
Tahir “Tashi” Hasandjekic氏
Esports リードプロデューサー
「2006年の暮れ,大学進学を決めた私は初めて家を離れて一人で暮らし始めました。大学には知り合いがおらず,友達といえばXbox Liveで出会った人がほとんどだったので,多くの時間を内向的に過ごしていました。2007年の春,幸運にも『Halo 3』のFriends and Familyベータに参加することができました。おそらく,あの時期に『Halo 3』を学内で遊んでいたのは私だけだったと思います。そこで,寮の扉を開けたままにすることで,興味を持ってくれる人が来てくれるように一計を案じました。そうした努力のかいもあり,そこで作った友人たちとは在学中に最も仲良くさせてもらいました。大学生活は決して華々しい思い出ばかりではないのですが,当時の友人たちとプレイした『Halo 3』の思い出は,今でもとても大切にしています。その友人たちの一人とは,2018年のHalo World Championshipで再び出会う機会に恵まれました。」
「Halo: The Master Chief Collection」公式サイト
- 関連タイトル:
Halo: The Master Chief Collection
- 関連タイトル:
Halo 3
- この記事のURL:
キーワード
(C)2019 Microsoft
(c) 2007 Microsoft Corporation. All Rights Reserved.