企画記事
ゲーム会社が送る,令和のカリキュラム。コーエーテクモゲームスのアイデア授業を“横浜市立西前小学校”で見てきた
なんて説教は,4Gamer読者なら人生で一度や二度,いいや十から百でも足りるか分からないほどお母さんに言われてきただろう。
しかし現代の教育は変わった。ノートPCなどを用いるIoT活用については今や広く知られているし,散発的な取り組みを拾っていけばユニークな事例にも事欠かない。なかにはゲームタイトルを用いた学習指導だってある。事例としては鉄道すごろくゲームのアレとかだ。
まあ,学習的な意義や効果がどうあれ,就学児本人がゲーム体験の快感に飲まれたときは,「ゲームなんてしてないで勉強しなさい!」この強弁に真っ向から打ち勝てる論理はそれほどないわけだが。
そんななか,今回は「横浜市立西前小学校」がのろしを上げた。
横浜市立西前小学校は2024年10月下旬,同じく神奈川県横浜に城を構えるコーエーテクモゲームスとの連携授業を実践した。
同社は現在,地域の学術振興・社会貢献・災害支援などに取り組むサステナビリティ(持続的発展を目指す取り組み)を推進しており,今回はそのうちの“職業教育活動による地域貢献”にあたるものだ。
教材は,位置情報ゲーム「信長の野望 出陣」(iOS / Android。以下,出陣)が公開している“自由研究ワークシート”であった。
こちらのシートはゲームを活用しつつ,地元の史跡・人物・地理などをまとめて自分なりのレポートを作ろう,といった教材だ。
ものとしては小中学生あたりが対象だが,もしかしたらレポート提出期限の差し迫った大学生も一縷の望みを託せるかもしれない。
現地で実施された授業は2種類。1つは上記のワークシートを参考にした課題で,もう1つは小中学校でゲームクリエイターのお仕事を講義する,同社の職業教育活動「まちの先生」である。
以降,西前小で目にしてきた授業の様子をお届けする。
3時間目「推し武将コンテスト」
午前10:45。同校のクラス「6の3」で3時間目の授業がはじまった。西前小はいわゆる“チャイムのない学校”で,生徒は自発的にスケジュールを意識して行動する。時間意識を養うための方策である。
この日は,事前の授業で行われていた出陣のワークシートによる調べ学習をもとに,その内容をさらに発展させた「プレゼンテーション」が実践されることになった。
実際に制作されたシートの一例は,以下のとおり。想像していたよりも書き込みの量がものすごい。それに参考文献の書誌情報や,「情報源がしっかりしているか」の補足,人物像に対する自分なりの感想から,現代社会に置き換えたときの知見まで,どれもポイントを抑えている。
子供たちは各自,いろいろな時代に活躍した「武将」とはどんな人で,また当時の社会のあり方がどうだったかを調べて資料にまとめ,タブレットを駆使してクラスみんなの前で発表していく。
いわば「推し武将コンテスト」といったところだ。
ゲームプレイ自体は授業では実施しなかったが,出陣側の提案と提供素材を,西前小なりにアレンジしたということだろう。
ワークシートをそのまま用いて,レポートを提出させるだけで「ハイおしまい」としないところにも,教育現場の手腕がうかがえる。
担任教師が「(発表の)一番槍の栄光は誰かな?」と煽ると,数名の女子生徒が一斉に手を挙げた。男子生徒はあまり名乗りを上げなかったところに,言葉ではなんとも説明しづらい男子特有の共感を覚える。
一番槍を勝ち取ったのは「黒田官兵衛」(を調べた生徒)だった。当人はタブレットで作成した資料をプロジェクターに同期し,黒板の前で機器を操作しながら,みんなに向かって口頭で説明していく。
こうした機器の扱いも,いきなり「やって」と言われたら,世の大人たちの過半数はマゴマゴするだけで実践できない気がする。
壇上では,黒田官兵衛の半生や参戦記録が紹介されていく。
分量に関しては少なくとも,「信長の野望」のゲーム内に記されている各武将の列記をはるかに超える量だ。私が大学時代に乗りきるためだけにやったゼミ発表と比較しても,こちらが劣勢だっただろう。
また略歴の一辺倒にならないよう,官兵衛の裏話もはさんでいく。文章のみならず,出陣の提供素材や手書きイラストも豊富だ。今このとき,知ってる武将談義をしたものなら確実に敗北していた。
続く2番手は「明智光秀は悪じゃない!!」と題したクイズ主体のプレゼンだ。見出しのキャッチーさには見習いたいものがある。
発表者は“信長パワハラ説”などの言い分をはさみつつ,同級生たちに三択問題への挙手を求めていく。クイズの正答でもって「光秀はこんなにいい人なんです」と着地させていく流れが,実に口上手だ。
6の3の生徒たちは見るからに仲がよく,男女を問わず合いの手やツッコミが飛び交う。また休み時間には下級生がやってきて一緒に戯れるなど,学校自体の雰囲気のよさもうかがえた。
このあたりの光景は,同行者としきりに感心してしまった。
次に男子生徒たちが,伊達政宗を独創的な絵柄のマンガスタイルで紹介したり,武田信玄がどうカッコいいのかを推したりしていった。
なかには,城の名称などの難しい漢字が「読めない!」とつまってしまう生徒も。私も通信簿に6年間,「やればできる子」と書かれ続けた三分咲きの子だったから分かるが,ワークシートを埋めたところで安心して,発表時に読み方が分からず慌ててしまったのだろう。とくに男子は悲しいかな,こういううっかりが大学生になってもあるあるである。
そんなときは,すかさず歴史に詳しそうな生徒がツッコんだりしていて,発表は和気あいあいと進んでいった。
このほか,「生い立ちが推せる!」と井伊直政が達者な身振り手振りで推され,イッツァスマイルを表題とした豊臣秀吉が,トランジション演出を活用した資料で紹介されていった。
人気の伊達政宗を「幼少期は陰キャでした」と人格面から解剖していく子や,明智光秀の唯一残された肖像画を披露する子もいた。さすがに全員分の発表時間は取れず,残りの子たちは次の時間に回された。
こうした研究とその発表では,資料元の取捨選択と内容の編集が求められる。これは学生時代にずっと求められる力であり,社会人になっても,形は違えどやり方は同じのまま求められることが多い。
まあ「大人になったら〜〜」からはじまるご高説は,子供のころの自分を思い返せば,いかに響かない雑音であったかがよく分かるが。
3時間目の終了後,実際にプレゼンした生徒2名に話を聞いた。
まずは意地悪く「(上の人たちに)やらされた授業でしたか?」と尋ねると,2名とも好きで楽しくやれたと答えてくれた。これが腹芸から出たコメントでないことは,表情を見ればすぐに分かった。
こうした調べ学習はわりとやっているらしく,今回の資料も授業3時間分ほどで制作できたという。歴史通で好きな武将を調べた子も,歴史をまったく知らない子も,いずれも意欲的にやれたそうだ。
社会科に連なる日本史・世界史などの歴史分野は,1つのワードが周辺の物事と相関し合っているものだ。今回の場合も,それこそ織田信長が紹介されれば,ほかの子たちの研究武将とも自然と接点ができて,「この逸話に出てくる人やったやった!」と話題が連鎖していく。
そして社会科目は,単語で暗記するか,流れで暗記するかで,これから彼ら彼女らに何度も立ちふさがるテスト対策に影響が出てくる。最善なのはやはり流れで暗記する方法だが,これには歴史自体への興味や,歴史を物語的に捉えて楽しめる欲求が必要になってくる。
その点,今回の授業は興味関心を引き立てるという点で理にかなっている。これが学びのきっかけになれば,彼らの今後の勉学は多少なりとも明るさを増す。当然,個々の授業や課題に目に見える成果だけを求めるのは教育における御法度だし,そういう働きが生まれてほしいのも,概して大人たちの「願い」なだけであることは多いが。芽吹くかもしれない種をまく行為自体には,やらない理由がほとんどない。
なにより見ていて思ったのは,この特別授業を保護者たちに参観させたなら,たぶんめちゃくちゃウケそうだということである。
4時間目「まちの先生」
チャイムが鳴らぬなか,自然と静まる6の3の教室内で,お次の特別講義「まちの先生」が実施された。壇上のゲストは,子供たちに人気な職業と言われて何十年。ゲームクリエイターの小林勇太氏だ。
授業開始前,担任の先生は「将来は普通のサラリーマンでいいよ,なんて言う子はしっかりと聞いてください」と口にした。卒業文集に似たようなことを書いた身としては,とても染みる言葉である。
会社入りしたゲームクリエイターもサラリーマンの一種であることは,のちの人生で分かればいいだろう。
小林氏は同社のmidas(ミダス)ブランドに所属し,現在は出陣のリードプランナーを務めている。最初は自身や会社の略歴から話をはじめていくが,先ほどまでと違い,ここからは先生側が試される時間だ。
初手は,悪気を感じさせない子供たちからの年齢いじりではじまり,ゲーム業界という興味対象の,未知の用語や物事を口にするたび,四方八方から容赦なく質問を投げかけられる。それに的確に答えつつ,レスポンスよく授業を進めていく術は,今になって大変だとよく分かる。
会社紹介では,「信長の野望」や「仁王」の名が今どきの小学6年生にはピンとこず。2025年に新作を控えた「真・三國無双」なども,触れるのはもうすこし大きくなってからになるだろうか。
一方で,ファミコン時代からゲームを作っている老舗だと言うと,室内が「すげー!」と驚きでドッと沸く。
ゲーム開発室やモーションキャプチャー室の写真より,緑豊かな休憩スペースやカフェテリアへの反応が強いところも,さもありなんか。
講義のメインは,「ゲームはどんな職種の人たちが作っているのか」。あらかじめ,どういう人がいそうか尋ねられた生徒たちは。
・声優とかの交渉役
・歴史関係に詳しいひと
・キャラクターデザイン
・音楽を作る人
・スタッフゥー!
などと答える。職業的に細分化されている現代ではない,二昔前のゲーム業界で考えれば,どれも正答と言えただろう。むしろ大人であっても業界外なら,似たような返答をするものなのかもしれない。
余談だが,位置情報ゲームの説明に対しては,「歩きながらじゃないと(位置情報ゲームって)できなくない?」というツッコミが。
この部分はいろいろな面が整理されてきた近年だ。我々としては位置情報ゲームとしての工夫も予防も,尋ねたところで問答の答えがたやすく想像できて,いつしか聞きもしなくなった概念だが。子供たちはズバッと直球でいく。典型的な“ときどきハッとすることを言う子供現象”である。その代弁者の姿にはこちらも襟を正す気分にさせられた。
我々は位置情報ゲームの練られた安全性も,それでいて抱えざるを得ない危険性も,ゲームシステムの理屈や効率をもって理解できている。出陣もまた「歩きながらじゃなくても遊べるよ」と言える。
ただそれを,小難しい話もなしに,かつ頭ごなしではなく納得させられるかというと,けっこう自信がない。もう上記の言い訳だけでも,これを読んでくれた西前小のみんなは納得してくれないだろう。
位置情報ゲームのみならず,小学生ないし誰にでも分かりやすく説明できるテーマ,コンセプトなどというのは,本当に武器になるんだろうなと実感した場面だ。もちろん,分かりやすさと成否は別の話だが。
話を戻して,今回紹介されたのは以下の職種だ。
・ゲームの企画を生み出す人,プロデューサー
・ゲームの面白さに責任を持つ人,ディレクター
・ゲームの中身を詳しく考える人,プランナー
・ゲームを動かす人,プログラマー
・ゲームの見た目を作る人,CGデザイナー
・ゲームの音を作る人,サウンドクリエイター
・ゲームのストーリーを作る人,シナリオライター
これらの業務内容がスライド上で分かりやすく紹介されていく。とくに“ゲームの仕様を定義する”プランナーの存在については,「〇ボタンを押すと〜〜のアクションが起こる」といった前提のルール作りに関して,室内から多くの「へ〜〜」という声が挙がっていた。
とはいえ,少々お硬い説明が続く場面では「飽きてきた」という感情が透けてしまう子供も。年を重ねれば狡猾に隠すようになるそれだが,小学生のリアクションは実に生々しい。クラスを後方から眺めていると,戦場の士気ゲージの減りが目に見えるのだ。
だが,先生側からのなにかしらの投げかけが生徒たちに刺さると,士気ゲージがパッと回復していくのもまたハッキリと分かる。
授業とは概して退屈な気持ちになりやすい。それを過去の記憶から否定できる人はそうはいないだろう。ただし,先生側は円滑に効果的に授業を進めるために,興味を引けるフックをいくつか仕込んでおくものだ。うまい実践例が「講義が楽しい」と評判な教師や塾講師である。
興味を持ち直したときの生徒たちの感情の動きは,おそらくゲームも含むコンテンツ体験とも似ている。どんなにおもしろいと評判の作品でも,平坦な体験構造ではこの子たちの視線をずっとは引けない。ゆえに,今どきの子たちの感情はなにで揺らいで,どのように沸くのか。そこに視点を持つべきである。まちの先生引いてはエンタメを手がける者であれば,彼らの生の反応にはなにかしらの学びがあることだろう。
学習や教育の上下関係を取り除けば,社会生活を送る大人にとって,彼らの様子や反応こそが“よき先生”になるものだ。
講義の最後は「色んな人と話して、自分にできること、できないこと、たくさんのことを学んでください!」との言葉が贈られた。
これは自らのできること探しだけでなく,ゲーム作りなどの集団作業において,ほかの人がどのようなことをし,それがどんな考えで進められるのかへの理解を示す,他者への歩み寄りも示唆している。
こうした考えもゲーム業界のみならず,社会活動をしている者であれば誰もが養うべき観点だ。「隣の席の人がなにやってるのか分からない」なんて状況から,負の方面に想像を膨らませてしまう大人は,私も含めて世の中にとても多い。実に反省させられる言葉である。
講義終了後は質疑応答も行われた。その多くはちょっとした疑問の解決であったが,「会社では1年にゲームを何本出してるんですか」や「〇〇会社とは何回コラボしたんですか」など,とっさに正確な数字が出てこない質問も飛び出た。こうした情報も,業界人は「たくさんです」などとあいまいにせず,意外と知っておくといいのかもしれない。
また,仁王を高難度のゲームと紹介すると,「子供でもできる難度のゲームはありますか?」との返答が。難度とおもしろさは,同じとも同じではないとも捉えられる概念だが,子供たち当人にこう聞かれたときにパッと答えられるラインナップがあるか。あるいはきちんと返せる言葉があるかどうかは,マーケティング戦略のうえでも重要に聞こえた。要するに,それくらい分かりやすく提示できる商品があるわけだから。
大人側の目線では,先の位置情報ゲームの話も含めて,物事を分かりやすく伝える大切さにあらためて気付かされた気がする。
西前小の現校舎は1984年に建設され,長きにわたる学校運営の歴史をところどころで感じさせる。けれどそれは古いだけで,清潔に丁寧に使われていることがよく分かった。
だから見た目はレトロな雰囲気なのに,生徒たちは近未来的なガジェットを扱っているように見える。エンタメ業界で言うレトロフューチャーとはまた違う,正しくレトロでフューチャーな姿だ。
生徒たちがこなれたように扱っているタブレットも,おそらく30代以降の人たちは次世代を感じることだろう。しかし実際の現場を目にしてみると,思ったよりもカルチャーギャップを受けることはない。
授業終了後,給食の準備で忙しい校舎内で,担任の家城直柔先生にも話を聞いたが,そうした所感は教員側も同じとのこと。子供たちは時代に応じて持ち物を変えただけで,見聞きしたり触れたりするものは変われど,その性質がガラリと変わったということはない。鉛筆がシャーペンに,シャーペンがタブレットに変わっただけのことなのだ。
そもそも,エネルギッシュに動き回る姿は小学生そのものである。
そのうえで,同校では1年生からタブレットに触れはじめ,学年が上がるごとに活用法を覚えさせていくという。基本はノートや教科書として扱うが,紙の教科書も併用する。“電子と紙のそれぞれの利便性”は日々の生活で学べるようだ。この差を理解しきれていない大人同士で電子or紙を論ずるのは徒労でしかないため,未来が健やかでなにより。
現代は英語もプログラミング教育も学習指導要領における必修科目だ。今回のような調べ学習にしろ,「総合(的な学習の時間)」ではよく実施しているそうで,家庭科ではLIXILとの連携例もあるという。
まちの先生役を務めた小林氏も,「今どきの子たちはデジタル機器が当たり前で,プログラマーという職種に関しても違和感がない」と実感しているらしい。こうした世情の移ろいに対して「昔は〜〜」などと昔語りしようものなら,子供たちはきっと聞く耳ひとつ持たない。自分たちこそがそうであったことを思い出せば,きっとぐうの音も出まい。
これら価値観をアップデートしていくのは,いつの時代も錆びはじめた大人側に求められることだ。自身のそうしたバランス感覚を調整する意味でも,本当に実のある体験をさせてもらった1日である。
授業を終えて,学校を出たとき,時刻は13時前。
一般的な社会人なら昼食前後だろうし,私にとっては出社時間ですらあることもある。それでいて西前小のなかでは,もう1日の課程を折り返していて,下級生なら下校時間も近くなったところ。校門から一歩先で世界の体感時間が切り替わるようなズレが,なんともまあ小気味よい。
今回のコーエーテクモゲームスのアプローチが,同社の直接的な恩恵ではなくとも実を結ぶ日は,あと何年後の話になるのだろう。期待してすごす月日は,そう長くは感じなさそうだと思えた。
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