イベント
[TGS 2019]今年も神奈川工科大学がやってくれました。人類初のハイスピードヌードルアクション「湯切りの頂」試遊レポートを掲載
そんな神奈川工科大学の最新作「ハイスピードヌードルアクション 湯切りの頂(いただき)」と「フィッシング+」をレポートしたい。
[CEDEC 2019]無数のアイデアをもとに,チーム全員が納得できるアイデアを生み出す手法とは。小規模チームのアイデア絞り込みメソッド
小規模なチームで何かを作るには,チームの全員が納得できるアイデアを形にしていきたいことが多い。しかし,例えば作品のタイトル1つとっても「チーム全員が納得できるタイトル」を決めるのは難しい。CEDEC 2019では,神奈川工科大学の中村隆之准教授がこの困難を打破するメソッドを具体的に解説した。
神奈川工科大学サイト内「中村研究室」紹介ページ
湯切りは芸術だ!
まずは「ハイスピードヌードルアクション 湯切りの頂」である。
この作品は,タイトルがすべてを示している。つまり,プレイヤーは麺の湯切りをするのだ。湯切りするスピードが早ければ早いほど得点が高いが,その過程で麺をこぼしてしまうと減点になる。
しかるに本作最大の特徴は,ゲームのコントローラが実際に麺の湯切りに使う「てぼ」だということだろう。「てぼ」って何だと思うかもしれないが,写真を見てもらえば一目瞭然のアレである。
そのメカニズムはシンプルだ。てぼコントローラの中に加速度センサーが入っていて,それによって「てぼ」の動きを検知し,湯切りがどれくらい効率的にできているかが判定される。また,てぼコントローラの中にはシリコンを細切りにした「麺」が入っている。この「麺」をこぼすと減点されるし,こぼした麺をプレイの途中で「てぼ」内部に戻しても減点される。
さて,ここである程度まで技術に興味のあるかたであれば,「どうやって麺がこぼれたと判定しているのか?」「こぼれたところまではさまざまな判定手段があり得るが,『戻した』ことはどうやって判定しているのか?」という疑問が脳裏によぎるに違いない。この謎に対する答えは,いたってシンプル――「人間が目視で観測し,直接入力している」のである!
……なお,当初の予定では「湯切りを終えた麺を丼に移す」ところまでを1つのゲームとし,丼に重量計を仕込むことで「麺が足りない=こぼしている」という判定を行う予定だったそうだ。だがそこまで完成させるには時間が足りなかったため,麺まわりの判定は驚異の完全人力駆動になったという。
人力で判定してこっそり入力 |
これが「てぼコン with 麺」 |
加えて本作が唯一無二なのは,その採点システムだ。なんとプレイ時間(湯切りにかかった時間)だけでなく,「芸術点」が加味されるのである。まさに,湯切りはアートというわけだ。
その上で,この話がさらに面白いのは,これだけ随所に人力判定を採用したゲームであるにも関わらず,芸術点の判定は自動ということだろう。芸術点こそ人間が判定すべきな気もするのだが,このあたりもアーティスティックな問題提起であると批評的に捉える……こともできなくはない。
「湯切りの頂」は既に人気作品となっており,たくさんの人が湯切りにチャレンジしている。それはもう,非常に頻繁に「もう一度トライさせてほしい」という声が出るほどだ。なんでも,麺類のフェスティバルをする団体から,本作をフェスティバル会場に貸し出してほしいという提案すらあったそうだ。
もしこの提案が本決まりになれば,「TGSに出展された学生作品が商業作品化された」事例にもなりえるので,大いに期待したいところである。
「問題作ばかりを作ってきた神奈川工科大学が,社会の問題を解決するゲームを作った」(某プロ開発者談)
もう一つの作品は「フィッシング+」で,ジャンルとしてはシリアスゲームである。
ゲームの構造はいたってシンプルで,釣り竿型のコントローラにつけられたボタンを押すと釣り針が投擲され,しばらく待つと画面に「Hit」と表示されるので,それにあわせて釣り竿を持ち上げれば魚が釣れる,というもの。
だが本作において,魚は決して釣れない。釣れるのはさまざまなゴミばかりだ。
それもそのはず,本作が舞台としているのは2050年の海辺である。現在,2050年には「海に住む魚の総重量を,海を漂うゴミの総重量が上回る」という予測がなされている。ゴミしか釣れないというのはゲームらしい誇張ではあるが,完全なフィクションというわけでもないのだ。
しかしながら,本作が優れているのはそうやって(言葉は悪いが)ちょっとお説教めいたゲームを遊んだ最終段階として,「プレイヤーの足元に置かれたクーラーボックスを実際に開ける」という手順が仕込まれていることだ。
クーラーボックスの中には制作者たちが実際に浜辺から拾ってきたゴミが入っており,プレイヤーは「海がゴミで汚れている」という現実を直視せざるを得ないようになっている。ゲーム単体,あるいはゴミ単体で体験するのではなく,この2つを同時に体験することによってより強い印象が得られるという仕掛けは,とても優れたデザインではないだろうか。
とはいえ,本作にはやはり「説教臭さ」を感じてしまう側面がある。
ゲームには特定の体験を「プレイヤー個人の体験」として作り上げる力を持っているのだから,ゲームの側から「社会にはこんな問題があります」と訴えるのではなく,その問題をプレイヤー個人の(かつゲーム内における)課題として体験できる仕組みがもっと強く作れれば,より素晴らしい作品となるように感じられた。
神奈川工科大学の出展は,毎年「デバイスも作る」という方式で行われている。
この「デバイスも作る」(ないし「デバイスから作る」)というメソッドを採用する大学は増えてきており,また3Dプリンタの普及などにより,デバイスを自作するハードルも大いに下がっているのだそうだ。神奈川工科大学の中村隆之准教授はこの状況を指して「もしかするとデバイスからゲームを作るというムーブメントが大きくなっていくかもしれない」という予測を示している。
なお神奈川工科大学ブースに展示されているゲームは一般日にも試遊できるので,興味のある方は是非ブースに足を運んでみてほしい。
神奈川工科大学サイト内「中村研究室」紹介ページ
- この記事のURL: