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[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
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印刷2008/03/05 18:01

インタビュー

[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた

情報環境論的な見地から,さまざまなネットサービスを考察する濱野智史氏
画像集#014のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
 「オンラインゲーム」を題材にした業界向けのイベント(AOGC)という趣旨で始まった本カンファレンスなのだが,今回のOGC 2008に関していえば,「ニコニコ動画」を運営するニワンゴや,その設立メンバーの一人であり,「2ちゃんねる」の管理人として有名なひろゆき氏ら,ゲーム業界以外の人の講演に注目が集まっている。
 ニコニコ動画といえば,良くも悪くも2007年の日本のネット業界を席巻したサービス。もはやここでくどくどと説明する必要もないと思うが,“動画にコメントを付けられる”というこのサービスは,2ちゃんねるのコミュニティを巻き込みつつ,Web上に独特の文化圏を築きつつある。

 今回話を聞いた濱野智史氏は,そんなニコニコ動画に注目する若手研究者の一人。WIRED VISIONで連載している自身のBlogサイト「情報環境研究ノート」などを中心に,ニコニコ動画や「Twitter」,「Second Life」などといった話題のオンラインサービスを,情報環境論的な見地から考察し,折に触れて見解を述べている人物だ。
 若手論客の中でもとくにユニークな視点と鋭い論理性を持つ濱野氏。そんな濱野氏が相手とあっては,ぜひとも筆者が常日頃感じている疑問,質問,あるいは「こう見るべきではないか」という視点をぶつけてみたいと思った。実際のところ,氏は期待に違わず開口一番,「ニコニコ動画はオンラインゲームだと思う」と言い放ったのである。オンラインゲームをネットワークサービスとして捉えたとき,ニコニコ動画との共通点,あるいは差異とは,どういった部分なのだろうか? オンラインゲームみならず,ネットサービス全般に及ぶ議論に発展した,濱野氏とのやりとりをお届けしたい。

 なお,言うまでもないが,ニコニコ動画にアップロードされている動画(ゲームプレイ動画,MAD動画など)の数々は,現在の著作権法から見てグレーゾーンないし違法領域に属するものを多く含んでおり,そうした法的な位置付けを含め,さまざまな問題が未解決な状態なのは否めない。4Gamerの読者諸氏には,ぜひその点を踏まえたうえで,下記のやり取りを読み進めてもらえればと思う。

■関連記事:
[OGC2008#03]「2ちゃんねる」と「ニコニコ動画」のひろゆき氏が語る,ゲーム・コミュニティ・文化



「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」


画像集#020のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
4Gamer:
 本日はよろしくお願いします。
 さて,今回は「Webとゲーム」について講演されると伺っているのですが,具体的にはどういった内容をお考えですか?

濱野智史氏(以下,濱野氏):
 OCG 2008の講演スケジュールでは「『ウェブ』と『コミュニティ』の兄弟のような関係」という,漠然としたタイトルを事前に掲載させて頂いているんですが,題材としてはやはり,ニコニコ動画の話題を中心にお話をさせて頂こうかな,と考えています。

4Gamer:
 やはりそこを主題に持ってきますか。

濱野氏:
 昨年BBA主催のシンポジウムで講演の機会を頂いたときも,Second Lifeとニコニコ動画の比較というテーマでお話をしたんですが,そのときは「時間」というものをテーマに設定しました。時間という観点で見ると,Second Lifeは「真性同期」で,ニコニコ動画は「疑似同期」。Second Lifeはユーザー同士が本当に同じ時間にその場にいないと,わいわいがやがや感を共有できない。それに比べてニコニコ動画は,本当に同じ時間を共有していなくても,常にコメントが盛り上がっている状態が残っている。だからSecond Lifeでは「後の祭り」となってしまうのに対し,ニコニコ動画は「祭り」の賞味期間が持続するシステム。ざっとこのような説明を試みたわけです。

4Gamer:
 その講演内容については,私も興味深く読ませていただきました。

濱野氏:
 ありがとうございます(笑)。この講演は,本当にありがたいことに大きな反響を頂いたのですが,寄せられた意見の中で,私がとくに「そうだよなあ」と思っていたのは,「『疑似同期』だと,常にコメントがわさわさと付いたり,弾幕が付いたりして賑やかになる。だから面白い」というのは,あまりに単純すぎる説明ではないか,というものでした。要するに,私の説明ではコミュニケーションが盛り上がることが,そのまま楽しいことであるとイコールに扱われているが,果たして本当にそうなのか? というご指摘ですね(注:ニコニコ動画が言い続けた「アンチ集合知」とは何だったのか - Attribute=51)。

4Gamer:
 後者の論点は,何か大きな捉え直しを迫りそうにも思えますね。

濱野氏:
 もちろん,私の狙いはあえて「時間」という一点だけに絞って比較をするというものだったので,「単純すぎる」というご批判を受けるのはしょうがないところはありました。とはいえ,確かに「弾幕が付く=面白い」というのはあまりに単純すぎるというか,「ニコニコ動画初心者向けの説明」って感じに見えますよね(笑)。ですから,今回はもう少しニコニコ動画の面白さの本質ってなんなんだろう? というところを掘り下げて考えてみたいな,と。
 で,じゃあ改めて「ニコニコ動画ってなんなんだろう?」という話になるわけですが,私の考えでは,ニコニコ動画って「2007年で最もヒットしたオンラインゲーム」という感じなんですよね。

4Gamer:
 オンラインゲーム,ですか?

濱野氏:
 ええ。いきなり個人的な話になってしまって恐縮なのですが,私はコンシューマ系のゲームなら子供の頃からかなりやってきた部類に入るんです。けど,いわゆるオンラインゲームに大ハマリしたことって,まだないんですよ。
 ただ,私は大学時代からネット社会の研究に取り組んでいたので,MMORPGをはじめとするオンラインゲームにはすごく可能性みたいなものを感じていましたし,大学時代から現在に至るまで,私の周囲は,それこそもう「ネトゲ廃人」だらけって感じだったんです。ただ同時に,彼らを傍目に見ながら「ああ,なんて面白そうなんだろう,でもこれはハマると本当にヤバそうだ」みたいな(笑)。なかなか自分で本腰を入れて遊ぼうというところまではいかなかったんです。

4Gamer:
 まぁ,確かに“ハマるとやばい”ですけどね(笑)

濱野氏:
 「World of Warcraft」あたりなんかは,やろうかどうか一時期真剣に悩んだんですけど,そこで問題になったのが,それこそ「真性同期」の問題だったんですよね。オンライゲームというのは,3時間とか4時間とか,「がっつりとPCの前に張り付いて」遊ばないと楽しめない。友達とパーティを組むにしても,「じゃあ,11時に」とかプレイ時間を合わせたりしないといけないわけで,生活のリズムを考えると「とてもじゃないが無理だ」と。

4Gamer:
 分かります。まさに私もそうでしたから。

濱野氏:
 ですよね(笑)。
 で,そんななか現れたのが,「疑似同期」型のニコニコ動画なんですよ。これだったら,徹夜明けの朝4時に動画を見てもいいし,逆に真っ昼間に仕事の合間で見てもいい(笑)。ニコニコ動画というのは,現実の時間軸上ではバラバラに投稿されたコメントを,「動画の再生の時間軸」という物差しに沿って配列し直すことで,複数のユーザーの体験を一つに束ねている。……そのように,私はこれまで説明してきたんですが,これはまさに私の1ユーザーとしての実感に基づいたものです。いや,ニコニコ動画の「疑似同期」のシステムには心底感謝しています(笑)。

4Gamer:
 オンラインゲーム(MMORPG)でいうと,いつでも手軽にパーティプレイが楽しめる,みたいなもんですかねぇ?

濱野氏:
 ああ,そんな感じかもしれませんね。「MMORPGはダメだったけど,ついにオンラインゲームにハマってしまった! これなら手軽に楽しめる!」そんな感覚だったんですよね。ニコニコ動画って。

4Gamer:
 とはいえ……何を以てニコニコ動画をオンラインゲームと定義するのでしょうか? 例えば,よくいわれるのは「MMORPGってチャットソフトだよね」といった話です。いわゆるゲーム性はオマケで,あくまでチャットの肴である,みたいな。コミュニケーションのキッカケとしてゲーム性……つまりは,戦闘やクエストがあったりして,あのモンスターをどう倒そう? みたいな会話が成り立つという。

濱野氏:
 ええ,おっしゃることはよく分かります。
 それに対してニコニコ動画っていうのは,「大喜利」とか深夜ラジオの「投稿コーナー」のようなものだと思うんですよね。とはいえ,これらとの違いが二点あります。一つは,これはひろゆきさんも昨年各所でおっしゃっていますが,「ボケ」ではなくて「ツッコミ」重視だということ。何かオリジナルで笑いのネタを作り出していくというよりは,「ズラして」笑いを取っていくという感覚ですね。

4Gamer:
 なるほど,確かに。

濱野氏:
 そしてもう一つは,司会者やDJがいないということ。その場を裏側で支配する人というのは,基本的にいない。全部フラットなんです。誰かがどこからともなくお題を見つけてきて,わらわらとそのお題に取り掛かっては,次の瞬間にはまた別のお題に移っていく。座布団を持ってきてくれる「山田君」もいなくて,基本的にその評価は,「ちょwww」とか「SUGEEEEEE」といったユーザーのコメントの数や,マイリスト登録数のようなパラメータで決まっていく。
 だからニコニコ動画というのは,動画が「お題」になっていて,それをベースに「誰が一番笑いを取れるのか」というゲームのようなもの,という感じなんですよね。いや,お題すらない大喜利なのかもしれませんが。
 
4Gamer:
 つまり,コミュニケーションの“肴”としての「ゲーム性」の代わりに,笑いの“お題”として「動画」があるということですか?

濱野氏:
 そうですね。ただそれだけだと,単に「大喜利=ゲーム」という話になってしまうんですが,講演ではもう少し掘り下げた内容の分析をする予定です。おおざっぱにいえば,ニコニコ動画というのは,複数のコミュニケーションのフィールド(戦場)が一画面上にばらばらに存在していて,常に各々のフィールドから「ちょww」と笑わせようとする「攻撃」が飛び交っているというような,ある種の「RTS」型のゲームとみなせるのではないかと思うんですね。

4Gamer:
 そ,そう来ましたか。RTS……。

画像集#026のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
濱野氏:
 ええ。なんといいますか,ニコニコ動画というゲームにおいて,メインのフィールドとなるのはもちろん動画とコメントが表示されるウィンドウで,ここには「ちょwww」といった脊髄反射的なコメントから,「歌詞」「弾幕」「AA」といった職人的なコメントまで,さまざまなコメントが「疑似同期」の仕組みによって,一つの流れの上に束ねられています。
 一方,メインフィールドの上にある「タグ」のフィールドでは,ネタ的なタグが書かれては瞬時に消されてしまうという,「タグ編集合戦」が繰り広げられていて,いわば「瞬間同期」とでもいうべき時間が流れている。
 さらにメインフィールドの下には「ニコニコ市場」があって,ここには「ランキング」という形で,1日単位で時間の流れが刻まれていく。かと思えば,突然運営が用意した「時報」が鳴り響いて,全プレイヤーの時間が一瞬止まってしまう「真性同期」的なイベントがもたらされる。ちょっと長くなりましたが,こんな感じでまったく別種の「時間」の流れが一画面上に散らばっている。それがニコニコ動画なんですよね。

4Gamer:
 おっしゃるとおりですね。

濱野氏:
 そして,それぞれのフィールドに投入された「注目すべきネタ」を発見したプレイヤーは,「タグ理解ww」「市場買ったの誰だよww」「時報uzeeee」といったコメントの形で,メインフィールドへと「報告」を行っていく。それを見てまた別のプレイヤーが,「タグ」や「市場」のフィールドへと目を移しては,「ちょwww」とコメントを連鎖させていくという。
 これって要するに,ニコニコ動画というゲーム上でプレイヤーが操作する「キャラクター」というのは,文字通りの意味で「character」,つまりコメントという「文字」だということなんですよ。そしてニコニコ動画上の各フィールドに展開するそれぞれのキャラクター達が,ほかの陣営のキャラクター達の「関心の矛先」を引きつけようと,さまざまな「ネタ」という攻撃を絶えず投入しているわけです。
 そしてニコニコ動画のプレイヤーは,一瞬のスキも油断も許されないままで,動画だけではなく,タグやら市場やら時報やらへと常に視線をせわしなく動かしては,時にツボにはまって「腹筋」や「涙腺」を刺激されてしまう(笑)。

4Gamer:
 タグの意味が気になって動画を最後まで見る,といったこともよくありますしね。最後まで見て,「あ,そういうことか」みたいな(笑)。

濱野氏:
 ちなみに情報経済論の分野では,「注目の経済」(アテンション・エコノミー)という言葉があるんですけど,まさにニコニコ動画というのは「注目の経済」をそのままゲームにしてしまったような感じなんですよね。要するに,「誰が最も注目を集めることができるのか」をめぐって,せわしなくプレイヤーたちが動き回るゲーム。それがニコニコ動画なのではないかと。
 そう考えてみると,ニコニコ動画という新種の「オンラインゲーム」には,異なる時間の流れるフィールドを画面上にわざとたくさん詰め込んで,プレイヤーを忙しなく動き回るように誘導していくという「ゲームデザイン」が施されているように見えるんですね。それが意図的なのかどうかまではわからないんですが,ニコニコ動画の開発者の方々は,もともとゲームを作っていたと聞いていますので,けっこう的を射ているんじゃないかとも思うんです。

4Gamer:
 そう言われると,確かにそういった見方も可能かもしれませんね。

濱野氏:
 ただ,これってWebサービスの設計としては特異なんですよ。一般に「よし」とされるWebサイトというのは,「シンプルでひとめで分かる」「迷うことなくスムーズに使える」といったものです。いわゆる「ユーザビリティ」に優れたデザインなどといわれているものですね。つまり,いままでのWebサービスというのは,「駅」や「道路」といった公共空間に近いイメージで設計されていたわけです。
 だからニコニコ動画のように,ユーザーの関心をあらぬ方向に持っていこうとするフィールドが,そこらじゅうに散りばめられているなんてのは「もってのほか」だったわけですよ。でも,ニコニコ動画が「ゲーム」として設計されているとすれば,それは不思議でも異端でもなんでもない。予想外の面白いネタがどこかに投入されて,それをいち早く発見して報告するゲーム。そういうものとしてニコニコ動画を見るならば,むしろ人々の視点やフィールドが,ある程度拡散している必要があるわけですから。

4Gamer:
 なるほど。

濱野氏:
 もちろん,いまお話したようなイメージが,すべてのニコニコ動画のユーザーに当てはまる話だとは思っていません。むしろ,その域(?)にまで達しているユーザーは少数派かもしれない。「コメントを消してアニメしか見ない」といったユーザーも,相当数いるとは思います。ただ,ニコニコ動画上で起きていること全体を俯瞰してみれば,このようにも分析できるのではないかと思うんですね。

4Gamer:
 あえて機能面を掘り下げてみる,と。

濱野氏:
 ええ。ですから私の考えでは,「アップされている動画が面白いから,ニコニコ動画は面白い」というわけではないと思うんですよ。いま世の中的には,「初音ミク」とニコニコ動画はほとんどイコールで語られていると思うんですが,これは比較的単純なストーリーになっていて,要は「いま日本中にすごい才能を持ったアマチュア的なクリエイターが大量に存在していて,わらわらと日々クオリティの高い作品をニコニコ動画にアップしているんだ」という図式なんですね。
 いわゆる「CGM」(Consumer Generated Media)とか「UGC」(User Generated Contents)に関する議論も同様ですし,梅田望夫さん『ウェブ進化論』に出てくる「総表現社会」という有名な言葉も,基本的には同じ図式に基づいています。

4Gamer:
 一般的な言説でいえば,そういう話/理解が多いですよね。

濱野氏:
 しかし,もし仮にそのストーリーが正しいのであれば,おそらくニコニコ動画なしでも――YouTubeだけでも――十分に「初音ミク」がムーブメントになった可能性がある。つまり,もし初音ミクがUGCの最終到達地点なのだとすれば,動画サービスはYouTubeのままでもよかったはずなのです。すばらしいコンテンツがネット上にアップされれば,それでよいわけですから。そしてそれがYouTubeのコメント欄なり,ブログなり,ソーシャルブックマークなりで発掘されればよかった。
 でも,ニコニコ動画が出てきた(上がってきた)からには,それとは違う役割や機能が求められていたのではないでしょうか? 初音ミクが,ニコニコ動画やネットオタク的な文化圏と相性が良かったというのは事実だと思いますけど,本質的にはニコニコ動画である必要性というか,必然性はなかったように思いますね。

4Gamer:
 確かに初音ミクのコンセプト自体は,「動画が発表できる場」があれば成り立つものかもしれませんね。

濱野氏:
 あと,ニコニコ動画とCGMを結びつけるロジックっていうのはほかにもあって,例えば「ニコニコ動画上の『神』や『職人』達の作品には,それを褒めたり絶賛したりするコメントが大量に付けられる。だからクリエイターの側のやる気も出る」というような話がありますよね。でもこれは,「漫画家が読者からのファンレターで『先生頑張って下さい』みたいなメッセージをもらって,やる気が出た」とかそういう話で,やっぱり比較的分かりやすい構図で捉えられているというか。要するに,ニコニコ動画の「弾幕コメント」などは,これまではファンレターだったものが,劇場や映画館での「スタンディング・オベーション」の規模にまで拡大したものだ……というロジックです。

4Gamer:
 ポピュラーな意見の一つですね。

濱野氏:
 まぁ確かに,日本人には「公的空間で喝采を送る」という風習はあまり根付いていなかったわけで,これはこれで画期的かもしれない。日本人で「ブラボー!」とか平気で言える人ってあまりいないですしね。
 ただ,もしニコニコ動画に注目するとすれば,「ニコニコ動画上で人々が気軽に喝采を送ることができるようになったのはなぜか」を考える必要があると思うんですよ。ニコニコ動画には,YouTubeと2ちゃんねるとブログを組み合わせるよりも,もっと効率的にスタンディング・オベーションを引き起こすメカニズムが埋めこまれていたわけですから。

4Gamer:
 それ,すごくよく分かります。
 私が思うに,YouTubeは動画というコンテンツを見るためだけのサービスだと思うんですよね。あくまでも「動画を見て消費して,おしまい」というサービス。コメントも付けられるんだけど,それは副次的なものでしかなくて。まぁ動画サービスなんだから,当たり前といえば当たり前なんですけど(笑)。
 でもニコニコ動画って,「動画の面白いところをみんなで掘っていって」,それが全部出尽くした時点で初めて「消費しきった」みたいな。そういうところがありますよね。

画像集#027のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
濱野氏:
 そう,まさにそうなんです。完全に同意します。
 そういう部分が,まさに個人的には「オンランゲーム的」だと思うんですよ。動画を見るためのサービスだけではなくて,動画を「攻略していく=面白いところを発掘していく」といいますか。それと似たようなことを批評家の福嶋亮大さんという方が指摘されていて,彼いわく,ニコニコ動画上のMAD文化やコミュニケーションというのは,その動画の中に「隠れた構造」をとっさに発見することだというんですね(注:神話とは何か - 仮想算術の世界)。あの動画とこの動画には,これこれこういうネタの共通点があって,それをMAD的に編集してつなぐとまた別の笑いや涙を生んでいく。そうした瞬間的な発見と発明の連鎖が,ニコニコ動画上にはあるんだ,と。
 これに対し,YouTubeで人気が出る動画というのは「ネタが隠れていない」って感じなんですよ。例えば去年だと,日本では「小島よしお」というお笑い芸人の動画がYouTubeにアップされて話題を呼んでいましたが,まさにあれがYouTube的なものなんです。

4Gamer:
 理解できます。

濱野氏:
 まずYouTubeというのは,友達からメッセンジャーで送られたにせよ,ブログ等で紹介されていたのを見かけたにせよ,とにかくURLを開くなり再生ボタンをクリックするなりすれば,問答無用で動画の再生が始まるというサービスですよね。一方,小島よしおの芸風というのは,まさにツッコミ不要の一人芸で,しかも本人自身が「空気を読めない」ということ自体を笑いに転化している。
 これは小島よしおに限った話ではありません。YouTubeでランキング上位にあがってくる動画というのは,ダンスや演奏の「動き」が端的に凄いといった,要するに世界中の誰が見ても「ああ,これは面白い!」って感じるものなんです。それ単体で完成されたものでないと面白くない。でもニコニコ動画は,ぱっと見なんだか分からない動画でも,ユーザーが面白い視点/ポイントを補完し合うことで,面白いものへと変化していくわけで。同じ動画サービスでも,ニコニコ動画とYouTubeは本質的に違うものだと思いますね。

4Gamer:
 そうなんですよね。昔,「ドリフ大爆笑」ってあったじゃないですか。ギャグがあると,さくらが「わはは」って笑う演出がありますよね。あれっていうのは,笑うべきポイントをテレビ側が教えてくれるシステムだったわけで。ニコニコ動画というのは,あの演出というか,笑うべきポイントの設定を,見る側に移譲したメディアなんですよね。

濱野氏:
 ええ,まさにそうです。ちなみに社会学者の北田暁大さんという方は,「嗤う日本の『ナショナリズム』」という本の中で,1980年代のテレビ文化においては,まさにそうした「何が面白いのか」を決定する権限が,テレビのあちら側にいる「ギョーカイ」に握られていた,と分析されています。視聴者の側は,「スタッフ笑い」のような内輪笑い的なポイントを通じて,「ギョーカイ」側の笑いのセンスを学び取っては「ネタ」を発見していたわけです。

4Gamer:
 そこまでが,「オレたちひょうきん族」や,その後のフジテレビのノリというわけですね。

濱野氏:
 ところが,2000年代に入って2ちゃんねる以降になると,その決定権はほとんどユーザーの「こちら側」に委譲されてしまった。これには悪い面というか,社会的に見ると危険な側面もあって,テレビの「あちら側」という決定審級がなくなってしまうと,ネット上の「祭り」はもはや誰も止めることができずに,政治的に見てあらぬ方向へと暴走してしまう可能性もある。その問題は,もちろんニコニコ動画にもあてはまるんですが,これは「最終審級」がないという意味でいえば,ネット全体に共通する問題です。
 いずれにせよ,いまニコニコ動画で起きている現象というのは,さきほども述べたように「司会者がいない大喜利」「ハガキ職人だけでDJがいない深夜ラジオ」といったようなものだと思うんですよ。「俺達だけで全部進めちゃうよ,作っちゃうよ,面白くしちゃうよ」っていうのが,少なくとも2ちゃんねるやニコニコ動画の文化ではないか。

4Gamer:
 ネットメディア論というか,CGM的な観点からいうと,そういう話ですよね。

濱野氏:
 CGMやUGCというと,「コンテンツを作る」という部分がどうしても注目されます。さきほどのドリフの例でいうと,「みんなでコントを作りましょう!」みたいな部分が語られる。しかしニコニコ動画上では,ドリフの笑い声のように,「笑うべきポイント」の発掘や設定もCGMの中に含まれているわけです。少なくとも,ニコニコ動画に関してはそっちのほうが本質だろうと。

4Gamer:
 なるほど,なるほど。ものすごく同意できます。UGCにおいて何が一番大事か? というと,私は「簡便さ」や「参入障壁の低さ」だと思うんですね。
 例えば,それこそ10年以上前にいわゆる“インターネットブーム”があって,そのときに「自分のホームページを作りましょう!」みたいなムーブメントがありましたよね。

濱野氏:
 ええ,ありました。

4Gamer:
 確かに,それまでの商業メディア……紙だとか電波だとかに比べて,圧倒的に手軽に参加できるっていうメリットはあったし,それなりには広まっていったと思うんですけど,そういった「サイトを作ろう」みたいな文化って,逆に一定以上の層には絶対に広まっていかなかったとも思うんです。
 なぜかっていうと,HTMLのタグを知らないといけないだとか,それなりの知識が必要だったり,作るのが大変だったりで,誰もが簡単にできるというものではなかったから。

濱野氏:
 まさにそうですね。

4Gamer:
 近年,爆発的に広まったBlogやSNSっていうのは,なんだったのか。あるいはなぜ広まったのかというと,そういった難しさを取り払って,より気軽に,より簡単に参加できるシステムを提示したことが大きかったのだと理解しています。
 たぶん,UGCにも段階があると思うんですよね。一番深い部分は,MADムービーだとかアニメそれ自体だとか「いわゆるコンテンツ然」としたものを作る段階で,その下がコンテンツを批評したり分析したりという段階,そして最後が感情というか,驚きとか怒りだとか,そういう部分。
 BlogやSNSっていうのは,全部が全部そうではないですけど,どっちかというと,その二段階めの分析/評論といったモノをベースにした文化圏というか,より簡単に参加できる仕組みを作ることで,そうした文化/活動を「引き出した」システムだと思うんですよ。

濱野氏:
 なるほど。いや,まったくそのとおりだと思いますね。「UGCが豊かになる」というとき,そこには二つの方向性があって,一つはSecond Lifeとかがそうであったように,「いろいろできます,なんでもできます」という,クリエイターに向けた方向。でも,本来はそれだけじゃなくて,「どんな人でも参加できます」という,よりマスへ向けたものもあるわけですよね。そしてニコニコ動画というは,後者の方向性だったのではないか。
 もちろん,これはMAD文化やクリエイターと呼ばれる人達を軽視していい,という話ではないんですよね。要は単純な話で,絶対的な量で見れば,クリエイターみたいな人達よりも,ただ「ちょww」みたいなコメントを打つだけの人のほうが,圧倒的に多いわけですから。
 そこで課題になるのは,その後者の人達をどうネットコミュニティ空間の中に位置づけ,コミュニティ全体の活性化に参加してもらうのか,という話なんだろうと思うんです。

4Gamer:
 YouTubeって,どちらかというと,やっぱり「自分の作った動画をアップしよう!」という,クリエイターを意識した方向性が強いんだけど,ニコニコ動画は「みんなで見よう!」という,見る側の視点が圧倒的に強い。同じ動画サービスなんですけど,見ているところが全然違うように感じますよね。
 その流れでいうと,ニコニコ動画っていうのは,最後の「感情レベルのアウトプット」を,うまーくコンテンツ化している希有なシステムなんじゃないかなと。そういう印象がありますよね。もちろん,ニコニコ動画には作る人も語る人も内包しているんだけど,その下層レイヤーのUGC(感情レベル)すらも,面白いモノとして昇華してしまっている点がすごいなぁと。

濱野氏:
 そのとおりで,まさにニコニコ動画っていうのは,そのレベルでも参加できるサービスなんですよね。言い換えれば,「ちょwww」レベルの操作しかできない「ヌルゲーマー」であっても,ひとまずニコニコ動画というコミュニケーションゲームには参加できる。もっと俯瞰していえば,「神」と賞賛されるようなレベルの名人ゲーマーも,「ちょww」くらいしか書くことができないヌルゲーマーも,一つのアーキテクチャ上で共存共栄できるような仕組みといいますか。ニコニコ動画って,「初心者にも優しい,間口の広いゲーム」として設計されているものなんですよね。

4Gamer:
 そうですね。

画像集#018のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
濱野氏:
 これはゲームとして見ればとくに目新しいことではないですし,むしろ自然なことなのかもしれないのですが,動画サービス一般から見ればすごく特異なことでもあるんです。
 というのも,例えば「mojiti」のように,コメントを付けられる動画サービスというのは海外にもいくつかあるわけですが,コメントの入力機能一つ取っても,ニコニコ動画よりも入力するまでのステップが圧倒的に面倒なものばかりなんですよね。
 mojitiについては,一部では「動画アノテーションサービス」といわれたりもするんですが,まさに書き込まれているコメントは「注釈」的なものが多い。何か感情を丸出しにするというものではなくて,基本的には「この動画が撮影されたのは1982年のニューヨークで云々」といった薀蓄(うんちく)を加えるものが中心なんですね。その動画をより知的に楽しむための補完スペースといいますか。少なくとも「祭り」のフィールドとして動画を使うという発想はあまりないように見える。まあ,普通に考えればそれはそうかという気もしますけどね(笑)。

4Gamer:
 いずれにせよ,ニコニコ動画のあの,チャット感覚でコメントを打ち込めるインタフェースの秀逸さこそ,特筆に値するというのは同感です。

濱野氏:
 昨年話題になりましたが,ニコニコ動画には「ニコニコ宣言」というマニフェストが掲載されていて,そこには「ニコニコは無機的な集合知ではなく,人間のような感情を備えた集合知を目指す」といったようなことが書かれています(注:ニコニコ動画(RC)‐ニコニコ宣言(仮))。これってネタのようにも読めるし,いってみれば「ニコニコ動画は何かの役に立つわけじゃないが,とりあえず暇つぶしのためのエンターテイメントを目指す」という風にも読めるんですが,私は,けっこうこの宣言は真剣に検討すべきものとして受け取っています(笑)。
 確かにニコニコ動画は,「Wikipedia」のように何かの役に立つ「知」を生み出すようには見えないし,単に暇つぶしのための娯楽のようにしか見えない。しかし,それにしてはあまりに異様なサービスであることは間違いない。そこから学べるものはもっとあるはずです。


ゲームにおけるUser Generated Contentのあり方とは?


4Gamer:
 少し戻ってUGCつながりの話になるんですけど,以前,Second Lifeが騒がれていたとき,私も興味があってちょっとやってみたのですが,個人的にすごく違和感があったんですよ。グラフィックスが欧米的すぎるだとか,一つのワールドの同時接続数が少なすぎるだとか,そんな話が否定される理由としてよく挙げられてますけど,個人的にはそんなのどうでもよくて(笑),とにかくサービスのウリであった「作る」の部分のハードルが,実はめちゃくちゃ高いなあという点に違和感を感じていました。

濱野氏:
 さっきの話でいう,UGCの発展とは「参加のしやすさ」にある,という視点ですね。

4Gamer:
 ええ。Second Lifeに限らず,ゲームでもUGCをウリにした作品は少なくありません。けれどUGCというと,濱野さんがおっしゃるように,ミニゲームを作ろうだとか,服を作ろうだとか,そういう「ものをつくる」という視点に終始してしまう。PCゲームにおける「MOD文化」なんかの話も,やっぱりその視点ですよね。確かに面白いけど,それもどうなんだろうなぁという。ゲームにおけるUGCの可能性についてはどう思われますか?

濱野氏:
 凄腕プレイヤー達のために,「がっつり作る」ための仕組みを用意するのも大事だとは思うんですよ。ニコニコ動画でも「ちょwww」と驚くためのネタが必要ですから。ただ,やっぱりSecond Lifeのような「なんでもオブジェクトを作れます,物理法則も操作できます」というヘビーな方向性だけではなく,もっとライトな方向性も必要になるでしょうね。
 これは冒頭でも言いましたが,オンラインゲームの中でも,とくにMMORPGの問題点というのは,やっぱり時間がかかりすぎること,そして「真性同期」であるがゆえに時間に縛られてしまうことだと思うんですよ。「一日5時間パーティでいっしょに遊ばないと置いていかれる」というのでは,それがどんなに面白くても,享受できる人は限られてしまう。
 ちなみに,あまり私は明るくはないんですが,数年前から韓国などでは,そうしたオンライゲームの問題点を解決する方策として,「これからはカジュアルゲームだ」という機運が高まっていたと伝え聞いているのですが,実際のところどうなんですか?

4Gamer:
 ああ,それは日本でも似たような流れになっていますよ。

画像集#024のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
濱野氏:
 なるほど。ただ,「カジュアルゲームってなんだ? トランプ?」という話になってしまうと,それこそ「どうなのそれは?」ですよね。短い時間で誰でも楽しめるというのが重要だとしても,トランプはないんじゃないか,と(笑)。というか,トランプゲームやパズルゲームのようなものばかりでは,サービス間の差異化を図るのにも限界があるでしょうし。
 これに対し,私が言いたかったのは「もっと別のライト化」の方向性もあるよ,ということなんですよ。繰り返しになりますが,ニコニコ動画の本質というのは,疑似的にライブ感を演出することで,盛り上がったときの瞬間的な面白さが維持される,あるいは高められるという点にある。しかもそのゲーム的な空間に,プレイヤーは「文字」というキャラクターを通じて簡単に参加できる。こうした点というのは,オンラインゲームの側も吸収できる点があるのではないかと思います。ちょっと具体的なアイデアというのは思い浮かびませんけど。
 もちろん,なんでもかんでも「疑似同期が良い!」と主張するつもりはまったくありませんし,同時(=同期的)に遊ぶ面白さというのも,確実に残っていくでしょうけれども。

4Gamer:
 以前,濱野さんのBlogで「マリオカートのゴースト機能が面白いよね」みたいな話がありましたけど,ゲームのプレイログ……要するにリプレイファイルなんですけど,これについてはどう思いますか?
 私が考えるに,リプレイファイルって,ゲームで最も簡単に作れるUGCの一つだと思うんですよね。実際,RTSだとかFPSの世界では,それなりに需要のあるコンテンツとして位置づけが確立されています。まぁいまは対戦ゲーム界隈の世界でしか利用されてないものではあるんですけど,間口の広さでいったら,ミニゲームが作れます! 服が作れます! みたいな話より,ずっと可能性があるんじゃないかな? というか。疑似同期性うんぬんという意味でも可能性を感じるのですが。

濱野氏:
 確かに,ゲームのプレイログには可能性があるかもしれませんね。ニコニコ動画でも,実は「ゲーム」というタグの付いた動画が一番多いんですよね。それこそ「初音ミク」や「アニメ」のようなものが一番盛り上がっているんじゃないかと見られがちなんですけど,実はゲーム関連の動画が一番投稿されている。そこにはさまざまな要因があるとは思うんですが,昔から他人のゲームを横から見てるだけで妙に楽しい,みたいな話はあったわけですよね。友達の家やゲームセンターなんかで。

4Gamer:
 最近だと,ゲームのリプレイデータが配信されるものって多いですよね。Wiiの「大乱闘スマッシュブラザーズX」とかもそうですが。ただ,あれがニコニコ動画におけるゲームプレイ動画と同質のものか? というと,それは違うだろうという気もしますけれど。

濱野氏:
 そうですね。今後,単純にゲームをだらだら見る文化がそこまで広がるかっていうと,正直,そこまで広がらないだろうとは思います。ニコニコ動画のプレイ動画というのは,「やりこみ」的なプレイが「凝縮」されているというか,「奇跡」に近いプレイ体験をみんなで共有するというような感覚があるんですよ。
 私が以前に見たものだと,有名なRPGで,通常使わない(使えない)ようなマイナーなキャタクターを使ってクリアを目指す,という作品があったんですが,これなんかはまさにそういうものでしたね。普通にやったら絶対に倒せないようなボス戦で,「残りHPが2しかないのに,奇跡的な回避が2連続したうえに,最後もクリティカルヒットで撃破」というような(笑)。そのゲームをやったことのある人なら,誰もが「奇跡」と感じてしまうような事件が起きて,それを鑑賞する側が「おおおおおお!」と叫んだりする(笑)。ニコニコ動画の疑似同期の仕組みが,いわば「奇跡体験」のコストを低減するのに役立っているわけです。

4Gamer:
 現状のゲームのリプレイって,結局はフル再生ですからね。面白いポイントだけを「摘んで」楽しめないというか。面倒くさい部分もまだまだありますね。

画像集#019のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
濱野氏:
 ええ。あとこれは4Gamerの読者の皆さんにとってはおそらく大変に「余談」に聞こえると思うんですが,最近「恋空」というケータイ小説にえらくハマってしまったんですよ(笑)。これはブログのほうで書いたんですが,この小説の中には,携帯電話の操作に関する描写が実に細かく書かれているんですよ(注:『恋空』を読む(3):果たしてそれは「脊髄反射」的なのか――「操作ログ的リアリズム」の読解 | WIRED VISION)。
 この小説の中には,いわゆるキャラクターの「内面」というか,そのとき登場人物がどう思ったり考えたり悩んだりしたのかということについて,文学的な言葉で書かれているとはいえないんですけど,その代わりに読者は携帯電話の「操作ログ」を読んでいくことを通じて,そのとき主人公がどう感じたり判断したりしたのかを「追体験」(リプレイ)できるように書かれている。恋空って,ぱっと読むだけだと,文章も支離滅裂だし,日本語もおかしいということで酷評されてしまうんですが,ある種の「リプレイファイル」だと思って読めば,ぐいぐい読めるところがあるんですよ(笑)。
 
4Gamer:
 ほうほう。

濱野氏:
 実際,恋空の中に出てくるケータイの操作ログというのは,四六時中メールを送りあっているというものなんですが,これもある種の戦略ゲーム的な様相を呈していて,例えば男が女に一方的に短いメールばかりを送っていたらシカトされてしまったので,今度は自宅の電話からかけて,誰からかかってきたのか相手に分からないようにして女に強引に電話に出させる,みたいな攻防が繰り広げられているんですね(笑)。まさにケータイを介したRTSのようなコミュニケーションが行われていて,その意味でも文字どおり「リプレイファイル」だといえなくもない。

4Gamer:
 ほほう。それは今度ちょっと読んでみようかな(笑)。

濱野氏:
 そういえばmixiの「足あと」なんてのも,まさにそういうゲームのための戦略的資源として使われているわけですよね。「頻繁に何度も足あとをつけると怪しまれるかも」「こいつはログインしてるのに俺の日記を踏みに来ない。なぜだ!」みたいに(笑)。いずれにせよ,むしろゲーム以外の領域にこそ,「ログがそのままコンテンツになる」という可能性があるんじゃないかとは思いますね。
 「ログ」という話でいえば,ソーシャルブックマークなんかもまさに本来はそのようなものであって,とくに「これを見てほしい!」というつもりでブックマークをしたわけではないんだけど,各ユーザーの履歴の寄せ集め自体が,また一つの面白いコンテンツになっている。Web 2.0界隈では,いわゆる「ライフログ」や「ライフストリーム」と呼ばれるサービスがこれから来るんじゃないかと目されているんですが,今後はさきほど話に出た「感情」よりもさらに下位レベルの行動履歴が,「UGC」として注目されていくのかもしれません。

4Gamer:
 究極的なことを言えば,何も意識しなくてよい,それこそコメントですらないUGCっていうのは,方向性としてはアリな気がしますよね。

濱野氏:
 ええ。アリだと思います。


オンラインゲームのコミュニティ,ニコニコ動画のコミュニティ


4Gamer:
 ちょっとコミュニティに関する話題なんですけれど,オンラインゲームのコミュニケーションって,それなりの「やり取り」がありますよね。「一緒に遊びましょう」「いいよ」「じゃあ,どこにいく?」みたいな。その点でいくと,ニコニコ動画って,コミュニティがどうとか言われる割には,そういったやり取りというか,直接的なコミュニケーションは基本的にない場所ですよね。これについてはどう思いますか?

濱野氏:
 確かにニコニコ動画というのは,基本的にユーザー同士がそういったコミュニケーションを交わす場所ではありませんよね。基本的に,動画再生ウィンドウの「向こう側」にツッコミを入れたり,タグやニコニコ市場といった別の「フィールド」にツッコミを入れるものですから。要するにたくさんの人がフラットな関係で会話する「社交パーティ」というよりは,街頭テレビでサッカーを見て盛り上がる感覚に近い。

4Gamer:
 そうですね。
 実は,今回のOGC 2008つながりで,ニコニコ動画のひろゆき氏にも4Gamerでインタビューをさせて頂いたんですけど,そこで彼が言っていたのは,「コミュニティって,だいたい2〜3年で潰れる」みたいな話だったんですよ。コミュニティが出来ていくと,その中の人が仲良くなっていくんだけど,外の人(新規参加者)から見ると,それが逆に障壁になっているという。まぁ常連が幅を利かせる云々という話なんですが。新規の人はどんどん参加しづらくなっていくし,元からコミュニティにいた人もだんだんと飽きていく。結果,寂れて廃れてしまうという。

濱野氏:
 それはまったくそのとおりだと思いますね。そうした類の議論というのは,けっこう情報社会論の世界でも古くから指摘されていて,例えばメーリングリストやBBSに関する議論でも同じようなことがいわれていた。だんだん常連ばかりになると,新参者が「あのー質問があるんですが…」と書き込んでも,「過去ログ読め!」とか一蹴されてしまう,と。ちなみにひろゆきさんといえば,とくにパソコン通信文化に対するカウンターとして登場した,「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった匿名掲示板の世界にコミットされたという経緯があると思うんですが,その発言の背景にはそういったものがあるのではないかと思いますね。

4Gamer:
 ともあれ,これって実はオンラインゲームにも似たような話があって,例えばオンラインゲームのサービス当初には,「仲良くなっていく過程」みたいな段階があるんですよね。ギルドを作ったりとか,パーティを組んだりとか,まずは知らない人同士がくっついていって,それぞれのコミュニティに吸収されていくような流れがあるんです。

濱野氏:
 なるほど。それはもちろんネットコミュニティやオンラインゲームに限らず,どんな分野にも見られる傾向ですよね。一度コミュニティが出来て固まってしまうと,今度は容易に新参者を受け付けない,排他的で閉鎖的なモノへと変質してしまう,と。クラスでもサークルでも会社でも全部同じことです。

4Gamer:
 ええ。新規参加者が入りづらくなっていくわ,元からいる人は飽きて辞めちゃうわで,結果としてどんどん廃れていって,最後には終わってしまうわけです。

濱野氏:
 それがもって2〜3年という寿命だと。

4Gamer:
 ひろゆき氏いわく,属人性があるコミュニティっていうのは,そういったものだと。逆に匿名のコミュニティというは,「新しい人」から見ると,そういった閉塞性がないので入りやすいんだ,みたいな。

濱野氏:
 なるほど。確かにそれはまったくそのとおりであって,いわゆる「匿名性」のポジティブな面といえますよね。ただ,例えば2ちゃんねるがまったくの「無色透明」な匿名掲示板なのかというと,私はそれも違うよなあ,と前々から思っています。
 じゃあそれは何かというと,あれは「2ちゃんねらー」という仮想人格をみんなで共有するというか,「2ちゃんねらー」というアバターにみんなでなりきるとか,そういうものだと思うんですよ。本当の意味で「誰が何者なのかが完全に分からない」という匿名掲示板ではなくて,「2ちゃんねらー」という仮面をみんなでかぶったうえで,俺達「2ちゃんねらー」で面白いこと言い合って楽しもうぜ,という方法論。「ひろゆきメソッド」とでも言うべきでしょうかね(笑)。

4Gamer:
 良いんじゃないですかね,「ひろゆきメソッド」と名付けちゃっても。

濱野氏:
 とはいえ,別にこれは「ひろゆき」さんが「そうやろうぜ」と2ちゃんねらーたちに提案したわけでもないと思うんですよ,当たり前ですけど(笑)。ただ,実際ひろゆきさんというのは,いわゆる2ちゃんねらー達がよく自称する「ニート・ひきこもり」的なライフスタイルや感性というのを前面に押し出して活動されていて,ゲームばかりやって仕事には遅刻してばかり,といったある種の「脱社会的存在」として振る舞い続けてきたわけです。
 だからひろゆきさんというのは,2ちゃんねらー達にとって,自らの姿を確認するための「参照項」というか,「人格モデル」としての役割を果たし続けてきたという側面は少なからずあるように思います。本人が実際どう思われているかは分かりませんが(笑)。
 実際,その構図はニコニコ動画ともけっこう共通していて,あれはみんなで「ニコ厨」になるサービスというか,そういう類の楽しみ方でもあるんじゃないかと思います。

4Gamer:
 なるほど,そういった空気はあるかもしれませんね。
 そういう観点であれば,さっきお話に出た「ひろゆきメソッド」っていうのは,コミュニティを作って育てる,みたいな方法論ではなくて,もうちょっと大きいシステムというか,引いた視点の考え方ですよね。コミュニティ……ではなくて,人が入れ替わりながらも機能していく,都市というか,仕組みそのものというか。

画像集#022のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
濱野氏:
 そのとおりですね。社会学では,「地域共同体」(コミュニティ)と「組織」(アソシエーション),あるいは「ムラ」と「都市」を区別するんですが,要するにこれって「自分でそこに入るかどうかを選択できるかどうか」がカギになっています。前者は自分では選べなくて,後者は選ぶことができる,というわけですね。
 そこでひろゆきさんの問題意識というのは,はじめは本来自由に人々が集まってつくられたはずのネット上の「アソシエーション」が,いつのまにか閉鎖的な「コミュニティ」へと変質してしまうのを回避したい,というものですよね。だからひろゆきさんが考えているのは,「ネット“コミュニティ”の設計論」というよりも,「ネット上にいかにして“都市空間”を作るのか」という問題に近いということです。

4Gamer:
 なるほど,包括的に捉えると,そうなるわけですね。

濱野氏:
 ひろゆきさんが志向しているのは,Second Life上にハリボテのような「バーチャル東京」をつくるというのとは違っていて,もっと本質的な意味で「都市」なんですよ。実際都市というのは,「顔の見えない」「匿名的な」人々が集まる空間ということですから。だから多様な人々を抱えることができるし,絶えずメンバーの出たり入ったりが起こっている。

4Gamer:
 ええ,これは現実社会とそう変わらない本質ではないかと感じます。

濱野氏:
 ほかと比較してみると,例えばmixiをはじめとするSNSの方法論っていうのは,その内側に大量の「コミュニティ」を抱擁するという,いわば「メタ・コミュニティ」のようなアプローチです。mixiなんかの場合,しばしばそれは「ゲーテッド・コミュニティ」(要塞都市)のイメージで語られることもあるんですが,これはたくさんのコミュニティを巨大なゲートで防護している,みたいなイメージですよね。ひろゆきさんの視点はそれとは異なっていて,サービス全体が開かれた「都市」のようなものとしてであり続けるためのインフラを考える,といったようなものであると。

4Gamer:
 ひろゆき氏の話を聞く限りでは,確かにそのように解釈できます。

濱野氏:
 これは実はとても面白い発想で,これまでそういう問題というのは,インターネットのより下位のレイヤーに適用されてきた問題意識なんですよ。インターネットというのは,TCP/IPというシンプルな通信プロトコルで支えられていて,その上にさまざまなWebサービス・メール・FTPといった多様なアプリケーションが乗っかっている。だからインターネット上には多様なサービスが花開く。そういうレイヤー構造に則した発想に基づいて,インターネットは語られてきた。これに対し,ひろゆきさんというのは,「多様性の維持」という問題意識を,アプリケーション層にも持ち込んでいるといえます。

4Gamer:
 TCP/IPが上層を規定しないから,かえって良いのだという理屈と同じようなものだと。

濱野氏:
 また,少し前に「Web 2.0」と呼ばれていたものにしても,それはGoogleなりAmazonなりといった複数の多様なサービスが,ばらばらに存在しながらもAPIを通じて連携するというイメージですよね。これって要するに,従来の「ポータル」とは違っていて,一つの行政組織がなんでもかんでも「都市」のように便利な機能を提供しようとするのではなく,複数の民間事業者にアウトソースするというイメージがあった。しかし,ひろゆきさんの発想というのは,どうもそれとも違っている。なぜなら一つのサービスの中に,「都市」のような空間をつくろうというわけですから。これはけっこう珍しい志向性なのではないかと思いますね。

4Gamer:
 コミュニティサービスっていうと,一回抱えたお客さんを逃さずに,大事に大事に育てていくんだみたいな話が多いわけですけど,「3年でダメになるんだから,次を用意すればいいじゃない」っていう割り切りは,すごく鋭く核心部分を突いた話ですよね。オンラインゲームの運営会社とはちょっと違う視点だよなぁというか。もちろん,運営会社も新規のプレイヤーのことを考えているとは思いますが。

濱野氏:
 「場」を維持し続けるという命題に対して,ユーザーを居続けさせるんじゃなくて,風通しをよくして入れ替わりがしやすいようにしておく,というわけですね。確かにそれは真理かもしれませんね。そこまで割り切っているというか,達観して考えているサービス提供者って,日本にどれだけいるのか。

4Gamer:
 まぁオンラインゲームだと,その「次」っていうのがなかなか出来ないとか,そういう部分はありますけどね。新しい場所,それって新しいゲームってこと? というと,そういうワケにもいかないですし。

濱野氏:
 ただオンラインゲームって,やっぱり「いま遊んでいる人」へ向けたアクションが多いですよね。拡張パックだとかバージョンアップだとかっていうのも,結局は3年間なり遊び続けた人達に向けたものでしかないわけで,新しいユーザーの方向にはあまり向いてない。

4Gamer:
 それはそのとおりですね。オンラインゲームじゃないけど,格闘ゲームだとかシューティングゲームでも,似たような議論がありました。

濱野氏:
 オンラインゲーム業界が抱えている課題というか,倦怠感も,そういう部分が根底にあるのかもしれない,と。

4Gamer:
 仕組み的に「新規参加者が快適に楽しめる何か」っていうのは,今後考えていかなければならない課題でしょうねぇ。って,なんか話がちょっと横道にそれましたかね。

濱野氏:
 いえいえ,非常にヘビーな問題ですよね(笑)。


オンラインゲームにおいて,誰でもない「他人」をいかにして料理すべきか


4Gamer:
 話を戻すと,ニコニコ動画って直接的なコミュニケーションがないよねって話題だったと思うのですが,個人的には,オンラインゲームにおける「他人」の有効活用論,みたいな部分にも興味があるんですよ。

濱野氏:
 といいますと?

4Gamer:
 なんて言えばいいんですかね。例えばニコニコ動画では,ユーザー同士の直接的なコミュニケーションは行われないんだけど,ネットの向こうの誰かが「ちょっwwww」とか騒いでいる事自体が,コンテンツとして「面白い形に変換」されているわけですよね。友達でもない,それこそ「赤の他人」が,仕組み的に面白い要素へ昇華されているといいますか。

濱野氏:
 なるほど。

4Gamer:
 なにも,挨拶したりチャットしたりするだけが,オンラインゲームをオンラインたらしめるものじゃないだろうと思うんですよ。例えば,ゲームセンターにおける格闘ゲームなんかは,別に対戦相手と友達でもなければ,話もしないわけですけど,「対戦相手」という役割でもって,「他人」というものをゲームのコンテンツとして組み込んでいるわけです。RTSなどにおけるオートマッチング機能なんかは,まさにそれですよね。私が初めてニコニコ動画を見たときに,ちょっとだけそういう匂いというか,雰囲気を感じたんですよね。

濱野氏:
 それはなかなか面白い視点ですね。ちなみに私は,まさに「挨拶したりチャットしたりしながら敵を倒す」という意味でのオンラインゲームに,個人的には中学高校の「部活」に近いようなイメージを抱いていたんですよ。部活っていうと,すごくベタな話ですけど,みんなで集まって毎日サッカーやって,頑張って練習してライバル校に勝つと嬉しい,というものですよね。よく大人が「部活くらいやっとけ! なんだかんだで一生の友達になるんだからさ」みたいな話をするわけですが(笑),従来のオンラインゲームがやってることは,実はそれと一緒なんじゃないか。オンラインゲームでずっといっしょに冒険して幾多のクエストをクリアしていくことで,強い仲間意識がパーティ同士で生まれて,だんだん冒険もしないのにチャットをするためだけに毎日ログインするようになってしまう,と。

4Gamer:
 継続を前提に考えるなら,それは必ずしも悪くない。

濱野氏: 
 そして,ニコニコ動画やRTSが実現しているのは,そうした「部活的なもの」とは異なるタイプのコミュニケーション形態で,それはゲーセンのような「匿名的な他者と出会う空間」に近いということですよね。まさにそのとおりだと思います。
 さらに余談ですが,私がここ1年の間に唯一はまったオンラインゲーム的なものとして,PSP版の「モンスターハンターP2」がありました。これはまさに見知らぬ誰かとプレイするというよりも,いつも決まったメンバーとやる「部活」に近い。

4Gamer:
 ただまぁ,部活は面白くもあるけど,めんどくさくもありますね(苦笑)。

画像集#023のサムネイル/[OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた
濱野氏:
 確かに(笑)。もちろん,部活は部活で一つの古典的なコミュニティ設計の方法論だとは思うので,これからも廃れるということはないでしょう。とはいえ,やっぱり部活とか嫌いな奴もいるわけですよね。そのとき,友達でもない人をコンテンツに昇華する,活用するという方法論は,ゲームの間口を広げたりハードルを下げたりするという意味で,重要なファクターになり得るでしょう。
 例えば現状だと,ニンテンドーDSの「すれ違い通信」なんかが案外近いのかもしれません。とくにコミュニケーションをするわけじゃないんだけど,街中を歩いているだけでちょっとした受動的なデータのやり取りがあって,その感触が楽しい,みたいな感覚ですよね。

4Gamer:
 ああ,確かにすれ違い通信はそういう方向性かも。

濱野氏:
 いずれにせよ,「面白さの濃度」を維持しつつも,手軽さや簡便さを実現していく方向性っていうのは,今後,オンラインゲームに求められている要素ではないかと思いますね。オンライン・エンタテインメントという意味では,ニコニコ動画とオンラインゲームは競合関係にあると思いますし。

4Gamer:
 ユーザーの時間は有限ですからね。
 本日はありがとうございました。


 数年前は「ゲーム産業の次世代」として騒がれたオンラインゲーム業界。さまざまな試みがなされ,市場規模こそ堅実な成長を遂げているものの,現状,オンラインゲームが以前期待されていたほどの成長を果たせていないというのは,もはや疑いようもない事実である。
 OGC 2008では,奇しくもニコニコ動画が最大級の目玉と目されているわけだが,それが,現在のオンラインゲーム業界の停滞感を打ち破るヒントを,同じオンラインサービスとして急激な成長を遂げたニコニコ動画に求める,あるいは参考にしようといった機運の表れだと思うのは,なにも筆者の妄想というわけではないだろう。

 先日掲載されたひろゆき氏のインタビューもそうだったが,今回の濱野氏の発言もまた,いろいろと示唆に富んだ内容が多かったように思える。そのすべてをそっくりそのまま適用するわけにはいかないかもしれないが,彼らの考え方や見識といったものが,オンラインゲーム業界にとって非常に「応用しがいのある」ものであることは確かだ。

 いずれにせよ,3月14日の講演では,氏のより詳しい考察が聴けるはず。氏は「初音ミクがすごいとか,アイマスMADがすごいといった話題は,私がいまさら話さなくてもいいと思うで,話しませんよ」とも筆者に語っていたが,それゆえにこそ,講演内容に期待したいところだ。

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