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拡大を続けるSPIELは何を目指すのか――主催者・Friedhelm Merz出版に聞くその歴史と,ドイツから見た日本
しかし,今でこそ国際的な大イベントとなったSPIELだが,1983年にスタートしたときは,出展団体数12,来場者約5000人の,ごく小規模なイベントにすぎなかったという。それがどのようにして今のメガショウに成長し,エッセンがボードゲームファンの聖地と呼ばれるようになったのか。またそうしたドイツボードゲーム界の中で,日本はどのような存在として見られているのだろうか。SPIEL'16の会場で,主催者であるFriedhelm Merz出版の広報責任者,Frank Zirpins氏に話を聞いてみた。
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SPIELの歴史と,エッセンとの関わり
4Gamer:
まず,SPIELがどのようにして誕生したのか聞かせてください。なぜ,ここエッセンで開催されるようになったのでしょうか。
Frank Zirpins氏 (以下,Zirpins氏):
SPIELのそもそもの始まりは,1983年にボンで出版されていたゲーム雑誌のファン大会がエッセンで開催されたことです。当時は現在のようなイベント会場ではなく,主催であるFriedhelm Merz出版の経営者が,エッセン市にお願いして市民大学の建物を借りて開催しました。
4Gamer:
当時の参加者はどのくらいだったのでしょうか。
Zirpins氏:
出展団体は12,来場者は約5000人ほどでしたね。集会の名前も「ドイツゲーム大会」だったことから分かるように,エッセンやルール工業地帯から来たドイツ人が中心の,どちらかというとローカルなイベントだったんです。
4Gamer:
とはいえ,市民大学で行うイベントとしては,かなりの賑いですね。
Zirpins氏:
ええ。これを受け,翌年1984年にも,再びエッセンでドイツゲーム大会が開催されることになりました。2年目の時にはポスター,記者会見,新聞広告などの広報に力を入れたこと,そして前年の盛況ぶりが,地元の西ドイツ放送などのメディアや各種ゲーム雑誌などで報道されたことがあって,出展団体は64,来場者も約1万5000人に増加しました。市民大学ではスペースが足りなくなり,隣の学校まで借りて開催したんです。
4Gamer:
来場者数が3倍に増えたというのも驚きですが,ゲーム制作者達がこの大会に積極的に関わりだしたというのが興味深いです。
Zirpins氏:
そうですね。この急成長によって当時の市長から提案があり,翌1985年からは会場を現在のMesse Essenに移動し,1986年には名称もSPIELに変更して国際的イベントとしての形が整いました。それからずっと,この場所でイベントを行ってきているんですよ。
4Gamer:
その結果,来場者数17万人,出展団体1000以上のメガショウへと成長したと。この発展の中で,とくに大きな転機になった時期というのはあったのでしょうか。
Zirpins氏:
いつ頃かというのははっきり言えませんが,来場者の属性が変化したのが一つのマイルストーンだったと思っています。当初はコアなファン達を中心としたニッチなイベントでしたが,それがいつ頃からか,家族や子供達などライトなユーザー達が集まるようになってきたんです。
4Gamer:
なぜ属性が変化したのでしょうか。
Zirpins氏:
1980年代から90年代にかけてのドイツ国内で,ボードゲームを肯定的に評価する動きが高まったことが大きいと思います。斬新なアイデアを持った作品が次々に作られるようになり,そうしたゲームが子供達を魅了していきました。この流れが,SPIELが急成長する原動力になったんです。
4Gamer:
会場を見渡すと,今年も大勢の家族連れが来場しているようです。
Zirpins氏:
はい。販売ブースに行列ができる一方で,試遊場所にもしっかりスペースを割くイベントは,ここをおいてほかにはありません。この点が,SPIELの特徴と言えるかもしれません。
ほかの多くのイベントは,ゲーム販売に特化するか,それともゲームを遊ぶ場か,どちらかに特化しているのです。
4Gamer:
なるほど。ところで,先ほどエッセン市についての言及がありましたが,現在のSPIELとエッセン市は,どのような関係にあるのでしょうか。
Zirpins氏:
SPIELは,「エッセンっ子」と言っていいほど地元に根付いたイベントですし,市や住民から手厚いサポートを受けて開催されています。SPIELを目的にエッセンを訪れる観光客がもたらす経済効果も少なくありません。
4Gamer:
互恵関係というわけですね。
Zirpins氏:
そうです。SPIELの存在はエッセンを世界的に有名にし,ボードゲームファンにとっては,一つの象徴といえる存在になりました。ご存知でしょうが,「パンデミック」にもエッセンが登場するくらいです(笑)。
ボードゲーム先進国,ドイツから見た日本
4Gamer:
国際的なイベントにまで成長した現在のSPIELですが,今年はついに参加国が50を超えたとのこと。これは驚くべきことですね。
Zirpins氏:
今回のSPIELでは,ドイツ国外からの出展団体が6割を占めています。これはドイツ国内のゲームファンにとっては非常にありがたいことです。なにせ,ドイツにいながらにして世界中のゲームを楽しめるわけですから(笑)。
4Gamer:
それだけの国から参加者が集まるということは,ドイツ国外の人にとっても,それだけ魅力のあるイベントということですね。
Zirpins氏:
そうですね。ドイツではファミリーゲームの人気が高く,独創的な作品が毎年数多く生まれます。マーケットの規模もかなりのものですし,ドイツでのトレンドを知ることは,海外からの参加者にとっても大きなメリットと言えます。
4Gamer:
もはや会期中にすべてのブースを見て回ることは,不可能な規模ですね(笑)。去年もそうでしたが,今年はそれがより顕著です。
Zirpins氏:
国際的なイベントとなったことで,とくにパブリッシャにとってはより競争が厳しくなったといえます。この会場の中から自分達のゲームを見つけ出してもらわなければならないのですから,それはとても大変なことです。しかし長期的に見れば,この競争はさらに面白いゲームを生み出すための原動力となってくれると確信しています。
4Gamer:
ここ数年は日本からの出展も数多く見られるようになってきましたが,日本のボードゲームについては,どのようにお考えですか。
Zirpins氏:
2015年のドイツ年間ゲーム大賞で,菅沼正夫氏の「街コロ」が入賞したことからも分かるように,私達は日本のボードゲームにも、とても注目しています。日本のゲームは,ヨーロッパとは異なるテーマ,異なるアイデアを用いたものが多いですね。そうした日本的,あるいはアジア的なアプローチは,ゲーム制作者やプレイヤーにとって,とても刺激的に映るのです。
4Gamer:
今年のSPIELで,日本のゲームでとくに注目というものはありますか?
Zirpins氏:
個人的には「Kanagawa」(iello)に興味があります。これはフランスで作られたゲームですが,日本の風景を描いたイラストがとても綺麗です。葛飾北斎をテーマにしているのも興味深いと思います。
4Gamer:
日本の水墨画の雰囲気を残した水彩画が印象的な作品です。やはり,和のテイストが人気の秘訣なのでしょうか。
Zirpins氏:
そうですね。昨年は「Nippon」(What's your game?)が高く評価されましたし,日本国外のクリエイターが,日本を題材とした作品を発表することも増えています。例えば「花見小路」(Emperor54 Games)はゲームデザインは日本人(中山宏太氏)ですが,アートデザインは台湾の方(Maisherly氏)と聞いて,とても驚きました。
ここヨーロッパでは,日本のアニメやビデオゲームといった文化の影響が大きいですが,それとはまた別の流れとして,ボードゲームの世界では和のビジュアルが人気を博しているように思います。
4Gamer:
分かりました。ではSPIELを訪れてみたいと考えている日本のボードゲームファン,あるいはボードゲーム制作者に向けたメッセージを最後にいただけますか。
Zirpins氏:
ドイツやヨーロッパから多数の新作ゲームが出展されるSPIELは,日本のボードゲームファンにとっても,最新の動向をチェックする場として,とても有益な場だと思います。そうして東西のゲームが交わることで,これからも面白いゲームがどんどん生まれてくれたら嬉しいですね。
4Gamer:
本日はありがとうございました。
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