レビュー
[レビュー]「FINAL FANTASY XVI」の課題と可能性。ゲームデザインを深掘りし,ストーリーの優れた点と惜しい点を検討する【ネタバレあり】
はじめに
本稿は「FINAL FANTASY XVI」(以下,FF16),並びに「ファイナルファンタジー」(第1作)の結末まで触れているレビューとなる。ネタバレを多分に含むため,同作をクリアしたあとに読んでいただければ幸いだ。
スクウェア・エニックスがFF16を発売してから,約1か月が経過した。2023年6月28日に世界累計販売数が300万本を突破し,さらに7月6日にはモーションブラーの強度変更などが追加されたVersion 1.03が配信となり,今も盛り上がり続けている。
「FINAL FANTASY XVI」全世界での累計販売数が300万本を突破
スクウェア・エニックスは本日(2023年6月28日),PlayStation 5用ソフト「FINAL FANTASY XVI」の世界累計販売数が300万本を突破したことを発表した。6月22日の発売日から約1週間でトリプルミリオンを達成したことになる。
SNSにはクリアしたプレイヤーによる感想が投稿され始めている。筆者も4Gamerにて,発売日に本作のプレイレポートを執筆しているが,スクウェア・エニックスの要望によりネタバレに関わるストーリーの内容までは触れられなかった。そこで今回,冒頭にも記したとおり,あらためてゲームデザインからストーリーまで踏み込んだレビューを執筆することになった。
本稿ではゲームプレイをさらに深掘りし,ネタバレ解禁によって本格的に語れるストーリー(フィクション)も検討しながら,その両面でFF16の魅力や課題をまとめてみたい。
[プレイレポ]ファイナルファンタジー最新作「FF16」,本日リリース。世界が注目するナンバリング新作は「FF」の可能性を拓くことに成功した
日本を代表するRPGシリーズの最新作,「FINAL FANTASY XVI」がついにリリースされた。世界が注目する本作は,新たな「FF」の可能性を拓くことができたのか。先に結論から言えば,これは見事に成功したと言っていいだろう。そのあたりを解説してみたい。
「FINAL FANTASY XVI」公式サイト
ミニマリズムが際立つゲームプレイ
FF16のゲームプレイを語るうえで,まず触れたいのがアクションだ。前回のプレイレポートでも触れているが,本作のアクションの出来栄えは素晴らしい。近接アクションを採用するゲームは国内外に多く存在するが,とりわけFF16の近接アクションはそれらに劣らない。
システムはシンプルな通常攻撃に,派手な召喚獣アクションというメリハリが効いており,さらに回避手段として万能な「プレシジョン・ドッジ」,ウィル値を削ることで一方的に攻撃を畳みかけられる「テイクダウン」の要素が組み合わさることで,アクションのリアルタイムな攻防を「FF」らしいターン制コマンド戦闘のようにアレンジしている。
美麗なモーションと派手なエフェクトもアクションを盛り上げる。主人公クライヴの動きは徹底的に洗練されており,特にボス戦ともなれば召喚獣アクションと相まって,お互いのエフェクトが弾ける。さながらアニメのワンシーンのような戦闘を,自分の操作で演出できるのだ。総じてアクションに問われるシステムと演出がしっかりと作り込まれており,クリアまでの数十時間,戦闘がまったく苦にならなかった。
なお,FF16の戦闘について「易しすぎる」という声もあるようだが,筆者の解釈は少々異なる。従来の「FF」ファンを含むアクションが苦手なプレイヤーに対し,「オート系リング」や「ストーリーフォーカス」によって十分配慮されているのは事実だ。ただ「アクションフォーカス」であれば,ボスはしっかりポーション(回復アイテム)を削ってくるし,余裕がある戦闘では複数の召喚獣アクションを組み合わせてコンボを試す楽しみも残されている。
また本作にはコンバットディレクターとして,かつてカプコンの「Devil May Cry」シリーズに携わったスタッフが参加しているのもポイントだろう。DMCもどちらかといえば,戦闘で勝利すること自体は容易なものの,コンボを叩き込む,うまく回避して追撃を入れるなどして,いかに「スタイリッシュランク(ポイント)」を上げるかという「魅せプレイ」を誘導するゲームデザインである。この志向はFF16においても同様で,プレイヤーのアクションに応じてポイントが加算され,さらに各ステージクリア後に開放される「アーケードモード」ではスコアアタックによって本格的に「魅せプレイ」を追求できる。
一方,戦闘を除く本作のゲームプレイを考えるうえで興味深いのが,「ミニマリズム」的と言える大胆な簡略化である。本作は終始,長いカットシーンを見る,少し探索をする,怒涛の戦闘をこなすという連続で構成されているが,それ以外のゲームプレイは思い切り削除するか,簡略化している。
それが顕著なのは成長要素だ。「FF」シリーズ伝統のRPGには,複雑かつ膨大な成長要素が採用されてきたが,FF16の成長要素は極めてシンプル。本作の成長要素を大きく分けると「レベル」と「アビリティポイント」だけだ。
そのうち「レベル」は経験値に応じて自動でステータスを向上するだけであり,しかもメインストーリーだけでも十分な経験値を得られる。「レベル上げ」のような反復作業を必要とせず,また任意に割り振る「アビリティポイント」もほとんどが召喚獣アクションに用いる能動的な能力(アクティブスキル)となり,恒常的な能力にはほとんど割り振らない。
これはアクションRPGとして非常にスマートな設計だ。プレイヤーが効果を実感しづらい「体力を増やすか,攻撃を増やすか」といったパッシブスキル上の意思決定はほとんど捨てて,実際にプレイヤーが出力できるアクティブスキルだけを選択することで,成長によって得たアビリティポイントを割り振る喜びをダイレクトにアクションと接続している。またそれにより,高いクオリティのアクションに集中させる効果もある。
さらに驚いたのは,謎解きや探索といった要素も簡略化されていることだ。本作にはさまざまなダンジョンが存在するが,例えば「鍵を開けろ」「箱をボタンの上に置け」といったパズル要素が一切存在しない(お使い要素はいくつかある)。探索に関しても随時,「あいつに話せ」という情報が表示され,オマケに狼のトルガルがヒントを出してくれるので,ほとんど迷うことがない。
本作の開発チームは,付け焼き刃のような謎解きや探索要素は「それぞれに特化したゲーム」に体験として劣ると判断し,一切採用しなかったのだろう。
そのほか,常時随行するパーティメンバーがトルガルしかおらず,トルガルを除くメンバーには指示が出せない。装備や指輪といった概念も大幅に簡略化し,属性などの相性も排除し,ギャンブルなどのミニゲームも存在しないなど,大胆な簡略化が多数見受けられる。余談だが,ファミ通.comの開発者インタビュー(リンク)によれば,「ジョブ」の概念を導入するかを検討した末,これも採用されなかったようだ。
この「ミニマリズム」的なゲームプレイの背景にあるのは,肥大化する開発コストを少しでも削り,自分たちが自信を持っている部分(戦闘やストーリーなど)に集中したいという現実的な取捨選択があったのかもしれない。だが,戦闘とコンフリクトを起こしがちな成長要素や,中途半端な謎解き要素といったものは,得てして退屈になりがちという開発側のエゴを冷静に判断した姿勢とも見て取れる。
海外ファンタジードラマとマンガ・アニメ的想像力が融合した世界観
「ミニマリズム」によって大胆に取捨選択され,完成度の高い戦闘を存分に楽しませる設計となっていたゲームプレイに対し,FF16の世界観やストーリーといったフィクションは質・量ともに大ボリュームだ。
プロデューサーの吉田直樹氏はNewsPicksの番組(リンク)で「(FFの醍醐味は)ストーリーで泣いたり笑えること」「(本作のシナリオは)海外ドラマ,4シーズン分ぐらい」と語っており,かねてより「ストーリー,世界観」という部分を開発陣は強く訴えてきた。発売前,本作のストーリーに対する期待は非常に高まっていただろう。
それだけに,前回のプレイレポートではネタバレの観点からストーリーに触れることが叶わず(触れるにしても抽象的な感想に留まるため),歯がゆい思いをしたのが正直なところだ。
では,本作のストーリー,世界観をどう評価するべきか。これは非常に難しい。ゲームプレイに関しては研ぎ澄まされたアクションと,そこに特化したミニマリズムという点から,個人的にほぼ非の打ち所がない。一方,ストーリーや世界観そのものを評価すると,優れた点と惜しい点がはっきりと分かれている。
まず優れた点としては,ファンタジーと政治劇がミックスされたヴァリスゼアという設定に,虚実を交えた映像表現によって構築された世界観が挙げられる。ヴァリスゼアはロザリア,ザンブレク,ダルメキア,鉄王国,ウォールードといった国々から構成されており,プレイヤーは実際に訪れ,それぞれの風土や文化の違いを見て回れる。いずれも瘴気や,魔物の闊歩によって蝕まれているものの,その退廃的な様子さえも美しい。
本作の興味深いところは,こうした硬派な世界観にも思いのほか大胆に,マンガ・アニメ的な想像力をミックスしている点にある。例えば,ドミナントという存在は召喚獣をその身に宿し,圧倒的な力を振るうことができ,ドミナント同士が直接ぶつかれば,周囲の地形が大きく変わるほどの衝撃が発生する。
このようなドミナントの設定は,日本だけでなく海外でも話題となった「進撃の巨人」を彷彿とさせるし,ドミナント同士の衝突する演出は「新世紀エヴァンゲリオン」,あるいはその原点でもある特撮作品を思わせる。吉田氏はあっけらかんとこうした作品の影響(存在)に触れており,電ファミニコゲーマーのインタビュー(リンク)では「『進撃の巨人』も流行ってたし」「『エヴァンゲリヲン新劇場版』の使徒vsエヴァの影響も大きいんじゃないかな」と答えている。
アニメ的な側面としては,声優の熱演も素晴らしい。クライヴ(青年期/壮年期)役の内田夕夜さんは主人公らしく優しくも熱い演技を見せる一方,ディオン役のベテラン声優,中村悠一さんは起伏の激しい皇子を演じている。また,俳優の綱島郷太郎さんが人間性を失ったバルナバス王を演じるという,声優と俳優の使い分けが非常に絶妙で,クライヴと対峙するシーンはとくに惹きこまれた。
このマンガ・アニメ的な想像力と,AAA級ゲームの迫真の映像が組み合わさることで,FF16は海外のゲームや国内のアニメでは表現できない,実に外連味たっぷりの非常にユニークな体験を実現している。括弧で括られた意味深な言葉にニヤリとしたり,キャラクターたちが勝どきをあげる様子にアドレナリンを炸裂させたり,極めつけには圧倒的に「やりすぎ」なほど演出がバンバン飛び交うあまり,思わず笑みがこぼれそうになる召喚獣バトルだったりと,およそ令和の大作ゲームには貴重な「中二病大爆発」が本作の本質である。地味な政治劇はむしろ,このバカバカしい豪快な演出の前フリではないかとさえ感じる。
そもそも「FF」は伝統的にも,マンガ・アニメ的な想像力の影響を少なからず受けたシリーズだった。「FF1」ではシリーズ伝統となる飛行艇(飛行船)の稼働に必要なのは「浮遊石」であり,それを発明したのは古代文明のルフェイン人だった。もちろん,これらは「天空の城ラピュタ」における「飛行船」「飛行石」「ラピュタ」といった設定と似ている。一方,勇者を認めるドラゴンの王として登場するバハムートの存在は,そのままTRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の影響を見て取れる。
このように「FF」は日本のマンガ・アニメ,海外のファンタジーの影響を受けながらも,さらにオリジナリティを加えることで昇華してきたシリーズだった。FF16においては,政治劇を交えたハイファンタジーらしさは海外文学やドラマから影響を受け,ドミナントの設定やボス戦における演出は日本マンガ・アニメを踏襲している。そのうえで召喚獣や魔獣などの設定を,従来の「FF」シリーズから引き継ぐことで,見事に「新しさ」と「FFらしさ」を両立できた。
本作の古今東西のカルチャーをミックスした世界観や演出は,好みこそ分かれるだろうが,現代のビデオゲームとして唯一無二の魅力があると評価できる。
三幕構成でありながら偏った按配
日本のマンガ・アニメ的な想像力と海外のファンタジー的な想像力に,「FF」オマージュが加わった世界観は,とくに召喚獣バトルのような要所の演出や劇作としては惹かれるものがあった。従って全体的な物語の体験には一定の満足度があり,ひとまず吉田氏が重視してきたストーリーへの期待には応えたと言えるだろう。
しかし,まったく不満がないわけではない。実際,本作のストーリー,とくに中盤から後半にかけて,吉田氏曰く「泣いたり笑えるストーリー」が期待以上ではなかったと感じた人は少なくないはずだ。
なぜ,FF16の「ストーリー」は後半に失速してしまったのか。
まず,一口に「ストーリー」「物語」と言っても,一般的なゲーム批評ではプロットホールやキャラクターの魅力といった点の指摘に留まり,脚本論に基づく批評はあまり多くない。そこで今回は,脚本論でしばし指摘される「構成」に注目して,本作のストーリーの課題を考えたい。
FF16のストーリーを大まかに分けると,以下のように解釈できる。
・クライヴ少年期(15歳):ロザリア公国の嫡男,クライヴと弟・ジョシュアは,予言のためフェニックスゲートへ向かう。しかし,「黒きイフリート」が顕現したことで一家は離散する。
・クライヴ青年期(28歳):敵国の虜囚となったクライヴは怨敵「黒きイフリート」を追って,ベアラーを保護するシド,幼馴染のジルらと出会う。やがて自身もドミナントであると知ると,「黒きイフリート」は己だったと悟り,シドに協力する。シドは「人が人として生きられる世界」のためにマザークリスタルを破壊することを目論むが,「真の敵」が現れ,夢半ばで死亡する。
・クライヴ壮年期(33歳):「二代目シド」を襲名したクライヴは,新たな拠点を設け,各地のマザークリスタルを破壊すべく世界を奔走する。そこで各ドミナントの力を吸収する傍ら,クライヴは真の敵がマザークリスタルによって復活を企んでいると知る。クライヴたちは最後の討滅に挑む。
このように,本作は主人公のクライヴの視点を通じて,3つの時代で展開される。各時代はクライヴの成長や世界の(終末に向かう)変化とリンクし,時代が進むことで物語もまた終わりに近づいていく。
この物語の構成は,脚本における「三幕構成」を極めて素直に反映している。三幕構成とは文字通り,物語を3つの「幕」に分けて構成する手法で,「幕」の間には必ず重大な方向転換が訪れ,観客を退屈させないことを目的としている。作家にしてストーリーコンサルタントのロバート・マッキー氏によれば,三幕構成とは以下の内容を指す。
「ある程度の規模を持ったストーリー──長編映画,一時間物の連続ドラマ,長編劇,長編小説──であれば,少なくとも三幕は必要だ。慣習として受け継がれてきたからそうなのではなく,これには重要な目的がある。(中略)観客を満足させるべく,人生の奥底や極限を探るストーリーを語るためには,重大な方向転換は二度ではたりない。設定や規模がどうであろうと,国際色豊かな壮大なストーリーであろうと,こぢんまりとした内省的なストーリーであろうと,長編作品が結末に達するためには,最低でも三度の重大な方向転換が必要だ」
『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』(フィルムアート社)より
三幕構成は演劇や小説,映画,アニメにゲーム,そして当然,ビデオゲームにも頻繁に応用される非常にオーソドックスな構成だ。もちろん,「FF」シリーズも例外ではない。実は「FF1」にも当てはまり,以下のようにストーリーを解釈できる。
・第一幕:主人公である光の戦士たちはコーネリアを訪れ,そこで騎士ガーランドが王女セーラ姫をさらったことを知り,姫を取り戻すべくガーランドを撃退する。
・第二幕:クリスタルの輝きが失われつつあることを知り,4つのクリスタルに取り憑いた4体のカオスを倒す。そこで災いの元凶は2000年前に存在することを知り,光の戦士たちは2000年前のカオス神殿にタイムスリップする。
・第三幕:2000年前の時代で対峙したのは,一度倒したはずのガーランドだった。ガーランドは自身とカオスの力で「無限の時の輪」を作っていたことを語る。光の戦士たちはカオスを倒し,「無限の時の輪」とともにプレイヤーたちが光の戦士だった幻想までも消えていく。
ネタバレになりかねないので詳しく触れないが,歴代「FF」シリーズのほとんどが三幕構成を採用している。その点において,FF16がわざわざ少年期,青年期,壮年期と時代を変えてまで三幕を強調するのは,やや愚直であるものの,実際にそれぞれの方向性や衝撃的な事件も相まって,メリハリのあるドラマを提示できている。
しかしFF16の問題は,三幕構成を採用していながら,構成比に偏りがある点である。そもそも三幕構成とは,単に脚本を三分割にすればいいというわけではなく,幕ごとの長さを適切な「比」で仕切らなければ効果的に機能しない。その構成比について,ロバート・マッキー氏は以下のように語っている。
「たとえば,百二十分の映画で,メインプロットの契機事件を開始一分後に,第一幕のクライマックスを三十分後に置き,第三幕に十八分,解決に二分割り当てて完結させたとする。その結果,第二幕は七十分となる。」
『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』(フィルムアート社)より
つまり,三幕構成は基本的に「第一幕:第二幕:第三幕=1:2:1」の比が望ましいというのだ。これはロバート・マッキー氏の個人的な考えではなく,先んじて三幕構成を体系化した脚本家シド・フィールド氏や,「ハリウッド・リライティング・バイブル」のリンダ・シガー氏,「SAVE THE CATの法則」で有名なブレイク・スナイダー氏といった専門家たちも,構成の黄金比は概ね「1:2:1」であると論じている。
無論,さらに幕を増やして第四幕,第五幕としたり,サブプロットを追加する例外はあれど,それにもこの「三幕」と「比」が前提にあるのだ。
そのうえで,FF16の構成比はやや歪である。確かに少年期,青年期,壮年期の三幕構成となっているものの,実際の攻略に要する時間としては(個人差はあるが)少年期=1〜2時間,青年期=5〜10時間,壮年期=15〜30時間といったところだろう。
第一幕が短すぎるわりに,第二幕より第三幕のほうが圧倒的に長い。これは入手する召喚獣に置き換えると分かりやすく,少年期=フェニックス,青年期=ガルーダ/イフリート,壮年期=ラムウ/タイタン/バハムート/シヴァ/オーディンとなり,単純に数えると「1:2:5」になる(ラムウの入手タイミングを青年期と解釈すれば「1:3:4」)。
ここであらためてFF16の物語を思い返すと,確かに幼少期から青年期にかけては突如として起きた惨劇,復讐に燃えつつも真相に気づいた悲しみといったドラマチックな瞬間があり,まったく退屈しなかった。しかし,壮年期(第三幕)に突入してからは,マザークリスタルの破壊とドミナント(召喚獣)の討滅という目的が明確化され,次の展開が容易に予想できてしまう。ラスボスたる真の敵も早々に姿を現すために,その結末にも意外性がない。
もちろん,三幕構成は万能ではないし,必ずしも黄金比に沿う必要もない。しかし,そもそも三幕構成の狙いは,「客を満足させる=退屈させない」ことにある。つまり,三幕構成では本来短くあるべき第三幕が一番長く,長くあるべき第二幕が中途半端な長さになっている。とくに第三幕は物語を一気に畳みかけ,物語に慣れたプレイヤーを動揺させたいところだが,むしろ最も冗長になってしまったため,プレイヤーは「退屈」と感じてしまうのではないだろうか。
個人的には,やはり第三幕から内容をもう少し巻いていく必要があったように思う。とくに壮年期において,ルーチン化しがちな「街を訪れ,聞き込みをし,悩みを解決する」という流れは,クライヴが「シド」としての活躍を描く必然性として理解できるが,冗長気味であったのは否めない。
一方,サイドクエストの中には印象的なエピソードが多く,これらをメインに入れ込むのも一つの手だ。あるいはタイタン戦以降,もっと大きな変化やプロットツイストを重ねていくことで,第四幕,第五幕と増やしていくことも可能性の一つだったと言える。
ストーリードリブンゲームの課題と可能性
「ストーリーを楽しませたい」という意欲で作られたFF16は,ゲームプレイをミニマリズムによって面倒や半端な要素を削り,アクションという一点に尖らせた。そのうえで,マンガ・アニメ的な想像力と海外ファンタジーを融合させた独自の世界観を展開したという点で,その意欲に報いることに成功している。
もっとも,解決すべき課題も残っていた。それが,三幕構成であるにもかかわらず,按配が偏っていることで,肝心肝文のストーリーの盛り上がりに欠けた印象である。
FF16は文句なしの大傑作とまではいかないが,世界観とゲームプレイにはFF16にしかない魅力が大いにあり,決してゲーム史に埋没する作品ではない。とくにグローバル化するゲーム市場の中で,吉田氏をはじめ開発陣が何度も語っていた「世界で戦える『FF』を作る」という目的は十分達成できた。だからこそ,かなり気が早いと思われるだろうが,「FF」シリーズの未来に期待してやまない。
「FINAL FANTASY XVI」公式サイト
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