インタビュー
橋野 桂氏×マフィア梶田対談[前編]――ゲーム制作を志したきっかけから「ペルソナ3」まで,橋野氏がゲームクリエイターとしての歩みを振り返る
橋野氏がゲームクリエイターを目指したきっかけや,これまでの歩みと今後の取り組みについて,そしてゲーム制作に対する思いといったパーソナルな部分など,たっぷり3時間お話いただいたので,それを前後編に分けてお届けしよう。
前編となる今回は,ゲームクリエイターを目指したきっかけから,「ペルソナ3」を手掛けるまでの歩みについて振り返ってもらっている。
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橋野 桂氏×マフィア梶田対談[後編]――1周年を迎えた「ペルソナ5」を振り返り,「PROJECT Re FANTASY」への取り組みや橋野氏の人物像について迫る
「PROJECT Re FANTASY」公式サイト
4Gamer:
本日はよろしくお願いします。
橋野 桂氏(以下,橋野氏):
よろしくお願いします。ところで今日は,梶田さんとどんな話をすればいいんでしょう? 開発資料なんかをいろいろ用意はしてきたんですが……。
マフィア梶田:
俺は橋野さんと世間話するつもりで来ましたよ。
4Gamer:
“マフィア梶田が聞く,橋野 桂氏のゲーム制作者としてのこれまでの歩みと,新たな取り組み「PROJECT Re FANTASY」について”みたいなところを押さえていただければ,あとはお互い気になっていたことなどを自由に話していただいてもらってもいいかな? なんて思っています。
橋野氏:
では梶田さんから,「シン・ゴジラ」の話を聞いてもいいんですか(笑)。
マフィア梶田:
俺としては全然アリですよ。
4Gamer:
いいんですけど(笑)。とりあえずイントロダクションとして,お二人の関係……というと変ですが,出会いからお伺いしてもいいですか?
マフィア梶田:
最初っていつでしたっけ? 森さん(※)が一緒だったのは覚えているんですけど。
※森 利道氏:「BLAZBLUE」シリーズや「月英学園 -kou-」などを手掛ける,アークシステムワークスのゲームクリエイター
ペルソナライブですよ。森さんと一緒に「ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ」を制作していたころだと思います。
マフィア梶田:
ああ,そうですね。たぶん「PERSONA MUSIC LIVE 2012-MAYONAKA TV in Tokyo」(※2012年4月8日開催)ですわ。
橋野氏:
はい。僕はそのとき,ライブを観にきてくれたL-VOKALさん(※)を探していたんです。「キャサリン」制作のときは紙やメールでのやり取りしかなかったので,直接お会いしたことがなかったんですね。
それで客席を見渡していたら梶田さんが目に入って,あの人かなと。なんか雰囲気的に,Hip-Hopミュージシャンっぽくも見えませんか?
※L-VOKAL氏:「キャサリン」のオープニングソング「YO」の歌唱を担当したHip-Hopミュージシャン
4Gamer:
分からなくはないです(笑)。
橋野氏:
それで森さんに「あの方ってL-VOKALさんですよね?」って聞いたら「違う。違うけど面白い人だから,話してみたほうがいいよ」って,紹介してもらったんです。
マフィア梶田:
たしかに当時,そんな話をされた覚えがありますわ(笑)。
4Gamer:
梶田さんは,橋野さんと初めて会ったときの印象はどうでしたか?
ライブのときは席が遠く離れていたんで,ほとんど話してないんですよ。
たしかそのあと食事に行ったんですが,なんせ,俺の人生に大きな影響を与えた「ペルソナ3」(以下,P3)を作った人ですからね。「『P3』を作った人や……」と思いながら遠目に眺めるだけで,緊張して話なんかできなかったですよ。
橋野氏:
お互い最初のころはあまり話せなかったんですよね。そもそも僕は,梶田さんが怖くて近づけなかったですから(笑)。
マフィア梶田:
いやいやそれは冗談でしょう(笑)。でもたしかに,ちゃんと話をするようになったのって,何度か食事などで会うようになってやっとという感じでしたよね。
橋野氏:
その前に,梶田さんという人物を強く意識したきっかけとして,4Gamerさんが配信されていた東京ゲームショウ(以下,TGS)の生放送がありましたけど。
マフィア梶田:
えっ? そんなものを観てくれてたんですか?
橋野氏:
たしか,ほかに出演されていたのが,声優の磯村知美さんと,プロレスラーの方で……。
マフィア梶田:
男色ディーノさんですか?
橋野氏:
はい,そうです。
4Gamer:
その顔触れだと,2013年のTGSですね。
橋野氏:
その配信を観ていたら,梶田さんが男色ディーノさんとディープキスをしたり,キッズコーナーに行って,女性のキャラクターの着ぐるみに襲い掛かったりしていたんですよ。
マフィア梶田:
“襲い掛かる”は語弊がありますよ! たしかに触りにはいきましたけど。
橋野氏:
そんな梶田さんの姿を見て驚かされたんです。だって,昼間もずっとTGSの会場を回ったり配信に出演されたりしているのに,さらに夜の21:00過ぎから2時間くらいの配信に出演して。それを期間中,毎日されていたわけじゃないですか。
「こんなにバイタリティあふれる人がゲーム業界にいたなんて……」って感心させられましたし,「ここまでぶっちゃけて,欲望を露わにする人も,この業界には珍しいな。ある意味カッコいい」と,心を打たれてしまったんです。
マフィア梶田:
なんてところに心を打たれているんですか……。この話は初めて聞きましたが,嬉しいやら悲しいやら。
このとき出演されていた磯村さんと梶田さんが,のちにアトラスの公式Web番組「ペルソナストーカー倶楽部」(以下,PSC)の司会を務めることになりますよね。まさか,この二人を起用するきっかけになったのって……。
橋野氏:
もちろんお二人が「ペルソナ」シリーズのファンで,とても造詣が深い人達だと知っていたことが大前提にはあります。梶田さんが書いた記事も読んでいましたし,磯村さんとは,ゲストとして呼んでいただいたラジオに出演したときにお話ししていましたから。
でも,「このお二人だったら,ゲームをディープに紹介する番組をお任せできるんじゃないかな」と思った,一つのきっかけにはなっているかと思います。
マフィア梶田:
そうだったんですか……まさか,ディーノさんとディープキスをしたあの放送が,多少なりともPSCにつながっているとは思いませんでしたよ。
4Gamer:
梶田さんとしては,憧れの人からの依頼とあって,相当思うところがあったんじゃないですか?
マフィア梶田:
「P3」は学生時代に一番心に響いたゲームで,人生を変えたといっても過言じゃないくらいの影響を受けたゲームですからね。
専門学校でゲームライターの勉強をしていたとき,「P3」を取り扱った記事で優秀賞を取ったんですよ。それもあって思い入れのあるゲームだし,これがなかったらゲームライターとしてデビューしていなかったかもしれないわけで。
橋野氏:
その話もPSCの依頼をしたきっかけの一つとなっているんですが,僕としても本当にありがたい話なんです。でも,何度か突っ込んだことあるんですけど,その記事でいったいどのように「P3」を評論してくれたのか教えてくれないんですよ(笑)。
マフィア梶田:
あれっ,聞かれたことありましたっけ? 評論じゃなくて普通のゲーム紹介記事ですよ。
合評会とか審査会とかいうんですけど,特集記事っていう想定で,ラフから文章,デザインと全部自分で組んでプレゼンするという場所があるんですが,そこで俺はともかく“純粋に「P3」の面白さや魅力を伝えたい”って思って記事を作ったんですよ。
まさかそれがゲームライターになるきっかけとなって,さらにゲームを作った人と一緒に仕事することにもなるなんて,当時は考えもしなかったですけどね。
ゲームが持つ影響力を意識させられた「真・女神転生」
マフィア梶田:
そんなわけで,俺はゲームライターとしての道を拓いてくれた橋野さんに大変恩を感じているんですけど,その橋野さんがなぜゲームクリエイターを目指したのかを聞きたかったんですよ。
まず,ゲームは昔からお好きでしたか?
橋野氏:
はい。ゲームは好きでしたね。やたらゲームばっかりやってきたと思います。
マフィア梶田:
何歳くらいからやっていましたか?
橋野氏:
本当に子供のころ,それこそゲーム&ウオッチからですね。なんて言ったらいいんだろう……映画や本みたいに,人が作った物語を観たり読んだりするだけではない,その世界に入っていけるという“可能性”みたいなものを,そのころから感じていましたね。
マフィア梶田:
ゲームが好きな時期は途切れたりはしなかったんですか? 一度どこかのタイミングで離れる人もいるじゃないですか。
橋野氏:
ないです。ずっとやっていましたね。ゲームから離れることがなかったのも,僕の世代が割と運の良い世代だったというのもあると思います。
マフィア梶田:
運の良い世代?
橋野氏:
まず,小学校高学年でファミコンブームが起きたんです。そこから中学,高校と,テレビゲームの発展とともにワクワクを体験できた世代なんですよ。
さらに大学入学から就職という時期が,PlayStationやセガサターンなどさまざまなハードが登場したころと重なりますからね。
マフィア梶田:
なるほど,たしかに良い時代です。羨ましいですわ。とくにこのジャンルにハマっていたっていうのはありましたか?
橋野氏:
そうですね……やはりRPGでしょうか。
マフィア梶田:
中でもこの作品はっていうのはありますか?
最初に夢中になったのは1作めの「ドラゴンクエスト」だったんですけど,ゲーム独特のテーマ性でグラグラッと揺さぶられたのは「MOTHER」と「真・女神転生」(以下,真I)ですね。
マフィア梶田:
どちらも現代風の世界を舞台にした作品ですね。そしてここで「真I」という,アトラスのゲームが出てきたじゃないですか。
橋野氏:
「真I」に出会ったのは大学生のときだったんですが,いろんなゲームをプレイしてきて,“テンプレ化された遊び”みたいなものに飽きてきた時期だったんです。
ゲームを購入して,期待をしながら1時間くらいプレイしてみたけど,“望んでいたものがソフトに入っていなかった”みたいな経験ってありますよね?
マフィア梶田:
はいはい,分かります。
橋野氏:
当時の僕は,いわゆる“ジャケ買い”みたいにゲームを買っては「うわーっ失敗した。また損した」みたいなことを繰り返していたんですね。
あのころは今のように,インターネットですぐレビューがチェックできて,購入前にゲームの評判をある程度確認できるという時代じゃなかったですし。
マフィア梶田:
今でも大なり小なりそういうことはありますが,当時は情報を集めるのが大変だっただけに,今以上に良いゲームと出会うのが難しかったですよね。
橋野氏:
そんな繰り返しの中,思わずガッツポーズしてしまうというか,「何だこのゲームは!」って叫んじゃうというか……本当に面白くて嬉しくなるという出会いがあるわけですが,「真I」をプレイしたときがまさにそれだったんです。
マフィア梶田:
分かりますわ。一生に何回あるんだろうかという体験ですよね。
テンプレ化された遊びみたいな要素のゲームには飽きていたということですが,「真I」をプレイしたとき,何が違うと感じたんですか?
橋野氏:
「自分は試されているな」というところですね。決まった物語が用意されているというものではなくて,“ある出来事に対して,自分はどういう価値観を持って考え,どう行動して生きていくのか”ということがシミュレートできる。そのために舞台が設定され,シナリオが存在しているというところに感激したんです。
マフィア梶田:
なるほど。当時は,自分の進む道が選べるというゲームシステムも珍しかったですよね。
何よりゲーム自体が“何かを変えたい。誰かを変えてやりたい”みたいな目的を持っていて,それを実現する手段としてテレビゲームという文化を使うという,美学のようなものを感じたんです。
そして,「ここまでゲームが持っている影響力を意識して作品を作っているアトラスという会社は,きっと凄い人達がいるんだろうな」と思いました。
マフィア梶田:
では,「真I」に感銘を受けて「俺もこんな凄いゲームを作る会社に入りたい」みたいな感じで,アトラスへの就職を決めたんですか?
橋野氏:
アトラスに面接に行ったのはですね,アトラスって“あ行”じゃないですか。だから,上の方にあったんです。
マフィア梶田:
えっ,どういうこと? 何の話をしているんですか?
橋野氏:
僕の時代は,就職活動をする学生向けに,いろんな会社が載っている巨大な電話帳みたいなものが大学に置いてあったんです。それを開いたら,“あ行”のアトラスがすぐ上の方に出てきたんですよ。
4Gamer:
なんだか引っ越し業者を選ぶときみたいですね……。
マフィア梶田:
いやいや,それは絶対ないですわ。さすがに嘘でしょ。照れ隠しで言ってますよね?
橋野氏:
いえいえ本当ですよ。もちろんゲームが好きで,「真I」を作った会社に入りたいという気持ちもありましたが,当時の僕はまず“ものづくり”ができる会社に入りたいというのが大前提としてあったんです。
実際にゲーム会社以外にも面接に行きましたよ……布団作る会社とか。
マフィア梶田:
布団?
橋野氏:
なんでしょう……“凄いベッドを作りたい”みたいな(笑)。
4Gamer:
機能性が高い布団,みたいなことですか?
橋野氏:
そうですそうです(笑)。
マフィア梶田:
ゲームじゃなくてもよかったのか……。ともかく,何かを作って世の中に送り出す仕事がやりたいと。どうしてそこまで,ものづくりにこだわっていたんですか?
橋野氏:
勉強も運動も全然できなかったんだけど,工作だけは得意で。授業やコンテストで褒められるし,学校で目立っているクラスメイトに勝てる唯一のジャンルだったんですね。
「夏休みの工作で面白いものを作って,クラスの人気者の鼻を明かしてやるぞ!」みたいな。
マフィア梶田:
めっちゃ興味あるんですけど,どんなものを作っていたんですか?
橋野氏:
小学校の時に,雑巾を前後に2つ並べて装着できるモップを作ったのを覚えています。
放課後の床掃除って,濡れ雑巾で2回拭かなきゃいけなかったんですね。子供は下手くそで拭き漏れがあるから,同じ場所を2回拭くということだったと思うんですけど。
マフィア梶田:
はいはい。分かります。
橋野氏:
しかし当時の僕は,床を2度拭くという行為に納得がいかなかったというか,嫌だったんです。面倒くさいだけで,楽をしたかったというのもあったんですけど。
そこで,雑巾を2つ付けられるモップを使えば,1回のモップ掛けで2回分になるだろうと考えたんですね。
マフィア梶田:
それは小賢しい!
橋野氏:
いかにも小学生が考えるような理屈なんですよ(笑)。でも,なぜかそれを校長先生が気に入っちゃって,「橋野君,君の精神は私が引き継ぐ」と,二度拭きモップを完成させたんですよ。
僕が作ったモップは小学生の思いつきレベルですから,木枠にゴムを巻いて雑巾を無理矢理固定したような,1,2回使ったら壊れちゃうような代物でした。でも校長先生は日曜大工が趣味だったので,僕のアイデアのもと,立派なモップに仕上げてくれたんです。
僕の名前も出してくれたんですが,何かのコンテストに出展して佳作だかをもらいましたね。
マフィア梶田:
面白いエピソードじゃないですか。
橋野氏:
駄目なエピソードですよ。佳作をもらったといっても,作ったのは校長先生ですから。
アイデアは橋野さんだし,ある意味プロデューサー業でしょう。
しかも,床を2度拭くという行為に納得いかないと抗うって,ゲームの主人公っぽい行動じゃないですか。小学生のころから橋野さんらしくてカッコいいっすよ。
橋野氏:
全然そんなことはない(笑)。梶田さんはすぐそうやって,僕の大したことないエピソードをカッコいいものに仕立てあげようとするんですよ。
マフィア梶田:
いやいや,本当にカッコいいじゃないですか。まあ,それは俺が勝手に言っているってことでいいんですけど。真面目な話,そういった積み重ねが,ものづくりに携わりたいっていう方向に向かっていったんじゃないんですか?
橋野氏:
そんな立派なものじゃないですよ。勉強も運動も駄目で,自分が活躍した記憶がそういうところにしかなかったって話ですから。だから「俺は何かを作らなきゃ食っていけないんだろうな」って思っていたんです。ある種のコンプレックスですね。
マフィア梶田:
でも,2度拭きモップが褒められたみたいな成功体験があったからこそ,ものづくりへの自信や喜びも生まれたんだと思うんですよ。
橋野氏:
うーん……たしかにそういうところもあったかもしれませんね(笑)。
“アイデアのあるヤツは来い!”
その言葉を信じてアトラスに飛び込んだ
マフィア梶田:
話を戻しますが,ものづくりがしたいと,ゲーム業界に限らずいろんな会社を受けたんですよね。アトラスに決めたのは,何が決め手になったんですか?
橋野氏:
“あ行”でアトラスの会社紹介のページを開いたら,当時のリーダーが仁王立ちで立っている写真がバンッと載っていて,そこに“何も知らなくてもいいから,アイデアのあるヤツは来い!”みたいなメッセージが書いてあったんですよ。
マフィア梶田:
なかなかインパクトある会社案内ですね。
橋野氏:
僕はそのメッセージを,めちゃくちゃ真に受けてしまって。当時はパソコンも持ってなかったですし,電源の入れ方すら怪しい状態だったんですが,その言葉を信じて飛び込みました。今思い返すと,アトラスはよくそんな僕を採用しましたよね(笑)。
マフィア梶田:
どうやって面接をクリアしたのか気になりますね。
橋野氏:
たくさん企画書を出したのは覚えています。ロボットシューティングみたいなものも考えたし,カーナビゲーションシステムが広がりだした時代だったんで,それを使ったゲームなんかも考えましたね。
マフィア梶田:
カーナビを使ったゲームって,今でいうと位置ゲーじゃないですか。斬新ですね。
橋野氏:
そんな大したものではないですよ。企画書自体も手書きでしたし。でも,ともかくたくさんアイデアは出しました。
マフィア梶田:
では,アイデアや発想力があるところを認められたんですね。実際にアトラスに入社したときはどうでしたか?
橋野氏:
「俺は普通なヤツだったんだ」ってなりました。
マフィア梶田:
どういうことですか?
橋野氏:
とにかく,先輩達が話している話の内容が全く分からなかったんですよ。「一体この人達は何を言っているんだ」という。
当時はまだ,割と社内で煙草が吸える時代だったんですが,煙草の煙に交じってお香の煙が漂ってきたり,鉄の扉のあちこちにお札が張られてたりした社内で,全く分からない呪文のような会話が聞こえてくるんです(笑)。
(一同笑)
マフィア梶田:
ある意味アトラスという会社のイメージどおりなんですが,なかなか異様な雰囲気ですね。その時の会話で何か覚えていることってありますか?
橋野氏:
覚えていないですよ。そもそも話の内容が全く分からなかったんですから。専門用語みたいなのも聞こえてくるんですが,もちろん理解できなかったんです。
4Gamer:
アトラスという会社のイメージだと,ゲームの話のほかにも,神話や民話,伝承,オカルトなどの話を相当深いレベルで話していたのかな? と想像できますね。
マフィア梶田:
もしそうだとしたら,会話についていけなかった橋野さんが悪いわけではなく,環境が特殊だったとしか言いようがない(笑)。
だって,子供のころから途切れずゲームに触れていたんですよね? その時点である意味オタクなわけですから,決して普通ではないと思いますよ。
橋野氏:
いえ,ゲームは特段好きなものではありましたけど,ではそれ以外に何かハマったものがあるかといったら……という感じでしたから。それこそ,“ファンタジー作品に夢中になって小説を読み漁った”みたいなこともしていなかったわけです。なので,「自分はオタクかと言われるとそうじゃない。普通なんじゃないかな」とあらためて気付かされました。
そういう意味では,アトラスに入社してから吸収したものって凄く多いんですよ。先輩達からの影響で,デヴィッド・リンチやデヴィッド・クローネンバーグの映画にハマったり,さまざまな神話や伝承を勉強したり……新しい世界が開けるようで楽しかったですね。
マフィア梶田:
なるほど。仕事としてはまず何を任されたんですか?
4Gamer:
「ペルソナ5」(以下,P5)のインタビューの際,アトラスに入って初めて制作に関わったタイトルが「真・女神転生if...」(以下,真if)だったというのは伺いましたが。
「真if」の制作チームに配属される前に,延々と企画書を書いていた時期があります。おそらく研修みたいな意味合いもあったと思うんですが,20以上は書きました。自分で言うのもなんですが,けっこう面白いものもありましたよ。
マフィア梶田:
気になりますね。この企画は評判がよかったみたいな,今だから話せることってありますか?
橋野氏:
思い出に残っている企画だと,「パニクリコック」っていうのがありましたね。
マフィア梶田:
ぱにくりこっく? なんですかそれ?
橋野氏:
その名のとおりで,コックさんがパニックになるゲームです。
マフィア梶田:
その説明じゃ,どんなゲームか全然想像つかないですよ(笑)。
橋野氏:
当時はいわゆる“落ちゲー”が流行っていて,先輩から「落ちゲーの企画書を書いてみて」と言われたんですね。それで,上から降ってくるいろんな食材を,鍋やフライパンを持ったコックさんでキャッチすると,そのキャッチした食材の組み合わせでいろんな料理ができるというゲームを考えたんです。
普通だったら,例えば「降ってくる幾つかの食材を集めてカレーを作ろう」みたいに,食材のピースをある程度絞ることで,パズルとしてのゲーム性を出すと思うんです。でも僕は,ありとあらゆる食材を落とし,キャッチした食材の組み合わせ次第で完成する料理が変わるという,ひとひねりを入れてみたらどうかと。
マフィア梶田:
面白いですね。当時としてはなかなか斬新なんじゃないですか?
橋野氏:
先輩達からも斬新だねと言われて,じゃあテスト版を作ってみようと,プログラマーと一緒に作業をしたんです。でもその結果,最終的に「ほうとう」を作ると勝ち,みたいな,謎のゲームバランスになっちゃったんですね。
マフィア梶田:
どういうことですか(笑)。
橋野氏:
あと,変な食材の組み合わせになると“げろげろカレー”みたいな失敗作ができるんですが,ある先輩から「橋野君,私の家は昔からカレーに醤油を入れるんだけど,どうしてこのゲームはカレーに醤油を入れたら失敗になるの? おかしいと思う」と指摘を受けました。
マフィア梶田:
「カレーに醤油は普通なのに,げろげろカレーになるなんてありえない。クソゲーだわ」と,クレームがきたわけですか(笑)。
橋野氏:
僕は一般常識に委ねてゲームのルールを作ったつもりでいたんですが,当時僕の中には,カレーに醤油をいれるという発想がなかったんです。
そこであらためて,「一般常識というのも人それぞれだ。そうだとすると,このコンセプトでいくのは難しいかな」と,企画が頓挫してしまいました。
マフィア梶田:
いやでも,そこは“カレーには醤油やソース,生卵などを入れる文化がある”みたいな,もう一歩踏み込んだところを入念に調べていけばクリアできますよ。それこそ今ならスマホゲームでいけませんか?
橋野氏:
駄目ですよ。最後がほうとうになっちゃうようなゲームは。
マフィア梶田:
いやいや,そこは調整してくださいよ(笑)。一体ほうとうにどれだけの意味を持たせているんですか!
橋野氏:
実は,「橋野が作らないなら『パニクリコック』を俺に作らせてくれ」って,後に独立した元同僚から言われたこともあるんですよ。でも,「いや,だめだ」って断りましたから(笑)。
マフィア梶田:
「だめだ,『パニクリコック』は俺の大事な企画だ。いつか俺が自分で作るから譲らない」と(笑)。しかしそんな話がくるなんて,割と周りの人にもインパクトを与えた企画だったんですね。
橋野氏:
きっとこの話が4Gamerさんに載ったら,当時を知る人からメールが来るんじゃないかと思います。
せっかくの対談でこんな話をしていていいのかなあとも思いますが……でもこういう形で表に出てよかったですよ。「パニクリコック」という企画はこれで完結でも良いくらいです(笑)。
マフィア梶田:
ついつい気になって「パニクリコック」の話を広げてしまいましたが,たくさん企画書を出すのって大変だったんじゃないですか?
橋野氏:
企画書はどうにかなりましたよ。それよりも,そのあとのプログラムの勉強がともかく大変でした。先ほど面接の話のときにも言いましたが,当時の僕はPCの操作もままならない人間だったわけですから。
マフィア梶田:
どうやってプログラミングを学んだんですか?
橋野氏:
すがやみつる先生の「こんにちはマイコン」っていう,漫画でプログラミングを学べる参考書みたいな本があったんですが,まずその本を「これで勉強しろ」と先輩から渡されたんです。
それで先輩からいろんな課題を出されるんですが,当時は容量が分からないとプログラミングなんてできない時代です。なので,関数電卓叩いたり,バイト数を計算したりするんですけど……これがまあ苦手。“超”苦手でした。
4Gamer:
そんな状態で「真if」でプログラミングを任されることもあったんですか?
橋野氏:
いえ,僕はあくまでプランナーなので,実際的な作業のためというより,ゲームの仕様を作るためにプログラムの知識が必要だったんです。プログラマーさんと仕事をするには,最低限,プログラムについてわかっていないと話にならない時代でしたから。
マフィア梶田:
では,本格的に企画や仕様に関わるようになったのはどの作品からなんでしょう。
橋野氏:
セガサターン用ソフトの「真・女神転生デビルサマナー」ですね。入社して半年くらいだと思います。
入社前まではPCの電源の入れ方すら怪しくて,「こんにちはマイコン」でプログラミングの勉強をしている人間が,ある日「バトルの担当は任せた。今回の仲魔はAIで動くから,そのアルゴリズムを作ってくれ」と言われたわけです。
マフィア梶田:
いきなりですか? よくできましたね。
橋野氏:
我ながらそう思います(笑)。
マフィア梶田:
凄いですね,昔のゲーム会社って。入って半年の人にバトルを任せたんですか。
橋野氏:
少数で動いていたからというのもあったかもしれませんね。シナリオに1人,ダンジョンが1人,アイテムが1人いて,そしてバトルは僕と。もちろんほかにプログラマーやデザイナーもいるんで,それで全員ってわけではないですよ。
4Gamer:
そんな少数だったんですか……。有名なゲームを作っている会社だし,子供のころはけっこう大きい会社なんだろうなと思っていました。
マフィア梶田:
すでに「真・女神転生」シリーズで,アトラスブランドも確立していましたよね。それが意外と少数精鋭で動いていたと。「デビルサマナー」で実際に企画や仕様に関わるようになって,次は何を任されたんですか?
橋野氏:
同じくセガサターン向けに作られた「デビルサマナー ソウルハッカーズ」ですね。ここではバトル以外のシステム全般も作れるようになって,全体的なゲームバランスの監修もできるようになりました。
マフィア梶田:
確実にスキルアップしていってますね。その次となると……。
橋野氏:
初ディレクターを任された「魔剣X」ですね。ちょうどドリームキャストが発表されたばかりのころで,「新しいハードに向けてゲームを作るからやってみないか」と,チャンスをいただいたんです。
1人称視点の剣を使ったアクションゲームというお題は決まってはいたんですけど,若手もベテランも近い距離感にある,小さな制作チームで取り組んだことを覚えています。
マフィア梶田:
なるほど。ここまで順調じゃないですか。
橋野氏:
いえ,けっして順調なんかじゃなかったんです。「魔剣X」は,初めてディレクターを担当した割にはうまくできたと思えましたし,実際先輩にもそう言ってもらえたんですが,一方で良い結果は残せなかったんです。
マフィア梶田:
結果? ゲームは良くできていたとなると,それは売り上げという話ですか?
橋野氏:
ゲーム自体はなんとかまとまって,アトラスらしいゲームの魅力を持った作品になりました。でも,アトラス独特の世界観と,当時は今ほど一般的ではなかった主観視点のアクションが,プレイする人を選んでしまったんです。
プロデューサーには「よくやった。売り上げのことは気にしなくていい。お前のせいじゃないよ」と言っていただけたのですが,やっぱりどこか申しわけないなという気持ちがありました。
マフィア梶田:
なるほど。初ディレクターを任された「魔剣X」のあとはどうなったんですか?
橋野氏:
「魔剣X」を作っていたチームで「真・女神転生III-NOCTURNE」の制作を任されることになりました。「真・女神転生」シリーズといえば,いまでもアトラスの看板タイトルですが,「魔剣X」発売の1999年の時点で,前作のSFC版「真・女神転生II」が1994年に発売されてから,ナンバリングタイトルとしては5年ほど動いていなかったんです。
マフィア梶田:
なぜそんなに長い期間動きがなかったんですか?
橋野氏:
看板タイトルということもあり,どんな世界観や物語にするか,どのようなゲームシステムにするかなどの研究で長い年月がかかってしまっていたんですね。そのころは新機種として発売を控えていたPlayStation 2向けに制作することも決まっていて,研究もさらに複雑なものになっていました。
そこで任されたと。
橋野氏:
そうなんですが,結論から言ってしまうと,これも満足のいく結果を残せなかったんです。
マフィア梶田:
えっ!? それも売り上げの話ですか? 嘘でしょ? 今でもめちゃくちゃ人気で,「真・女神転生」シリーズの中で,もっともリメイクが期待されているくらいのタイトルですよ。
橋野氏:
少しでも多くの人に手を伸ばしてもらえるよう,仲魔を育成できるようにしたり,属性の相性を生かしたプレスターンバトルを作り上げたりと,これまでにはない要素を詰め込んだことで,ゲーム自体は手前味噌ながら悪くない仕上がりになりました。
それは,スタッフ達がみんな「自分達が作ったものだけど,これは本当に面白い」と言って,夢中でデバッグするくらい良い手ごたえだったんです。しかもスケジュールどおりにマスターも仕上げることができて,「良い仕事ができた」という充実感もありました。
でも,結果は残せなかった。そのあとの「DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー」も同じような流れでしたね。
マフィア梶田:
どちらも良いゲームなんですけどね……。
橋野氏:
この辺りから,「良いゲームを作ることはもちろん大事だけど,それを多くの人に知ってもらわなくてはならない。そのためにはどのようなアプローチをすればよいのだろうか」という,プロデューサーのような考え方をするようになっていきました。
そんなタイミングで「プロデューサーをやってみないか」と声を掛けられたのが「P3」だったんです。
ゲームファンに救われた「ペルソナ3」
このときの体験がゲーム制作者として大切なものに
おおっ,ここで遂に「P3」が出てきましたか! なんだかドラマチックですね。
4Gamer:
「P3」の制作を任された大まかな経緯は「P5」のインタビューの際にお話いただきましたが,ぜひ詳しくお聞きしたいです。
橋野氏:
ある日,当時の経営者に呼ばれて,「このままだと,アトラスはゲームを作り続けることが難しくなる」という話をされました。
というのも,この時期は僕個人が苦悩していただけではなく,アトラスという会社自体もなかなかユーザー層を広げられずに苦戦していた時期でもあったんです。
そんな話の中で,突然会長から「橋野君,ところで君はいま何歳だ」って聞かれたんですよ。
マフィア梶田:
めちゃくちゃシリアスな話をしている途中にですか。何で急に年齢の話? ってなりますね。
橋野氏:
当時30歳をちょっと過ぎたくらいだったんですが,「30いくつですね」なんて年齢を答えたら,「いいか,チェ・ゲバラがキューバ革命を成功させたのも,君と同じ30歳くらいで……」って,急にゲバラの話に変わったんですよ。
マフィア梶田:
えっ,なんですかそれ! 面白すぎるでしょう。当時の会長さんは,橋野さんに革命を起こしてほしかったんですかね。
橋野氏:
そうだったみたいです(笑)。続けて「革命家が一人いれば会社は変わる」みたいな話をされたんですが,それで僕は仕方なく,「じゃあやってみようか」となったんですね。
マフィア梶田:
それで実際に「P3」で革命を起こしたというわけですね。凄いじゃないですか。
橋野氏:
またそうやってカッコいい話にしようとしますが,全然そんなんじゃないですよ。そもそも「P3」で革命なんて起こしていないですから。
マフィア梶田:
いやいや,実際にいままでの努力が実って「P3」は大ヒット。アトラスという会社自体も元気を取り戻すわけじゃないですか。
橋野氏:
「P3」が発売された当初は,まだうまくやったという感覚はなかったですよ。だって,今までと同じでしたから。
マフィア梶田:
えっ,また? だって,大ヒットタイトルじゃないですか。それは初速が悪かったということですか?
橋野氏:
ゲーム自体は凄く頑張って作ったし,スタッフの中には「これで結果が残せないなら,僕はゲーム業界を辞めます」くらいのことを言ってくれる人も出るくらい,良い仕上がりとなったんです。
でも,発売日迎えたときに,やはり今までと同じで。「終わった。自分達は終わったんだ」と思いました。
マフィア梶田:
当時学生だった俺は,初めて雑誌で「P3」見たときは大興奮でしたよ。
「めちゃめちゃカッコいいゲームじゃん! 絶対買おうぜ」ってクラスメイトと盛りあがってましたし。それがまさか苦境にあったなんて……。
橋野氏:
梶田さんのように喜んでいただいたり,期待をしてくれていた人もいたと思うんですけど,一方で,これまでの「ペルソナ」シリーズと雰囲気がガラッと変わったために困惑したユーザーさんも多かったんです。
4Gamer:
私は梶田さんより少し上の世代ですが,まさに賛否両論でした。
多感な時期に「女神異聞録ペルソナ」「ペルソナ2 罪/罰」が発売され,その衝撃を直接受けた世代だったので,両作品への思い入れが強い人が多かったのかもしれません。
橋野氏:
もちろん過去作品の雰囲気が好きなプレイヤーの方々がいることも理解していましたが,しかしそれと同時に,“アトラスのRPGの良さを,もっと多くの人に広げる作品を作る”という使命もありました。
マフィア梶田:
そのために「ペルソナ」の新作を任されたわけですよね。
橋野氏:
これは「P5」のインタビューの際にも少しお話させていただきましたが,もともと「ペルソナ」は,コア寄りなゲームである「女神転生」シリーズの面白さや魅力を,ライトなお客様にも知ってもらうために生まれたブランドです。
前作の発売から月日も経っていて,これまでの話は完結している。そこであらためて本来のコンセプトに真正面に向かい合いながら,「ペルソナ」という作品を再構築していくことにしたんです。
4Gamer:
シリーズ作品としての大事な部分は守りながら,作品を再構築するというのは大変だったと思うんですが,制作を終えたときに手応えみたいなものはありましたか?
橋野氏:
「プレイしてさえくれたらきっと分かってもらえる。楽しんでもらえる」という仕上がりにはなったかなという感触はあったのですが,ゲームの雰囲気が変わったので,社内でも心配の声があがっていましたね。
マフィア梶田:
出だしは良くなかったとはいえ,最終的にはヒットしたわけじゃないですか。これってあとからじわじわと売れ続けた結果ってことですよね? なぜこのような現象が起きたんでしょう。
橋野氏:
プレイヤーの皆さんが口コミで広めてくれたことがとても大きかったんです。発売からしばらく経ったころにとあるお店を覗いたら,「P3」が“売り切れ入荷待ち”ってなっていたんですよ。さらに会社からも「毎週リピートがかかっている」という話を聞かされて。
このときは本当にゲーム好きのユーザーさんに救われたという気持ちでした。リップサービスなんかじゃなくて,いまでもこの体験は大切なものとなっています。
マフィア梶田:
なるほど。ではこの時期が,橋野さんのゲームクリエイターとしての転機になっていると。
橋野氏:
同じ時期に新納くん(※)が,のちにアトラスを支える人気シリーズの1つとなる「世界樹の迷宮」を制作しているんです。振り返ると,僕だけではなく,アトラスという会社自体が転機を迎えていた時期だったんだと思います。
※新納一哉氏:現在はスクウェア・エニックスで「ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ」などを手掛けるゲームクリエイター。アトラスでは「世界樹の迷宮」のほか,橋野氏がプロデューサーを担当した「超執刀カドゥケウス」にてディレクターを務めている
マフィア梶田:
たしかにアトラスというゲームメーカーが,これまで以上に存在感を増した時期ですね。
この「P3」で商業的な意味での成功を収めたわけじゃないですか。これによって,立場が変わってやりやすくなったことや,逆に悩みが増えたことなど,仕事への取り組み方が変わった面ってありますか?
橋野氏:
ゲーム制作の取り組み方については,大きな変化はなかったと思います。
一方でプロモーションについては,新作を発表するときにまず何を見せるのか。そのあとはどのような情報をどのようなタイミングで出していくと,ユーザーの皆さんが発売日を迎えるまでワクワクできるのか……ということを深く考えるようになりました。
マフィア梶田:
プロデューサー的に得るものが大きかったと。
橋野氏:
そうですね。先ほど「P3」制作以前から,プロデューサー的な考え方が芽生えていたと話しましたが,それでもどこかに「面白いものを作っていればいつかきっと届く」という意識があったと思うんです。
でもそうではなくて,ちゃんと自分達の作ったゲームの魅力を,いかにキャッチーに届けるか。その届け方も“どうやったら売れるのか”よりも“どうやったらユーザーの皆さんに楽しんでもらえるのか”を,しっかりと考えなければいけないと,この体験で学べたんです。
マフィア梶田:
ファンに助けられたという意識があるからこそ,ファンの気持ちを強く意識したプロモーションにしようと考えたんですね。そしてそれは,成功体験によって気づかされるものが大きかったと。
橋野氏:
大きかったですね。あるとき,全社朝礼で僕と副島さん(※)がそれぞれ挨拶することになったんですよ。そこで僕は「失敗や悔しさで得たものよりも,成功や喜びで得たものの方が格段に多かった」という話をしたんですが,副島さんも偶然同じスピーチをしたんです。
「同じ話するな!」なんてツッコミもありましたけど(笑),共に悔しい想いや苦労をしながら「P3」を作った仲間が,同じことを感じていたんだと知って,感慨深いものがありましたね。
※副島成記氏:アトラス所属のデザイナー。「P3」以降のナンバリング作品でキャラクターデザインを担当し,橋野氏やサウンドコンポーザーの目黒将司氏とともに,現在の「ペルソナ」シリーズのイメージを構築した
マフィア梶田:
めちゃくちゃ良い話じゃないですか。
プロモーションへの意識が変わったという話ですが,これって多くのユーザーも感じていると思うんです。「P3」以降,明らかにその方法が変わりましたよね? それこそPSCみたいなやり方ってありえなかったというか。
このあたり,橋野さん自身,何かしらのポリシーをもって動いているのかなと思うんですけど,どうなんでしょう。
橋野氏:
ポリシーと言えるほど大したものではないですが,“文脈”で物事を考えるようになったのは大きいかなと思います。
「P3」のときですが,まず新作として発表されたときに“1作めや2作めと雰囲気が変わった。大丈夫だろうか”という空気があったけど,それが情報を出していくごとに“まだ不安はあるけど,でもプレイしてみたいな”となり,発売されたときに“手に取ってみたら面白かった”みたいな,ユーザーさんの気持ちの流れみたいなものが感じられたんです。
それが起承転結になっているというか,1つの文脈と捉えられて,そこが面白いなと気付いたんですね。
マフィア梶田:
なるほど。実際にファンもその連続性を楽しんでいるというか,文脈を感じていると思いますよ。
4Gamer:
「P5」では,イベントや発表会がある度に,怪盗団がいろんな予告状を送っていましたよね。アトラスのファンは,ゲーム本編だけではなくこういった情報発表に対しても,考察や予測を楽しんでいます。
まさにそのように,ユーザーさんが物語を追うようなイメージで,ゲームの情報公開を楽しめるようにしたいというのがありました。
さらに言えば,ゲーム制作そのものも文脈で考えるようになっているんです。分かりやすいところだと「P3」は都会が舞台だったから,次の「ペルソナ4」は田舎を舞台にしようといったところですね。
今回「PROJECT Re FANTASY」というプロジェクトでファンタジー作品に取り掛かったのも,その文脈なんですよ。“現代を舞台とした「ペルソナ」シリーズが評価してもらえた”“ではそもそも,アトラスはなぜ現代を舞台としたゲームを作り始めたのか?”“ファンタジーRPGへのカウンターで始まった”“では,そんな我々がここで王道ファンタジーというものに向き合ったらどうなるだろうか?”という流れなんですね。
……なんだか分かりにくい話ばかりしてしまいましたが,大丈夫でしょうか? これって読者さんが読んで面白い内容になっているんですかね。
マフィア梶田:
いやいや,面白いですよ。聞いてみないと分からないことってありますし,これを読んで「いろいろ納得した!」って思う読者やアトラスのファンも多いんじゃないですか。
――本対談の前編はここまで。9月前半に掲載予定の後編では,橋野氏にご用意いただいた貴重な資料を見ながらの「ペルソナ5」振り返りや,新プロジェクト「PROJECT Re FANTASY」への取り組み,そしてゲーム制作への思いといった橋野氏のパーソナルな部分に迫った内容をお届けする予定だ。
はたして「シン・ゴジラ」の話はあるのかというところも含みつつ(?),期待してお待ちいただきたい。
橋野 桂氏×マフィア梶田対談[後編]――1周年を迎えた「ペルソナ5」を振り返り,「PROJECT Re FANTASY」への取り組みや橋野氏の人物像について迫る
「PROJECT Re FANTASY」公式サイト
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