インタビュー
「スペースチャンネル 5 ウキウキ ミュージック フェスティバル オンライン」開催2周年記念(?)インタビュー。うらら&モロ星人誕生のヒミツを,2人のデザイナーが振り返る
2020年11月13日に行われた配信イベント「スペースチャンネル 5 ウキウキ ミュージック フェスティバル オンライン」の開催から,間もなく2年が経過する。
1999年にドリームキャスト向けに発売されたミュージカルアクション「スペースチャンネル5」(以下,SC5)の“あらかた20周年”と,2020年2月の「スペースチャンネル5 VR あらかた☆ダンシングショー」(PC / PlayStation 4 / Meta Quest。以下,SC5 VR)の発売を記念して行われたイベントだが,新型コロナウイルス感染症拡大の影響で,当初の予定を変更して無観客のオンラインライブとして開催。その前後に販売予定だったライブグッズを,今秋からようやくオンラインで販売することが決定した。
「スペースチャンネル 5 ウキウキ ミュージック フェスティバル」グッズ販売ページ
「今かよ!」「忘れてたよ!」というツッコミは覚悟の上だが,これはSC5に関連する記事をお届けするせっかくの機会でもある。そこで,2020年に4Gamerにてお届けした,“あらかた20周年”記念の開発陣対談に引き続き,この対談に参加されていなかった同作のデザイン面の開発陣にインタビューする企画をオファーしてみたところ,快く引き受けていただけた。さっそくお二人に集まっていただいた。
20周年を迎えた「スペースチャンネル5」開発陣が集結。“パート1誕生秘話”,VRで復活を遂げる“最新作に懸ける思い”を聞いた
「スペースチャンネル5 VR あらかた★ダンシングショー」の発売が目前に迫っている。今回のシリーズ復活を記念して,「スペースチャンネル5」シリーズの開発陣に集まっていただき,“パート1”の誕生秘話や当時の思い出,そして最新作への意気込みまでたっぷりと語ってもらった。
今回ご登場いただくのは,SC5でアートディレクターを務めた宮部由美子氏と,デザイナーの茂呂真由美氏。“うららの母”である宮部氏と,“モロ星人の母”である茂呂氏は,それぞれのキャラクターのみならず,世界観や背景の構築なども担当。開発時に手がけた美術の多くも自身で保管されており,今回はそれを見つつ,当時のことを思い出しながら語っていただいた。
また,開発当初のチーフプランナーとしてお二人をまとめ,SC5 VRには,アドバイザーとしても参加したセガの吉永 匠氏にも同席いただき,開発にまつわる話題の補完をしていただいた。
同期入社の2人のデザイナーが,女性のセンスを必要とした「スペースチャンネル5」に参加
4Gamer:
本日はよろしくお願いいたします。
以前4Gamerで開発陣の皆さんに集まっていただいたときお聞きしたんですが,宮部さんと茂呂さんは1997年頃,デジタルメディア制作部の部署に参加されたとか。
宮部由美子氏(以下,宮部氏):
その頃の私達は,セガの第一CS研究開発部に所属していました。当時のセガって,すごくコアな男性のファンが多かったんですが,女の子のキャラクターが主人公になる企画が立ち上がって,そのゲームをより広い層にアピールするために,女性視点で開発に携われるスタッフとして私に声がかかったんです。
湯田さん(湯田高志氏,SC5ディレクター)からは,私が自分よりも一般プレイヤー的な感覚を持っていて,おしゃれなものにも詳しいのではないか? ということで相談を受けました。でも当時の私は入社3年目の20代だったので,一人でデザインを任されるのは重荷かもしれないということもあって,同期入社で同じデザイナーだった茂呂さんにも参加してほしくて指名したんです。
茂呂真由美氏(以下,茂呂氏):
チームとしては別だったんですが,家庭用の開発部署はフロアが同じで,壁なんかもなかったので,みんな仲が良かったんですよね。そんな中で宮部ちゃんに声をかけられたときのことも覚えてます。「湯田さんにこういう企画の話があるんだけどと言われて,“茂呂と一緒ならやります”って返事をしたんだけど,どう?」みたいな(笑)。
宮部氏:
私は湯田さんに声をかけられたときの言葉を覚えてます。「スタッフロールに名前を載せてやる」って(笑)。それまでのタイトルでも載ったことはあったんですが,“キャラクターデザイナー”として名前が載るのは,すごく名誉なことだと思ったんですよね。
4Gamer:
殺し文句ですね(笑)。ちなみにお二人はそれまでどんなタイトルに携わっていたんですか?
宮部氏:
私達が入社した'94年はセガサターンのローンチの年で,入社当初の私は「NiGHTS」のオープニングムービーの製作に携わったりしていました。
茂呂氏:
私は最初は「ビクトリーゴール」のチームに所属してました。次に,「Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!」を手がけました。「AZEL(AZEL パンツァードラグーンRPG)」でフィールドデザインを担当したり,「サクラ大戦」のお手伝いもしました。
4Gamer:
そして湯田さんに招かれたのが,3年後の1997年なんですね。
宮部氏:
記憶している限りでは,確か私と茂呂さんを入れて全部で11人だったかな? このメンバーで何か新しいことをやるという気持ちでいた矢先に,部署が異動になるんです。
4Gamer:
デジタルメディア制作部への異動ですね。
茂呂氏:
あれは不思議な出来事でしたね。SC5の開発に携わるには,部を異動しなくてはいけなくて……。
SC5はラインの都合でCSでは作れないとなって,我々開発陣は牧野さん(牧野幸文氏)が率いるデジタルメディア制作部の預かりになったんです。この部署はセガサターンの時代から映像をメインとしたタイトルを手がけていて,湯田さんと牧野さんの仲が良かったこともあって,開発陣の異動はスムーズに進みました。
4Gamer:
仕事としては,デザイン“全般”だったんですか?
茂呂氏:
はい,キャラクターデザインだけでなく,コンセプトアートからお願いしたいと言われたのが本当に嬉しかったですね。元々キャラクターデザインをしたくてゲーム会社に入ったのですが,それまでキャラクターデザインはできていなくて。そんなときに湯田さんが「デザイン全般は女性スタッフに任せたい」と言ってくれて,「なんてありがたい話なんだろう,宮部ちゃん,素敵な仕事を持ってきてくれてありがとう!」みたいな感じだった(笑)。
宮部氏:
どういたしまして(笑)。
茂呂氏:
デザインをやるには部署の異動が条件だったので,そこは少し迷ったんですが,こんなチャンスはないし,新しいことをやっているのが面白そうだったので,最終的には「行きます」って答えました。
湯田ディレクターが提示した「レトロフューチャー」をコンセプトに,デザイナー陣がSC5の世界観を構築
4Gamer:
宮部さんはアートディレクターという大役を任されたわけですが,プレッシャーなどはありませんでしたか?
宮部氏:
湯田さんがSC5のコンセプトを明確にしていたので,最初以外は迷いなく進められました。いわゆる「レトロフューチャー」の方向性で,例えばテレビならリモコンじゃなくて,ダイヤル式のチャンネルの進化形とか,調理器具なら電子レンジみたいなものではなく,フライパンが宙を舞ってるとか,昔の人が考える未来みたいな,そういう方向性で考えてほしいという指示があって。そこを常に大事にしたことが“SC5らしい”デザインにつながったんです。
背景のデザインに関しても,1900年代のニューヨークのアール・デコの様式などを参考に,具体的な方向性をみんなで考えて,そこからブレることがないよう進めました。土台がしっかりできていると,こんなにやりやすいんだということを実感して,後に続編が出たときもそこを外さないことで,うまくデザインすることができたんですよね。
4Gamer:
デザインからの世界観構築はどのような手順で行われたんですか?
茂呂氏:
まず,ゲーム冒頭のステージの「スペースポート」のデザインをして,これを基準にそれ以降のデザインも決めていったんです。
宮部氏:
スペースポートのロケットの模型を実際に作ったりと,すごくぜいたくな作り方でしたね。ロケットの模型を見ながら,“このRはよくてこのRはダメ”みたいな曲面の話をしたことを覚えています。そんなやりとりをしながら,湯田さんが納得できるところまで突き詰めていくという作業が続きました。
4Gamer:
コンセプトがしっかりあったことで,デザイン自体はやりやすかったんでしょうか。
宮部氏:
いえ,そんなことはないです。この最初のステージのスペースポートを完成させるのに何か月もかかってしまって,ある日呼び出されて「アートディレクターでしょ! なんでできてないの!」と叱られたことを覚えています。
ちょうど湯田さんがアメリカに1週間出張に行くタイミングで,帰ってくるまでに終わらせると約束させられて,私と茂呂と岡崎(岡崎 健氏,SC5デザイナー)の3人で青い顔をして,分刻みで3人のスケジュールを作って,なんとか完成させることができたんです。
茂呂氏:
最初だけはすごく細かいところまで作っていたんですよね。私がスペースポートの外側を作って,宮部ちゃんが内装のデザインをして。私もこういうフィールドのデザインは初めてで,何度も直しが入って完成したコンセプトアートだったので,思い出深いです。
宮部氏:
たぶん今のゲーム開発でも,ここまで時間をかけることはないですよね。映像に映らないところまで作ってましたから。
茂呂氏:
SC5のパート1は背景がムービーだったので,私達が三面図や断面図を描いて,それをCG製作の会社に回すという作り方をしていました。できる限り忠実に伝えるために,とにかく必死でしたね。(ファイルの絵を見せて)これは指示書の一例なんですが,色だけでなく,壁の素材とか反射の具合まで指定を入れていたんです。
4Gamer:
描いた絵を見せてCGを作るという,いわばアナログな手法だったんですね。
茂呂氏:
そうですね。CGができあがってからも「ここが違いますので修正してください」みたいなやりとりを,CG会社さんに通って何度も繰り返しました。作業はすごく大変でしたけど,その甲斐あって最終的には納得いくものに仕上げていただけたんですよね。
吉永氏:
厳密に言うと,デザイナーが描いた絵をCG会社に渡してモデリングをしてもらいつつ,その簡易モデルをもらってこちらでカメラを付けて,それをあらためて本格的にレンダリングしてもらう……という流れでした。今ではちょっと考えられない,決して効率の良くない作り方をしてましたよね。宮部も茂呂も仕事としては初めてやる仕事だと思うし,大変だったんじゃないかと思います。
宮部氏:
大変でした(笑)。でもそれによって,どれだけ湯田さんが高い目標を見ていたかが分かったんです。それまで描いても描いても「違う」と言われていたのに,最後の1週間で最もいい形で落とし込めたことは,私達にとってもすごく大きな出来事でしたから。
4Gamer:
それはいつ頃のことだったんですか?
宮部氏:
まだ大鳥居にいた頃でしたね。ちょうど隣のチームが「ジェットセットラジオ」を作っていて,それを横目で見ながら苦しんでいた記憶があります。
スペースポートができて,ある程度デザインがまとまってきてから,水口さん(水口哲也氏,SC5プロデューサー)が合流して,人がどんどん増えてプロジェクトの規模が大きくなって,そこからいろいろな話を通しやすくなったんです。
4Gamer:
水口さんが参加されたのは,そのタイミングだったんですね。
宮部氏:
水口さんはすごいんですよ。一度社長へのプレゼンに同行したことがあるんですが,そのときに水口さんは資料を一切持っていかないんです。すべて口答で説明して説得してしまうほどのプレゼン力と政治力を持っていたんです。おかげさまで,その後の開発もすごくやりやすくなったんですよね。
4Gamer:
水口さんの加入はSC5にとって大きなターニングポイントになったんですね。
宮部氏:
それはありました。製作の参考にしたいコンサートがあるときなども,すぐに「見に行ってこい」と言ってくれて,環境がガラッと変わったんですよね。
茂呂氏:
スタッフのインプットに対してとにかく寛容でした。部署が渋谷になったのも,“渋谷にいれば今の流行をキャッチできるから,最先端のゲームを作るなら移動すべき”というのが理由でしたから(笑)。舞台からコンサートから展覧会から,ゲーム作りの参考になるものは業務として行かせてくれましたからね。
宮部氏:
オペラとかね。サブちゃんの舞台に行ったことも覚えてます。
茂呂氏:
行った! 北島三郎さんの「まつり」だったかな。大衆向けのエンタメが全部入ってるから絶対見ておけって。
吉永氏:
時代的にも大らかだったので,夜中にレイトショーの映画を見に行ってから会社に戻って仕事をして朝に帰ったりとか,休みの日に買い物をしてその帰りに会社に寄ったりとか,仕事とプライベートがあまり分かれていなくて,会社がもう一つの部屋みたいな感じでしたからね。
茂呂氏:
吹き抜けの地下フロアで観葉植物を飾って,誰かの誕生日が来るとみんなでプレゼントを買って祝ったりするんですよ。ゲーム開発の環境という雰囲気ではなかったです。
吉永氏:
モロ星人の着ぐるみを着て,渋谷に繰り出したりしてましたからね。プロモとかではなく,遊びで。
宮部氏:
私が着ぐるみを着て夜のセンター街に行ったら,チーマーに絡まれて命からがら帰ってきたなんていうこともありました(笑)。とにかく私と吉永さんはずっとカンヅメになって開発をしていたので,そういう気晴らしをしていましたね(笑)。
4Gamer:
昔だからというより,水口さんが率いる部署だからこそ,できたことのような気がします。
宮部氏:
それは思いますね。大鳥居では許されなかったでしょう(笑)。
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スペースチャンネル5 VR あらかた★ダンシングショー
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スペースチャンネル5 パート2
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