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「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
はるかな南海から列島に襲来して放射能の火炎を吐き,我が物顔にのそのそと市街を踏みつぶしていく──ゴジラはそのぎょろ目の奇怪さとも相まって,怪獣映画界を長らく王者として睥睨してきた。
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映画の中で,ゴジラは南洋の深海で生き残っていた古代生物が水爆実験の放射能で変異し,住み処を追われたことで荒ぶる怪獣となったのだと説明される。
監督である本多猪四郎が,「私の狙う真実は水爆下の恐怖に戦く現代人の心理的デフォルマションである」と述べたように,放射能の火を吐き,都市を破壊するゴジラは核兵器の猛威がまさしくデフォルメされたものであったのだ。
ところで,ゴジラが核兵器の象徴であるなら,もしも兵器に転用できれば,これほど強力な戦力もあるまい。まさかそんなトンデモな作品なんてあるはずが……と思いきや,これが本当に存在する。アメリカのSF作家・ジェイムズ・モロウ氏による小説「ヒロシマめざしてのそのそと」である。
「ヒロシマめざしてのそのそと」
著者:ジェイムズ・モロウ
訳者:内田昌之
版元:竹書房
発行:2025年10月27日
定価:2640円(税込)
ISBN:978-4-8019-4702-3
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1945年,沖縄戦の甚大な人的損失を受けて,アメリカはジレンマに苛まれていた。これ以上アメリカの若者を死なせずに,いかに日本を降伏に追い込むのかが至上命題としてまずあった。
この命題に取り組む米陸軍が主導したのが,オッペンハイマー博士らによるマンハッタン計画――すなわち原子爆弾の開発なのだが,SF作家であるモロウ氏は,ここに海軍主導によるニッカーボッカー・プロジェクトなる対抗計画をひねり出す。なるほど,陸軍と海軍の対立はどの国にもあることで,相手に先んじようとする開発競争も,物語のテンポと緊迫感を盛り上げてくれる,良さそうなプロットである。
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海軍はベヒモスと呼ばれる究極の生物兵器――要は“ゴジラもどき”をすでに完成させており,潜水艦に曳航させ日本の都市を破壊させることで,戦意阻喪を招こうという狙いである。
しかし,ベヒモスはいったん解き放てば制御不能。あまりに危険なので,成体による襲撃の代わりに幼体を用いた模擬襲撃,すなわちミニチュアの都市模型を破壊するデモンストレーションを,日本の使節団の前で実演してはどうか,と考える人たちがあらわれた。
思わずずっこけてしまいそうだが,ある意味シミュレーションゲームにも通じるその発想こそが,本作を原爆クライシス作品の白眉たらしめている要素でもある。どうか気を引き締めて読みすすめていただきたい。
それはそうと,ベヒモスの幼体は性質温順に過ぎて模型都市の破壊などしそうにもない。そこで白羽の矢が立ったのが,ミイラ映画の“のそのそ歩き”で定評のある俳優シムズ・ソーリーである。幼体の着ぐるみを身にまとい,本物さながらの迫真の演技で日本の使節団の心胆を寒からしめろというのだ。
ここに至ってB級風味は満開となり,訳者あとがきによればストレンジ・ホライズン誌で「作者とキム・ニューマンにしか理解できない,長々とした内輪ネタ」と評された映画ネタをまじえた展開が延々と続く。
このあたりは読者の素養が試されるところで,ボリス・カーロフやアルデンヌ反攻作戦といった単語を,脳内辞書から即座に引き出せないと,あまり楽しめないかもしれない。
レイ・ハリーハウゼンも上に同じだが,この人が前述の「原子怪獣現わる」の作り手であり,1958年の「シンドバッド七回目の航海」で精妙巧緻な映像美を実現させた,ストップモーション・アニメーションの大家であると分かれば,作者が抱いている映画産業の先人たちへの深い敬愛が見えてくる。また本作がただのドタバタコメディではなく,骨太な芯によって全編が貫かれていることにも,きっと気付けることだろう。
そればかりか,海軍による模型都市破壊のデモンストレーションが,陸軍に先んじて日本から降伏を引き出す計画であると同時に,広島・長崎への原爆投下を阻止せんとする作者自身の企みともなっている。という構図に気付いたとき、読者ははっと息を呑むに違いない。
ならばシムズ・ソーリーによる着ぐるみの熱演は,日本人使節団を仰天消沈させ,果たして原爆投下の起こらない別の歴史の扉を開けたのだろうか。
……もちろん結末は明かせないが,後年,功成り名を遂げたシムズ・ソーリーが,自殺をほのめかしつつ回想を綴るところから始まるという,この小説の構造を考えれば,結果はある程度想像できるのではないだろうか。
そしてシムズ・ソーリーの述懐は,作者であるモロウによる反戦・反核のメッセージでもある。作品終盤に至っては,作者がアメリカ人としてヒバクシャ(作中表現ママ)に抱く思いの真摯さとひたむきさに,筆者などは涙にむせてしまったほどである。ことほどさように本作は,B級の着ぐるみをまとった反戦小説の傑作と呼んで差し支えないだろう。
読了してつくづく感じたのは,他人の立場に身を置く視座のかけがえのなさだ。
読書とは登場人物を我が身に重ねて,その人を見舞う窮地をいかに乗り越えるかを,本文を手がかりに自分の頭で考えていく行為にほかならない。そうした暗中模索が作品に明示されない空白を埋め,読書体験を唯一無二のものにする。
それはどこか,シミュレーションゲームにも通じる気がする。ウォー・シミュレーションでマップを見つめて腕組みするとき,プレイヤーは誰しも,敵方にとって一番嫌な一手は何かを考えるもの。かくして相手の立場に身を置く習慣がおのずとでき上がり,他人の痛みを我が事として想像することが習いとなる。
かようにゲームと読書は,その根本において相通じるものがある。フォーマットは違えど,他人の痛みを自分に引き寄せて想像をめぐらせることによって,人間としてもより強くなれる。独善的な戦争によって世界が揺らいでいる今だからこそ,本書が投じる波紋が,ひときわ輝きを増すように思えてならないのは,きっと筆者だけではないはずだ。
■■待兼音二郎(翻訳家,ライター)■■
幻想文学やゲーム翻訳を主戦場とする翻訳家・ライター。“中二病”まっただ中に出会った1980年代のウォーゲームブームを原体験とし,以来,古今東西の戦場を盤上で追体験してきた生粋のウォーゲーマーでもある。近刊に「セイレーンの歌」(共訳書,アトリエサード),「ライクランド万巻録」(共訳書,ホビージャパン)などがある。





















