本稿で取り上げるのは,アブダビ法人NEXPACEでブロックチェーン開発を統括するリュ・ギヒョク氏による講演だ。
氏はゲーム開発からキャリアを始め,Webアプリ開発を経てブロックチェーンへ。「いろいろな技術が交わる,私のキャリアの交差点のようなプロジェクトです」と語る。
5年前の開始当時は参考にできる前例がほとんどなく,手探りだったという。本講演は,その5年間の経験を後進に共有するためのものだ。
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大づかみに言えば,ブロックチェーンとは「みんなで共有し,後から書き換えられない“公開された台帳(記録ノート)”」のことだ。誰か一社が握る帳簿ではなく,記録が全員に見えていて改ざんできない。そこにこの講演のテーマが詰まっている。
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本題の前に,登場する“名前”だけ整理しておこう。MapleStory N(MSN)は「メイプルストーリー」IPをベースにしたブロックチェーンゲームで,昨年5月に世界配信され,1年以上が経過している。
MapleStory Universe(MSU)は,そのMSNを含む“経済圏まるごと”を指す言葉だ。アイテムを売り買いするマーケットプレイス,後述のトークンやNFTアイテム(=持ち主がはっきり記録される唯一無二のデジタル所有物),さらに外部の開発者(ビルダー)が作るアプリまでを含む。単一のゲームではなく「ビルダーと一緒に育てるプラットフォーム」だという。
その土台となる“台帳”がHenesys Chainで,Avalancheという基盤の上に構築されている。
種類としてはPermissioned Chain(パーミッションド=許可制のチェーン)――誰でも自由に使える公開型ではなく,運営が認めた相手・操作だけを通す“会員制”のブロックチェーンだ(この「許可制」が後半の鍵になる)。
チェーン上には2種類のトークン(チェーン上で扱うデジタルなお金・引換券のようなもの)がある。手数料の支払いに使うNXPCと,ゲーム内で使うNESOだ。
なお本講演は,トークンの値動きや経済設計には踏み込まない。
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発表は3部構成。第1部はブロックチェーンの魅力と,掲げた原則。第2部はサービス開始後にぶつかった3つの壁。第3部はその葛藤をどう解いていくか,である。全体を貫く問いはただ一つ,「ブロックチェーンの自由と,運営者の責任は本当に両立できるのか」だ。
まず第1部,自由について。ブロックチェーンの魅力としてよく挙がるのは「誰の許可も要らない自由」と「分散性(特定の管理者に支配されないこと)」だ。予測市場サービスのPolymarketのように,想像を超える新サービスが次々生まれ,世界は急速に広がっている。リュ氏は「これだけ広がるのは,ブロックチェーンに自由があるからだ」と言う。ただし,その自由が成り立つには2つの土台が要る。透明性と信頼だ。
普通のネットサービスでは,運営会社が「うちは不正しません」と約束し,その信頼で成り立っている。だがブロックチェーンには中心となる運営者がいない場面も多い。そこで「信頼」と「透明性」を,人の約束ではなく“プログラム(コード)”によって保証する必要があった,というわけだ。
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透明性とは,いったん記録したデータは誰も勝手に書き換えられず,誰でも中身を確認できる,ということ。改ざんは事実上不可能で,仮に試みてもすぐ見抜かれる――その瞬間に信頼は崩れる。
逆に,意図しないバグ(不具合)が起きても,すべてが公開されているので「わざとではなかった」と示しやすく,運営側にとってもむしろ好都合になり得る。「データの正しさが,運営の“約束”ではなく,仕組みそのものによって保証される。そこが魅力です」とリュ氏は語る。
信頼については,ブロックチェーンのルールがプログラムとして書かれ,あとから書き換え不能にもできる点が肝になる。すると運営者は「今日からルールを変えます」と一方的に宣言できなくなる。
普通のゲームなら「アップデート告知に書いたし規約に同意したから変更した」で通るが,ブロックチェーンでは通用しない。どこを変更できるのかを最初にプログラムで明示し,それを前提に利用者と“信頼の契約”を結ぶからだ(氏はこれを絶対の長所とは見ていない。運営を続けるには,どうしても変更が必要な場面も出てくるからだ)。
この透明性と信頼が,ブロックチェーンを単なるデータベースではなく「みんなが共有し,合意した上で動く土台」にする。その上でこそ自由が生まれ,最終的に拡張性(どんどん広げられること)につながる――「透明性と信頼があるから自由があり,自由があるから広がる」という順序だ。
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リュ氏らも,この理想を胸に構築を進めた。ところがサービス開始が近づくと,魅力的だったはずの性質が次々と現実問題に変わっていく。第2部のテーマだ。氏は壁を3つに整理しつつ,「これらは別々ではなく,全部つながっている。思い浮かんだのはドミノ倒し。結局は1枚のドミノだった」と振り返る。
壁1:Approve(アプルーブ=資産の取り扱い許可)。ブロックチェーンで何かを売買するとき,利用者は一度「このプログラムが,条件を満たしたら私の財布から資産を動かしてよい」と署名(許可)する必要がある。
銀行の自動引き落としの設定によく似ている。マーケットでの取引やゲーム内イベントに欠かせない仕組みだ。ところが,この“許可”はハッキングの典型的な入り口でもある。
正常なふりをした悪質なプログラムをつかまされ,利用者が気づかずに許可ボタンを押すと,財布の中身を根こそぎ抜かれてしまうのだ。「これは,新しい自由に伴う,新しい責任だと捉えました」。
解決策がホワイトリスト方式,つまり“信頼できる相手だけを通す名簿”だ。自社のトークンやアイテムに対し,「あらかじめ名簿に登録した相手としかやり取りできない」とプログラムで定めた。
これなら,ハッカーがどんな悪質プログラムを仕掛けても,運営の承認がない限り利用者を害せない。「“きれいに解けた”と少し誇らしく思ったのですが,この選択の副作用には,当時まったく気づいていませんでした」とリュ氏は明かす。
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壁2:手数料(ガス代)。ブロックチェーンでは取引のたびに少額の手数料がかかり,これが利用者にとって地味なストレスになる(“便利さの罠”だ)。同社はこれを,前述の許可制チェーンを採用したうえで手数料を全額肩代わりすることで吸収した。
壁3:プログラム(スマートコントラクト)の公開。ブロックチェーン上で動く自動契約プログラムを「スマートコントラクト」と呼ぶ。
これを公開・設置するには本人確認(KYC)やマネーロンダリング対策(AML)の義務が伴い,許可制チェーンでは公開そのものが制限される。
結果,外部のビルダーは自分のプログラムを公開すらできず,仮に公開できても運営が一つひとつ審査して名簿に載せる手間がかかり,運営コストが跳ね上がった。
ここでドミノが完成する。利用者を守り,体験を良くするための選択を積み重ねた結果,「許可制チェーン」という結論に行き着き,その義務が逆にエコシステムの拡大を妨げてしまった。広げたくて始めたのに,広げられない構造に自ら陥ったのだ。「だから,ここからやり直すことにしました」と氏は語った。
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第3部の前に,リュ氏はより根本的な問いに立ち止まる。「ここまで来ると,『いっそブロックチェーンを使わないほうがいいのでは?』と思うでしょう」。実際,氏は5年間,毎週のようにこの懐疑に陥ったという。もちろんトークンやNFTが無価値という話ではない。
お金まわりの活用(円やドルを電子化したステーブルコイン,株などをデジタル化した資産,専用の取引所など)はすでに実績がある。氏の迷いは別のところにあった。「ゲームの隅々までブロックチェーンに記録することに,本当に意味があるのか」「人々は“自由”や“分散性”を,既存の仕組みを置き換えてまで欲しがっているのか」という点だ。
その懐疑を静めた“2つの瞬間”が語られた。1つ目は問いの立て方を変えたこと。最も懐疑的だったのは,サービス開始の約1年前。守るべきものが増え続けた。法律対応,本人確認による出金制限,そして極めつけのSafeRoom(セーフルーム)だ。
これは,企業が大切な署名を安全に行うために用意するインターネットにつながっていない隔離部屋のこと。重要な操作のたびに,上層部の承認を取り,5人以上が密室に入り,金庫を開け,PCを取り出してネットにつなぎ,互いを監視しながら手順どおりに署名する――という大仰な手続きが要る。
ビルダーを1社増やすたびに,またこの部屋に入ることになる。「鍵が盗まれる確率は天文学的に低いのに,こんな部屋を作る労力があるなら,面白いサービスを作って世界を広げるほうがいいのでは――と,当初の目的から大きく逸れている気がして,かなり懐疑的になりました」。
だが氏は,一般的なネット企業(Web2企業)がどう製品を作るかについても,この過程で多くを学んだという。そして「ブロックチェーンが約束する自由は,理想的すぎたのかもしれない。世界は理想どおりには動かない以上,運営者が利用者を守る責任を負うしかない」と考えるに至る。
ここで問いはこう変わった――「守るべきところはきちんと守りつつ,その中でいかにブロックチェーンの良さを残せるか」。これが後述のAction Moduleの出発点になった。
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2つ目はある思考実験だ。仮に自分たちが,ゲームで生まれたデータを外部企業に売る“データ商売”をするとしよう。買い手が一番気にするのは「このデータは本物か,改ざんされていないか」という信頼だ。
従来は,これを監査レポートで代用する。外部の監査会社がシステムを調べ「安全です」とお墨付きを与える――つまり買い手は監査会社を信じるしかない,“信頼の外注”だ。
一方ブロックチェーンなら,データの“指紋”にあたる短い符号(ハッシュ)を定期的にチェーンに刻んでおき,買い手が監査会社を通さず自分で検証できる。もちろん万能ではなく(最初のデータが正しいかは結局その会社を信じるしかない),それでも信じなければならない範囲が少し狭まるのが要点だという。
「開発者の目で見ると,許可制チェーンは中央集権的な普通のデータベースと大きくは変わらず,同じことはAWS(一般的なクラウド)でも作れます。それでも,監査レポートを読んでようやく信じるより,“ブロックチェーン”という言葉があるほうが自然に信頼しやすい。技術そのものより,ブロックチェーンがまとう“信頼というキーワード”のほうが大事なのかもしれません」。
そして氏は,自社と既存サービスの決定的な違いをこう述べた。
「私たちは,普通のデータベースから始めてブロックチェーンを後付けしたのではなく,ブロックチェーンから始めて,必要な分だけ閉じた。閉じたものはいつでも開け直せますが,最初から開いていなかったものを開くのは,まったく別の難しさなのです」。
書き換え不能・継続性・共通の規格を最初から備えた土台の上に立っている――そこが出発点の違いだという。
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こうして懐疑を解いた末に見えた“本質”は,2つに絞られた。1つ目は,氏が「Infrastructure of Recognition(実績が認め合われる土台)」と呼ぶものだ。手数料やアプリ公開は自由を実現する手段にすぎず,すべてをチェーンに載せたいわけではなかった。
本当に欲しかったのは,あるゲームAでの活動や実績が,別のゲームBでもそのまま認められること,そして作り手の貢献が誰の目にも透明に記録されること。しかもそれを,一社が握るデータベースではなく,複数のサービスや作り手が交わる“みんなに認められた共有の土台”の上で実現する――それこそがブロックチェーンを選んだ核心的な価値だった。
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2つ目は,より最近気づいた価値だ。2025年5月,Coinbase(大手暗号資産取引所)が「x402」という新しい仕組みを発表した。
長く使われていなかったインターネットの“支払い用の合図”を復活させたもので,かみ砕けばAI(自律的に動くソフト)が,他のAIからデータやサービスを自動で受け取り,その都度ごく少額を暗号資産で支払う仕組みだ。
リュ氏が注目したのはAIそのものよりも,「ごく少額でデータを売り買いできるのは,ブロックチェーン上だからこそ」という点だった。例えばAIが事件を調べるとき,各新聞社から記事を引いてくるが,必要なたびに全紙の定期購読はできない。そこで記事1本ごとに数円だけ払う――いわゆる少額決済(マイクロペイメント)でデータを売る世界だ。
さらに氏は,その先にある一点を重視する。支払いとデータが“同じ台帳の上”にあることだ。たとえば支払いはブロックチェーン上で済むのに,データは外部にある場合,「お金は払えたのにデータは届かなかった」という事故が起こり得る。
両者がバラバラだと“口約束”でつながっているだけで,仕組みとしては一体になっていない。
「ブロックチェーンを“支払いのレール”としてだけ使うのと,支払いができる台帳にデータそのものを載せるのとでは,根本的な違いがあります」。
MSUは膨大なデータをチェーン上に載せている。
「Henesys Chainは,トークンを送るだけのチェーンではなく,“データと支払いが同じ場所でかみ合う環境”なのだと捉えるようになりました」。
これこそ5年間築いてきたことの意義だ,と氏は語った。
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最後に,「許可制ゆえの制約」という冒頭の問題をどう解くか。エコシステムを広げるにはビルダーが自分のプログラムを自由に公開できる必要があるが,許可制のままでは,その義務からは逃れられない。
全員に公開を許可し,すべての取引を徹底監視する案も考えたが,コストが膨大なうえ,制限が抜け道で回避される懸念や,前述のApprove(許可)まわりの不安が残った。
そこで到達したのが,運営側が用意した“検証済みの部品”を,ビルダーがレゴのように組み合わせて自分のサービスを作るという方式だ。
スマートフォンに例えると分かりやすい。誰もがスマホの根幹(OS)をいじれるアプリを作れたら危険なので,安全に包んだ部品(API)だけを公開し,開発者はその上にアプリを作る。それと同じ発想である。
これにより問いは「誰がプログラムを公開してよいか」から「どんな操作を許すか」へと移った。
言い換えれば“誰か”を審査する方式から,“何をするか”を制御する方式への転換だ。これなら,許可制で負うべき責任を果たしつつ,開発者により多くの自由を渡せるという。
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この仕組みが「Action Module」だ。Authentication(認証),Execution(実行),Resource(資源),Settlement(決済)の4つの層から成る。最初の認証レイヤーはソーシャルログインなどの本人確認を担い,「いわばログイン機能を提供するもの」であるという。これにより,ビルダーが増えても運営コストが膨らみにくい設計になっている。
締めくくりにリュ氏は,前日にもウォン建てステーブルコイン(韓国ウォンに連動するデジタル通貨)の発表があったことに触れ,「こうした動きは今後も続くでしょう。ゲーム分野でもブロックチェーンが果たすべき役割は必ずあると信じ,その答えを探しています。まだ答えを見つけたとは言えませんが,これからも意味のある領域は残り続けるはずです」と語り,5年間の総括を終えた。
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