企画記事
ウルティマ オンライン10周年特別企画「元GM覆面座談会」――今だから言えるあのときのUO(第二夜)
それは,「ウルティマ オンライン」(以下,UO)のパッケージが日本で発売された日である。それから10年が経ち,2007年10月17日,今もなおサービスが続けられているUOの,記念すべき10周年を迎えた。
この記念すべき日に先立って,EAから「何か面白いことをやりましょうよ。っていうかやってくれませんか」と依頼があったのだが,10年の歴史を刻んだ作品ともなると,なかなか良いアイデアが思いつかない。攻略とか紹介なんていうごく当たり前の記事ではない,古い人も新しい人も読んで面白い“何か”とはなんだろう,とずっと考えていた次第だ。
そんな中急浮上したアイデアが,「覆面座談会」。10年もの歴史を誇っていまなお現役のオンラインゲームはUOくらいしかなく,その間に起こった様々な事件やイベントは,もはや口頭や個人のWebサイトで伝わるだけになっており,ものによっては「ネタ」扱いさえされている。家全部消えました事件や,Yamato大戦など,古い人が読むと懐かしく,新しい人が読むと「へえ」と思える,そんな記事ができるんじゃなかろうか。
そんなわけで,当時の日本サービスを支えてきた元GM(Game Master)達に集まってもらい,当時の苦労話や今だから言える話といったところを聞かせてもらえることになった。みなさんいまなお業界で現役の人達なので,仮名で登場することは,なにとぞご容赦いただきたい。
2007年10月某日,東京都内のとある料理店に集う6人の元GM達。いずれも,UOの日本サービスを初期から支えてきた人達である。すでにUOから離れた人だからこそ言えること,匿名だからこそ言えること……。そんな,元GM達から出る言葉の一つ一つを記録……するのはよいが,果たしてこれ本当に公開できるものになるのだろうかと心配しつつ,乾杯の音頭と共に幕は開いた。
――そんなわけで第一夜に引き続き,UOの元GM覆面座談会の模様をお伝えする。ベスさんに「悪事を暴露してごらん」と言われたスカラさん,デンさん。いったいどんな悪行を……?
■第一夜は「こちら」
■第三夜は「こちら」
ベス : スカラさんとデンさんは酷いよ。この二人はイベント担当だったんで。ほら,暴露してごらん(笑)。
Acha.,Kapapa,Cactus,Veno,小菅真美
イベント担当は悪い人?
デン : いや,別にプレイヤーを殺す以外,悪いことはしてないよ。だいたい,プレイヤーを殺す前に,ユーさんの持ちキャラで実験してたから,手加減とかに関しては問題なかったし。
ユー : イベント会場に先頭を切っていくと,なんか矢が飛んでくるんですよ。
デン : ゴルモアの弓の威力はそこで実験して,ちょっと強すぎかなとか,強さを調整してました。
ベス : 1ヒット?
ユー : そう,1ヒットで死にます。
スカラ: 攻撃されるの分かってるのに,イベント会場で前の方にくるんだもん。前の方にくるということは死んで良いってことだなと解釈されて,大抵真っ先に殺されるという。
ユー : 何十というキャラクターがいる中で,ほかをかき分けるようにして矢が飛んできました。どうみても,あの状態でいきなり攻撃されるのはおかしいって(笑)。
スカラ: そういえば,Asuka/Yamatoのプレオープンイベントで,ノーブル・イエーツという貴族がいる設定で,その人に呼ばれてパーティをするというのがあった気が。
トリ : パーティというか,お使いみたいな探し物をするというやつだったよね。
スカラ: そう。実はそれが罠で,最後に赤デーモンが大量にスポーンするデーモンゲートが出現! という展開だったんだけど……。
4Gamer: だけど?
スカラ: そのデーモンゲートは,使うとやばいアイテムの一つだった。
一同 : (笑)。
スカラ: その結果デーモンだらけになってサーバーがダウンという,綺麗な終わり方になっちゃった。
トリ : でもあれ,プレオープンだから使っていいって開発チームから言われてたんだよね。どちらかといえば,その前の晩餐会がひどかった。晩餐会は,みんながテーブルの上のものを食べるんだけど,その食べ物はGM達で1個ずつ作って配膳していったものなんですよ。けど,あまりのプレイヤーの数に配膳が間に合わなくて……あれは,すごく苦労したよ。
ベス : イベントのときに,死なないと通れないゲートとか作ったよね。何回か「ここで1回死んでください」ていうのを。
トリ : あったね。T2Aデルシアの南側でやったやつじゃない?
スカラ: そうそう,特定のコースをマラソン競争してもらうっていうイベントだったんだけど,アイテムを使われるといくらでもズルができるので,素っ裸で走ってもらおうと考えまして。素っ裸になるためには,そりゃ死んでもらわなきゃ駄目だなということで,開くと爆発して即死するドアが出現。
一同 : (笑)。
スカラ: ドアは幽霊だと通りぬけられるじゃないですか。そこで死ぬと通り抜けてイベントに参加できるわけです。そこには「ここで死んでください」という案内を,日本語と英語で置いて。おおむねうまくいきました。
ベス : いやちょっと待て。そういやトリンシックを全滅させてなかった?
スカラ: ……ああ,やりましたね。あれギリギリサーバーは落ちなかったっけ?
ベス : 落ちなかったけど……誰も攻め入る気力はなかったと思うよ? ガード以外,死体の山だった。
スカラ: Eight Weeks Eventというのが,トランメルができる直前に世界的に行われていて,その内の1回が,すごく攻められているので,ロード・ブリティッシュが退避しますという声明が出る展開直前のイベントなんですよ。
ベス : トリンシックに何かが攻めてくるはずだったんだよね。
スカラ: そう,トリンシックのガード圏が完全に解除されて,モンスターでいっぱいになります,というプロットまでは全世界に指示が回っていたんです。ただ,正直あまりパッとしないスクリプトだなと思ったので,もっと記憶に残る展開にしようと(笑)。強烈に記憶に残すためには……みんな一緒に死んでもらうのが良いと考えて,企画書に“全滅”と書いた(笑)。それもおおむね計画どおりでした。
ベス : もうスカラさんの目が違ってたよね。PCから引き剥がすのが大変だった(笑)
スカラ: いやぁ,ゲートから出てくるそばから死んでいくのがもうね。
デン : 実は俺よりスカラさんの方が殺してない?
スカラ: そこでかなり稼いじゃったかなぁ。
ベス : その可能性はあるな。
スカラ: デンさんの方が,ゴルモアシリーズで悪役的印象が強いんだけどね。
デン : 印象は強いけど,死なないように手加減してたよ。
ベス : ゴルモアでは米国チームに怒られたんだよね。色つき装備とか。
デン : でもあれだってやっていいっていう連絡きてたよね。
トリ : 特殊なアイテムは駄目だけど, 色つけるぐらいなら良いよって。
ベス : 本当だな? って(笑)。
スカラ: ゴルモアイベントは,それまで単発のイベントばかりだったから,キャンペーン的に連続するイベントを企画したんです。まず,このイベントが連続だと理解してもらうためにベタな展開にしようと考えました。とある少年誌的な方式で,四天王が居て,その四天王の上に大魔王がいることが分かって,大魔王が四天王を復活させるけど,その四天王は弱くて,最後に大魔王と戦う。そんな展開でやろうと(笑)。最初,四天王を何回かのイベントで出して,その中でゴルモアがいるという噂を出したんです。プレイヤーの間でそれはいつ出てくるんだ? と噂を増幅させてから出したので効果的でした。
ベス : 結構すごい剣がもらえたんだよね。紫色の剣とか。
デン : リアルマネーですごい金額で取り引きされたってあとから聞いた。
4Gamer: ありましたね。鎧なども当時は絶対に作れない色の装備だったから,すごくレアなアイテムでした。
スカラ: 私はその四天王系のイベントを担当したのが多かった。
デン : それで,最後にゴルモアがいて,100人くらいのプレイヤーに囲まれながら大暴れ。そしたら,途中で自分のPCが落ちちゃって。消えた消えたって言われた。
スカラ: このイベントの影響でその後,ストーリー系を期待されるようになったんだよね。シャードが増えるたびに大変になっていった(笑)。
デン : そのあと,ベスさんか誰かがああいうのはやらないっていうインタビュー出してたよね。
ベス : 米国に行ったときに凄く怒られたんだよ!(笑)
スカラ: ほかにも3年目くらいの子供の日に,導入前の鎧を五月人形に使ってベスさんに怒られた記憶が。3Dクライアントで見るとものすごくリアルな日本の鎧が,非公開で存在しましてね……。今はもう実装されていますが,まだ出ていない当時にそれを五月人形に使って,3Dクライアントだと日本の鎧に見えるっていうやつをやったんです。
ベス : EAは,現地ごとに自由にやらせる空気はあったけど,人によっては頑固なタイプもいた。ま,今思えば案外自由にやらせてもらってたかなぁ。
スカラ: 後半は,アイテム出していいんじゃない? っていう見解が出るときもあったり,米国チームの方針も若干ぶれていましたね。
4Gamer: 実は日本のUOが一番GMイベントが多かったんですよね。
ベス : あー,そうかも。北米はほとんどなかったね。
トリ : IGM(Interest GM)がほとんどいなかったからね。
ベス : Seerとかのボランティアのイベントをする人はいたけど,IGM専属というのはいなかったよね。
トリ : 一人ぐらいだったかな。
ベス : 日本では,IGMを二人置いて,イベントをしてからサポートするという体制を持っていたんだけど,途中でそれをやめて,ドラスティックにIGMはイベント専属,サポートはサポートと分業という方針に変えてみたんです。つまり,スカラさんはずっと殺してていいよと(笑)。
スカラ: マ・ジ・デ!? と(笑)。
トリ : 最初の頃のイベントは,手が空いたリードGMがやれって言われてた。
ベス : そうそう,リードGMはリードGM権限で,どんどん殺すイベントをやってたかも……。
スカラ: リードGMのイベントは基本的に人を殺すだけっていう傾向が強かったな。
ベス : でも俺,スカラさんに,企画書で何人殺すか書けと言ったことあるよ(笑)。毎週何人という条件を付けようと。
スカラ: あったねぇ。概算で何人予定って。
4Gamer: 概算って(笑)。
スカラ: 当初,米国のプログラマーやデザイナーが考えていたイベント規模はもっと小さかったと思うんですよ。でもGM用ツールなどの情報が日本側にないことが幸いしたというか,いろいろ独自に研究した結果,いろいろな新発想が生まれて,それで日本のIGMが発展したんだよね。
ベス : 北米はIGMの仕組みが,シャードも多かったしコスト的にも機能してなかったから,IGMチームがなかった。でも,日本はゴルモアを含めてイベントが受けるので,これはコストをかけてもチーム化すべきだと考えました。イベントが終わってからコールを取る本数は,考えてみると明け方近い時間だし,分けても大丈夫だろうと米国に交渉したら快諾してもらった。どちらかといえば,会社の方がコスト的に嫌がってたんじゃないかな(笑)。
4Gamer: なるほど,それで日本シャードでのイベントは多かったわけですね。
スカラ: 最初に日本の独自性が見えたのが1998年の年末で,正月を迎えるスゴロクじゃないかな。
ベス : スゴロクやってほしいって頼んだおぼえがある。
スカラ: 布を固定して,色分けして,サイコロを振ると移動するという仕掛けで……。ワープする先がダンジョンとか。
ベス : 最深部のデーモンがいるところとかにね。
スカラ: そのときにゴールを派手にしたいってデンさんが言うので,なんとなくオブジェクトをいじっていたら鳥居が出来ちゃって(笑)。それがすごく鳥居っぽいので,どうもデンさんが悔しかったらしくて。翌年3月のひな祭りに何か一生懸命作ってるのよ。「ねえねえ。ひな壇,ひな壇」っていうから見に行ったら,もの凄くリアルなひな壇がそこに(笑)。
ベス : 鳥居とかって,政治的/宗教的にマズイかな? と思っていたんだけど,米国チームにイベントレポートを出したら,大ウケで。米国から日本はこういうイベントばかりでいいよと,大応援大会が(笑)。
スカラ: GMツールをいろいろ試してるだけで楽しくて,それをいじくって何かをやるとプレイヤーが喜んでくれるというプラスの連鎖が働いてましたね。そんなことを試している時に,ごく数回ですが“やむを得ず”サーバーがダウンしたり(笑)。
4Gamer: 趣味にしか聞こえませんが。
スカラ: 完全に趣味です(笑)。働いている気がしませんでした。
ベス : だってそもそも会社に来ないんだもん。完全にレアポップで。しかも自転車通勤にしたんだよね。
スカラ: した! 片道90分くらいで。
ベス : もう疲れちゃって来ない。どんなNamedよりもポップしない社員。
スカラ: 七夕のときに,もの凄い複雑な設置物を作ったんですが,サンプルだけを作って,当日休んだことがありまして。たしかデンさんが泣きながら作ってくれたんだっけ。
トリ : いや,全員でやったよ! ひたすら色とパーツを作って,色を作る人と,運んで組み立てる人がいた。
ベス : それを1パーツずつ作って組み上げて全シャードに1個ずつ作っていくんだけど,ある日米国での会議で,それをまとめてセーブできる技があったらなーって言ったら,その機能があったのよね。
デン : そうそう,あとで知ったよね。
スカラ: 向こうは相当前から知ってたっぽい。
ベス : なんで知らないの? って教えてくれてないからだろうと(笑)。
デン : それが分かるまでの設置物は本当に大変だった。
ベス : 大変だったね。
スカラ: しかも固定の設定をしないと,動かせるアイテムはそのまま動かせちゃうんで,固定する前にさっと持っていくプレイヤーがいるんですよ。
いかにも現在作成中なクリスマスツリーが。こうして1個1個オブジェクトの高さを調整しながら組み上げていくわけだ。 |
ダンジョンで意外な物が反応を……。これは取ることはできなかったようだが,オープン時には? |
ベス : そうそう,捕まえてバッグから引っ張り出して,プレイヤーを地面に埋めて,とかやってたね(笑)。
スカラ: 当時,大理石のベンチっていう手に入らないアイテムだったんですけど,それを手に入れちゃったプレイヤーは,そのときに持っていった人です。
4Gamer: なるほど。当時高値で取り引きされていたのはそのへんなんですね。
スカラ: あと高値が付いていたのは,サーバーの初期状態でだけ取れる開発の取り忘れアイテムがいろいろあって……「指カーソル」とか有名ですよね。
ベス : それと,T2Aの一角に4万6000ゴールドが落ちてるやつとか。サーバーがアップした後にそこに走っていけばすぐ家が建つんですよ(笑)。
トリ : お金とインゴットだよね。
ベス : そう,それで一度開発チームから,シャードオープン直後になんでいきなり家が建っているんだと調査の連絡がきて,これはGMの不正に違いないから調べてくれって。いや,そうじゃなくてオマエらがお金を落としてあるんだろう,と……。
スカラ: あと,バッカニアーズ・デンの地下の洞窟に小さい家が建ってしまうんだけど,建たないように小さな岩を置くというのもあったな。
ベス : どこかスタックするような危ないところは全部メモしているGMノートというものがあったんですよ。オープン時にサーバーが立ち上がったら,メモを見ながらそこを岩とかで全部埋めていってたんです。
4Gamer: それはサーバーUp時のスクリプトで設定できるものじゃなかった?
ベス : ダイナミックオブジェクトは初期のデータにはないので。1回やったやつをイメージで保存すればいいだけなんだけど,文化の差なのか,直してもらえなかったね。
スカラ: バグだけど,修正されていない細かいバグがあって……。
ベス : 要するに岩を置けばいいんだよね? っていう感じで(笑)。基本,そういう文化だったんです。昔バグで,オートトランスレーションがオンだと,こっちからの半角文字は米国のプレイヤーには見えないけど,向こうの言葉は見えているという状況があったんです。カウンセラーからの報告で,アメリカからGMを日本のシャードに呼んで,実際の現場を見せながら説明したんだけど,そのGMから「つまりカウンセラーを通じて伝わったんだよね? じゃ問題ないんでない?」って言われた。そういうスタンスなんですよね。
スカラ: すごく自信ありげに言われたから,言われた方もなんか納得しちゃって。
ベス : 「ああ,そうか。誰か介せばいいのか」って(笑)。
4Gamer: 根本的には何も解決してないですね(笑)。
ベス : まあ,それらサポート側の仕様はもう仕方ないんだけど,ドラゴンのスクリプトをオブジェクトにくっつけたら火を噴くというゲーム側の仕様は凄いと思う。
スカラ: UOは,オブジェクト指向が完全に実現化されているシステムなんですよ。すべてのオブジェクトには属性と動作に分類できる要素があって,キャラクターの属性に“blue”と書くと真っ青になって,動作にドラゴンを加えると人間でも火を噴くという感じで,どんなオブジェクトでも適応できるんですよ。
ベス : この柵を食べられるようにとか設定できる。
ユー : そういえば,ダウン戦でも散々試したんだよね。
スカラ: やったね。サーバーダウン直前にセーブされない時間があって,そこはGMの実験場と化してました(笑)。モンスターと戦っているプレイヤーの近辺に実験的なものを置いてみるとかね。これは強すぎて即死だったなぁとかやってました。それで,ミノさんがひどくて……連射型弓兵を作って十字砲火を打つように配置して,これなら死ぬだろ! とか言って実験してた。
ベス : たまにメンテ開始が遅れてセーブされるちゃうことがあったけどね(笑)。
ユー : 挙げ句それにパラライズ付けたりしたんだよね(笑)。
スカラ: パラ弓はミノさんだな。
ベス : ヒーラーにパラ弓付けたよね。
一同 :ああ,やってた!(笑)。
スカラ: あ,それ俺。プレイヤーを蘇生してくれる,ワンダリングヒーラーっているじゃないですか。あのNPCが持ってるヒーラー属性を弓兵に付けると,プレイヤーが死ぬとヒーラー属性で蘇生して,直後に弓を撃ってまた殺すというコンボが発生するという。でもこれはさすがに反省して,そのとき以来使ったことはないです。その当時の仕様のパラ弓は,パラライズした直後の一発が必ず当たるから,その一発でまたパラライズという凶悪な武器でした。
4Gamer: 割とみんな酷いですね……。
ユー : 不在マクロには毒蛇を放つとかやってましたね。
スカラ: 後にそんな手間はかけられなくなったんですけど,以前はマクロで釣ってる人に,確認するためにモンスターをけしかけてみたりとか。人間なら普通に逃げるんですけど,そのまま死んじゃう人も中にはいたり。
ベス : 不在マクロは多かったからね。1回不在マクロの報告を自動的にGMコールに流し込むっていうサーバーの仕組みを作ったんだけど……。
ミノ : 凄かったよね,1日数百件とかくるの。
トリ : あれ三日くらいで終わったよね。GMからの苦情が多くて。
ベス : 普通のコールが見えなくなっちゃった。
トリ : しかも不在マクロの“疑い”なんだよね。行ってみるとちゃんと反応があって。しばらくするとまたサーバーから同じキャラクターのコールが来る。
4Gamer: よくGMが来て,「Are you there?」って聞かれた記憶が。
ベス : そのメッセージはなつかしいなー。
ユー : あれマクロに確認用のセリフ入れとくんだよね。
ミノ : でも,自動マクロに返事を組み込んでおくプレイヤーもいるんですよね。「はい,居ますよ」とか定期的に発言している人が。
ベス : あまりに不在マクロが多かったので,ジェイルがいっぱいになっちゃって,バッカニアーズ・デンに晒し小屋みたいなのを作って……。
トリ : あれ最初,ジェロームに作ったんだけど,ガード圏だったから赤を飛ばすと即死するんだよね。
ベス : そうそう(笑)。だからバッカニアーズ・デンに移転した。そこに送っておけば,設置されている「あなたは捕まったよ」と書かれた看板を見て理解してから,自分で歩いて帰れる。
デン : でも,そいつを壁越しに攻撃するやつとかいたよね。
トリ : 最初は窓が開いてて,視線が通って攻撃できるからと,あとで窓が壁で埋められたけどね。
ベス : 攻撃できなくても,周りでPKが待ってたね(笑)。
トリ : みんな眺めてたよね。
ベス : 早く出てこないかなぁって,周りをうろうろしてた。
GMもプライベートではUOプレイヤー……のはず
デン : PKじゃないけど,GMの身内同士が普通にプレイしてるときに沸かないはずのモンスターがポップすることがあったよね。
ベス : あったね。家に帰ったらラージハウスの中にNPCの羊飼いだけが200人くらい居て。なんで? って(笑)。
デン : シェイムで狩りしてたら,火エレが後ろで三つくらい沸いて,処理が重くて動けないとか。
トリ : IGMがなかった頃には, イベントのテストでやったね。
ベス : GMはダイアログを自在にプレイヤーに出せるんだけど,ユーさんから「ちょっとよろしいですか? (はい)/(はい)」っていうのが来たりとか。
一同 : (笑)。
ベス : あと,家のはじっこに羊を100匹くらい飼ってた人いたじゃない。家に帰ってからプレイヤーとしてログインして,ああいうのを外からファイヤーウォールで処理してた気がする。家に帰ってからも仕事をしてたのかなぁ。
トリ : 羊とリッチはやったなぁ。
ベス : 家の中で飼うのはいいんだけど,当時の同じマスに100匹とかはやりすぎだったよね。
トリ : 羊は,羊飼いがポップさせるからまだ良いんだけど,モンスターはスポーンブロックされちゃうしね。
スカラ: 羊飼いが羊をポップさせるとか,オブジェクト指向の仕組みが発達しているせいで,プレイヤーも羊を囲うとか工夫ができるんですよね。非常に,悪巧みのしがいのあるシステムだったと(笑)。
※編注:無用な誤解を招かないために述べておくと,これはあくまでも9年近く前の,運営サイドとプレイヤーの距離が異様に近かったころのお話だ。さらにいくら当時とはいえ,運営チームやGMが,特定のプレイヤーの利益のため,もしくは自分自身の利益のためにGM権限を乱用していたわけではないことは,(文章で理解していただけるとは思うが)念のためフォローさせてほしい。
……しかしそう考えると,彼らは自宅でも延々と“仕事”をしていたわけで,私生活さえも仕事の一部だったのだ。運営サイド――言うならば,ただの“会社員”である――にさえそれほどまでに熱意のあったスタッフ達がいたおかげで,わずか9名というスタッフ数にもかかわらず,あれだけの数のシャードにいた10万を超える日本人プレイヤー達が,存分に楽しませてもらっていたというわけだ。
ベス : アートっぽいのを作る人もいたし。
スカラ: コインアートとかね。
地味ながらも印象に残っているナスカの地上絵。ちなみにこれは,サンタ大虐殺イベントのとき |
まだテーブルが積み上げられたころの写真。どこまで積み上げるおつもりで…… |
ユー : 内装でガ○ャピンとかム○クとか流行ったよね。水槽なんかも。
スカラ: 水槽は,プレイヤーのマシンによっては表示が追いつかなくて落ちるときがあったね。
ベス : あとタワーとか,あまりにもオブジェクトが多いと,玄関に乗った瞬間に落ちたりしたね。
ユー : 無数のたいまつが置いてある家とかもあったね。
トリ : 家の近くにベンダーを大量に置かれて落ちるって泣いてた人もいたよね。
スカラ: 落ちるといえば,ミノさんが犬のキャラを置いた事があってさ。
ミノ : ああ,Izumoのカウンセラーホール!
スカラ: 何かを質問すると定型文を返すっていう機能があって,それを犬に付けてしゃべらせると可愛いという仕掛けなんですよ。かなり根詰めて100個以上メッセージを登録しちゃって。その状態で誰かが話しかけるとサーバーが落ちると。
ベス : ええ? それ初めて聞いたよ?
ミノ : サーバー落ちたっけ? それは知らなかった。
スカラ: 珍しく私が怒る側だったのでよく覚えてる(笑)。
ミノ : 明け方はプレイヤー少なくて暇だから,ああいうことをするしかなかったんですよね。
ベス : 登録するメッセージ数を自主規制したのはそのせいだったか……。そういえば,昔からプレイしてた人ってどのくらい残ってるのかな。トランメルができたあたりでプレイヤーはすごく増えたんだけど。
4Gamer: あの時点でプレイヤー層変わりましたか?
ミノ : 変わったんじゃないかな。コールの内容を見ると新規組だなと分かるくらいに。
スカラ: 「バカと言われました」とかありましたね。昔のプレイヤーだと絶対そんなコールはしなかった。街を出た瞬間にファイヤーボールを大量に食らって殺される世界だったので。バカと言われたくらいなら,ファイヤーボールじゃなくてよかったくらいだった。
ミノ : 「誰かがカバンの中を覗くんですけど」とかあったなぁ(笑)。
スカラ: そのころの無法さの象徴として,いつもとある詐欺プレイヤーを思い出します。今はどうなんだろう? 少なくとも当時は詐欺は何の問題もないゲームプレイだったんですけど,「修理しますよー」といってアイテムを預かった後に,なぜか修理しないで店のNPCと何かやり取りをしてて,帰ってきたら「150Goldになりました! ありがとう!」とかいうわけです。そして被害者はGMコールしてきて「詐欺られました」となる。こちらとしては「そうですか,大変ですね」としか言えない(笑)。
ベス : 米国チームも,詐欺はOKにしたり駄目にしたり初心者を保護したりと,何回かポリシーが揺れてました。
スカラ: トランメルで変わっちゃって,当時の古参プレイヤーの多くはもうUOは終わりだと言ってかなり去ったんですよ。でも新規組がより大きい勢力になったので,商売的には成功だったのかなとは思います。
ミノ : イベントも変わったよね。トランメルだとすり抜けができるようになっちゃったので。すり抜け出来なくて殺されるってのが無くなった。
スカラ: おかげで,不必要に追っかけて殺さざるを得なく(笑)。
4Gamer: そんなに変わったんですね。
ミノ : カウンセラーもあのときに,結構辞めたよね。
4Gamer: いわゆる古参プレイヤーですね。
ミノ : そう。
スカラ: 実は,個人的なプレイヤーとしての情熱はそこで冷えちゃって,以後はプレイヤーを殺す方に情熱を集中しました(笑)。でも,トランメルになってからの方がPCショップとかは栄えたかな?
トリ : そうだね。
デン : 俺はそれで辞めちゃったけど。
4Gamer: 実は私もそのあたりで。
スカラ: 悪い人には住みにくい世界になった。
ベス : 企画的には,同じマップを使って2倍にしようというのは賢いです。開発コストを増やさずにと思えば賢い選択じゃないかな。結果的にはプレイヤー数が増えたし。そういえば,Mugenってまだあるのかな。
トリ : まだあるみたいよ。
ベス : おー,それは嬉しい。
デン : いや,あなたが作ったんだし!
ベス : いや,まだあるのかなぁって思って(笑)。
トリ : 一度作るとそこに家とかが建ってなくすわけにいかないでしょ。
ベス : Mugenは面白かったと思いますけどね。
ユー : ただ,作った本人的にはオープンまででお腹いっぱいでしたね……。ストーリーからなにから。
スカラ: キーワードの隕石が先に決まって,それをストーリーに出さなきゃいけなくて苦労した記憶がある。
ベス : ライブチャットで,最後にヒントを言わないといけなかったんだけど,何も思いつかなくて。思わず「あの隕石はなんですかね?」って言っちゃった(笑)。
ユー : でも,隕石の素材なんてなくて。すごく探して,流れ星っぽいものを見つけて。
ベス : パブリックの写真集じゃないとまずいよねとか。
ユー : しかもよりによって「赤い」とか言ってて。オープニングムービーをキャプチャして色調を変えてた。
ベス : それで今週の1枚をそれに変えたんだよな。
4Gamer: 思わず言った一言で,大変なことに(笑)。
ベス : あとGMにとって,UOの戦いはUOチームと会社との戦いですよね。結果的には会員数は十分だったので問題はなかったですけど。たしか,一時期は日本人とアメリカ人のプレイヤー比率は半分くらいだった。
スカラ: プレイヤー数で評価されただけで,UOの中にプレイヤーコミュニティが存在して,その価値が高いんだってことについては,初めてのケースだったこともあるけれど,なかなか理解してもらえてなかったと思う。
ベス : 10万を超えるプレイヤーを支えているのは,全サポート,イベント,企画を含めて,9人程度のスタッフだった。
スカラ: プレイヤーのWebなんかでの努力に助けられたものが多いと思う。
ベス : どんな企画を投げても,ちゃんと反応が返ってきて。一緒に作ってる感がとても高かったよね。
4Gamer: 当時はみんな相当なコアプレイヤーでしたよね。
ベス : そう,作業の手が足りなくて,ボランティアの手を借りていろいろな仕組みを作ったりしたしね。カウンセラーの管理ツールとか。マニュアルの翻訳もGMだったしね。
4Gamer: そんなことまで……。文字通り本当に一緒に作ってたわけですね。では,ちょっと進行をこちらに戻しまして,そんなGMの仕事で思い出に残っていることなどを,みなさん聞かせてください。
生々しい話(?)が連発の第二夜はここまで。
イベントがやたらに数多く実施されていた日本シャードには,こんな経緯があったのだということを,筆者も初めて知った。開発元である米国からの情報が少なく,システムを研究して工夫することで,さまざまなイベントが行われていたようだ。
日本シャードでとりわけ流行っていた家の内装と同じようなもので,今その場にある素材でいろいろな形を表現しようとする楽しさに近いのかもしれない。そういうところも含め,プレイヤーとGMが同じ方向性を持って同じゲームを“プレイ”していたんだなと,改めて感じさせられた。
さて,最後となる第三夜では,元GMのみなさんに,当時の仕事で思い出に残っていることを聞くとともに,なぜUOは10年も続いているのか,UOに望む今後の姿とは……などを聞いてみたので,お楽しみに。
――第三夜に続く
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