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[GDC 2017]「Hearthstone」のリードデザイナーが明かす,プレイヤーが「語りたくなる」ゲームデザインとは
さて,ゲームをデザインする側は果たしてこの「大きく広がったプレイヤーコミュニティ」をどのように捉え,またどのように利用していくことができるのだろうか? Blizzard Entertainmentにおいて「Hearthstone: Heroes of Warcraft」(PC / Android / iOS)のリードデザイナーを務めたEric Dodds氏がその秘訣を語った。
なお講演の冒頭で強調されたので本稿でも書いておくが,この講演で語られた内容はDodds氏の個人的な見解であり,Blizzardの方針ではないことには注意されたい。
プレイヤーのストーリーが生む「口コミ」
Dodds氏はまず,ゲームには「デザイナーのストーリー」と「プレイヤーのストーリー」があると定義する。
デザイナーのストーリーとは,ゲームのシナリオであったりイベントであったり,あるいはステージの構造や敵の配置といったものだ。
一方で,プレイヤーのストーリーは「そのゲームでプレイヤーがどんな体験をしたか」という,いわば武勇伝(ないし思い出)のようなものだ。
例えばデザイナーのストーリーが「あるレイドダンジョンの設計と雑魚敵の配置,ボスのスペック」によって提供されるとしたら,プレイヤーのストーリーは「レイドダンジョンに行ってボスを食ってきたんだけどさ。マインドコントロールしてくるのがすごく大変でねぇ。あとスタンが超ウザかった」といった形でプレイヤーの間を伝播していく。
ではいったい,このうち後者にあたる「プレイヤーのストーリー」を,ゲームデザイナーが意識しなくてはならないとしたら,その理由は何だろう?
Dodds氏はこの根本的な疑問に対し,「プレイヤーはストーリーを忘れないからだ」と語った。そして,さらに重要なこととして,「プレイヤーが語る,プレイヤーのストーリーは,そのゲームがどのようにして広まっていくかを決める」と指摘する。
「Dungeons&Dragonsの時代からそうだったが,プレイヤーは『ゲームでこんなことがあった』と話すのが大好きだし,さらに言えば,自分が話をするほうが,他人の話を聞くよりも好きだ」とDodds氏は語る。なるほど,ゲーマー(というかオタク)の傾向は日米を問わないらしい。
そしてこの口コミによるゲームの広まりは,多くの識者が語るとおり,もはや絶対に無視できないものとなっているというわけだ。
「もう遊ばない!」と言い続けたテストプレイヤー
とはいえ,「口コミが大事だ」という話をすると,「口コミが大事なのは認めるが,それは悪い逸話も広まりやすいということではないか」という指摘も出やすい。だがDodds氏はこの「悪い逸話が広まる」ことに対して,比較的楽観的だ。
というのも,「人は誰かに話をするとき,なるべくその話を面白い話にしたがる」からである。そして少なからぬ人は「話を面白くする」技術として,「面白かったよ,でも,こんな酷いこともあってね」という構造を利用する。
例えばバカンスで旅行に行って,そこで大いに楽しんだとしよう。けれどその体験を人に話すとき,人はしばしばこのような話し方をする――「いやあ,◯◯に行ったんだけど,ほんとうに素晴らしい場所だったよ! ただねえ,実は旅先で××っていう困ったことも起こってさ」。こうやって話にサプライズ要素を加えることで,人は自分の話をより楽しめる物語へと作り上げていくというわけだ。
Dodds氏は「同じような体験は,Hearthstoneを作っている最中にも起こった」と語った。
α版をBlizzard社内でテストプレイしていると,デザイナーから「お前の新作を一晩遊んだんだけどさ,こういう問題があって,これじゃあもう遊びたいとは思わないね!」と忠告を受けることがあったそうだ。
しかるに,その翌日もまた同じ人物から「お前の新作を一晩遊んだんだけどさ,こういう問題があって,これじゃあもう遊びたいとは思わないね!」というクレームをつけられ,それは実に1か月にわたって続いたという。
実際のところ「一晩遊んだ」という言葉が示すとおり,彼がHearthstoneのα版に熱中していたのは間違いのない事実だ。「もう遊ばない」「もう遊ばない」と連呼しつつ,結局はHearthstoneに夢中なのである。
ただし,だからといってネガティブな評価をまったく意に介さなくて良い,というわけではない。プレイヤーがゲームに飽きてくると,ネガティブな評価はそのまま「悪評」となるということには注意が必要だ,とDodds氏は指摘した。
ランダム性・組み合わせ・ラフエッジ
さて,ではどうしたらプレイヤーに「プレイヤーのストーリー」を語り続けてもらえるのだろうか?
この問題においては,まず最初の認識として,「ゲームデザイナーもまた人間である」という点に着目すべきだとDodds氏は語る――つまり,ゲームデザイナーもまた一人の人間として「語りたい」という欲求を持っているのだ。
しかしながら,こうやって語られるデザイナーのストーリーは,ときおり,プレイヤーのストーリーと衝突することがある(長時間にわたる退屈なカットシーンの挿入といった仕様は,この典型と言えるだろう)。
この問題に対しDodds氏は,まずは世界設定が重要だと話す。その上で,作り手側が多くを語れば語るほど,それがコミュニケーションの起点となる可能性は下がっていくと指摘した。
むしろデザイナーおよびプレイヤーにとっての共通認識となる世界設定をきっちりと作った上で,デザイナーの側からは言葉で多くを語らないことによって,より豊富なコミュニケーションの醸成が期待できるというわけだ。
また,プレイヤーに「プレイヤーのストーリー」を感じさせ,また語らせたいと感じさせるための代表的な技法として,Dodds氏は3つの技法を紹介した。
◯ランダム性
最初の技法はゲームが持つランダム性である。
Dodds氏は「人間は予想しない結果を前にすると,そこに強い物語を感じる」と指摘する。TVドラマシリーズ「Game of Thrones」がこれほどまでに人気を得たのも,予測できない物語展開があったからだ,というわけだ。
またギャンブルが示すように,予測できない結果に対して,人間は興奮を覚える傾向にある。
Hearthstoneでは「Brawl」と「Enter the Coliseum」というカードがあり,いずれも「お互いにミニオンを1体だけ場に残す」という効果を持つ。だが前者は残るべきミニオンがランダムで決まり,後者は残るべきミニオンがルールで決まっている。そしてプレイヤーが「こんなとんでもないことがあったんだ!」と語る対象となるのは,やはり前者なのだ。
同様の「ランダムによるドラマ」は,RTSにおいても発生する。具体的に言えば「戦場の霧」効果だ。
「戦場の霧」の正式な定義はいろいろ面倒だが,RTSで言えば「自軍ユニット(ないし建物や設置アイテム)の周囲しか敵の様子が見えない」という仕様になる。これのどこがランダム? と思うかもしれないが,プロの試合であっても「敵味方のユニットの移動タイミングが数秒違っていた結果,敵の大規模な攻撃部隊の動きを察知できたり察知できなかったりする」というドラマは発生する。
このように「基本的にはスキルによって支配されるが,双方のスキルが近似していれば近似しているほど,ほんのちょっとしためぐり合わせがゲームの展開に影響する」という物語もまた,ランダム性がもたらすストーリーと言える。
◯組み合わせ
プレイヤーが操作できるゲーム要素のうち,複数を組み合わせて利用できるという仕様は,場合によっては組み合わせ爆発を招き,そこで「予期せぬ物語」を発生させる。
この代表的な例は,まさにHearthstoneのようなTCGだ。Hearthstoneをプレイしていなくても,古くから「Magic: The Gathering」をプレイしている読者であれば,カードのコンボが「コンボの冬」といった形でとんでもない状況を生み出すことを骨身に染みて感じた人もいるだろう。だが,TCGだけがこの「組み合わせ」によるプレイヤーストーリー醸成の舞台ではない。
「World of Warcraft」では,かつてCorrupted Blood事件という予期せぬことが発生した。
Corrupted Bloodは,とあるインスタンスダンジョンのボスが使う魔法で,短時間のDoT(Damage over Time)を与えるとともに,ターゲットの周囲にいるキャラクターにもその効果が「伝染」するという仕様である。
Corrupted Bloodによって発生するダメージは,このダンジョンを攻略しようと思う高レベルキャラクターにとっては,決して致死的なものではなかった。このためCorruputed Bloodを受けた状態のまま,それをダンジョンの外に「持ち出す」ことができてしまったのである。
かくしてWoW世界に伝染を始めたCorrupted Bloodは,今度はNPCを媒介として感染を続ける。街にいるNPCはHPが非常に多いため,Corrupted Bloodが感染する距離に複数のNPCが配置されている場合,そのNPCたちが感染源として機能してしまうのである。
最終的にはサーバを一時的に閉鎖して「リセット」することでしか対処できなかったこのパンデミックは,Corrupted Blood単体で起きたわけではなく,さまざまなゲームギミックを介して発生したものであった。「組み合わせ」は,こんな珍事を起こすこともあるというわけだ。
また,ゲームの基本的な構造の組み合わせによって,予期せぬ物語が発生するというパターンもある。
この例としてDodds氏は「グランド・セフト・オートV」のオンラインモード「Grand Theft Auto Online(GTAオンライン)」を挙げた。この作品においては,フィジクスと自分以外のプレイヤーの組み合わせによって,まったく予期できない「プレイヤーの物語」が生まれる可能性に満ち満ちている。
◯ラフエッジ
最後の技法は,Dodds氏自ら「難しい技術」と語るものだ。
フロー理論に則って考えると,良いゲームはプレイヤーの技術向上に比例して課題も難しくなっていく,という構造を有する。プレイヤーはフロー・チャネルと呼ばれるこの「バランスの取れた帯域」を楽しんでいく――はずだ。
しかしながらDodd氏は,「超長期的に見ると,この理屈は必ずしも正しいとは言えない」と指摘する。というのも,フロー・チャネルのど真ん中を進んでいくような状況は,プレイヤーにとってみると「普通の状況」だからだ。面白いことは面白いけれど,極端に言えばプレイヤーはこの状態において何らか語るべき感想を抱かない可能性がある。
それゆえに,「あくまで非常に長いスパンで見たときに限るが」,ゲームの進行はフロー・チャネルを蛇行し,ときにその上下の閾値をやや踏み越えるようにデザインされるべきだとDodds氏は指摘する。
この例としてDodds氏は,World of Warcraftにかつて存在したクエスト,「The Green Hills of Stranglethorn」を挙げた。
このクエストは散逸した本を復元するために,実に60ページにわたる断片を収集するというものだ。しかもこのクエスト,「合計で60ページの断片」はそれぞれ個別のアイテムとして提供されている――つまり「本の断片」というアイテムを60個集めるのではなく,60種類のアイテムコレクションをコンプリートさせねばならないのである。
かくしてプレイヤー達はこのエリアで「俺は◯◯ページを持っている。××ページと△△ページが欲しい」といったShoutを繰り返すこととなった。このShoutも含めて,まあ,「ウザい」クエストと言えるだろう。
実際のところ,このクエストの評判はあまり良いものではないし,今でも「The Green Hills of Stranglethornはクソだ」という古い書き込みをWebのあちこちで見ることができる。
だがその一方で,このクエストはプレイヤーに対して「何かを言いたくなる気持ち」にさせることには成功している。そして実際に「The Green Hills of Stranglethorn」をクリアしたプレイヤーは,いまだに「あれはね……」と当時の思い出を語ることができる,とDodds氏は指摘する。
ラフエッジの別の例として,Dodds氏はHearthstoneのFrostmageを挙げる。
Frostmageは,いわゆるコントロール系のデッキ作りを可能とするHeroだ。そしてコントロール系のデッキにはありがちなことだが,対戦相手はFrostmageと戦うことをあまり「楽しい」とは思わないことがある(プレイヤーがやりたいことをひたすら阻害してくるのが,コントロール系のデッキの特徴なのだ)。
結果,Hearthstoneのプレイヤーはしばしば「Frostmageに勝った!」ということを武勇伝として語るという傾向が見られる。「あの嫌なヤツを倒したぞ!」という思いは,プレイヤーに何かを語らせたくなるだけの力があるのだ。
なお,Frostmageは本当に強いのかということになると,実は勝率は49%程度のHeroであり,統計的に言えば「Frostmageに勝つことは特別なことではない」。それでもなお,「あのイヤなヤツ」というラフエッジによって,プレイヤーはその勝利を語るべき思い出に昇華させるというわけだ。
これ以外にも,「オンライン対戦ゲームにおいて振れ幅のあるマッチメイキングシステム」や「明らかにこれまでとは格の違う強さを持ったボス」といったものも,ラフエッジとして利用できるとDodds氏は語った。
チェスやポーカーといったゲームにおいても,「現実世界という制限を伴ったマッチメイキングシステム」はラフエッジとして機能し,ときにプレイヤーに強烈な印象を残している。「おじいちゃん相手に将棋を指してボコボコに負けた」というプレイヤーのストーリーが,その人にとって将棋における最後のプレイヤーストーリーになっている例は少なくないだろう。
もっとも,容易に想像できるとおり,ラフエッジの扱いは決して簡単なものではない。
講演の中でもDodds氏は「ラフエッジに相当する部分は,デザイナーにとって修正したくなる部分だ」と認めているし,「本当に修正すべきラフエッジもある」とも指摘している。
プレイヤーに対して「これは普段と違うぞ!」という感情を抱かせ,またその感情のままに行動させるようなものが重要なのであって,そういったエモーショナルな働きを持たせられていないなら,それは「修正すべきラフエッジ」というわけだ。
これを指してDodds氏は「あくまでラフエッジであって,シャープナイフ(鋭利な刃物)であってはいけない」と語ったが,やはりGDCの聴講者も思うところが多かったようで,質疑応答はほぼこのラフエッジ問題に終始した。
「ゲーム体験を語る」という視点
Dodds氏の講演は,ゲームにおいて「成功」と「失敗」の間には実にわずかな境目しかないことを示すものだったと言える。ラフエッジは「失敗」と評価される可能性が高いものだし,プレイヤーが語るネガティブな感想もまた普通は「失敗」と評価されるようなものだ。
一方で,我々ゲーマーが「クソだ,クソだ,クソゲーだ」と言い合いながら延々と同じゲームを遊び続けるというのはまったくもって珍しくないし,「こんな狂ったバランスのボスを出すとか,デザイナーはゲームのことを分かってない。こんなものはクソだ」と言い合いながら,そのボスを延々と倒し続けるというのも珍しくない。それでいて数年後に「昔のゲームはこんなに良かった」「今のゲームは軟弱すぎて話にならん」と思い出補正を込めて語ってみたりするのもまた,我々の日常そのものだ。
つまり,これらの問題を「プレイヤーがゲームをどのように語るか」という側面から見ると,まだまだ未解決な問題が大量に眠っている可能性がある――そんなことを思わされる講演だったと言える。
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(C)2017 BLIZZARD ENTERTAINMENT, INC.
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