ミートたけし / 川村 竜 / ベーシスト,作編曲家 ,ストリーマー
![]() |
ミートたけしの「世界の平和が俺を守る!」ミートたけしYouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@meatalk |
第33回:自分の「当たり前」を疑え!
皆さんはRPG,ロールプレイングゲームを遊んだことはあるだろうか?
「ドラクエ」でも「FF」でも,何なら「天外魔境」だって構わない。4Gamerをご覧になっている方で,RPGを一度もプレイしたことがない,という人を見つけるのはなかなか難しいことだと思う。
というわけでいったん,このコラムを読んでいる皆さんが,全員等しく何らかのRPGをプレイしたことがある,というのを前提に話を進めていきたいと思う。
![]() |
RPGには主人公をはじめ,キャラクターに「ステータス」というものが存在する。HP,MP,つまり体力や魔力。力の強さや身の守りの強さ,素早さや賢さ,運などが数値化されている。
さて,この数値。
HP(体力)は敵から攻撃を受ければ減るし,MP(魔力)は魔法を使えば減る。薬草を使ったり,宿屋に泊まったり,さまざまな手段で回復したり,何なら一時的に増えたりすることもある。
多くのRPGでは,キャラクター自身が持つ「力」などの数値とは別に,武器や防具を装備した結果として「攻撃力」や「守備力」といった数値が算出される。
この攻撃力や守備力は,武器や防具などの装備品を外せば,元の状態に戻るし,戦闘中に魔法やアイテムの効果で増減することもある。
![]() |
ではここで,一つお聞きしたい。
ステータス上において,さまざまな数値が変動することは,もう尋ねるまでもない基本的な事実であると言えよう。しかし我々は,「力」などのキャラクター自身が持つ数値と,装備によって変わる「攻撃力」などの数値を,なぜ何の疑問もなく別物として受け入れているのだろうか?
これをきちんと説明できる人は,恐らくそれほど多くないのではないだろうか。
それはなぜか。
我々RPG経験者は「そういうもの」だと心身に刻み込まれているからだ。
声優・歌手であり,同じ事務所の岩男潤子さんに「マジック・ザ・ギャザリング」(以下,MTG)を教えているときに,私はこの恐ろしい事実に気づいた。クリーチャー同士の戦闘になったとき,カードに印字されている数値は,左がパワーで右がタフネスだ。2/3と書いてあれば,パワーが2でタフネスが3だ。
相手の2/2のクリーチャーの攻撃に対して,こちらの4/4のクリーチャーでブロックすると,こちらの4/4は相手に4点,相手の2/2はこちらに2点の戦闘ダメージを与える。結果,相手の2/2はタフネス以上のダメージを受けて破壊され,こちらの4/4は戦場に残る。
しかし岩男さんは,ずっと納得のいかない表情を浮かべながら,「タフネスのほうはダメージを受けたかどうかを計算するのに,パワーのほうは相手から攻撃されても減らないの?」と,質問してきた。
その質問に対して私は,「ダメージを受けたからといって,(基本的には)パワーが減るわけではないんですよ」と返したものの,岩男さんからの次の質問,「それはどうして?」に対しては,こう答えるしかなかった。
「そういうものだからですよ」と。
![]() |
慣れこそが思いやりの敵だ
そう返したあと,すぐさま自分が恥ずかしくなった。
幼少期,初めての足し算を先生から教わったときのこと。私はよくいる「1足す1はなんで2なの?」という質問をするタイプの子供だった。
1個のリンゴと1個のリンゴを足したら,2個のリンゴになる。そんなことはいくらなんでも分かっていた。水の入ったコップ1個に水の入ったコップ1個を足したら,コップは2個になる。これも理解できた。
しかし,片方のコップの水をもう片方のコップに足したら,水だけで見ればそれは一つになるわけだ。だから答えは,「2個のコップと,お水一つ」となるべきだ。というのが,当時,幼かった私が導き出した答えだった。
先生は私にこう言った。「そういうものだからですよ」と。
そのとき,少年ミートは心に誓ったのだ。
人の疑問に対して「そういうものだ」で終わらせようとしてくる大人には,絶対にならない! と。
あれから30年以上が経って,今,私は絶対になりたくない大人へと変貌を遂げてしまったのだ。こんなに悲しいことはない!
よく音楽家の間で,人に自分が習得した技術を教えるにあたって,それを言語化し理解させることができなければ,自分自身もその技術を習得したとは言えない,という話になることがある。
私自身,楽器の演奏に関しては感覚的なものにしてしまっていて,人に教えようとしたときには前述の壁にぶち当たることも多い。自分が教育に向いていないなぁ,と思う瞬間でもあるし,先ほどの観点から言えば,私もまだ技術の習得とはほど遠いところにいるのかもしれない。認めたくはないが。
つまり,冒頭にも書いたとおり,自分が「分かっている」ことと,それを他者に「説明できる」ことは同じではない。そして,自分の中の当たり前が,他者にとっても当たり前だと思うことなかれ,というお話なのである。
世界の平和において,人が人を思いやることは必要不可欠なわけだが,自分の「当たり前」に慣れてしまうと,思いやりからは遠ざかってしまうだろう。
いつも自分を戒めていることでもあったが,ここは素直に岩男潤子さんとMTGにお礼をお伝えしたい。彼女にマジックを教える機会に恵まれなければ,己の中の「当たり前」を一つ取り逃していたかもしれないからだ。
検証の先にある改善こそが美しさである
自分の「当たり前」と他者の「当たり前」の違いを具体化できればできるほど,その改善法のクオリティも上がる。
今回の件で言えば,まずRPGでは,キャラクター本人が持っている「力」などの数値と,武器や防具などによって変化する「攻撃力」「守備力」といった数値を,我々はごく自然に別のものとして理解している。
そしてMTGでも,クリーチャーカードの左側にあるパワーは「戦闘でどれだけのダメージを与えるか」を示し,右側のタフネスは「どれだけのダメージに耐えられるか」を示している。
重要なのは,この二つの数字が同じように増減するものではない,ということだ。ダメージを受けたからといってパワーが減るわけではないし,厳密にはタフネスそのものが減っているわけでもない。受けたダメージが記録され,それがタフネス以上になれば,そのクリーチャーは破壊される。
こう説明することで,岩男さんは理解してくださった。人は一つの疑問に囚われると,なかなか次に進むことができない。その後の岩男さんは,戦闘のダメージ計算がどんどんとスムーズになっていった。
やはり自分の「当たり前」には,いつだって疑いを持つべきなのだ。お互いの「当たり前」をいったん瓦解させ,お互いの新しい「当たり前」を築く。その先に人としての成長が生まれる。
美しい。
美しすぎる。
![]() |
あなたの当たり前は何ですか?
今回のコラムをきっかけに,皆さんも自分の中の「当たり前」を探してみませんか?
この話をするときに決まって例に挙げるのが,カレーライスである。カレーライスが嫌いな人は,確かに少数派だとは思う。しかしながら,カレーライスが嫌いな人も絶対にいるはずなのだ。
「カレーライスが嫌いな人なんているわけないよな」という思い込みを自分の中から消し去ることで,また一つ,世界の平和が近づいてくるのだと思う。
今朝も街中でエレベーターに乗ろうとしたときに,赤ちゃんを乗せたベビーカーを押しながらお母さんがやってきたので,先にお譲りした。しかし,お母さんの顔には,とても大きく「当たり前」という紙が貼ってあった。
お礼の言葉もなければ,一礼をしてくださるわけでもない。そのまま「当たり前ママ」はエレベーターの閉じるボタンを押した。
別に,大げさにお礼を言ってほしいわけじゃない。だけど「当たり前ママ」よ。本当にそれでいいのかい?
……と,ここまで考えたところで気付いてしまった。
「人に何かを譲ってもらったら,お礼を言うのが当たり前」。そう思っているのは,ほかでもない私ではないか。
……今回もいい話を書いたはずなのに,なぜか最後の最後で徳を失ったような気がするのはなぜだろう。だがそれでいい。私の心が狭いのだとしてもそれでいい。
少なくとも,自分にとっての「当たり前」を,他人にも当然のように求めていないか。それを疑うくらいはしてもいいのだから。
皆さんも「自分の当たり前撲滅キャンペーン」を始めてみませんか?
世界を平和にしてみませんか?
そんな世界の平和が今日も俺を守るってわけ。
| ■■ミートたけし / 川村 竜(ベーシスト,作編曲家 ,ストリーマー)■■ ベーシストとして国内外各所でライブやコンサートで演奏活動をしつつ,配信活動も活発に行っているミートたけしこと川村 竜さん。現在は主にYouTubeチャンネル「ミートたけし-MEAT TAKESHI-」とTwitchチャンネル「ミートたけしの『太くてニューゲーム』」で,雑談配信をしたりゲーム配信をしたりと大忙しの様子です。 |


















