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サイバーコネクトツーの大きな武器は,松山 洋氏が身に付けた世間の“常識”にあった。トークイベント「黒川塾 三十二(32)」聴講レポート
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印刷2016/01/29 17:27

イベント

サイバーコネクトツーの大きな武器は,松山 洋氏が身に付けた世間の“常識”にあった。トークイベント「黒川塾 三十二(32)」聴講レポート

 2016年1月28日,トークイベント「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾 三十二(32)」が,東京都内で開催された。同イベントは,メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏が,ゲストを招いて,ゲームを含むエンターテイメントのあるべき姿をポジティブに考えるというものである。

 今回のゲストは,2016年2月に創業20周年を迎えるサイバーコネクトツーの代表取締役,松山 洋氏。会場では,「松山洋から君へ…熱い現場の働き方と未来へのメッセージ」というテーマのもと,松山氏の経験した起業前後のエピソードや,ゲームを始めとしたエンタメコンテンツおよび,その制作に対する考え方などが披露された。

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メディアコンテンツ研究家 黒川文雄氏
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サイバーコネクトツー 代表取締役 松山 洋氏

 さまざまな機会で氏自身が言及しているとおり,松山氏はクリエイター志望だったにも関わらず,大学卒業後はエンターテイメントとは無縁の大手企業に入社し,営業マンとして3年間勤務している。その理由は,世間の“常識”を知るためだったとのこと。
 松山氏がそうした考えに至ったのは,母校である九州産業大学芸術学部が,著名な漫画家やアニメーターなど各種クリエイターを輩出してきたことに端を発している。1990年代前半の同大学では,東京の企業や編集者などに才能を見出された学生が,プロのクリエイターを目指すために中退して上京するケースも少なくなかったそうだ。

 その一方で,上京した人達が,1年経つか経たないかのうちに夢破れて地元に戻ってくることも珍しくなかった。そんな彼らがよく口にするのは,「エンタメ業界は“常識”が通用しない」という言葉だ。
 しかし松山氏は,会社勤めをしたことのない学生上がりの人達が語る“常識”に疑問を抱いた。そこで,自身は世間で言われる“常識”を知っておこうと,あえて一般の企業,それも個人の努力だけでなく,大きなチームや組織の一部として機能することを求められるような,お固い大手企業に就職したのである。

 そうやって3年近く“常識”を学びつつ,「これはこれで楽しい」と思っていた松山氏だったが,東京のゲームメーカーに就職した友人から「仲間と共に独立するから,一緒に起業しないか」という誘いを受けた。そして1996年2月,サイバーコネクトツーの前身であるサイバーコネクトが福岡・博多に設立され,1996年6月頃には松山氏も合流することとなったのである。

 ちなみにサイバーコネクトツーの中途採用は,前職を辞めているか,少なくとも現在務めている会社に退職の意思を伝えている人でないと応募できないというが,これはサイバーコネクトを何の後ろ盾もなく設立したことに基づいているとのこと。松山氏は,「新しい場所で新しいことを始めたいと思うのであれば,まず今いるところを辞めるのが正しい順番ではないか」と持論を語った。

 サイバーコネクト設立当時の話題では,松山氏が「パソコンは間違ったボタンを押すと爆発する」と思っていたくらいのPC素人だったエピソードが披露された。今では考えられないかもしれないが,1990年代半ばの一般企業において,仕事でPCを使うケースはそう多くなかったのである。

会場では,松山氏が自分のPCからほかのPCにコピー&ペーストのショートカットを使って文書をコピーしようとしたエピソードなどが身振り手振りを交えて披露された
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 そんな松山氏ではあったが,挨拶や電話対応,見積書の作り方といった世間の“常識”を知っており,社外にきちんとしたプレゼンテーションができる重要な人材としてサイバーコネクトの社内で認められていた。

 松山氏がサイバーコネクトで最初にやったことは,電話帳で主立ったゲームメーカーの電話番号を調べ,片っ端から連絡を取り,担当者に「テイルコンチェルト」の企画書とスタッフの経歴書を送ることだった。計10数社に書類を送って7〜8社から返答があり,最終的には,もっとも大きな自由度と予算的な余裕を提示したバンダイ(現バンダイナムコエンターテインメント)と契約することになった。

 さて,バンダイからは「ゲームが完成したら連絡をくれ」と言われるくらい信用されていたサイバーコネクトだったが,窓口となった松山氏はあえてスタッフに「毎月バンダイに進捗報告をしなければならない」と伝え,きちんと進捗管理を行っていたという。これは,放っておくといつまでも細部にこだわったりして作業が終わらないというクリエイターの行動パターンと,普通の“常識”を持つ企業との付き合いではそれが通用しないことを知る松山氏だからこその機転と言えるだろう。

 そして2001年には松山氏が代表となり,会社はサイバーコネクトツーに名前を変える。その頃の松山氏は,今後ゲームは大手パブリッシャの名前ではなく,デベロッパやクリエイターの名前で指名買いされるようになると考えており,スタッフが表に顔を出す施策を打ち出した。結果として,サイバーコネクトツーの作風や社内の雰囲気などがゲームファンの間で知られるようになったわけだが,とくに独特の社風については,一般企業に3年間務めた経験による部分が大きいのではないかと黒川氏は分析する。

 さらに黒川氏が「松山さんはたくさん努力をしているけれども,それを楽しんでいる」と続けると,松山氏は「努力はしていません」とキッパリ否定。たとえば自身が莫大な量のコミックやアニメ,映画に目を通し,日々ゲームを遊んでいるのは「努力ではなく,好きだから。この仕事でなくともやっている」とし,「極論かもしれませんが,漫画読まなきゃ,アニメ見なきゃ,ゲームやらなきゃと努力しなければいけない人はエンタメ業界に向いていない」と語った。

 むしろ松山氏が自ら努力しているのは,今回のイベントのような公の場に顔を出すことだという。松山氏と言えば,博多弁や表情の変化などを巧みに交えた話し上手というイメージがあるかもしれないが,それらは話を聞いている人が退屈せず,かつ何らかの知見を得られるよう日々努力してテクニックを磨いた成果とのことだ。これはサイバーコネクトツーのスタッフも同じで,いざGDCやCEDECで講演するとなると,社内で何度もリハーサルするそうである。

会場でもときに熱く,ときに笑いを交えながら表情豊かにトークを展開する松山氏だったが,それは努力の成果だという
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 松山氏が,こうしてわざわざ努力してまで会話のテクニックを磨くのは,「生きている情報を持っているのは“人”」「ネットや新聞,雑誌などで誰もが知ることのできる情報は死んでいる」という認識があるからだ。
 この認識の根底にあるのは,これまた3年間務めた一般企業の社長がよく言っていた「とにかく人と向き合え」という言葉とのこと。とくに起業してからは,その言葉の真意が身に染みて理解できるようになり,人とコミュニケーションを取って生きた情報を得るようにしているという。その結果としてゲーム業界内外のさまざまな人達との出会いが生まれ,自身とサイバーコネクトツーが成長してきたと松山氏はこれまでを振り返った。

 トークの話題は,日本におけるゲームプラットフォームの変遷にもおよんだ。1983年にファミコンが登場し,続くスーパーファミコンの大ヒットで,このまま任天堂がゲーム業界を引っ張っていくかと思ったら,1990年代の半ばからはPlayStationが台頭。続くPlayStation 2で盤石な体制を築いたと思っていたのに,その次は任天堂が巻き返してニンテンドーDSとWiiが大ヒットした……という流れは,当時PS2向けタイトルを開発していた松山氏もまったく予想していなかったという。

 しかし,そうした長きにおよぶゲーム機競争の時代を尻目に,今や日本で最大のゲームプラットフォームと言えばスマートフォンである。また松山氏がゲーム業界に入った当時は「ゲームといえば日本」と言われていたが,今や世界に通用する国産タイトルは数えるほどになってしまった。
 そうしたこれまでの変遷を踏まえ,松山氏は「今後もゲーム業界は何が起きるか分からない。まさに変幻自在」「世の中のトレンドや時代の流れ,ライフスタイルなどの変化に応じて登場した新しいものが,新しい感動を生み出していく」と見解を述べていた。

 またトークの終盤には,黒川氏がサイバーコネクトツーの得意とする原作付きのキャラクターゲームに言及。原作の雰囲気をそのままゲームとして再現するその作風は,それまでのキャラクターゲームのイメージを一変させたが,松山氏によると,任天堂の宮本 茂氏が講演で語った「世の中の不平不満に目を向ける」を実践した結果だという。

 松山氏は「ゲームばかりやっているとバカになる」と言われるから「脳を鍛える大人のDSトレーニング」が,「ゲームばかりやっていると運動不足になる」と言われるから身体を動かす「Wii Fit」が生まれたとし,これらのタイトルによって世間の評価はプラスマイナスゼロになり,うまくヒットしたことでさらにプラスの効果を得られたと説明。
 そしてサイバーコネクトツーも同じく,「キャラゲーはクソゲー」という不平不満に向き合い,きちんと原作に忠実に,かつ真摯にゲームを作ったからこそ,それまでのキャラクターゲームのイメージを覆し,多くの人に評価されることになったと話していた。

 会場では,聴講者から松山氏に質問するコーナーも設けられ,その中で2016年のサイバーコネクトツーの展開として,松山氏以外のスタッフがディレクションするタイトルのリリースを予定していることが明かされた。詳細はそう遠くない将来に発表されるとのことだが,松山氏は「ゲーム作りは本来もっとチャレンジが許されるもの」「社内の猛獣を解き放つような内容」と表現していたので,どんなゲームになるのか期待の高まるところである。

 最後に松山氏は,サイバーコネクトツーの20周年にあらためて言及し,同社の新たなステージを見せていきたいとし,今後も「あの会社が作っているゲームなら遊んでみたい」という存在であり続けたいと意気込みを語って,トークを締めくくった。

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