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[インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)
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印刷2024/09/09 19:05

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[インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)

セガ ジャパンアジアパブリッシング事業本部 マーケティング本部 Webデザイン部 部長の吉田 徹氏
画像集 No.001のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)


 ゲーム業界では秀作を生んだクリエイターが名を上げ,いつしか会社の顔となり,界隈の代弁者として,業界の印象を形成してきた。

 しかし,彼らの総数は業界従事者の1%ほどだろう。その裏には開発のみならず,広報や経理,社内エンジニアにカスタマーサポートなど,名を上げずとも人生を生きる99%側の“名もなき戦士たち”がいる。

 言い換えればそれは我々であり,世界の大多数だ。

 ゲーム業界自体,未成熟ゆえの輝きがあった昭和・平成時代とは違い,今では就業規則に福利厚生にコンプライアンスにと成熟した。大手を中心とする一部メーカーでは徐々に“定年退職者”も増加している。

 そこで本稿では,業界の顔役が語る逸話ではなく,99%側として生き,定年を間近にまで控えた者たちの半生に迫っていく。だからこそ見えてくる,ゲーム業界を生き抜いてきた人たちのロールモデル



グラフィックスを追って36年


4Gamer:
 このたびは「ゲーム業界に定年退職者はちゃんといるのか?」と思い,定年間近まで働いてきた人に取材を打診させていただいておりました。

吉田 徹氏(以下,吉田氏):
 はい,私でよければですが(笑)。

4Gamer:
 グラフィッカーのキャリア例としてぜひとも。
 本日はどうぞ,よろしくお願いいたします。

吉田氏:
 よろしくお願いします。

画像集 No.003のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)

4Gamer:
 はじめに,お名前と簡単な経歴をお教えいただけますか。

吉田氏:
 吉田 徹と申します。私は1988年4月1日にセガ・エンタープライゼス(現セガ)に新卒で入社し,第二研究開発部にグラフィックデザイナーとして配属されました。当時で言えば“ドッター”ですね。
 以降はメガドライブ,セガサターン,ドリームキャストあたりまで現場で働き,管理職に移ったのち,現在はジャパンアジアパブリッシング事業本部 マーケティング本部 Webデザイン部の部長を務めています。

4Gamer:
 パッと思いつく,思い入れのあるお仕事はなんでしょう。

吉田氏:
 人生初のキャラクターデザインを担当した「ファンタシースターII 還らざる時の終わりに」と,こちらも初めてディレクション的なお仕事をさせてもらった「ファンタシースター 〜千年紀の終りに〜」でしょうか。あと「サクラ大戦」シリーズもすごく思い出に残っています。
 これらの作品が,自分なりの代表作なのかなと思います。


■吉田氏の担当タイトル(一部)
「スーパーサンダーブレード」
「ファンタシースターII 還らざる時の終わりに」
「ファンタシースターII テキストアドベンチャー」
「ファンタシースター 〜千年紀の終りに〜」
「大魔界村」
「闘技王キングコロッサス」
「ブルーシード 〜奇稲田秘録伝〜」
「サクラ大戦」
「サクラ大戦2 〜君、死にたもうことなかれ〜」
「サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜」
「サクラ大戦4 〜恋せよ乙女〜」
「サクラ大戦V 〜さらば愛しき人よ〜」
「花組対戦コラムス」
「あつまれ!ぐるぐる温泉」


4Gamer:
 まさに,往年のセガって感じの作品たちです。
 あらためて,新卒時はどのような志望で入社したのでしょう。

吉田氏:
 正直,学生時代はけっこうなボンクラでして(笑)。美術系の大学に通っていたわけでもなく,それでいて4年間ずっとマンガばかり描いてすごして,ただ漠然と「将来は絵の仕事をしたいなあ」と思っていただけでした。我ながら,かなりのダメ学生でしたね(笑)。
 当然,就活時も大手エンタメ会社には採用されず,困っていたときに大学の就職課の掲示板を目にしました。私の地元は北海道なのですが,そこでセガ・エンタープライゼスの説明会が予定されていたんです。
 そのころは,セガがゲーム会社であることはなんとなく知っていましたが,コンシューマゲームを作っていたことすら知らず,ただただ「とりあえずこれに行ってみよう」と考えて足を運びまして。

4Gamer:
 1980年後半ですもんね。
 歴史で見ても,「スペースハリアー」「アウトラン」などの体感アーケードゲームが主流で,入社年が「メガドライブ」の発売年と。

吉田氏:
 そうですね。そもそも私はゲーム業界にもうとくて,ファミコン以外のゲーム機があることすら知りませんでした(笑)。

4Gamer:
 私もゲームショップにある「なにか黒くてデカい機械」などは目にも入ってこない子供だったので,よく分かる感覚です。
 ちなみに,マンガ家を目指す道はなかったのでしょうか?

吉田氏:
 ありましたよ。一時期,ちょっとだけチャンスっぽいものをつかんでいたのですが,結局つなげられませんでした。

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4Gamer:
 なるほど。では,セガの説明会はどうでしたか。

吉田氏:
 実はその説明会,ゲーム開発の話なんてみじんも出てこない,アミューズメント系の営業職の説明会だったんですよね。
 それでも最後の個別質問のとき,説明会の人事スタッフの方に「絵の仕事をやりたいんですが」と尋ねてみたんです。
 そしたら後日電話がかかってきまして,電話口で「とりあえず作品を送っていただけますか」と言われたんです。

4Gamer:
 そこからトントン拍子で?

吉田氏:
 いえ,まるで返事なしです。それから2か月ほど経ったあと,家に電話がかかってきて,当時の大鳥居の本社に呼ばれました。
 それが最終面接だったようで。そこで入社が決まりました(笑)。

4Gamer:
 昔のゲーム業界らしい感じで(笑)。
 以前,「最初の説明会で最終面接」だった人もおりましたし。

吉田氏:
 しかも,これは自分でよく笑い話にしますが,そのときに送ったポートフォリオはまるで大したものではなかったんです。もしあのとき担当者が自分で,当時の私の作品を目にしていたなら,絶対に落としてましたね(笑)。ほんとそれくらいの技術しか持っていなくて。
 新卒同期のデザイナーにしろ,半分くらいが美術系学校の卒業者。私は漫画は描いていたけれど「アニメーションする絵」は描いたことがない。セガに関する知識も本屋での立ち読み,あれはBeepさんだったかな。「ファンタシースター」の特集記事を読んだくらいのものでしたし。

4Gamer:
 となると,不安でしたか?

吉田氏:
 そうですね。
 でも,入ってしまったものはしょうがないって感じでしたね。

4Gamer:
 そんな意気込みで入社してみてからは。

吉田氏:
 最初の1週間は社員としてのビジネス研修があって,それが終わってからすぐに,当時の第二研究開発部(コンシューマ専門。第一研究開発部はアミューズメント専門)に配属されました。
 社内には,セガ独自開発の機材「SEGA Digitizer System III」という“ドット打ちのためのマシン”がありました。
 木箱の中にあるブラウン管のディスプレイが2つ配置されていて,下部にドットを打つためのビデオデッキみたいな大きさの鉄製の機器が置かれていて,CAD用タブレットとマウスでドットを打っていくんです。配属初日は「これで好きに絵を描いてみて」と言われ,慣らされる感じでした。それが済んだら,さっそくプロジェクトに組み込まれました。

「SEGA Digitizer System III」の写真
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4Gamer:
 早い。最初の担当タイトルはなんだったのでしょう。

吉田氏:
 メガドライブのローンチタイトルの1つ「スーパーサンダーブレード」です。部内ではこれと「スペースハリアー2」が制作中でした。
 私はベテランのデザインリーダー,といってもその方も20代後半くらいでしたが,その人の下につく新人グラフィッカーの立場でした。今にしてみると無謀な人材配置ですが,そういう大らかな時代だったのと,これから売り出す新ハードでの挑戦の意味もあったのでしょう。
 実際,私の先輩である小玉理恵子さんも当時,「新しいゲーム機ではグラフィックスの色数も増えるから,新人の発想でやらせてみよう」と考えていたとあとで聞きました。それでもやっぱり無謀ですが(笑)。

4Gamer:
 いきなりの実作業はいかがでしたか。

吉田氏:
 最初に描いたのは「敵ヘリコプターのドット絵」でしたが,気付いたころには先輩デザイナーにすべて描き直されていました。とくになにか言われたわけでもなく,ある日突然,すべて描き直されていたんです。あれはなかなか苦い思いをしましたね(笑)。
 まあ,今はボツの理由も理解しています。私はヘリコプターを作る際,「機体が水平姿勢でブーンと飛んでいく姿」を描いたのですが,ヘリって前に進むときは前傾姿勢になるので,描くべきは「斜めになっている姿」だったんですよね。そういう知識がまるで不足していたわけです。

4Gamer:
 ああ,そういう。言われるとピンときますね。
 そのあとはどうなったのでしょう。

吉田氏:
 スーパーサンダーブレードの仕事の終盤あたりから「ファンタシースターII 還らざる時の終わりに」の制作がはじまり,私もそれに参加することになりました。
 そのころは初代ファンタシースターを遊んだこともなくて,開発前にマスターシステムを借りて,家で遊んだ思い出があります。

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「ファンタシースターII 還らざる時の終わりに」(1989年)
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4Gamer:
 ファンタシースターとはそこで初遭遇と。
 なら,当時の吉田さんの「RPGと言えば」は?

吉田氏:
 「ドラゴンクエストII」ですね。学生時代はファミコンで「スパルタンX」や「麻雀」なんかを遊んではいたものの,あまり夢中になれなかったのですが,大学2年生のころ,古本屋に売っていたドラクエIIを目にして,なんとなく買って遊んでみたんですよ。
 そしたら,これがまたおもしろい。「こんなにおもしろいゲームがあるんだ!」と思うほどハマりしまして,しばらくはRPGと名のつくファミコンソフトを片っ端からやっていました。

4Gamer:
 文句のつけようもない王道です。
 ファンタシースターIIでは,それまでの経験を生かせましたか。

吉田氏:
 同作では街のマップを手がけたのですが,これもまた先輩にすべて手直しされてしまうという。こっちに関しては,なにがダメだったのか今でもあまりよく分からず,先輩にきちんと聞いておくべきでした(笑)。
 ただ,このゲームではキャラクターデザインのほかに,エネミーやダンジョンもデザインさせてもらい,いい勉強になりました。

4Gamer:
 略歴だとちょうど入社1年ごろですが,そのころにはもう「グラフィッカーとして食っていこう」という意志が芽生えていたりは?

吉田氏:
 そこまで強い意志を持っていたかは怪しいです(笑)。正直,とりあえず流れで仕事をしていた節もありましたので。ドラクエIIでハマったRPGの仕事もできてしまい,理想も早めに叶ってしまいましたしね。

当時のセガの会報誌「SPEC SEGA PLAYERS ENJOY CLUB」。吉田さんもマンガを寄稿
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4Gamer:
 なら,逆に「もう辞めたい」と思ったりは?

吉田氏:
 1年目のころはないですね。大学の先輩に「セガって会社は2年でクビになるぞ」なんて,今思えばただのイタズラのような忠告を受けていましたけど,実際はそんなこともなかったです。
 まあ,周囲には「俺もうセガ辞めるよ」っていう先輩は多かったですかね。本当に辞めたあと,しばらくして帰ってくる人もいましたが。

4Gamer:
 大内さんも似たことをおっしゃってました(笑)
 当時,社内の空気はどうだったのでしょう。

吉田氏:
 今とは比べものにならない,フリーダムな職場でしたね(笑)。当時は大鳥居に旧2号館ができたばかりで,そこの6階だったかな? が職場だったのですが,終業チャイム? たしかあったはずですが,それが鳴った直後,ラジコンで遊びはじめる先輩とかいましたし(笑)。
 それに第二研究開発部のデザイナーは男女比が半々くらいでしたが,女性の先輩方は朝からちゃんと出社しているのに,男性の先輩方は昼にならないと来ない人がごろごろ。ほんと,時代でしたねえ。

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4Gamer:
 メディア業界だと今でも耳の痛い話です。
 次の仕事は,カプコンの「大魔界村」のメガドラ移植ですかね。

吉田氏:
 はい。大魔界村はカプコンさんからアーケード版のデータをいただき,それをメガドライブに落とし込む移植作業でした。
 グラフィックスに関しては,何十体とキャラクターが並ぶキャラクターチップから切り抜いていきましたが,出力時にカラーパレットを切り替えられず,色が化けちゃいまして。正確な開発資料もなかったため,キャラクターの色は筐体上で目視で確認し,正しい色に修正していきました。あれはあれですごくタメになる作業でしたね。

4Gamer:
 当時の移植は,今で言うマルチプラットフォーム展開ともまた違いますものね。足すどころか削るのが最優先な時代だったでしょうし。

吉田氏:
 そのとおりで。アーケードゲームの大魔界村を,家庭用ゲーム機のメガドライブに移植するとなると,そのままでは容量が足りず,「いかになにかを削って落とし込むか」が求められました。
 データの間引き方も,キャラクターを小さくリサイズしたり,背景も一部を除いて作り直したり,アニメーションのパターン数を減らして省力化したりしつつ,オリジナルと似て見えるようにと。
 例えばアニメーションのグラフィックスが「1」「2」「3」「4」の4パターンだったら,1と3だけにしたり,1から4に変則で飛ばしたりして,不自然に見えないよう,ああだこうだと調整していました。

4Gamer:
 同じような作業経験がある人は共感してそうです。
 さて,担当タイトルが膨大ですので少々ワープしますが。1993年には渋谷の「RPG制作部」に異動とのことで。これというのは?

吉田氏:
 1990年代はRPG人気がものすごく高まっていたため,セガもRPGに力を入れるべく,それまでのコンシューマRPGのプロジェクトに携わっていたスタッフを集めて,1つの部署に再編したんです。
 RPG制作部では,最初に「ファンタシースター 〜千年紀の終りに〜」を作りました。それ以前に,小玉さんとも「ファンタシースターの続きやりたいね」と話していたので,ある意味待望の1作でした。

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「ファンタシースター 〜千年紀の終りに〜」(1993年)
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4Gamer:
 同作ではディレクターも担当されたんですよね。

吉田氏:
 小玉さんと一緒にですね。開発陣には企画が本職のスタッフがいなかったので,同作は私を含むデザイナー4人がメインで動き,企画も兼任しながら創り上げていったものです。
 こうした流れはすべて,小玉さんが社内で信頼されていたのが一番の理由で,私はたまたまあやかって仕事させてもらえただけです。

4Gamer:
 とはいえ,グラフィッカーも5年目。技術も脂が乗っていたのでは。

吉田氏:
 そのころにはもう,想像したものはだいたいデジタイザー上で描けるようになっていたかなと思います。逆にコンピュータグラフィックスに慣れすぎて,アナログでは仕事用のラフしか描かなくなっていましたが。
 純粋に,ゲーム作りにハマっていたんでしょうね。

画用紙に描きためた「ファンタシースター 〜千年紀の終りに〜」のラフイラスト
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4Gamer:
 そして翌年は1994年。セガサターン時代に突入と。

吉田氏:
 ええ。セガサターンはメガドライブと比べて,デザイナー的には使用できる色数の変化が大きかったです。それまで16色×4パレットの世界だったのが,いきなり256色×4パレットになったことで,新しい挑戦ができるうれしさがありました。当初は使い方も怪しかったですけど。
 例えば,サターンでは最初に「ブルーシード 〜奇稲田秘録伝〜」を制作しましたが,キャラクターは従来通りの16色で描き,背景は256色をバーンと試してみる,といった制作方法でしたし。
 あと,サターンからはムービーの導入が活発化して,ゲームに映像を取り込むという美術表現も新鮮に感じていました。

4Gamer:
 略歴では1996年,また大鳥居に戻ると書いてありますが?

吉田氏:
 RPG制作部ではブルーシードと並行し,「魔法騎士レイアース」を制作中で,ブルーシード側は開発終了後,レイアース側に組み込まれました。ただ,組織変更でみんな大鳥居の研究開発部に戻ることになったんですよね。でも私と企画担当の方だけは「外注で制作中のゲームの面倒を見てほしい」と言われ,しばらくは2人で渋谷のビルに残っていて。

4Gamer:
 そのゲームというのは。

吉田氏:
 セガサターンの「サクラ大戦」です

「サクラ大戦」(1996年)
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4Gamer:
 ここで。ステータス的には途中参加だったのでしょうか。

吉田氏:
 はい。企画担当の方はディレクターとして,私はグラフィックスのアドバイザーとして呼ばれた感じでした。大鳥居からも逆に何人かが渋谷に戻ってきて,ちょっとしたマップから制作していましたね。
 とはいえ,参加当時は開発全体の進捗度が不明だったうえ,ビジュアル面にも課題がありました。サクラ大戦は初期開発中,アドベンチャーシーンのサンプルにキャラクターのバストアップ絵が描かれていましたが,旧来のゲームのように“描画がすべてドットの手打ち”だったんですよ。さすがにこれはないなと思いましたね。

4Gamer:
 あー。今でこそ「ドット絵のサクラ大戦」にも味を感じそうですが,2D表現も3D表現も新たなステージに突入していた時代のドット絵採用だと,肌感的にそう思ってしまっても仕方なさそうな。

吉田氏:
 それでそのうち,上のほうでどんな話があったのかは知りませんが,サクラ大戦の開発をすべてセガで巻き取ることになったんです。そうなってからは私たち全員,サクラ大戦と一緒に大鳥居に戻り,本格的に再始動した開発チームに組み込まれました。
 手打ちドットで描画されていたアドベンチャーシーンも「次世代機ならではの絵面でやるべきだろう」と考えて,アニメ原画をスキャナで取り込んで,描線をそのまま生かす方法に変えました。ペイントもデジタイザーではなく,Photoshopを使用して行うようにしました。

4Gamer:
 となると,ADV画面が今の感じになったのは吉田さんの判断で?

吉田氏:
 最終判断はさておき,あくまで現場担当としての判断ですけどね。
 そのころには同じような発想でデザインされたゲームも増えていましたし,私も「ファンタシースターのCDドラマ」で,アナログで描いた絵をスキャナで取り込み,ペイントソフトで着彩する作業に挑戦していたので,その経験からやってみた方法ではあります。

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4Gamer:
 役職的に,サクラ大戦ではチーフグラフィックデザイナーとのことですが,そのほかのデザイン面も統括されたんですか。

吉田氏:
 私はアドベンチャーパートの絵面作りに終始していた気がします。周囲には個性的で優秀なスタッフも多かったので,いろいろとお任せでも安心できるチームでしたし。
 思い出深いことと言えば,キャラクターの表情差分などは顔をのっぺらぼうで設計し,目や鼻を別々に作り,組み合わせで構築する作りなんですが,初期発注分は顔のベース,目口鼻のパーツ,輪郭の違いなどの書き方がアニメ原画の担当者ごとにバラバラで,まったく統一できていなかったんです。それを直す作業が一苦労でした。

4Gamer:
 サクラ大戦は,セガないしセガサターンの代表作と言えるくらい反響がありましたが,仕事としての手応えはありましたか。

吉田氏:
 今でも覚えているのは発売後の年末,家のそばの本屋さんにサクラ大戦のカレンダーが貼られていたことですね。
 それを見て,はぁー……ってなりました。身近な本屋に,自分が関わった作品のカレンダーがあることがびっくりでした。そのときですね。ゲームが売れるって,こういうことなんだなと実感できたのは。

4Gamer:
 身近で意外なお店で目にすると,そう思えるのかも。
 続けて,1997年には「花組対戦コラムス」でチーフグラフィックデザイナーを,1998年には「サクラ大戦2 〜君、死にたもうことなかれ〜」でアドベンチャーパートのチーフグラフィックデザイナーを担当したとのことで。このあたりの流れはどうでしょう。

「花組対戦コラムス」(1997年)
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「サクラ大戦2 〜君、死にたもうことなかれ〜」(1998年)
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吉田氏:
 花組対戦コラムスの制作中には,もう「サクラ大戦2を作る」という話が聞こえていました。私はアドベンチャーパート専門ということで,前作の下敷きもありましたし,グラフィックスの原画もアニメ屋さんに発注するルールが決まっていたため,仕事はやりやすかったです。
 同時に,このあたりからゲーム作りのスケジュール管理がきっちりしはじめましたね。それ以前の大ざっぱな管理方法ではなく,以降はガントチャート的な表組みでスケジュール進行が明確化されていきました。

4Gamer:
 さらにこの年になると,時代はドリームキャストに突入ですか。

吉田氏:
 懐かしいですね。ドリームキャストはさらに性能が上がったことで,サターンの倍の解像度になりました。いろんな意味で密度が高まったので,絵作りの考え方もより深める必要がありました。
 ついでに,ドリキャスでは初めて半透明処理が使えるようになったんです。それ以前のゲームグラフィックスは,色を塗るか抜くかしかなく,とくにキャラクターの外周はジャギりやすくなっていました。
 それが半透明を使用できることでキレイに処理できるようになったので,すごく思い出深いです。「もう外周のドット修正作業をしなくて済む!」と,うれしくて(笑)。

4Gamer:
 ドリキャスの発色は,私も印象深いですねえ。
 次いで「あつまれ! ぐるぐる温泉」ではグラフィックデザイナーを,「サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜」ではチーフグラフィックデザイナーを,「サクラ大戦4 〜恋せよ乙女〜」ではアートコーディネーターを担当と続いていますが,ドリキャスでの仕事はどうでしたか。

「あつまれ! ぐるぐる温泉」(1999年)
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「サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜」(2001年)
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「サクラ大戦4 〜恋せよ乙女〜」(2002年)
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画像集 No.031のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)

吉田氏:
 ぐるぐる温泉で将棋ゲームなどのグラフィックスを制作しているとき,隣のチームはサクラ大戦3に着手していました。
 個人的に,サクラ大戦はやりきった感覚があったので「もういいかな」と思っていたんですが,3の制作初期に担当デザイナーが退職することになりまして。代わりに人選されたんですよね。

「サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜」のロゴ&テキストウィンドウの思索跡
画像集 No.007のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳) 画像集 No.008のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)

4Gamer:
 奇縁ですね。ちなみに2000年に関しては,オーバーワークスのデザイン課長に就任されたともありますが,このあたりの事情は?

吉田氏:
 2000年以降,セガはたびたび組織変更を繰り返してきましたが,このときはいわば“開発スタジオを子会社化”することで,ゲーム作りの専門性や競争力を高める,みたいな時期だったのかなと思います。
 そのため私もセガを退職扱いとなり,オーバーワークスに転籍になりました。といっても仕事場は大鳥居のままで,業務もとくに変わらずサクラ大戦の3と4を作っていましたけど。
 ただ,マネージャー職になり,毎月の人員調整や勤怠管理もやることになったので,ちょっと大変ではありました。

4Gamer:
 2000年代はセガのみならず,ゲーム業界では企業の合併が盛んでしたものね。まあ,組織変更の意図などには以降も触れずにおくとして。

吉田氏:
 そうですね(笑)。それに私はサクラ大戦4のあと,2003年にワウ エンターテイメントと合併してできた恵比寿のセガワウに在籍し,それから1年も経たないうちに2004年の全子会社統合により,また退職扱いでセガに転籍しています。一度も退職届なんて書いたことないのに,気付けば人生で2回の退職を経験していました(笑)。

4Gamer:
 書類上だけが激動だと(笑)。
 ところで,その流れで本当に転職しようと考えたりは?

吉田氏:
 実のところ,当初は「(初代)サクラ大戦を作り終わったら辞めよう」と考えていました。ただ,いざサクラが終わってみると,その気もなくなっていて,気付けばそのまま残り続けて,今に至る感じです。

4Gamer:
 それは,なんとなくで?

吉田氏:
 なんとなくですかね(笑)。辞めるのをやめよう,などと決心したわけでもなく,ただなんとなく,次の仕事を普通にこなしていました。
 セガに転籍後はPS2の「サクラ大戦V 〜さらば愛しき人よ〜」に携わりましたが,制作も中盤から終盤といった段階でしたので,アドベンチャー演出に関しての手直しをちょっとお手伝いしたくらいです。
 よく覚えているのは,サクラ大戦2のとき,当時20代の若手スタッフに教えているとき,「私と君で干支が1周違う!?」と年齢ギャップを味わったことですね。あれが最初に自分の歳を意識したときかもしれない。

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「サクラ大戦V 〜さらば愛しき人よ〜」(2005年)
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4Gamer:
 入社10数年というそのころは,同期は残っていましたか。

吉田氏:
 いえ,私の周りにはいなかったです。
 そのころにはだいぶ辞めちゃったんじゃないかなあ。

4Gamer:
 またセガに戻ってきてからは,どうだったのでしょう。

吉田氏:
 セガに転籍直後はマネージャー職からも外れていたのですが,2005年にモバイル研究開発部で,iモード版のサクラ大戦(メガiアプリ「サクラ大戦」)の制作が決まったときに,その担当として「マネージャーとしてこない?」とお誘いされ,異動しました。
 以降はマネージメント業務が主になっていきましたが,モバイル向けサイト(iモードサービス「サクラ大戦ケイタイクラブ」など)のグラフィックス作業などもけっこうやっていましたね。

4Gamer:
 時代的には,GREEやMobageの時代でしたっけ。

吉田氏:
 最盛期はもうちょっとあとですね。

4Gamer:
 記憶がもう……(笑)。モバイルゲームはここ10年,ゲーム業界に群雄割拠をもたらしましたが,当時はどんな印象を持ちましたか。

吉田氏:
 携帯電話の小さな画面でサクラ大戦の絵が動くことが,単純にすごいと思いました。ちょっと前まで白黒だったのになあ,と。

4Gamer:
 モバイル研究開発部には7年在籍し,2015年には組織変更でセガネットワークスのDMS統括部グラフィックデザイン部の部長に,2018年にはプロモーション統括部(現ジャパンアジアパブリッシング事業本部)に異動と,着実にステップアップされている感じですね。

吉田氏:
 セガネットワークスに移るときは,たしか大鳥居の3号館で行われた説明会に行った気がします。そのときは真夏で,すっごい青空のなかで,みんなしてぞろぞろと歩いていったのをよく覚えています。
 それから1年くらいは新馬場駅近くのビルにいて,次にオシャレな六本木オフィスのほうに移りました。今思うと,仕事場所はそのときどきでけっこう変遷していましたね。

4Gamer:
 その間は,管理職としてプロダクトを見ていた形ですか。

吉田氏:
 はい。

4Gamer:
 現場から離れることに,なにか思うことがあったりは?

吉田氏:
 いやー,私はとくになかったです。ゲーム開発からは離れていきましたが,サイト制作の手伝いや,細かなデザイン仕事は変わらずにやっていましたので。ちなみに,セガネットワークス時代は人事系からの頼まれ仕事もやっていて,初代の名刺は私がデザインしたんです。

4Gamer:
 へー。手もとに残ってるだろうか。

吉田氏:
 セガゲームスになってからも同様です。グラフィックス仕事はわりとやっていて,モバイルゲーム関連のWebサイトやバナー類,生放送のスライドを作っていました。

画像集 No.012のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)

4Gamer:
 さらに2018年からプロモーション統括部で,大崎の新オフィスに移動。今年2024年からは現職のセガ ジャパンアジアパブリッシング事業本部 マーケティング本部 Webデザイン部 部長となりますが。
 仕事の方向性的には,今も変わらずで?

吉田氏:
 変わらずですね。近年はアジア圏を部門で担当したり,海外向けのデザイン仕事が増えて,領域が広がっている感じはありますけど。
 あと,昨今はデジタルセールの実施頻度が高まっているので,それ用のバナーや動画を毎週作っている気がします。サクラ大戦でムービーを導入するために勉強したことが,今の動画制作にもつながっていて,結果的にずいぶんと助けられています。「龍が如く」など,これまで自分に縁のなかったセガタイトルとも横断的に関われるところも楽しいですし。

4Gamer:
 2022年には「メガドライブミニ2」の公式サイトのレイアウトデザインを担当されているようで。
 吉田さんはキャリア的にメガドラからスタートしたとあって,ゲーム機としてもやはり思い入れは深いですか。

吉田氏:
 そうですね。いや,ガチのメガドラ好きの方々と比較するとそうでもないのかもしれませんが(笑)。
 セガのゲーム機って,メガドラだけ突出して愛が深い人が多いんですよね。私の知る範囲だと,社内にもよくいますし。サターンやドリキャスより,メガドラだけ妙に愛情深い人たちが(笑)。

4Gamer:
 言わんとしてることはよく分かります(笑)。
 といったところでまとめに入りたいのですが,吉田さんが思う「昔と今のゲーム業界の違い」はなんでしょうか。

吉田氏:
 一番は,やはり労働環境ですね。昔と比べると労働時間管理からしてきっちりするようになって,いろいろと配慮を感じます。やっぱり,ゲーム業界というものが確立されたからでしょう。
 昔はゲーム自体,ややアンダーグラウンド的に見られる側面がありましたが,現代ではコンテンツとして世界的に認知されているからこそ,こちら側もこうやって背筋が正されてきたのでしょう。

1998年3月18日開催の「'98東京おもちゃショー」の写真
画像集 No.034のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)

1998年3月20日開催の「東京ゲームショウ'98 春」の写真
画像集 No.035のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)

4Gamer:
 それでは,吉田さんは現在58歳。
 まもなくの60歳の定年後の展望はありますか。

吉田氏:
 できればの話ですが,定年後は管理職ではなく,いちグラフィッカーとしてゲーム業界でやっていけたらいいなと思っています。

4Gamer:
 仕事は続けていきたい?

吉田氏:
 ええ。ゲーム開発からは離れてもグラフィックデザイナーでいられるよう,Photoshopに触れ続けてきましたので。
 最後まで,グラフィッカーとしてやっていきたいです。

4Gamer:
 仕事もせずにバカンス,みたいな気持ちは?

吉田氏:
 いやー,あまり考えてないです(笑)。

4Gamer:
 原点に立ち返ってマンガ作り,とかも?

吉田氏:
 それもないですね。やっぱり純粋に,グラフィッカーとして仕事をしたい。いろいろと大変なことはありますが,楽しいので。
 今どきこういうことを言うと老害っぽく聞こえてしまいそうですが,これまで経験してきたゲーム業界は本当におもしろかったです。業界が成熟していく過程に寄り添っていられたのも,開発スパンが短かった時代に次から次へといろんな仕事ができたのも,とても楽しかった。
 今のゲーム制作は大人数化し,開発スパンも長くなり,昔とはかなり違うなと思います。でも今やっている人は,今だからこその楽しみがあるんじゃないかなと。昔も今も,人それぞれのゲーム作りの楽しさがあると,長年の経験から本当にそう思います。

4Gamer:
 ありそうですね。そういうの。

吉田氏:
 そうした今の現場の若手の方々にも話を聞いてみてほしいですね。今どきのゲーム作りの楽しさとか。もしかしたら思ってみなかった答えが返ってくるかもしれないので。当人たちも私たちも,そういう思いは相互に知っておいたほうがもっとよさそうですし。

4Gamer:
 ……善処させていただきます(笑)。

画像集 No.004のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! サクラ大戦をドット絵から“今の感じ”に転換させたグラフィッカー,吉田 徹氏(58歳)

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