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「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
推理もののゲームをプレイしていて,探偵役のキャラクターが居合わせた事件の関係者──多くの場合,そのなかに真犯人が含まれている──を“生徒”に見立て,“講義”のような口調で事件の背景について語り始めるシーンに出くわしたことはないだろうか。
主人公が大学教授の「レイトン」シリーズなどはまさにそれで,“学級裁判”という形ではあるものの,「ダンガンロンパ」シリーズの謎解きシーンなども,あたかも教師が授業しているかのように論理を積み重ね,事件を解き明かしていくシーンが用意されていた。
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こうした“講義”は伝統的なミステリの定番的な演出なのだが,その嚆矢となったのが,ジョン・ディクスン・カーの「三つの棺」(1935年)のシーン――探偵役のギデオン・フェル博士がパブで行った“密室講義/The Locked Room Lecture”だと言われている。
三つの棺〔新訳版〕
著者:ジョン・ディクスン・カー
翻訳:加賀山卓朗
版元:早川書房
発行:2014年7月10日
定価:1210円(税込)
ISBN:978-4-15-070371-4
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事件のあらましはこうだ。超常現象の研究者であるシャルル・グリモー教授が,鍵のかかった自室の中で射殺体となって発見された。
この事件の渦中において,探偵役であるフェル博士はガストン・ルルーの「黄色い部屋の謎」(1907年)など,過去の推理小説(カー自身の作品も含む)を例示しつつ,密室殺人の類型を13種類――「犯人が実際にはその部屋にいなかったケース」×7種,「犯人がドアに細工をして部屋から抜け出したケース」×6種の合計13種に分類してみせる。
具体的な内容は,ぜひとも小説を読んで確かめてほしいが,この密室講義は推理小説のワンシーンであると同時に,不可能犯罪の代名詞でもある密室トリックを分析した,古典的なエッセイとして知られるようになった。
同じくカーの「緑のカプセルの謎」(1939年)に出てくる毒殺トリックの講義共々,これらは後続の作家に多大なる影響を与えることになる。
言わばカーは,「フェル博士の講義に,新たな分類を付け加えられるかい?」という挑戦を,ミステリ界につきつけた格好である。以降の密室殺人ものミステリは,このカーの問いかけを一つの評価軸として,発展していくこととなった。
カーと同時代のミステリ作家であるクレイトン・ロースンは,「三つの棺」の3年後の1938年に発表した「帽子から飛び出した死」で,早くも「犯人が実際にはその部屋にいなかったケース」に,新たな分類を付け加えてみせた。
日本でも,江戸川乱歩(「類別トリック集成」)や我孫子武丸氏(「8の殺人」),二階堂黎人氏(「悪霊の館」),新城カズマ氏(ネットゲーム90「蓬莱学園の冒険!」)らが,密室講義の更新に挑んでいる。
![]() 我孫子武丸氏「8の殺人」(リンクはAmazonアソシエイト) |
![]() 二階堂黎人氏「悪霊の館」(リンクはAmazonアソシエイト) |
こうした自己言及的な趣向は,伝統的に本格ミステリと相性がいいらしい。かのシャーロック・ホームズにしてからが,「緋色の研究」で初めて読者にお目見えしたときに,オーギュスト・デュパン(エドガー・アラン・ポー)やルコック(エミール・ガボリオ)といった,過去の名探偵キャラクターたちについて言及しているのだから。
日本のミステリ小説においても,数多くの“講義”が行われてきた。
- ダイイングメッセージ講義(山口雅也氏「13人目の探偵士」,霧舎 巧氏「ラグナロク洞」)
- アリバイトリック講義(有栖川有栖氏「マジックミラー」)
- 足跡講義(二階堂黎人氏「吸血の家」)
- 見立て殺人講義(綾辻行人氏「霧越邸殺人事件」)
- 人体消失の分類(三津田信三氏「凶鳥の如き忌むもの」)
- 首無し死体の分類(三津田信三氏「首無の如き祟るもの」)
「推理小説はペダンティックでなければならない」(澁澤龍彦「海外ミステリー愛読書ベスト10」)とまで言い切ってしまうのはさすがに極端ではあるが,クラシックなミステリ小説の大きな特徴に,ペダントリー(衒学趣味)があるのは確かである。
難解な語彙や言い回し,引用を振りかざして学識をひけらかすというマイナスイメージを伴う言葉ではあるが,ともあれミステリは学問的な装いを纏うジャンルであり続けてきた。
もちろん,ミステリが「論理的な推論に基づき,謎を解き明かす」という,人間の知性と強く結びついたジャンルであることも大きいのだが,そのような装いを纏わざるをえなかった,歴史的な経緯というものもあった。
19世紀初頭あたりまでの近代ヨーロッパでは,小説というものは未成年や家庭で時間をもてあます女性がたしなむ娯楽だと考えられていた。歴史書や哲学書,さもなくば古典文学こそが教養人に許された読書であり,小説は人の空想をかきたてる危険な娯楽とさえ,ときに見なされたのである。
そうした時代にあって,流れを変えるきっかけの一つとなったのが,エドガー・アラン・ポーからエミール・ガボリオを経てアーサー・コナン・ドイルに結実する,推理小説の登場だった。
観察に基づいて推論し,検証し,結論を導き出すという名探偵たちの推理手法が,単なる娯楽を超えた“論理的思考の訓練”という側面を,読書という行為に与えたのである。
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ミステリの“黄金時代”と呼ばれた1920〜30年代,欧米の推理小説の多くは教師や医師,弁護士,法曹関係者,聖職者といった知識階級の読者を対象としていた。もちろん,ダイムノベルと総称される大衆向けの俗悪な犯罪小説も存在はしていたのだが,決して本流ではなかったのだ。
逆説的に,いいトシをした大人にも許された娯楽──ある種の教養小説として認知されていたミステリジャンルが,世間への言い訳として,ことさらに衒学を纏ってみせたという一面もあったように思われる。
同時にまた,必ずしも事件解決に結びつかなくとも,作中で披露されるペダンティックな知識・教養の数々は,ドラマにある種独特の雰囲気──神秘性のようなものを与えるという効用も,間違いなくあったのだ。
カーの「三つの棺」が発表されたのは,もう90年以上も前のこと。普段からミステリに接しているマニアにとってみれば,たとえ新訳であろうと今更読み返すようなものではない“古典”であるかもしれない。
ただ,もっぱらゲームを通してミステリに触れてきた若い読者なら,フェル博士の密室講義を頭に入れておくと,今後,不可能犯罪をテーマにした作品を見る目が変化するに違いない。
一度くらいは読み通しておいて損のない作品である。
■■森瀬 繚(ライター)■■
フリーのライター,翻訳者。クトゥルー神話ジャンルにライフワーク的に取り組んでおり,「クトゥルー神話解体新書2」(コアマガジン),ラムジー・キャンベル作品集「グラーキの黙示3」(サウザンブックス社),「ラヴクラフト語辞典」(誠文堂新光社),「新訳クトゥルー神話コレクション6 狂気の山脈にて」(星海社)などの近著がある。シナリオ,設定考証系のお仕事は随時募集中。
























