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「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
遠くから仰ぎ見る限りは惚れ惚れするほど立派でも,実際には金を食うばかりでものの役にも立たない巨大建造物──。
世界最大の18インチ(46センチ)主砲を3連装砲塔で3基,都合9門装備し,開戦直後の1941年12月16日に就役した戦艦「大和」は,来るべき米海軍との艦隊決戦において勝利の決め手となることを期待されて華々しくデビューした。二番艦「武蔵」も翌1942年8月の就役だ。
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ワシントン海軍軍縮条約の制約もあって,設計の主眼は戦艦隻数で劣るハンディキャップを,パナマ運河というアメリカ海軍のボトルネックにつけこんで覆すことにあった。幅33.5メートルの同運河の通過が不可欠である米海軍は,戦艦に16インチ(41センチ)主砲までしか搭載できないが,日本海軍は18インチ(46センチ)主砲搭載の幅広戦艦だろうと造れてしまう。主砲の口径と射程で凌駕することで敵を先制攻撃し,「寡兵よく大軍を破る」の理想を実現しようとしたのだ。
ところが,真珠湾奇襲攻撃やマレー沖海戦(英戦艦プリンス・オヴ・ウェールズを撃沈)で当の日本海軍が図らずも証明したように,いざ戦争を始めてみると,海戦の主役が戦艦から航空機に交代したことは明らかであった。戦艦大和は一同の期待と悲願を担って華々しくデビューした時点で,すでに旧式兵器と化していたのだ。
ここに悲劇の本質がある。日本海軍に敗北をもたらした病巣が,ほかならぬ大和という戦艦に凝縮されているのである。
「戦艦大和ノ最期」
著者:吉田 満
解説:鶴見俊輔
版元:講談社文芸文庫
発行:1994年8月3日
定価:1100円(税込)
ISBN:978-4-06-196287-3
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「戦艦大和ノ最期」は,東京帝国大学法学部を繰り上げ卒業し,海軍少尉,副電測士(レーダー担当)として1944年12月に大和に乗艦した吉田 満が1945年4月7日,沖縄特攻で沈没した大和から22歳で生還した体験を,終戦直後にほとんど一日で書き上げた初稿を元として世に出た作品である。
(中略)
ワレ避弾不能ナレバ、全弾命中、床ニ俯シテ衝撃ニ耐ウ
(中略)
艦長「シッカリ頑張レ」、自身ノ声ニテ数回繰返サル コノ声ヲ聞キシ者果シテ幾何ゾ
艦内スピーカー、伝声管ノ機能全滅ニヒトシク、声涸ラセル伝令ノ口伝エノミニヨル
大和は米艦載機の空襲により傾斜九十度となったあと,横倒しになって海中で大爆発を起こし,沈没した。乗員3332人のうち,伊藤整一司令長官を含む3056人が戦死し,生還者は276人でしかなかったから,吉田も生きて還れるとは夢にも思っていなかったろう。
まさしく九死に得た一生。レーダー担当将校として艦橋にあったことで大和沈没に至る戦闘の一部始終を俯瞰でき,文才もあった吉田少尉がかくして生還を果たしたことで,このじつに稀有な記録文学が後世に残されることになったのである。
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1946年12月の「創元」創刊号に文語体で掲載予定だった初稿は,GHQの検閲で全文削除となり,その後口語体に改変され,意に沿わぬかたちで世に出たあと,1952年にようやく文語体の改訂稿版が刊行された。
しかし幻の初稿の段階から反響は大きく,吉田と親交のあった三島由紀夫が「日本人のテルモピレーの戦」と絶讃したほか,小林秀雄,吉川英治,河上徹太郎ら錚々たる面々が賛辞を寄せている。
我ラ前線ノ将士トシテ過分ノ衣食ヲ賜リタリ イツノ日カ、知遇ニ報イザルベカラズ
出撃コソソノ好機ナリ
マタ日夜ノ別ナキ猛訓練モココニ終止シ、過労ト不眠ノ累積ヨリ我ラヲ解放セン
冒頭近く,出撃を告げられたことを受けての記述からは,征戦の大義を疑わず血気に燃える軍国青年を想像したくなる。実際,本作が世に出てからは,これは戦争肯定の文学であり,軍国精神鼓吹の小説であるという批判がかなり強く寄せられたという。
しかし吉田は,東京高校時代に靖国神社参拝を数人でサボり,また夜中に窓ガラスを破壊し火を焚いたことによる二度の停学処分を受けており,40年後に尾崎 豊が歌うような,大人社会に反抗する若者像を先取りしたかのような男でもあった。
戦艦大和を含む軽巡1隻,駆逐艦8隻による沖縄水上特攻は,日本海軍の誇りの結晶である大和に死に場所を与えるため,という側面が大きかった。
アメリカ軍が沖縄に上陸侵攻したことに対し,航空部隊による特別攻撃を大挙実施するという報告を受けて昭和天皇がふと漏らした「海軍にはもう船はないのか」という言葉への忖度も大きな後押しになった。
飛行機にばかり特攻させるなかで,士官用冷房装置やラムネ製造機,アイスクリーム販売といった設備の充実から「大和ホテル」と揶揄されてきた同艦が,内地の軍港にのうのうと停泊していたのでは申し訳が立たないという集団心理も働いたようだ。
結果として,戦艦大和は航空機の護衛もほとんどない丸裸の状態で,米機動部隊の待ち受ける海域を沖縄目指して出撃することになったのである。
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本稿の冒頭に引用したのも,吉田たち青年将校が艦上で戦わせた議論の一部である。新兵器の導入と戦術の工夫で戦果を高めたイギリス軍の事例を挙げて,命中率の低下を訓練不足ばかりに帰そうとする軍への不満を表明している。「不足ナルハ訓練ニ非ズシテ、科学的研究ノ熱意ト能力ナリ」という言葉もみえる。
ならば戦艦大和は実際,役立たずの「世界三大バカ」でしかなかったのか?
戦艦大和は基準排水量6万5000トンにも及ぶ,世界史上最大の戦艦だったが,極力コンパクトに造られており,巡洋戦艦から改造された航空母艦赤城(基準排水量3万6500トン)などより,むしろ燃費は良好だったという。
その建造に尽くされた技術には,戦後日本がものづくりで世界に飛躍し,ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれることになる素地を見ることができる。
ただ前述のように,大和は就役した時点で活躍の場を航空機に奪われており,投入の好機を活かせないまま海上特攻に死に花を求める事態となってしまった。
ならば大和とともに沈んだ者たちは,まったくの犬死にだったのか? そして吉田ら青年将校たちは,その運命を分かっていながら,どうやって自らを納得させたのだろうか。
初版あとがきに,吉田はこう記している。
確かに戦争は絶対悪である。極力避けるに如くはない。だが,戦争に巻き込まれて肉親か戦友の誰かを失い,皆が敵への憎悪に凝り固まっている状況にあって,とことん死力を尽くしたと自他共に納得できるまで,果たして鉾を収めることができるのだろうか。ここに戦争を語る言葉の難しさがある。
以前の記事にも書いたように,ゲームを含む娯楽作品には,どこか遠くの知らない誰かの死をエアコンの効いた部屋で消費し,正義の味方の活躍に溜飲を下げる側面がある。
しかし本書には,そんな他人事ではない,現実の戦争で地獄を見て生き延びた者だけが語りうる言葉がある。そしてそこには,戦後の高度経済成長を可能にした,がむしゃらさが宿っているようにも思えるのだ。
その重みをつくづく噛みしめたい,敗戦から81年目の夏である。
■■待兼音二郎(翻訳家,ライター)■■
幻想文学やゲーム翻訳を主戦場とする翻訳家・ライター。“中二病”まっただ中に出会った1980年代のウォーゲームブームを原体験とし,以来,古今東西の戦場を盤上で追体験してきた生粋のウォーゲーマーでもある。近刊に「銀のギターのジョンII〜罪は戸口に潜む」(共訳書,アトリエサード),「料理の魔書ネクロノミコン ラヴクラフトの物語から生まれたレシピと儀式」(共訳書,グラフィック社)などがある。























