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ゲームの周りに凄い才能が集まっていた――日本のコンテンツ業界を振り返る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第12回は,KADOKAWA代表取締役社長・佐藤辰男氏がゲスト
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印刷2013/07/04 09:00

インタビュー

ゲームの周りに凄い才能が集まっていた――日本のコンテンツ業界を振り返る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第12回は,KADOKAWA代表取締役社長・佐藤辰男氏がゲスト

画像集#002のサムネイル/ゲームの周りに凄い才能が集まっていた――日本のコンテンツ業界を振り返る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第12回は,KADOKAWA代表取締役社長・佐藤辰男氏がゲスト

 連載第12回めとなる,ドワンゴ・川上量生氏との対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」。今回は,KADOKAWA(2013年6月22日,角川グループホールディングスより商号変更)代表取締役社長を務める佐藤辰男氏をゲストにお招きし,昔のゲーム雑誌や出版業界の裏話,角川グループが“コンテンツ王国”として発展していった経緯などを語ってもらいました。

 日本の4大出版社の一角を占める角川グループ。その代表取締役として,角川,ひいては日本のコンテンツ業界をリードする佐藤氏ですが,以前は,「コンプティーク」や「マル勝ファミコン」などといったゲーム雑誌の編集長を務めていたこともある人物。出版,アニメ,映画といった業界だけではなく,ゲーム業界とも浅からぬ関係を持っています。そんな佐藤氏から見た,日本のコンテンツ業界,そしてニコニコ動画とは?

 今回は,日本のコンテンツ産業の歴史を裏付けるような,貴重な証言も非常に多いインタビューになっているので,ゲーム業界はもちろんのこと,広くたくさんの人に読んで頂ければ幸いです。いつものように,雑談混じりの堅苦しくない内容ですので,通勤/通学の途中で,あるいはお昼休みに,ぜひご一読ください。

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知らず知らずのうちに「角川の掟」を破っていた


4Gamer:
 今日は,コンプティーク元編集長の佐藤さんがゲストとのことでしたので,昔のコンプティークをいくつか持ってきてみました。

佐藤氏:
 おや,これはまた,懐かしいものが出てきましたねぇ。

4Gamer:
 本当は創刊号を持ってきたかったんですが,Yahoo!オークションで競り負けてしまって……。

川上氏:
 ちょっと! そこは頑張ってよ。せっかく佐藤さんに登場して頂いたんですから(笑)。

佐藤氏:
 わっはっは。

川上氏:
 しかし,こうして昔のコンプティークを見ているだけでも相当面白いですよね。いろいろなことに気づかされますよ。

佐藤氏:
 コンプティークは,創刊が83年ですが,86年くらいまでは相当苦労したんですよ。ホント全然売れなくてさ(苦笑)。

川上氏:
 でも,89年のコンプティークを見ると,もう広告がかなり入っていて,本も厚くなってきていますね。

佐藤辰男(さとうたつお):1952年生れ。KADOKAWA代表取締役社長。早稲田大学第一文学部卒業後,玩具業界紙を手がける日本トイズサービスに入社。角川書店に移籍してからは,「コンプティーク」「マル勝ファミコン」などゲーム雑誌の立ち上げやキャラクターの商品開発に携わり,その後,メディアワークス(現アスキー・メディアワークス)の設立に参加。同社で代表取締役社長を務め,電撃文庫など同社の主力ジャンルを築き上げた。角川書店の取締役に復帰後は,アスキー・角川モバイル代表取締役社長を経て,2008年に角川グループホールディングス(現:KADOKAWA)代表取締役社長に就任している
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佐藤氏:
 うん。89年頃というのは,あの「ロードス島戦記」の連載が終わって,ちょうど「漂流伝説クリスタニア」が始まったあたりの時期で。雑誌にも勢いが出てきた時代でしたからね。

4Gamer:
 昔のコンプティークを読み返していて驚くのは,ゲーム雑誌なのに,内容の半分くらいが“ゲームに関係ない記事”なんですよね。個人的には,それが凄いなと思って。

川上氏:
 そうだよね。コンプティークって,あの頃のゲーム雑誌の中でも,本当に異彩を放っていたと思う。

4Gamer:
 それに普通は,ゲーム雑誌に載る漫画とかって“しょせんオマケ”的な意味合いが強いというか。それ一本で成り立つようなコンテンツってあまりなかったと思うんです。

川上氏:
 うんうん。僕自身は,ゲーム雑誌についてる漫画は邪道だと思っていたから,あまり読まなかったもんなぁ……(笑)。

4Gamer:
 だけど,コンプティークの「ロードス島戦記」や「クリスタニア」,あるいは後に佐藤さんが手がけられる「マル勝ファミコン」で連載されていた「魍魎戦記MADARA」なんかは,その作品自体が独り立ちして大きな人気を集めていました。そういうところに,今の電撃文庫などに通じる源流があるのかな,とも感じるのですが。

佐藤氏:
 漫画はね。当時の編集部の中では反対が多かったんですよ。それに,雑誌って横書きの文化じゃないですか。漫画って縦書きの文化のものだから,そもそも情報誌と漫画って相性が悪いんです。

川上氏:
 なるほど,確かに。

佐藤氏:
 で,いろいろと考えあぐねた結果,苦肉の策として,漫画を雑誌の後ろから逆方向に載せるっていうのを,たぶん,僕らが一番最初にやったんですよ。

4Gamer:
 ああ,昔のゲーム雑誌には,雑誌の後ろから始まる漫画がよくありましたよね。

佐藤氏:
 そうそう(笑)。最初は,「そんな型破りなことをやっていいのだろうか?」と恐る恐る始めたんですけど,僕たちの成功を見てね。他の雑誌もみんな真似したんですよ。

川上氏:
 でも,なんでまた,ゲーム雑誌でわざわざ漫画をやろうと思ったんですか?

佐藤氏:
 あの時には,「LOGiN」みたいな強力なライバルがいて。いわゆる真っ当な記事――普通のゲームの紹介だとか,考察だとか――では敵わないと思っていたんです。だから,「何か違うことをやらなくちゃ」みたいな強迫観念があったんですよ。

川上氏:
 でも当時の角川書店って,そもそも漫画自体をあんまりやってませんでしたよね。

佐藤氏:
 そうそうそう。実を言うと,角川グループって,元々は「漫画はやらない」って方針だったんですよ。

4Gamer:
 え,そうなんですか?

佐藤氏:
 はい。角川書店って創業が1945年なんですけれど,元々は国文学関連に強みを持つ文芸出版社としてスタートしているんですね。ずっと“国史国文の出版社”という立ち位置だったんです。だから,先代の社長(角川書店の創業者:角川源義)までの時代っていうのは,女性の裸と,漫画と,スキャンダルはやっちゃいかんという「掟」が角川にあった。とてもお堅い会社だったんですね。

川上量生氏
画像集#006のサムネイル/ゲームの周りに凄い才能が集まっていた――日本のコンテンツ業界を振り返る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第12回は,KADOKAWA代表取締役社長・佐藤辰男氏がゲスト
川上氏:
 なるほどぉ! ……でも今の角川って,スキャンダル以外は全部やってませんか?

佐藤氏:
 わっはっは。そうなんですよ(苦笑)。

4Gamer:
 コンプティークにも,ちょっとエッチな特集とかがありましたよね(笑)。

佐藤氏:
 うん。まさにコンプティークが,本当に掟破りなことばっかりしていてさ。僕は,そんな掟があるなんて全然知らなくて,知らず知らずのうちにいろいろな掟を破っていたんですよ。

川上氏:
 あ,知らなかったんだ(笑)。

佐藤氏:
 知らなかった。まぁおそらく,角川会長自身も「そろそろ,もういいだろう」と思ってた時期だったんでしょうね。同時期に角川書店初のコミック誌「ASUKA」も創刊されていますから。だから見逃してもらえてたんだと思う(笑)。


ブラウン管のまわりに雑誌のシーズ(種)がある!


川上氏:
 そういえば,コンプティークの初代編集長は佐藤さんってことでいいんですか?

佐藤氏:
 いや,厳密に言うとね,僕は副編集長だったんです。

川上氏:
 あ,そうなんですか。

佐藤氏:
 というのも,1983年の11月に出た創刊誌って,「ザテレビジョン」の別冊って形をとっていて,そのザテレビジョンの編集長がコンプティークの初代編集長だったんですね。ただ,副編集長って肩書きだったんですけど,実際の業務って意味では,僕が編集長の役割をしていて。

川上氏:
 つまり,実質的には編集長だったってことですよね。それはなんか「アニメージュ」みたいですよね。あれも尾形さんって方が初代編集長でしたけど,実質的には鈴木敏夫()さんが取り仕切っていたみたいですし。

※鈴木敏夫(すずきとしお):スタジオジブリ プロデューサー。1972年に徳間書店に入社。1978年には「アニメージュ」の創刊に携わり,その後,宮崎駿に漫画「風の谷のナウシカ」を連載させ,これがスタジオジブリの設立につながっていった。徳間書店取締役,スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任。

佐藤氏:
 ああ,ウチもそんな関係かも。

川上氏:
 でも面白いですよね。ザテレビジョンの別冊としてコンプティークが生まれて,一方で,「月刊アスキー」の別冊として同じ時期に「LOGiN」が生まれて。この争っていた二誌が両方とも別冊扱いだったっていう。

4Gamer:
 コンプティークが生まれる経緯はどういったものだったんですか?

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佐藤氏:
 そこはね。まず会長の角川歴彦()が「ブラウン管のまわりに雑誌のシーズ(種)がある!」と言ったことが,角川グループとしては契機の一つだったんです。元からアメリカには「TV GUIDE」って雑誌があったし,日本にもテレビ情報誌は昔からあったんだけど,ブラウン管――要するにテレビと親和性の高い媒体にはもっと可能性があるはずだと。それで「ザテレビジョン」が1982年に創刊されて。

※角川歴彦(かどかわつぐひこ):KADOKAWA取締役会長。大学卒業後に家業である角川書店に入社。1975年に専務,1992年に副社長に。「ザテレビジョン」や「東京ウォーカー」,そしてゲームやアニメ雑誌などの部門を立ち上げ,角川書店の経営に貢献した。1993年には同社社長に,その後,株式会社角川グループホールディングス(現:KADOKAWA)代表取締役会長兼CEOに就任した。

川上氏:
 なるほど。

佐藤氏:
 で,「ブラウン管のまわりに雑誌の種がある」っていうんだったら,パソコンにだってブラウン管(モニタ)はあるよなっていうね。そういう発想で「パソコン雑誌もありだろう」って流れが角川の中にできて。

川上氏:
 拡大解釈。それはかなり拡大解釈ですよねぇ(笑)。

佐藤氏:
 そうなんだけどね(苦笑)。会長は「ブラウン管の周りで雑誌を作るんだ!」と考えて,実際にパソコン雑誌やアニメ雑誌が作られていくわけです。それで,当時「誰かパソコン雑誌をやる奴はいないか?」って話になって,なぜか僕に白羽の矢が立つんですけど。

4Gamer:
 佐藤さんは,元々パソコンゲームにはお詳しかったんですか?

佐藤氏:
 いや,全然(苦笑)。ただ,僕はもともと玩具業界にいた人間で,玩具業界からの流れでゲームっていうものを見ていたんです。実際,僕自身も1982年夏にアメリカに視察にいったんですけど,そこでは,「Atari 2600」や「コレコビジョン」みたいな家庭用テレビゲームが,すでに“玩具”として花開いていたんですよね。

4Gamer:
 日本で「ファミリーコンピュータ」が発売されるのは,その翌年の1983年ですね。

佐藤氏:
 ええ。だから,僕が最初に出したのは,テレビゲームの雑誌の企画だったんですよね。

川上氏:
 でも,だとしたらコンプティークがファミ通のような方向にいかないで,パソコンまでを含めた“総合ゲーム誌”になったのはなぜなんですか?

佐藤氏:
 いや,当時はいろいろな可能性を考えていて。要するに,あの時期って玩具の流れからテレビゲームが出てきた一方で,同時に「MSX」が立ち上がった時期でもあったんだよね。つまり,「パソコンの流れとしてのゲーム」も無視できない状況だった。そして,さらにもう一つあったのが,川上さんも好きなアナログゲームの流れで。

川上氏:
 なるほど。あの頃は,まだコンシューマゲームがあんなに勝つってのがわかんなかった時期なんですね。

佐藤氏:
 ええ。これからどうなっていくのかっていうのは誰も分からなかったんですよ。僕はむしろ,さっきも言ったように元々は玩具業界の人間だからさ,本音を言うと,アダルトゲームという領域を扱いたかった。あ,アダルトゲームって別にいやらしい意味ではなくてね。

4Gamer:
 ダーツとかそういう?

画像集#013のサムネイル/ゲームの周りに凄い才能が集まっていた――日本のコンテンツ業界を振り返る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第12回は,KADOKAWA代表取締役社長・佐藤辰男氏がゲスト
佐藤氏:
 そうそう。玩具業界っていうと,タカラとかバンダイが発売しているような子供向けのゲームを連想する人が多いと思うんですけど,実は,ダーツやカードゲーム,バックギャモンみたいな大人向けの玩具市場っていうのもかなり大きくて。これも,80年代あたりでブームが起きているんですよね。割と知られていないんですけど。

川上氏:
 いやぁ,興味深いですねぇ。

佐藤氏:
 だからコンプティークっていうのは,最初から全方位,あくまで「ゲーム」というくくりでやっていて。世間では,ライバルは「LOGiN」ってことになっているけれど,本当はパソコンゲーム雑誌ですらないんですよね。

4Gamer:
 なるほど。

佐藤氏:
 それに当時,講談社さんの雑誌「ホットドッグプレス」で,「迷宮への招待」という連載があったんです。どういうものかというと,欧米のいろいろなアダルトゲームを紹介するってコーナーで,いわゆる欧米のカードゲームだとかボードゲームだとかを紹介していたんですね。実を言うとね,僕はそういうのがやりたかったの(笑)。

4Gamer:
 ああ。もしかしてそういう流れで,コンプティークには,黒田幸弘さん()の連載とかがあったんですか?

※黒田幸弘(くろだゆきひろ):ゲームクリエイター。ボードゲームやコンピュータゲームの制作に携わり,「クロちゃん」の愛称でも知られる。代表作は「天下統一」シリーズや,「超人ロック」「戦国大名」など。

佐藤氏:
 うん。クロちゃんはね,僕自身も「迷宮への招待」みたいな連載をやりたいと思って,いろんな人を探していた時に出会った人で。最初は,鈴木銀一郎さん()がいいだろうってことでお願いしにいったんですけど,彼の都合が付かないからって代わりにって紹介してもらったのが黒田さんだった。

※鈴木銀一郎(すずきぎんいちろう):ボードゲーム界の父。日本初のゲームデザイナーとして知られ,数々のボードゲーム制作に携わる。カードゲーム・ブームの火付け役となった「モンスターメーカー」シリーズのデザイナーとしても知られる

川上氏:
 黒田さんって,あの「戦国大名」の?

佐藤氏:
 そうですね。だから僕の中では,テレビゲームやパソコンゲームだけじゃなくて,そういうアナログゲームの可能性もどっかにあるなって意識をもってやっていたんだと思う。もうずいぶん昔の事だから,自分でもあんまり覚えてないんだけどね。

川上氏:
 でも,そういうお話を聞いていると,その流れの中で「ロードス島戦記」みたいな作品が生まれてきたっていうのが,とても“必然”というか。生まれるべくして生まれる流れがちゃんとあったんだなって感じますよね。

佐藤氏:
 そうかもしれないですね。ただ,「ロードス島戦記」の一番最初のきっかけを作ったのも,実は角川会長なんだけどね。

川上氏:
 え,そうなんですか?

佐藤氏:
 そうなんですよ。会長がどこかのゲーム大会を見に行って,そこで「ダンジョンズ&ドラゴンズ」に出会って。「これは面白そうだから,コンプティークでもやってみないか?」と言ったのは角川会長なんです。

川上氏:
 でも角川会長って,そもそもゲームはされるんですか?

佐藤氏:
 いやいや,しません。

川上氏:
 そうですよね。

佐藤氏:
 しないんだけど,どっかでなにか新しいことが始まっていて,そこに才能が埋まってるかもしれない!――みたいな嗅覚は凄くある人で。だから,会長は「ダンジョンズ&ドラゴンズ」を知ってからすぐに,当時神戸にいた安田 均()さんに会いに行ってます。

安田 均(やすだひとし):小説家,翻訳家,ゲームライター。日本におけるTRPGの伝道師と知られる。1986年にグループSNEを創設。そのグループSNEから「ロードス島戦記」などが誕生し,その後の日本のファンタジー小説界に多大な影響を与えた。

4Gamer:
 それも凄い判断力というか,行動力です。

佐藤氏:
 あの時は,角川会長自身も「新しいもの」を探していたんでしょうね。ブラウン管の話もそうした流れの一つですし,ゲームの周りでもね,新しいものが次々生まれている時代だったじゃないですか。だから,TRPGの勢いというか,熱みたいなものを,会長も感じ取ったんだと思います。

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