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[GDC 2018]王の死を以って,ゲームはプレイヤーのものになった。リチャード・ギャリオット氏達が語る「Ultima Online」のポストモーテム
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印刷2018/03/26 17:34

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[GDC 2018]王の死を以って,ゲームはプレイヤーのものになった。リチャード・ギャリオット氏達が語る「Ultima Online」のポストモーテム

 GDC 2018の最終日となった2018年3月23日,1997年にElectronic Artsからローンチされ,MMORPGというジャンルをメインストリーム化させたことで多くのゲーマーに知られる「Ultima Online」のポストモーテム(事後検証)が行われた。参加したのは,「Ultima」 シリーズの生みの親として,RPGジャンルそのものに大きな影響を与えた“ロード・ブリティッシュ”ことRichard Garriott(リチャード・ギャリオット)氏,そしてUltima Onlineでは“ブラックソーン”という悪役のペルソナで知られていたStarr Long(スター・ロング)氏,リードデザイナーだったRaph Koster(ラフ・コスター)氏,そしてライブチームを率いたプロデューサーのRich Vogel(リッチ・ヴォーゲル)氏で,当時アメリカのゲーム業界を彩ったOrigin Systemsのそうそうたる顔ぶれが揃った,珍しいセッションとなった。

左から,リチャード・ギャリオット氏,スター・ロング氏,ラフ・コスター氏,そしてリッチ・ヴォーゲル氏
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 1995年,当時のUltima Onlineは,Origin Systems内で「Multima」というコードネームと呼ばれていた。もともとは,MUD(Multi-User Dungeonと呼ばれた,テキストで進めていくオンラインゲーム)のクリエイター出身だったコスター氏が想起した,「Ultima IVをマルチプレイ化させた,グラフィックスのあるMUDゲーム」というコンセプトでスタートしたという。当時のハイエンドPCと言えば,「CPU性能は今より1000分の1の33MHz,メモリも1000分の1の16MB,ビデオカードは8000分の1ほどしかない1MB(16ビット)で,HDDは260MBで,今の携帯電話のほうが遥かに大容量」だったとロング氏はジョークを飛ばしていた。

 当時のインターネットはまだぜいたく品であり,28.8Kか33.6Kbps程度のモデムが主流だった時代において,MMORPGの開発がどれだけ挑戦的なものであったのかが分かる。10〜20代の読者には信じられないことかもしれないが,当時はまだインターネットは1時間もしくは1分ごとに課金されるというシステムで,アメリカで主流だったインターネットプロバイダのAmerica On-Lineは,月間9.95ドルで5時間使用でき,その後は時間当たり2.95ドルずつ徴収されるというシステムだった。

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「Multima」と呼ばれた新作ゲーム開発が始動


 こうした中で,Multimaを作り出そうと動き始めたのは,どうやらロング氏だったらしい。この頃,ロング氏はまだ品質管理部門のテスターだったが,昼休みには仲間達とLANを使って「DOOM」をプレイするのが日課だったという。そのセッションで,角を曲がった瞬間に相手プレイヤーのロケットランチャーが直撃してキルされたとき,「AIよりも実際のプレイヤー相手のほうが楽しい。これをUltimaで試してみたい」と思ったのだと言う。
 そもそも,ギャリオット氏が10代の頃からゲームを作り始めたのも,「『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を仲間のいないときでも1人で楽しみたい」という願望がきっかけであり,やがてUltimaがオンライン化してほかのプレイヤーとリアルタイムでプレイするという方向に向かったのは,当然の成り行きだったようにも思える。
 また,「Windows 95」のリリースでPCが一般家庭にも普及し始めたことにより,Webサイトの制作も流行っていた。「Multimaを作るなら今しかない」と,ロング氏とコスター氏の熱意に押された結果,ギャリオット氏はゴーサインを出すことになる。しかしここで問題なのは,親会社であるパブリッシャのElectronic Artsをどのように説得するかだった。

現在,ロング氏と共に「Shroud of the Avatar: Forsaken Virtues」を開発中のリチャード・ギャリオット氏。今回も“ロード・ブリティッシュ”のアバターで登場した
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 ギャリオット氏は,ロング氏とコスター氏にデザインドキュメント(企画書)を制作するよう命じ,テキサスからカリフォルニアにあるElectronic Arts本社に赴いて直訴する。当時のElectronic Artsでは,このドキュメントを元に広報やマーケティング部門でのセールス予想が行われるというプロセスになっていたそうだが,まだ「MMORPG」というジャンルは確立されておらず(MMORPGは,1995年にリリースされた「Meridian 59」というゲームの広報資料で初めて使われた用語とされ,ゲームシステムとして確立していたものではなかったが,MUDの存在を考慮すると,この頃すでに概念は存在している),フライトコンバットなどの似たようなオンラインゲームから推測することになった。その結果,Electronic Artsの出した販売予想はたった1万5000本だったという。ギャリオット氏らは,当時のインターネットが日進月歩で変わっていることを根拠に説得を試みたものの,当然ながら許可は下りなかった。


Ultima Onlineのデザインドキュメント。ゲームエコノミーは,コスター氏夫人であるクリスティン・コスター氏によって構想されたものだった
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 6か月後,インターネットの社会浸透がますます盛んになったことで,もう一度ギャリオット氏らが交渉しに行った際には,Electronic Artsは3万本と好意的な販売予想に変更していたが,それでも開発許可は下りない。1994年にリリースされた「Ultima VIII: Pagan」が商業的には失敗に終わっていたものの,パブリッシャとしては固定ファンの多いシリーズのシングルプレイ用新作,つまり「Ultima IX: Ascension」(1999)の開発を優先すべきという姿勢だったらしい。結局,さらに半年後のミーティングでギャリオット氏らが,「Multima」と「Ultima IX: Ascension」(1999年)の開発を同時進行させること,そして「プロトタイプ制作のために使える開発費は(たったの)25万ドル」を条件に企画が通ることになった。

 こうして1995年冬に編成されたオリジナル開発メンバーは,ロング氏がプロデューサーで,リードデザイナーにはコスター氏,残りはコスター氏の知るMUD開発コミュニティから新規に雇い入れた。その中にはコスター氏の夫人であるKristin Koster(クリスティン・コスター)氏も含まれており,彼女は大学で経済学を専攻していた経験から,「ゲーム内エコノミー」をデザインすることになった。

 当初のUltima Online開発メンバーはたったの9人。この後,コスター夫妻が趣味で関わっていた「Legend MUD」の仲間だったリッチ・ヴォーゲル氏が加わり10人となるが,コスター氏は「この10人で,1997年9月にローンチされる3か月前まで変わらず,Ultima Onlineの90%を作り上げた」らしい。当然ながら,人手不足でコスター氏らデザイナーチームもプログラミング作業を行わねばならなかったと話していたが,そのことが後のバグの多さにつながっていたのかもしれない。

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 そんな急ごしらえの小さな開発部隊にあてがわれたのは,改築中だったオフィスの最上階。「壁の片方がビニールに覆われただけの吹きさらし。寒くて手袋を付けたままPCに向き合い,サーバーをヒーターの上に設置してもオーバーヒートすることはなかった」と,コスター氏やロング氏は笑い飛ばしていた。
 どうにか完成したプロトタイプは,「Ultima IV」のゲームエンジンをベースにしたもので,「100人程度のプレイヤーが限られたスペースの中を歩き回り,ほかのキャラクターにぶつかるとアイテムをドロップするだけ」という,構想とは程遠いものだったという。しかし,Origin Systems社内からの参加要請が後を絶たないほど,その物珍しさが話題になったそうだ。

Ultima Onlineのリソースシステムは,現在のゲームでもあまりないほど,ち密に作り上げられたものだった。ヒツジの毛を刈って,そこから洋服を作り,さらに自分の好きな色で染色もできてしまう。駆られたヒツジの毛はしばらくすると伸びてくる。それぞれのキャラクターモデルは3Dで作られたものがスプライト化され,8方向でのアニメーションが作られた
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「Ultima Online」が生み出した様々な業界スタンダード


 開発中,ロング氏の主導で立ち上がったのがUltima Onlineの公式サイトである。おそらくゲームとしては初めて「FAQ」ページを作り上げてファンにMMORPGの解説を試みたが,当時はElectronic Artsにさえ公式サイトが存在しておらず,開発チームが許可なく広報活動をしていると勘繰られたことでElectronic Artsのマーケティング部門では大問題になったという。

ヴォーゲル氏(手前)とコスター氏。彼らはその後,Sony Online Entertainmentに移籍して「Star Wars: Galaxies」などの作品群を手掛けた
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 もともと開発予算は少なかったために,プレイテストのアイデアとして思いついたのが,「公式サイトで5ドルを支払ったファンにβ版を送る」という仕組みだ。ギャリオット氏は,「世界最初のアーリーアクセス版」と笑っていたが,開発途中のゲームを売るという前代未聞の事情だったにも関わらず,数日後には公式サイトの登録ページに5万人分もの応募が集まることになる。これを見てElectronic ArtsもようやくUltima Onlineのポテンシャルに気付き,「Ultima IX」の同時開発を一時中断。それまで10人でずっとβ版まで作り上げてきた開発チームに,正式ローンチの3か月前になってから,40人ほどのメンバーが配属された。

今ではかろうじてロゴだけが残っているが,当時はまだゲーム会社や,ゲーム単位での公式サイトというコンセプトは浸透していなかった
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 ここからのUltima Onlineチームは,革命の連続であったとヴォーゲル氏は話す。そもそもOrigin Systemsは,ログインサーバーや認証システム,オンラインを使った徴収システムも,それらの個人情報を管理するサーバー技術も持っていない。今となってはゲーム会社の常識であっても,当時はElectronic Artsにさえ人材はおらず,当初はサンノゼで設立されたばかりのMpath Interactiveが生み出した「MPlayer.com」に頼らざるを得なかった。ヴォーゲル氏は,「当時のヨーロッパや日本ではクレジットカードを持っていない人も多かったので,30日,60日,90日,(そして後に180日)のGameTimeコードを販売した」と述べたが,これもUltima Onlineが最初だったという。

日本からは中々入手しづらかったUltima Onlineのβ版CDは,今ではコレクターアイテムとして取引されている
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チートやバグを利用した悪行も誕生


筆者も,街の外に出るのに相当の勇気を感じたのを今でも覚えているほど,Ultima Onlineの世界はPKの蔓延で殺伐とした雰囲気だった
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 サービスやテクノロジー面で様々な新境地を切り開いていったUltima Onlineであったが,βテスト段階のゲーム内でも革命が起こっていた。チートやバグの悪用,そしてコミュニティの形成といったことだ。予想以上の反響で複数のサーバーが必要となったため,ギャリオット氏らは「世界が分裂して粉々(シャード)になった」というファンタジーを新たに用意したが,それぞれのシャードにコミュニティが独自の文化を形成し,それぞれで様々なイベントが生まれていく。当初,Ultima Onlineの運用はMUDの流れからボランタリズムに傾倒していたが,与えられた特権を悪用し,PKギルドを運営したり,不当に得たアイテムや権利書をeBayなどで売ったりする者も少なくなかった。

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 コスター氏が言うには,Ultima Onlineの問題点のほぼすべては,PK(プレイヤーキリング)が許されたオープンデザインになっていたことだ。7回にわたって戦闘システムは見直されたが,その1つとして導入されたバウンティボードのシステムなどは,PKer(プレイヤーキラー)達が自分の悪名を自慢するリーダーズボード程度にしか扱われなかった。ただ,ギャリオット氏は「私にUO時代の良い思い出として話しかけてくるファンのネタは,大概はチートやPKにまつわるもの」らしい。

 コスター氏も,「今回のGDCでも,『PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS』のチートはUltima Onlineの精神的後継“問題”でしかないと言う人が何人もいた」と語っていたが,現在にも見られる“グリーファー”(ほかのプレイヤーがしてほしくない行動を取る人。今ではトロールと呼ばれることが多い)と呼ばれるプレイヤーの行動パターンは,すべてUltima Onlineで起こっていたというのは,決して言い過ぎでもないと思う。ゲーマー達にとっても,MMORPGというゲームシステムに不慣れなことが多く,βテストの段階で様々な訴訟が起こされるなど,ゲーム業界内外から注目される状況下で,Ultima Onlineはローンチに向けて開発が粛々と進められていたわけだ。

テキサス州オースティン市の若き実業家として知られていたギャリオット氏だったが,Ultima Onlineでは発売前から,様々な訴訟が起きていた
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 この後は,βテストやローンチ直後の段階で発生した,様々なチーティングやコミュニティの動向が紹介されていった。例えば,Origin Systemsが設定した職業以外にプレイヤーが生み出したゲーム最古の職業ギルドは,鍛冶屋でも家具職人でもなく,何を隠そう“売春”である。「サイバーしたい?」(Do you want cyber?)と聞かれて元締めにお金を払い,本来なら入れないはずの倉庫の中に入ると,そこで待機していた女性キャラクターが服を脱ぎ,卑猥な言葉を発しながら礼のポーズをする,といったものだったが,これが大きな問題になったのは分かるだろう。

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 また,ヴォーゲル氏が思い出として語るのは,1997年のクリスマスの夜。ライブチームの管理者達の仕事を軽減させるためにヴォーゲル氏自らが徹夜当番を買って出たが,その日はサンタクロースとトナカイが出現するというイベントが行われていた。しかし,サンタクロースの服装を盗めることを知ったプレイヤーが登場し,ヴォーゲル氏が異変に気付いた時点で,何体ものサンタクロースNPC達が裸で走り回っていたという。しかも,当番が少なかったことで対処し切れないヴォーゲル氏に痺れを切らしたプレイヤーの中には,裸のサンタクロースをキルして回るというギルドを作り上げた人達もいたらしい。


悪行から見えてきたオンラインコミュニティの形


 予想以上の人気によるアクセス集中でラグも頻発し,バグへの対処も捗っていないことに怒りを覚えた何百人ものプレイヤー達が,ゲームの中で抗議行動を起こしたこともあった。しかも,一斉に何かをタイピングするので文字が重なって読めなくなり,混乱したままの状態で城に乱入。さらに酒を飲んで吐いたり,裸で走り回ったりするような悪ノリプレイヤー達が抗議行動に便乗して手が付けられなくなってしまうこともあった。ギャリオット氏は,「こうしたプレイヤー達は,ゲームの歴史の1ページとして,何が起こっているのかを理解しながらやっている人ばかりだった」と,怒りながらもゲームを止めようとしないゲーマー達の立場で考察する。

UO事件簿その1「銀行強盗とマジックゲート事件」。身ぐるみ剥がされたうえに,海上のどこかにある小島に飛ばされて,動けなくなる人が後を絶たなかった。タイプするだけではQ&Aチームには届かないのに,ヴォーゲル氏が船で助けに行ったときには,皆が裸でHELP!と叫んでいたという
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UO事件簿その2「酔っ払い抗議」。人気が高まるにつれてラグが発生しやすくなったことから,さらにラグが発生するであろうに多くの人がタウンホールに集まって抗議活動を展開。開発チームは,より大きなスペースとして城を開放したが,皆が酔っぱらってゲロを吐きながら裸で走り回るという惨事になった
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 この頃にコスター氏やヴォーゲル氏らが感じていたのは,「もはや我々はゲームではなく,1つの社会を運営している」ということだった。都市整備や経済のシミュレーションだけでなく,不法行為の取り締まりから異なる意見をまとめることまでを,現実世界の政府ではなく数名のライブチームのメンバーで行わなければならない。当然ながら,バーチャル世界では“政府側”の人間さえも不正行為を働くわけで,どのように規則作りと「ゲームゆえの自由度」を両立できるのかが見いだせず,コスター氏は政治学や社会行動学の書物を読みふけるようになったという。

 さらにコスター氏が続いて,「ある時,トリンシックの街のゲートを,家具でバリケードを作って人々が通れないようにするグリーファー達が登場した。この街でスポーンしたプレイヤーは,南側にある1タイル分の小さな隙間から出るしかなかったが,壁で向こうの様子が見えないまま一歩外に出た地点でキルされた。この“トリンシック包囲作戦”は次のパッチで家具を壊せるようにするまで続いたが,今から思えばそれをゲーム内の1つのイベントとして考えることもでき,我々はプレイヤーの作り出したことをゲームから引き離すのではなく,同じ目線で対応していくことが大切なのかもしれない」とコスター氏は語った。

UO事件簿その3「トリンシック包囲網」。PKギルドがトリンシックの街のゲートを家具を積み重ねて封鎖したことで,この街でスポーンしたプレイヤーは南側の小さな通路を使うことを余儀なくされたが,当然ながらキルの対象となる。これは,次のパッチで家具を壊せるようになるまで,ロールプレイの1種としてライブチームは放置した
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UO事件簿その4「ブリタニアのハルク・ホーガン」。こちらは事件というわけでもないが,ハルク・ホーガンになりきったキャラクターが登場。MMORPGにおける“ロールプレイ”の進化は留まるところを知らなかった。ロング氏は,ブラックソーンを使って時おりプロレス対戦に興じていたという
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 最後のトピックとして挙げられたのが,β版のプレイヤーの間では語り草になっている“ロード・ブリティッシュ”の死である。その経緯は有名だが,改めてギャリオット氏は,「正式ローンチも終わりのころ,ブラックソーンとロード・ブリティッシュが一緒に連れ立って,プレイヤー達とコミュニケーションを取りながら,正式版のローンチが近いことや,βテストへの参加に感謝してブリタニアの各地をまわっていました。それまでゲーム世界に登場すると,様々なプレイヤー達が何とか我々をキルしようと,スペルを使ったりオブジェクトを利用してバグを発生させたりと挑戦していましたが,我々はゴッドモードを使っていましたから,この頃にはプレイヤーも悪さをしようとさえしなくなっていました」と解説する。

 そんな気の緩みもあって,ブリタニア散策のイベント中,Rainzとして記憶されているプレイヤーが「ファイアーフィールド」を2人のキャラクターの前に発動した。ブラックソーンは何事もないかのように「はは,良い挑戦だな」と余裕で潜り抜けたが,ロード・ブリティッシュが後に続くように足を踏み出した瞬間,炎に包まれてあっけなく倒れてしまったのだ。ギャリオット氏は,ゴッドモードをオンにしておくのを忘れてしまっていたのである。
 この時,幽霊になって「oooOOooOOoooOOooo」としか話せないロード・ブリティッシュを操作していたギャリオット氏を含め,開発者達はハッキングされたのかと戦慄が走ったそうで,ギャリオット氏自身,そのときショックで声も出せない状態だったと,筆者は以前彼から直接聞いたことがある。ライブチームは咄嗟にデーモンを召喚してロード・ブリティッシュの死体からルートしようという不届きものが近付かないようにしたうえで,その時点ではRainzの存在が分からなかったために,「ブリタニアに何かの異変が起きた」ということにして,その周囲にいたキャラクターをすべてキルしてしまった。

UO事件簿その5「ロード・ブリティッシュ暗殺事件」。筆者もファイアーフィールドで四方に囲まれて,PKer集団になぶり殺された経験があっただけに,この事件が起きた時は本当に悲しくなったのを覚えている
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 この時,Ultima Onlineの開発チームは1つの結論に達する。「ファンタジー世界の王は死んだ。そして,新しい支配者達,つまりプレイヤー達の手に委ねられることになったのだ」と。上記の「バーチャル世界の政治」云々の話題と呼応し,オンラインゲームは開発チームによる専制政治から,コミュニティによる“デモクラティゼーション”(民主化)の時代へと移行したことが明白になったわけである。
 この“ロード・ブリティッシュ暗殺事件”は,どんなにち密に設計していても,何が起こるか分からないオンラインゲームの実例として今も良く語り継がれているが,今回のGDCでギャリオット氏は「私を殺してくれてありがとう」と笑いを誘いながらセッションを締めくくっていた。

現在,Ultima Onlineは幾度となくアップデートを重ねながら,Electronic Artsの委託を受けた元Mythic Entertainmentのライブチームが設立したBroadsword Online Gamesによって維持されている
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