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いま,ダンケルクが熱い! ……ような気がするので,本物のダンケルクへ行ってみた
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印刷2017/08/28 00:00

企画記事

いま,ダンケルクが熱い! ……ような気がするので,本物のダンケルクへ行ってみた

 2017年9月9日に日本で公開されるクリストファー・ノーラン監督の映画「ダンケルク」は,第二次世界大戦がフランスに広がった1940年5月から6月にかけて,ヨーロッパ大陸に取り残された30万人以上の英軍兵士の救出作戦(いわゆる「ダイナモ作戦」)をテーマにした映画だ。
 欧米では7月中旬から順次公開され,すでに高い評価を受けているので,読者の中にも気になっている人は多いのではないだろうか。また,ゲームメーカーのWargaming.netは,サービス中の「World of Warships」で同作とのタイアップを行っており,ゲームを通じてこの歴史的事件の存在を知ったという人もいるかもしれない。

「World of Warships」の出撃画面に「ダンケルク港」が追加された
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 史実,そして映画の主な舞台となるのはイギリスのドーバーと,フランスのダンケルクという2つの街だ。この英仏の港湾都市にはダイナモ作戦だけでなく,第二次世界大戦に関する史跡が数多く存在している。

 しかしなにぶん,日本からは遠いヨーロッパ,しかもロンドンやパリからも離れているということもあり,簡単に「映画を見たから現地に行ってみよう」というわけにはいかないだろう。
 しかし,せっかく注目を集めているのだから,物好きの筆者としては生ダンケルクと生ドーバーに挑戦しないわけにはいかない。理解は難しいと思うが,ぜひ分かってほしい。
 というわけで,両都市を訪問してきたときの様子を写真と共に紹介したい。記事を読んで,映画を見たりゲームをやったりする前のイメージを膨らませてもらえれば,寒いヨーロッパで夏カゼを引き,帰国時に空港の検疫所で問診を受けた筆者としても幸いだ。


映画によって街の歴史の保存熱が高まるダンケルク


 ドイツ軍の「電撃戦」によってドーバー海峡の淵に追い詰められた約40万人の英仏軍兵士達。彼らが決死の撤退を行ったダンケルクはフランス北東部,ベルギーとの国境近くに位置する人口約9万人の都市だ。隣のカレーと並んで,中世からイギリスと大陸とを結ぶ重要な港町として機能してきたが,これといった観光スポットがあるわけではなく,歴史ファン以外の知名度は高くない(と思う)。
 それだけに,ノーラン監督が自分達の街でロケをし,映画によってダンケルクの名前が世界中に広がるのは,地元住民にとって大きな喜びになったようだ。

ダンケルク駅と駅前の風景。ご覧のように,それほど大きな都市ではない
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 映画の公開をきっかけにダイナモ作戦前後の街の歴史をもう一度見直そう,という彼らの意気込みは,ダンケルクのいたるところで見られた。

 その最たるものが,「ダンケルク 1940博物館」Dunkirk 1940 museum)だ。これは,1874年に沿岸防衛強化のために建設された「第32要塞」の遺構を利用した博物館で,映画「ダンケルク」の公開に合わせるかのように,今年7月にリニューアルされたばかりだ。

 要塞跡を利用しているだけに内部はそれほど広くないが,第二次世界大戦の勃発からダイナモ作戦の実施,脱出までの時間を稼ぐことになったダンケルク防衛戦,さらに1944〜45年の連合軍による街の解放までを,数多くの当時の遺物によって学べる展示になっている。

要塞を利用した博物館だけあって,重厚な作りだ。入口の対空砲もいいアクセントになっている
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展示は「第32要塞」の歴史解説から始まる
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R35/H35戦車などで使用されたAPX砲塔
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こちらはFT-17戦車の砲塔。無数のリベットが時代を感じさせる
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プジョーの軍用トラック
スピットファイア戦闘機の残骸
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脱出する兵士が次々に乗船していくシーンのミニチュア
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救出作戦に参加した船。民間船も徴用された
英仏独の兵士が脱出時に遺棄していった装備品が数多く展示されている
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救出作戦時の民間船が臨時で搭載した砲(左)と,その後街を占領したドイツ軍が使用したシュコダ14/19山砲(右)
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英仏独の兵士の軍装
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「ダイナモ作戦は勝利か,それとも敗北か?」という問いかけ。この作戦のあとに降伏を余儀なくされたフランスならではの問題提起だ
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 この「ダンケルク 1940博物館」だけでもダイナモ作戦の歴史は十分学べるが,ダンケルク市観光協会で申し込みをすると,バスによる「ダイナモツアー」に参加できる。
 ツアーの所要時間は約2時間で,戦時中の港やトーチカなどの軍事施設,救出作戦が行われた浜辺,臨時野戦病院となったサナトリム,イギリスの大陸派遣軍(BEF)戦没者墓地,さらには映画「ダンケルク」のロケ地など,市街地からは若干離れているものの重要な史跡を訪れることができる。ちなみに,ガイドさんはフランス語だけでなく英語でも説明をしてくれるので,筆者にとってありがたかった。

ツアーのバス。ステッカーが貼られているおかげで,本来の集合場所である観光協会にたどり着けなかった筆者も乗ることができた
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「ダイナモ作戦」というと兵士達が砂浜に並ぶシーンが有名だが,全体の3分2の兵士は,空襲の被害を部分的に免れたこのイーストモールのコンクリートで整備された船着き場から脱出した。写真の埠頭の一部と灯台は,1940年当時から残るものだ
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フランスを占領したドイツ軍による軍事施設(いわゆる「大西洋の壁」の一部)も少なからず残っている
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主にダンケルク防衛で命を落とした810名が眠る,イギリス軍戦没者墓地
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 ツアーでは,ガイドさんが当時の写真を見せながら各史跡を詳しく説明してくれたのだが,筆者が個人的に面白かったのは説明の端々に出てくる当時のイギリスに対する不満だ。

 この不満は,救出作戦の実施をイギリス軍単独で決定し,当初,フランス軍に連絡しなかったことに始まる。その後も,西のカレー経由や東のオーステンデ経由の避難経路がドイツ軍の攻撃にさらされ危険になったこともフランス軍にすぐに通知されなかったという。
 また,イギリス軍が重火器をすべて母国に持って帰ってしまったため,撤退後にダンケルクの防衛を任せられたフランス兵は非常に困ったらしい。さらには,イギリスの船に乗ろうとしたフランス兵がイギリス兵に発砲されたり(もっとも,フランス側もフランス船に乗ろうとしたイギリス兵に発砲したらしいが)と,「連合軍」とはいえ両国の連携は完璧には程遠かったようだ。

 ガイドさんの説明の中では,ドイツ軍の空襲の激しさも印象に残る。ダイナモ作戦が始まった段階ではドイツ軍に制空権が奪われ,空にいるのはドイツ機ばかりだった。のちにイギリス空軍機が援軍に来た際には,敵機と間違えられて銃撃されたという。一方,空襲によって建物が破壊され,立ち昇る煙が煙幕となって,脱出に役に立ったというエピソードも紹介してくれた。

ダンケルクの砂浜。海に向かって左側にフランス軍,右側にイギリス軍と,2つに分かれて救助を待っていたという
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 実際にダンケルクの砂浜に立つと,予想以上に遠浅であることに驚く。喫水の浅い小舟でさえ海岸に近づくのが無理だったというが,それが納得できるような光景が広がっている。ちなみに,英仏の兵士の大半は泳げなかったため,爆撃で沈むかもしれない船に乗るくらいならドイツ軍に降伏するほうを選んだ者も少なからずいたという。
 また,船を待つ兵士達は士官がいるときにはキチンと整列していたが,上官が目を離すと列が崩れて混乱状態になることもしばしばあったとか(彼らが置かれていた極限状況を考えると納得できる話ではある)。

 ダンケルクには,これ以外にもダイナモ作戦に関する史跡は多い。例えば,町の各所にはそれぞれの地区の戦時中の写真を載せた解説板が立っており,「今」と「昔」をダイレクトにつなげている。

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この場所の戦時中の姿を見せてくれる解説板が,あちこちに立っている
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映画のロケ地だったこともあり,ポスターや撮影時の写真などが貼られた店も多い

 2017年6月にレストランとして改装されたシルエットの優美な「プリンセス・エリザベス号」は救出作戦に参加した「ダンケルクの小舟達」の1隻。ご想像のとおり,現在の英国女王の誕生にちなんで命名されている。

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この像だけでなく,いかにもヨーロッパの都市ならではの立派な建築物にも戦争の記憶が刻まれている
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 フランス海軍史に興味がある人ならば,街の中央の公園に立つダンケルク出身の私掠船長ジャン・バールも押さえておきたい。

 そう,北アフリカで連合軍に攻撃されたフランス軍艦ジャン・バールの名は,彼にちなんで命名されており,彼の像は街のランドマークとしては唯一,戦時中を無傷で切り抜けたが,ドイツ軍から街を奪還したときに連合軍兵士が撃った祝砲で頬に傷がついたそうだ。
 私掠船長としてはむしろ箔がついていいかもしれない,と思うのは筆者だけだろうか。

 このように,ダンケルクはさほど大きい都市ではないが,歴史に興味がある人にとっては大きな魅力を持っているのだ。

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ダンケルク市庁舎。「World of Warships」をプレイした人なら,きっと見おぼえがある
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聖エリギウス(サンテロワ)教会。壁には両大戦時の銃弾の跡が残る
子午線弧長を測量した際の北限となった鐘楼(南限はバルセロナ)。ここも両大戦の戦没者追悼の場になっている
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ある意味「イギリスそのもの」と呼べるドーバーの街


 続いて筆者は,ダンケルクとドーバー海峡を挟んで対岸に位置する都市,ドーバーへ向かった。ドーバー〜ダンケルクは直通フェリーが日に何本も出ているので,ダイナモ作戦で救出された兵士の気分を(きわめて部分的にだが)追体験することも可能だ。

ドーバー港
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 人口3万人ほどのドーバーは地理的に,イギリスにおけるヨーロッパ大陸への玄関といえる街だ。イギリスには,中世(場所によってはローマ時代)から現代への連続性を感じさせる街が多いが,ドーバーにもそんな雰囲気が漂っている。

ドーバー中央駅。ダンケルクに輪をかけてひっそりとしている。天気もどんよりしている
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 とくに18世紀以降,ここは大陸の動静を監視すると共に,いざというときには防衛の最前線として機能する拠点として重視されてきた。現在でも街の周囲には,軍用地として立ち入りが制限されている場所が多い。
 ドーバーのそうした戦略的重要性をよく示しているのが,街を見下ろす山の頂きにあるドーバー城だ。ウィリアム1世による1066年のノルマン・コンクエストよりも以前,サクソン時代から建つというこの城は,ナポレオン戦争の時代,王室工兵隊のウィリアム・ツイス将軍によって大規模な改修が行われ,近代的な要塞に生まれ変わった。

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「ダイナモ作戦」の中枢が置かれたドーバー城の外見はいかにも中世的
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……と思いきや,対空砲が設置されていた
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 イギリス軍は地表部分を要塞化するだけでなく,兵舎などに利用するためのトンネルを城の地下に張り巡らした。そのうちの1つ,電源用の発電機(ダイナモ)が置かれた場所が,1940年の「ダイナモ作戦」の作戦指令室となったのだ。
 ダイナモ作戦の中枢部であったこのドーバー城には,作戦に関する博物館が設置されており,イギリス側の視点から見た救出作戦の推移を,ガイドさんの案内でたどることができる。

内部の展示物は撮影不可だったので,入口の看板やトンネルの写真で雰囲気を味わっていただきたい
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 博物館で強く印象に残ったのが,「フランス降伏に伴う崩壊をまぬがれたのは,イギリスが島国で孤立していたおかげですね」といったガイドさんの満面の笑顔だ。フランスのツアーでの説明とは対照的なこの一言に,ドーバー〜ダンケルク間の距離は,地理上の約34kmよりも遠いということを実感した。フランス人だったらこの説明を聞いて「Perfides Albion」(これだからイギリスは信用できない)と呟いたことだろう。ヨーロッパは複雑だ。

博物館出口にある各時代のイギリス兵士の軍装。こちらは撮影しても大丈夫
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 館内には,「なぜ電撃戦が成功し,英仏軍がダンケルクに追い詰められたのか?」について,英仏独軍の指揮官,武装,士気などを比較した展示があった。そこでは,イギリスがすべてにおいて高評価なのに対して,フランスは「武装は良かったが,兵士のモラルはまちまちで,さらに司令部は保守的」というなかなか辛辣な分析が行われていた。
 また,フランスではイギリス軍が重火器を持って帰ったことがダンケルク防衛の支障になったと述べられていたが,ここではダンケルクから引き上げた軽戦車部隊がノルマンディー上陸作戦で再度フランスに渡り,ドイツ軍と戦ったことが紹介されており,この温度差は非常に興味深い。

 これは,同じ歴史的事実を扱っていても,国が変わると視点が大きく変わる典型例だろう。ダイナモ作戦はフランスにとっては降伏へ続く転落の一部だが,イギリスにとってはバトル・オブ・ブリテン(ドーバーにはこれに関する博物館もある)へ続く逆境克服の始まりと見なされる。「その後の出来事」との関連が,両国の博物館の展示内容に大きく影響を与えているわけだ。

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ドーバーの見どころとしては,ブリテン島の古名であり,イギリスの別名でもある「アルビオン」の語源となった石灰質の白い崖(上)やホワイト・フォアランド灯台(下左),「007」シリーズの原作者イアン・フレミング氏が住んでいた家(下右)などがある
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 以上のように,フランスのダンケルクとイギリスのドーバーには,映画「ダンケルク」のテーマである1940年のダイナモ作戦の史跡が数多く存在する。映画は現場にいた個々の登場人物の視点で物語が進められるが,ダンケルクやドーバーの史跡をたどれば,作戦の全体像が見えてくる。 日本ではその筋の人々にしか知られていなかったダンケルクが,なんとなく旬になってきたような気がするし,ドーバーを含めて,史跡や博物館以外の魅力もそれなりに持っている。ヨーロッパを旅する機会があれば,オプションに組み込んでほしいと思う。なお,ダイナモ作戦については,8月19日に掲載したイベントレポート記事にも詳しいので,合わせて参考にしてもらえれば幸いだ。

 第二次世界大戦期のイギリスを扱った映画としては,チャーチルを主人公とした「Darkest Hour」が2017年11月に欧米で公開される。筆者としては,こちらにも注目している。
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