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津田大介の“本性”を見た!――ジャーナリスト津田大介氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第13回
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印刷2013/09/03 10:44

インタビュー

津田大介の“本性”を見た!――ジャーナリスト津田大介氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第13回

遠藤雅伸のポスターを貼っていた中学時代


4Gamer:
 しかし,お話を聞いていると,津田さんってなんか80年代の典型的な“ゲーム少年”ですよね。

津田氏:
 はい。そうだと思います。

川上氏:
 中学に上がってからはどうだったんですか? やっぱりゲームばっかり?

画像集#011のサムネイル/津田大介の“本性”を見た!――ジャーナリスト津田大介氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第13回
津田氏:
 より酷くなりましたね。中二病的自意識も当然生まれてくるので,どんどん“痛い感じ”になっていきました。「ゼビウス」「ドルアーガの塔」のゲームデザイナーだった遠藤雅伸さんがあまりにも好きすぎて,端的に言うと信者になりました。どのくらい信者かというと,自分の部屋に遠藤さんのピンナップポスターを貼っていたくらいです。

一同:
 (爆笑)。

川上氏:
 そんなものがあったんですか?

津田氏:
 はい。確か「ハイスコア」か「マル勝ファミコン」かなんかの付録として遠藤さんのポスターが付いていたんですよ。なので僕は当時,アイドルとかのポスターを貼らないで,遠藤雅伸さんがすごいキメポーズをとっている写真を壁に貼って,「将来自分は絶対にゲームデザイナーになるんだっ!」と思って毎日暮らしていましたね。

4Gamer川上氏:
 ははは(笑)。

津田氏:
 でも,そうは言っても,どうやったらゲームデザイナーになれるかなんか分からないわけですよ。そこで,当時,遠藤さんが千葉大学出身だってことを知って,「俺は千葉大に行く。千葉大に行けばゲームデザイナーになれるに違いない!」とか,真剣に考えていましたね。

川上氏:
 当時流行した曲を聴いたりみたいなことはしてなかったんですか?

津田氏:
 中学生になりたての頃はあんまり。ただ,ゲームはめちゃくちゃやってるわけですから,今度はゲームミュージックにハマるんですね。ナムコのゲームミュージックがすごい好きで。ちょうど僕が中学に入るぐらいの時代って,ゲームミュージックがレコードになるっていう文化が出来てきたんですよ。イエロー・マジック・オーケストラ()の細野晴臣さんプロデュースで日本初のゲームミュージックのサントラ「VIDEO GAME MUSIC」が発売されたのが1984年ですからね。

※1978年に結成された日本の音楽グループで,略称はYMO。

4Gamer:
 じゃあ,いわゆる「最初に買ったレコード」って,津田さんはゲームミュージックだったんですか。

津田氏:
 いえ。初めて買ったレコードは小泉今日子の「渚のはいから人魚」でしたね。これも1984年ですね。なぜこれを買ったのかというと,B面が「風のマジカル」という曲で,それが「ドラえもん のび太の魔界大冒険」の主題歌だったからなんですけど(笑)。ドラえもんや藤子不二雄アニメが好きだったので……。

4Gamer:
 ちょ,懐かしい……(笑)。

津田氏:
 あー,あと音楽でいうと,僕はその後にロックに目覚めるわけなんですが,それも実はゲームが関係しているんですね。元々ロックを聴き始めるのは中学2年生くらいからなんですが,初めてきちんと聞いたのはBOOWY()なんですね。僕の中2時代は1987〜1988年なので,好きになったらすぐに解散してしまって悲しい思いをしたわけですが。
 で,BOOWYを紹介してくれたのが当時クラスメイトだったTくんという人で,その彼はゲームミュージックを聴く友人でもあったんですね。彼が「このバンドのアルバムの5曲目がゲームミュージックみたいでかっこいいから聴いてみな」っていってテープを貸してくれたんです。まぁそれは「BEAT EMOTION」という大ヒットアルバムの5曲目の「NOISE LIMITTER」という曲で,何がゲームミュージックっぽかったかというと,この曲はドラムとベースが全編打ち込みで,ホッピー神山さんのSEっぽい音も随所に入っていて,それがゲームミュージックっぽかったというだけの話なんですよね(笑)。

※氷室京介,布袋寅泰らが中心となり結成された日本のロックバンド。2つ目のOには斜め線(/)が入る

4Gamer:
 津田さんって,どちらかというと元は「音楽系のライター」って認識でしたけど,そういう経緯があったんですね。

津田氏:
 だから,割と古くから僕の活動知ってくれてる人は「音楽の人」ってイメージが強いんですが,音楽(ロック)への入口もゲームミュージックだったという話なんですよね。中学時代は吹奏楽部で,周りはかわいい女子が多かったんですけど,僕は「Beep!」というゲーム雑誌がオマケで付けてたゲームミュージックのソノシートを大音量で音楽室のステレオでかけたりして,女子部員からイヤな目で見られたりしていました。ここまで言えば大体お察しかと思いますが,まったく女子からはモテませんでしたね……。

画像集#014のサムネイル/津田大介の“本性”を見た!――ジャーナリスト津田大介氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第13回
川上氏:
 モテる要素は皆無ですねぇ(苦笑)。

津田氏:
 あ,そういえば,「ゲームミュージックとロック」というテーマなら面白い話もありますよ。でも,これはしゃべっていいネタなのかな……。


川上氏:
 んん? よくわからないけど,20年も昔の話ならもういいでしょ。

津田氏:
 1986年に発売されたコナミの昔のアーケードゲームで「恋のホットロック」というゲームがあったんですよ。ゲーム的にはそこまで面白いゲームではなくて,どちらかといえばクソゲーだったんですけど,音楽だけは妙に力を入れていた作品だったんですね。FM音源をばりばり使っていて,ロックやポップスの名曲をカバーした楽曲がBGMになってたんです。だけど,このゲームには大きな問題があってですね……。

川上氏:
 問題?

津田氏:
 要するに,その曲っていうのが,版権ものだったんです。それも,ビートルズの「ツイスト&シャウト」や,マドンナの「ライク・ア・バージン」とか,ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」とか,凄い有名なものばかり。明らかに権利処理してない――できるわけない――曲がいっぱい入っていたんです。

川上氏:
 してないの?(笑)

津田氏:
 絶対してなかったと思いますよ。

4Gamer:
 それも今じゃあり得ないエピソードというか,当時のゲーム業界全体の幼さを感じさせられる話ですよね。

※後に調べたところ,コナミはちゃんと権利処理をしていたようです

津田氏:
 ええ。だけど,子供だった僕も,当時はそんなこと考えもしてなくて。純粋にそれらの楽曲を,コナミのサウンドデザイナーたちが作ったカッコイイ曲だって思っていたんです。

川上氏:
 その頃は,まだそれが「洋楽」だってことは分かってなかった?

津田氏:
 分かってませんでしたね。で,さっきお話したように,僕は中2の頃からロックに目覚めて,高校に入ったらエレキベース買ってバンドもやり始めるわけですけど,そうすると,音楽雑誌とかを買うようになるし,レンタルCDショップに行っていろいろな音楽を聴くようになる。で,知識が付いてくると,現代の曲だけじゃなくて,だんだんと昔の名曲とかに遡っていくわけですよ。

4Gamer:
 そのときに初めて気がついたと。

津田氏:
 そうなんです。「あれ,これ……恋のホットロックで聴いたやつだ!」って。そのときの衝撃たるや,もう(笑)。最初に聴いていたときは,「恋のホットロックっぽいなー」みたいに思っていたんですが,「逆だよ逆!」っていうね。

川上氏:
 いやぁ,いいですねぇ。ここまでの話だけでも,だいぶ津田さんの残念な感じが出ていて(笑)。

津田氏:
 中学生の頃は,本当に遠藤さんに憧れてましたからねぇ。話が前後しますけど,僕がライターとして働き始めたあとの2001年に,遠藤さんが「2ちゃんねる」に降臨して「遠藤雅伸だけど何か質問ある?」みたいな感じの祭りになったことがあるんですよ。
 そのころは僕も「2ちゃんねる」をよく見ていて,たまたまその降臨現場に居合わせたんですね。で,質問を書き込んだら遠藤さんから「いい質問だね」って返信がきたんです! その時はめちゃくちゃ感動しましたね。あれもテンションMAXになった僕の人生の輝かしい瞬間のひとつですね。

川上氏:
 そんなに嬉しかったんだ。国会参考人として発言したときよりも感動したんですか? あっちの方が人生の転機だったじゃないですか。

津田氏:
 いやいやいや。そんなものはたいしたことじゃないですよ。比べものにならないです。僕の中で国会議事堂といったら「タイトーのアーケードのシューティングゲーム『スクランブルフォーメーション』で自機がスタートする場所」という認識ですからね。


ジャーナリスト津田大介の原点


4Gamer:
 高校の頃になっても,まだ「ゲームデザイナーになりたい」と思っていたんですか?

津田氏:
 「ゲームデザイナーになりたい!」とはまだ思っていましたね。しかし,一方で「ゲームデザイナーという職業はモテないのではないか?」とも考えるようになっていて。「バンドはかっこいい。バンドをやったらモテるんじゃないか?」みたいに変わっていきまして。まあ童貞の考えそうなことですよね。

川上氏:
 そんなあ。じゃあ,遠藤雅伸のポスターを捨てたのはいつですか?

津田氏:
 遠藤さんのポスターは,たぶんね,高校に入ってバンド始めた頃には捨ててる気がします(笑)。

4Gamer:
 ゲームはまだ好きだったんですよね?

津田氏:
 高校受験の頃に,親に一度ゲーム機をしまわれてしまったんです。なのでゲームはもっぱらアーケードでしたね。当時,僕が中3のときにセガから「メガドライブ」が発売されるんですけど,そのとき,もの凄くテンションが上がってたことを覚えています。「これはマークIIIの後継だ! しかも,8Bitじゃなくて16Bitだぞ! ついにファミコンに勝つる!」みたいな(笑)。

川上氏:
 勝てなかったけど。

津田氏:
 それで,勢いで貯金切り崩して,受験まっただ中のときにメガドライブ本体と「ファンタシースター」を買ったんですね。でも,遊ぶと親に怒られるから,半年くらい押し入れにしまったままでした。

4Gamer:
 それは,いったい何のために買ったんですか……(苦笑)。

画像集#016のサムネイル/津田大介の“本性”を見た!――ジャーナリスト津田大介氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第13回
津田氏:
 買いたい!っていう欲望だけを満たしたんです。でも,変なところで真面目だから,そのまま押し入れにしまう(笑)。たいてい僕は買ったらその時点で満足するタチなので,今でも買ったけどやってないゲーム,読んでない本,聴いてないCD,観てないDVDが大量にあるんですよね……。

川上氏:
 凄いよねぇ。子供の頃だと,決して安い金額じゃないわけだし。

津田氏:
 単純にゲームへの欲望を抑えきれてなかったんですね。ファミコンがないのに,カセットだけ買っちゃう小学生の頃から進歩してない。

4Gamer:
 高校に入ってからはどうだったんですか。

津田氏:
 やるゲームの幅が増えましたね。中3のころ,テーブルトークRPGに興味を持って,少しだけやったんですけど,そしたら高校に「シミュレーションゲーム研究会」という部活があったので,そこに入って放課後や土日は部員の仲間とテーブルトークRPG――「ダンジョンズ&ドラゴンズ」や「ソードワールド」などをやってました。
 あとは高校の近くに「ヤハギ」と「ディンドン」という安い50円ゲーセンがあって,授業が休講になったらゲーセンばっか行ってました。あ,僕の行ってた高校は,東京都板橋区にある都立北園高校というめちゃめちゃ自由な高校で,校則も制服も一切なかったんですね。校門も開きっぱなしだったから授業が休講になったらゲーセンに行けるし,そもそも僕は,途中から授業にも出なくなって。友人と部室でPCエンジンの「ボンバーマン」の5人対戦とか「桃太郎電鉄」の対戦をずっとやってました。ほとんどダメ大学生みたいな生活をしてました。

4Gamer:
 確かに酷い……(苦笑)。

津田氏:
 あ,ちなみに僕がその高校を卒業した年にひろゆき(西村博之)くんが入学してきたんです。彼もかなりのゲーム好きですよね。ともあれ,僕の高校時代は自宅でメガドライブとスーファミ,ファミコンを遊び尽くしつつ,毎日ゲーセンに通い,部活ではテーブルトークRPGをするゲームライフでしたね。あとはバンドとか音楽をやりつつ,新聞部で新聞記事書いてました。いやー,本当に高校時代は楽しかったですね。

4Gamer:
 新聞?

津田氏:
 僕は高校時代いろいろな部活に入ってまして,シミュレーションゲーム研究会にもいましたけど,新聞部にも入ってて,2年生のときに部長になったんです。そこでいろいろ取材したり記事かいているなかで社会問題とかに興味を持ち始めたんですね。

川上氏:
 あ,その辺に今の津田さんの原点があるわけですね。

津田氏:
 はい。ようやく僕の現在の仕事とつながってきましたね(笑)。新聞部は完全に今の僕の原点です。さらに言うと,僕の有料メールマガジンの連載記事を手伝ってくれているさみーこと渡辺文重というライターが,新聞部の同期なんです。まぁ部長をやってたといっても,当時の部員は僕と渡辺くんの2人しかいなくて,部長の僕と副部長の彼だけ,みたいな部だったんですけど。

4Gamer:
 へえ〜。

津田氏:
 でも,これがまた面白くて。そんな零細な部活であっても,ちゃんと学校から予算が出るんですね。普通の部活って,年間でだいたい12万円とか15万円ぐらいしかもらえないんですけど,なぜか新聞部と放送部は特別扱いになっていて,年間30万円以上の予算がもらえたんです。

川上氏:
 2人しかいないのに?

津田氏:
 そうそう。何人いても変わらない。だから2人でも30万円。不思議ですよね。生徒会の予算配分は僕が「メディアっていうのはこういうような利権があるんだ」という事実を学んだ原点なんです(笑)。

川上氏:
 メディアはおいしい商売だと。新聞部のときに知ったわけですね。

津田氏:
 はい。しかも,何がおいしいって,その新聞部の活動っていうのが,年間2回新聞を出せばいいだけなんですね。たったそれだけなのに,予算はたくさんあるわけですよ。だから,2回しか出さないのはもったいないと思って,僕がやったのは新聞部の予算を使って,当時流行していたワープロ専用機の「ルポ」とニコンの一眼レフカメラを買って。新聞の原本を作ったら生徒会室に行って,勝手にわら半紙に大量コピーして自作新聞作る。予算をうまく使って自分たちで勝手に出したい時に新聞を出せるようにしたんです。

4Gamer:
 その辺は前向きですね。もっと酷い話かと思った……

津田氏:
 新聞部の経験が良かったのは,すべてを一気通貫で学べたことですね。まず企画を立てますよね。企画を立てて取材をして,記事を書く。で,発行する新聞にはちゃんと広告枠があって,そこに地元の文房具屋さんとかパン屋さんとかが広告を入れてくれるんですよ。

川上氏:
 え,広告くれるんですか?

津田氏:
 うちの高校の新聞は伝統的に広告が入ってたんです。歴史もある高校でしたからね。学生運動時に発行されてた新聞とかめちゃくちゃ面白かったですから。で,一つの枠は4000円くらいなんですけど,それが広告主から現金でもらえるわけですよ。

川上氏:
 あ。それはもしかして,領収書なし?

津田氏:
 そうなんですよ。しかも,僕の少し上の代の新聞部は僕みたいにあまり自分たちで営業活動をしてなかったらしいんですけど,僕らは飛び込みで高校の近くのお店に広告営業をやったんです。だから,新聞を発行するたびに広告収入が2〜3万円もらえた。年間30万の予算があるうえに,こんなにお金がもらえるなんて,なんておいしいんだと当時思っていました。で,そのお金は全部部員の飲み食いに消えましたよね。池袋に行ってパーッと使いました。ノンアルコールビールやコーラ,おいしいな!みたいな。

川上氏:
 いやー,酷い話ですよ。津田さんの本性を見たり!って感じですよね(笑)。

4Gamer:
 ちょっと,ですよねぇ……(笑)。

津田氏:
 別にあくどいことを何かしたとかそういうんじゃないですから! むしろ頼まれてもいないことを自主的にやったわけですから。

川上氏:
 なるほどねえ。新聞を作る過程でおいしい思いをしたのが,ジャーナリスト津田大介の原点だと。

津田氏:
 いやいやいやいや……。確かに多少はおいしい思いをしてますけど,しょうもないレベルの話ですよ。

川上氏:
 今だっておいしい思いをしてますよね。Twitterのおかげで。

4Gamer:
 ははは。しかしこれ,「津田さんはこういう(駄目な)人間だ」って,Wikipediaの項目が増える流れになってませんか。

津田氏:
 ですよね。じゃあ,すいません。この部分は記事ではカットってことでお願いしていいですか……。

川上氏:
 何言ってんですか。書くに決まってるじゃないですか! 我々4Gamerは真実を追い求めるメディアですから。舐めたこと言わないでください!!

4Gamer津田氏:
 ええええっ(爆笑)。

画像集#010のサムネイル/津田大介の“本性”を見た!――ジャーナリスト津田大介氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第13回


明大前のゲーセンで挫折を味わった浪人生時代


津田氏:
 ゲームに話を戻しますと,高校の頃の思い出で外せないのは,やっぱり「ストリートファイターII」ですねぇ。

川上氏:
 あれも革命的ですよねえ。

津田氏:
 それまでは,協力プレイとかは結構あったけれども,対戦に絞ったゲームはなかなかなかったですからね。

川上氏:
 「マリオブラザーズ」みたいな感じで,対戦要素も入ってたってくらいだよね。

4Gamer:
 スト2は何を使ってたんですか?

「ストリートファイターII」
(C)CAPCOM U.S.A., INC. 1991, 1992 ALL RIGHTS RESERVED.
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津田氏:
 エドモンド本田と,あとバルログですね。本田が7割,バルログ3割みたいな感じで。僕は基本その2つのキャラしか使いませんでした。

川上氏:
 まあ,そのチョイスはなんとなくわかりますよ。本田という自分の美学で選んだキャラと,それで満たされない部分をバルログで補うという(笑)。

津田氏:
 ああ,まさにそんな感じです(笑)。全然タイプが違いますからね。まああとは,僕は昇竜拳が出せなかったので,溜め系に走ったわけですよ。

川上氏:
 なるほど。

津田氏:
 スト2は,浪人生時代に散々遊びましたねー。

川上氏:
 あ,浪人したんだ。

津田氏:
 お察しの通り,僕は高校時代は授業にもまともに出ないで遊んでばっかだったので,充実はしていたんだけど,全然勉強はしてなかったんですね。だから普通に受験は全部落ちて,浪人生になった。で,予備校にいくんですけど,「予備校いくんだったら,早稲田ぐらい目指すか」みたいに目標を設定したんです。

4Gamer:
 あれ,千葉大学はどうしたんですか?

津田氏:
 千葉大学は,高校に入って初めてやった数Iのテストで100点満点中6点を取った時点であきらめました(笑)。理数系が本当に苦手だったので必然的に「これは私大文系しかないな」と。

4Gamer:
 国語,英語,社会だけで入れるからですか。

津田氏:
 はい。そんな考えで,高3になったときに3教科の模試を受けたんですけど,その結果,平均偏差値が40くらいで。目の前が真っ暗になりましたね(笑)。

川上氏:
 それはかなり絶望的な感じですねぇ。

津田氏:
 ほんともう,ダメダメでした。でも,そのときライターって職業に興味があったので,別冊宝島の「ライターの事情」っていう本を読んだりしていたんですけど,奥付を見るとライターさんのプロフィールが書いてあって,見るとみんないい大学行ってるんですよね。だから,「これは大学には行っとかないと駄目だ」「しかも,6大学以上じゃないと」と思って。文系だったら早稲田だと。早稲田に行くんだったら早稲田予備校がいいだろうっていう単純思考で早稲田予備校に入ったんです。

川上氏:
 じゃあ,予備校に入ってからは真面目に勉強して,めでたく早稲田に受かったってことですか?

津田氏:
 いや,それがですね……予備校はかったるかったんですよ。そもそも僕は根本的に勉強が好きじゃないんで,気を抜くとすぐにゲームに走ってしまう。偏差値40なのに。早稲田予備校って高田馬場にあったんですが,あそこは大学も近くて若者が多いから,ゲーセンがたくさんあるんですよね。

川上氏:
 そこでもゲーム三昧と。

津田氏:
 で,なんかね。前期で予備校さぼりまくってたら,予備校から警告がきちゃって。これはまずいと思って,朝はとりあえず予備校まで行って,出席カードだけピって通して。そのまま授業に出ないでゲーセンに行くって生活を続けていました。高田馬場には,親不孝者で栄える栄通りってのがあるんですけど,そこで「ストリートファイターII ターボ」を一日中やっているという。

4Gamer:
 その頃はターボが出てる時代だったんですね。

津田氏:
 ええ。高校2年生がスト2の無印で,高校3年生がスト2ダッシュ,そして浪人生のときがスト2ターボでしたね。僕,高田馬場のゲーセンでは結構強かったんですよ。勝率も8割くらいはあって。

川上氏:
 そっちの自慢ですか。

津田氏:
 だから,高田馬場では結構イケてる感じで,「俺は強い!」って自負もあったんですけど,受験で明治大学を受けにいった帰りに,明大前のゲーセンでボコボコにされたんですよ。「俺はなんて井の中の蛙だったんだ!」と……。テストの出来がどうだったっていう以上に,スト2の圧倒的敗北に打ちひしがれて帰った記憶があります(笑)。

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川上氏:
 ……津田さんはなんで早稲田に受かったんですか?

津田氏:
 なんででしょうねぇ。今でも不思議です。まぁ早稲田っていっても,偏差値的には下の方の社会科学部ですから。結局,早稲田の社会科学部と明治大学の政治経済学部に受かりました。明大はスト2で負けて受験に勝ったという(笑)。

4Gamer:
 でもなんか,絶望的な偏差値から立ち直る話が一切ないですよね。

津田氏:
 早稲田の社学も明治の政経も偏差値的には60そこそことかですからね。起死回生みたいな大げさな話じゃないですよ。僕がやった受験勉強らしい勉強って,社会と英語だけですね。僕は競争率が低くて覚える項目が一番少ないって理由で,社会の選択科目を「政治経済」にしたんですよ。古文や英語は苦手だったけど,社会は好きだったし,新聞部で社会問題に興味もあったから,政治経済だけはきちんと勉強したんですね。

川上氏:
 お,それはちょっと今の津田さんにつながる話ですね。

津田氏:
 そうですね。政経だけは偏差値70〜80ぐらいあって,模試でも一番良い時で全国7位とか取った記憶があります。あと英語は参考書は一冊も終えられなかったんですが,旺文社から出ていた「出す単」という単語集の単語を全部覚えたら,模試の成績が上がっていきました。それで何とか大学に引っかかったって感じですね。

川上氏:
 ふうん。じゃあつまり,ゲームばっかりやってたのに,英単語と政経だけちょっと勉強して,早稲田に受かっちゃったと。

津田氏:
 えーと,まとめるとそうなりますね。

川上氏:
 なんともイケすかないエピソードですねぇ。4Gamerさん,ここはカットで。

津田氏:
 こっちは使いましょうよ!(笑)。

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