彼らはなぜ物理世界を選び,そこでどう戦っているのか。スタートアップカンファレンス「IVS2026」で行われたセッション「AI時代にこそ価値が高まる『食・体験・現実世界のインフラ』ビジネスに迫る」から,AI時代における「手触りのあるビジネス」の輪郭を探ってみたい。
AI時代への「アンチテーゼ」――なぜ今,現実世界のビジネスなのか
モデレーターを務めたIncubate Fundの田中洸輝氏は,冒頭であえて逆張りの問題意識を掲げた。AIが最大のトレンドである今だからこそ,そのアンチテーゼとして「現実世界への回帰」に注目したいというのである。
もちろんAIそのものを否定するわけではない。田中氏自身,AIを非常に大きな技術的な波として面白いと捉えているという。そのうえで個人的に関心を寄せているのが,人間だからこその課題や欲求に根ざしたビジネスだと語った。食や体験といった,身体を持つ人間からしか生まれない領域である。
その象徴として田中氏が挙げたのが,アメリカのあるスタートアップの事例だ。社交的な空間にフォーカスして銭湯を運営している企業が,売上200億円,時価総額1000億円以上でVC(ベンチャーキャピタル)から資金を調達しているという。
デジタルの最先端からもっとも遠く見える「風呂」という極めて物理的な事業に,巨額のマネーが向かっている。この対比こそが,本セッションの狙いを端的に表していた。
そこで田中氏が登壇者として招いたのが,落とし物の課題を解決するfindの和田 龍氏,VRを使った映画制作と体験施設を手がけるCinemaLeapの大橋哲也氏,そしておにぎり専門店を経営するRice Platformerの川原田美雪氏である。
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落とし物,VR体験,おにぎり。一見するとバラバラなこの3事業には,いずれも「現実世界の手触り」という共通項がある。AI全盛の時代に,なぜ彼らはあえて泥臭い物理世界へ踏み込んだのか。セッションはその原点をたどるところから始まった。
なぜ物理世界か。それぞれの起業の原点
川原田氏,和田氏,大橋氏に共通するのは,デジタルやAIに近い場所にいながら,あえて物理世界へと舵を切った点である。その動機はそれぞれに異なっていた。
もっとも意外なキャリアを持つのが,おにぎり専門店「Oni&Co.」を営む川原田氏だ。東京大学の大学院で,今でいうAIの機械学習や画像認識,制御理論などを研究していたという。
国際学会に出るなかでAI技術やエンジニアの成長スピードを凄まじいと感じる一方,その領域で日本から会社を作ることには自信が持てなかったと振り返る。
では日本から世界で市場を取れる領域はどこか。そう考えたときに行き着いたのが,文化や米,農業だった。
寿司やラーメンのように日本食はグローバルで強いブランドを築いている。一方,ハンバーガーやタコスといったファストフードも世界中のインフラになっている。にもかかわらず「日本食のファストフード」という枠だけがぽっかり空いている。ここに大きなチャンスがあると見たそうだ。
川原田氏はこれを事業構造として捉え直す。社名の「Rice Platformer」が示すとおり,ハンバーガーやタコスがパンの上に何を乗せるかという「プラットフォーム」であるのと同様,おにぎりも米という三角形のメディアに,どの国のどんな具材を合わせるかというビジネスだという。
前職のLINEで広告メディア事業に携わった経験から,チャットに広告を載せるのも米に具材を載せるのも本質は近いと語った。
落とし物の課題に挑むfindの和田氏の原点は,極めて生活実感に近い。友人と「起業」だけが先に決まり,何をやるかを1年ほど話し合っても机上では良い案が出なかったという。
転機は,相方が飲み会で忘れ物をしたことだった。どこで落としたか分からず方々に電話をかける面倒くささ,見つかったあとに取りに行く受け渡しの煩わしさ。それを体感し,これはテーマになると直感したそうだ。
誰もが経験するのに解決するDXツールが存在しない。前職のAI企業で画像解析の知見を得ていた和田氏は,落とし物を画像で捉える切り口なら競合もなく勝てると考えた。
CinemaLeapの大橋氏を突き動かしたのは「感動」だった。学生時代から演劇に親しみエンタメを志向していた大橋氏は,映画の仕事をしていた2016年,いわゆる「VR元年」に立ち会う。10万円を切る価格でVRデバイスが流通し始めた頃だ。
VR映画を観たとき,自分が映像のなかに入り込み,目の前でダンサーが回転しているのを見て「本当に目の前に人がいる」という感覚を覚えたという。この体験は間違いなく発展すると確信し,領域に飛び込んだと語った。
AI研究者としての葛藤,忘れ物の煩わしさ,VRの衝撃。入り口はまるで違うが,いずれも「人間の身体や実感」から離れられないテーマが選ばれていた。
泥臭いリアル産業にAIを効かせる。返却率3倍のfind
テーマは昔ながらの「落とし物」でも,その中身はAIの塊である。和田氏はfindの仕組みをそう説明した。
たとえば駅にペットボトルの水が落とし物として届いたとする。これまで駅員は,ペットボトルであること,キャップの色といった特徴を,すべて手入力でデータベースに打ち込んできた。場所によっては手書きの台帳である。
この作業には,1件あたり5分から10分かかっていたという。鉄道会社全体では月に何万件,何十万件と届くため,登録作業だけで膨大な人件費が発生していた。
findを使うと,落とし物の写真を撮るだけでAIが画像を解析し,特徴をすべてテキストに起こす。警察署へ提出する書類も自動で作成される。人間が担っていた文字起こしや特徴入力を,AIがまるごと肩代わりする形だ。
田中氏はこれを,AIというソフトウェアの力を,もっとも泥臭く労働集約的なリアル産業に適用することで,最大の効果を引き出している例だと評した。
効果は人件費の削減にとどまらない。和田氏によれば,施設を利用する人への返却率が3倍以上に跳ね上がっているという。理由は,データ登録の精度が上がったことにある。
和田氏が挙げたのは,羽田空港に「ピカチュウのぬいぐるみ」が届いたときの例だ。窓口で対応したスタッフがピカチュウを知らなければ,データベースには「黄色いぬいぐるみ」と登録されてしまう。
ところが落とし主は「ピカチュウを落とした」と問い合わせてくる。すると照合がかみ合わず,コールセンターは「届いていない」と答えることになる。人間の認知のブレが,そのまま取りこぼしになっていたわけだ。
AIが写真からキャラクター名まで正しく認識して登録すれば,このズレは消える。認知のばらつきがなくなることで,返却率が劇的に上がるという。
田中氏はこれに,自身が警察で落とし物の手続きをした体験を重ねた。警察のデータベースには画像がなく,文字情報だけが何十件も並んでいて,自分のものがどれか,まったく分からなかったという。
電話もつながらず,最終的に「紙の書類を出したほうが早い」と言われたそうだ。アナログな現実がまだ根深く残る領域だからこそ,findのようなソフトウェアの介入が効いてくる。
AI店長が吸い上げる「本音」と,人が握る価値
定型業務をAIに任せる話から,川原田氏が持ち出したのは「AI店長」という試みだった。
シフト管理,発注管理,売上管理といった,人間がやる必要のない業務はすべてソフトウェアやAIに任せている。
そのうえで最近面白いと感じているのが,社内で使っているSlackに,特定のキャラクター性を持たせたAIボットを導入したことだという。
アルバイトのスタッフは,このAI店長とチャットで話すのを楽しんでいるそうだ。「今日はこれをやった」という報告だけではない。生身の店長には直接言いづらい「ここが汚れている」「あの人がこうだった」といった細かい愚痴や現場の課題が,AI相手だとスムーズに出てくるようになってきたという。
わざわざ店長に言うほどではないが,ちょっと気になる――そんな現場の情報が集まり,店舗の改善やスタッフの評価につなげられるのではないかと川原田氏は語った。
人間同士だと心理的なハードルがあって言えないことも,キャラクターを持ったボットが間に入ることで開かれていく。田中氏はこれを非常に面白いアプローチだと評した。
ただし川原田氏は,すべてを効率と自動化に振り切るわけではない。田中氏が「店舗に人が立っていること自体がリピーターを増やす価値になっている」という以前の会話を持ち出すと,川原田氏はAI化する部分と人がやるべき部分の切り分けについて,はっきりとした線を引いた。
長期的には,レジを打つ,おにぎりを作るといった作業そのものに人が介在する価値はなくなっていくという。
これからの付加価値は,「あの人の笑顔が良かったから買う」「あの人が握っているおにぎりだから買う」「このブランドの世界観が好きだから買う」といった,エモーショナルな部分へ移っていく。商品を渡す最後の接点や,おにぎりを握る姿を見せるという「人の温かみ」こそが,おにぎりの付加価値,つまり価格を決める要素になるという考えだ。
だからこそ採用でも,飲食経験の長さより,「その人からおにぎりを買いたいと思えるか」「笑顔が素敵か」といった人間性を重く見るのだと語った。
AIに任せられるものは徹底して任せ,人の価値を人にしか出せない部分へと寄せていく。その割り切りが,川原田氏の店舗運営の背骨になっていた。
ニッチが伝わらないなかでの資金調達と,逆張りのタイミング
落とし物のDX,おにぎり屋,VR体験――いずれも「バーティカルSaaS」や「最先端AIスタートアップ」のような分かりやすい型にはまらない。物理世界に閉じたニッチなテーマに見えるがゆえに,投資家への説明や採用で苦労はなかったか。田中氏はそう切り込んだ。
和田氏は,シード期の調達が本当に苦労したと打ち明ける。「落とし物で起業してどうするのか」という目で見られ,VCにはほとんど見向きもされなかったという。
「鉄道会社のバックヤードをDXする」という明確なビジネスモデルが,まだ確立できていなかったことも大きい。そのため当初は銀行融資などでなんとか食いつないでいたそうだ。
流れが変わったのは,創業から1年ほど経った頃だ。京王電鉄がfindの実証実験を決めたことで,大企業での実績という明確なトラクションが生まれ,そこからVCの調達が一気に進んだという。
実績も資金も乏しい初期のスタートアップが,なぜ大企業を動かせたのか。和田氏はこれを「泥臭さ」に尽きると語った。
最初はビジョンと「何でもやります」という気合だけでアプローチし,まず現場を見せてほしいと頼み込む。駅員に徹底的にヒアリングし,数日間,駅の裏側で一緒に働かせてもらったこともあったという。そこで得たリアルな課題をもとに,現場に即した具体的な提案を作った。
大企業ほど現場の細かい課題が上層部に見えていないからこそ,泥臭く入り込んで課題を可視化したことが信頼につながったのだろうと振り返る。
一方の大橋氏は,2019年の創業から4〜5年ほど,VCの出資を受けずに手元資金で走ってきた。エンタメやコンテンツは「なぜこの企画が当たるのか」をVCに説明するのが難しい。
だから受託案件で資金を稼ぎつつ,年に1〜2本オリジナルのVRコンテンツを作る,という形を続けてきたという。
調達に動いたのは2023年。勝負をかけたいと思える優秀なメンバーをスカウトできる機会が巡ってきたこと,そして受託中心から自社アセットを伸ばすビジネスへ移りたいと考えたことが理由だった。ここでIncubate Fundの本間真彦氏と出会い,出資を受けることになったという。
興味深いのは,そのタイミングである。当時は「メタバースのブームが一段落した」と言われ,VRの受託案件も落ち着き始めていた。
このまま続けてもジリ貧になるという危機感から,あえてリアル店舗展開という大きな仕掛けに踏み切ったそうだ。トレンドが落ち着いた時期だからこそ,本腰を入れて独自のポジションを築けると捉えたという。
田中氏はこれに強く同調した。世界的に大成功したスタートアップの多くは,そのトレンドが「終わった」と言われる逆張りのタイミングで生まれている。
クリーンテックのブームが完全に終わったと言われた頃に創業したテスラ,「AI冬の時代」と言われた頃にトランスフォーマーの論文をもとに研究を始めたOpenAI。いずれも同じ構図だという。トレンドが終わって競合が去り,それでもその領域で成立させねばならないという強い必要性に迫られる。だからこそ強固な参入障壁が生まれるのだと語った。
最大の参入障壁は「泥臭さ」――各社のモートと世界への展望
逆張りの議論は,自然と「参入障壁(モート)」の話へ移っていった。トレンドが去った領域で,いかに真似のできないポジションを築くか。それぞれの答えは,やはり物理世界の泥臭さに根ざしていた。
大橋氏がモートに挙げたのは,リアルな体験店舗そのものだった。駅近の好立地で1000平米規模の物件は,そうそう市場に出てこない。ジムやパチンコ店の跡地などを独自のネットワークでいち早く押さえ,そこに多人数が同時に歩き回れるVR空間というインフラを構築してしまうこと自体が,最大の障壁になっているという。
和田氏が挙げたのは「ネットワーク効果」だ。findは落とし物のデータを,JR九州や京王電鉄,タクシー会社など,さまざまなインフラ企業のバックヤードを横断してつないでいる。利用者はどこで落としたか分からなくても,findに一度問い合わせれば,参画するすべての交通機関のデータベースを一括で検索できる。この3年間で5000施設まで導入が進んだこのネットワークは,後発が簡単にはまねできないという。
そしてそのネットワークを築く過程そのものも障壁だと和田氏は語る。九州の駅を1駅ずつ回り,80歳近い駅員にスマホでの写真の撮り方から教える。そんな超アナログなサポートを泥臭く続けてきた。
表向きはAIという最先端の技術だが,それを現場に使ってもらうための泥仕事を徹底したからこその今がある。資金力だけで大企業が入ってきても簡単にはひっくり返せない領域だという。
川原田氏は「ブランド力」と「圧倒的なオペレーション力」の2軸を挙げた。おにぎりは明日から誰でも始められる。だからこそ差がつく。コンビニなどの大量生産はベルトコンベアで型が決まり,個人経営の専門店は温かみがある代わりに製造の限界がある。
その狭間で,東京駅という日本最高峰の立地で365日年中無休,朝6時から3000個のおにぎりを高いクオリティで用意し続ける継続力こそが強みだという。人が握る温かみと,米を炊き,混ぜる定型業務とを徹底して切り分け,1分1秒の無駄を削ぎ落とすオペレーションを磨き込んでいるそうだ。
その理想形として川原田氏が挙げたのが,ゲーム「オーバークック」の世界観だった。バラバラの調理工程をみんなで分担し,時間内に効率よく料理を仕上げて提供する,あの仕組みこそが理想だという。
「とにかくこれを作る」「次はこれ」と店舗のオペレーションを徹底的にシンプルに構造化できれば,ミスなく,もっとも無駄のない動線でおにぎりを最速で提供できる。
スタッフの動線を最適化し歩く回数を減らすだけで,人件費を劇的に下げつつ高い利益率を確保できるという。この「職人技×ゲーム的な効率化」のバランスこそが,最大のモートなのだと語った。
セッションの最後は,それぞれの世界展望で締めくくられた。
和田氏は「落とし物が返ってくる文化」を世界に輸出したいと語る。まずは近い文化を持つアジア圏へ,将来的には世界の主要な空港のインフラをfindで押さえたい。成田でもハワイでも,世界のどこで落とし物をしてもfindを開けばすぐに見つかる――そんな世界を目指しているという。
大橋氏は体験型VR施設の全国展開と,コンテンツの海外輸出の強化を掲げた。海外のパートナーからは,アニメや浮世絵,歴史といった日本の文化資源をVRで体験したいというニーズが強いという。言語の壁を越え,誰もが瞬時に4500年前のエジプトや19世紀のフランスへタイムスリップできるインフラを,グローバルに広げていく考えだ。
川原田氏は,おにぎりをハンバーガーやサンドイッチに並ぶ「世界共通のファストフード」にすると宣言した。海外では日本のおにぎりを「冷たくて硬いもの」と誤解する声がまだ多い。だが海外のワークショップで,炊きたての温かい米で優しく握ったおにぎりを食べてもらうと,感動に近い衝撃を与えられたという。
本物のおにぎりを世界中の人が日常の選択肢として選べる世界を作るため,東京駅から世界へ仕掛けていく。
AI全盛の時代だからこそ,現実世界の手触りや圧倒的なリアルオペレーションに根ざしたビジネスには,ほかに代え難い強固な価値と高いポテンシャルがある。田中氏はそう改めて確信したと述べ,セッションを締めくくった。


















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