2026年7月22日にCEDEC 2026で行われた講演「泣けるゲーム,静かなゲームの神経科学――美的感情の仕組みをエンタメ設計に活かす」は,その問いに真正面から答えたセッションである。
登壇した石津智大氏は,関西大学文学部心理学専修の教授であり,広島大学の脳心感性科学研究センターにも籍を置く神経美学者だ。慶應義塾大学大学院で心理学博士号を取得後に渡欧し,ウィーン大学心理学部の研究員・講師,ロンドン大学ユニバーシティカレッジ(UCL)生命科学部の上席研究員などを経て,2020年から日本に活動の拠点を移した。著書に「神経美学―美と芸術の脳科学」(共立出版),「泣ける消費」(サンマーク出版)がある。
登壇するなり石津氏は,自らの講演タイトルを訂正した。神経「科学」ではなく,正しくは神経「美学」であるという。「神経科学のほうが分かりやすいと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが,神経美学という学問分野があるんです」。耳慣れないその分野の紹介から,講演は始まった。
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「美」は趣味の問題ではない――神経美学という分野が立つ場所
神経美学(neuroaesthetics)とは,芸術と美的感性に関わる心の働きを,心理学実験と脳機能計測によって研究する学際的分野である。認知脳科学の中でも新しい領域で,歴史は20年ほどだという。
石津氏は,この分野の研究の柱を3つに整理した。1つめは物理的特徴。絵画がもつ視覚特徴や音楽がもつ音響特徴を数値化し,主観的な美しさとの関係を調べる。2つめは脳と身体の反応特徴で,脳波計やMRI,表情筋の筋電計,心拍計といった機材を使う。そして3つめが心理的特徴,つまり言葉を超えた感性と,その心理的効果の応用だ。
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ある人が美しいと感じるものを,別の人は美しいと思わないかもしれない。だとすれば美の感覚は,物に還元できない,心の中で起きる極めて私的なできごと――要するに趣味の問題ではないか。公的な資金を使ってまで研究する意味があるのか。
この問いに対して,石津氏はまず経済と社会の側面から答えた。イギリスとアメリカの統計によれば,化粧品や広告など美に関係する商業・工業がイギリス経済にもたらす経済効果は年間280億ポンド。「美の殿堂」と呼ばれるロンドンのナショナルギャラリーは,多いときで600万人以上の来館者を集める。
また,これは古いアメリカの統計だが,まったく同じ内容の履歴書に,美しいとされる顔写真を貼った場合とそうでない顔写真を貼った場合とで書類選考の通過率を比べると,前者はおよそ2倍になったという。人間は美しい外見の人物を好み,美しいものを見たがり,欲しがり,自らも美しくありたいと願う。
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しかし神経美学が気にしているのは,その先だ。石津氏がスライドに掲げたのは「Beauty is not skin deep」――美は皮一枚のものではない,というイギリスの格言である。困っている人を助けようとしている人を見て,我々は「美しい人だ」と表現する。それはその人の顔が美しいからではなく,心根が美しいからだ。
同じ話を数学者にすると,今度は「これが俺の推しの数式だ」と持ってくるという。その裏にある数理的な解法が美しいと感じているとき,自分は偉大な芸術と相対しているときと同じ気分になるのだ,と高名な数学者は語ったそうだ。
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数理的・物理学的な方程式は,自然の摂理や宇宙の真実を描き出そうとする営みである。ならば人間は,真実の中にも美しさを見いだす力を持っているといえる。真実・善性・美の3つは,プラトンのイデア哲学において人類が追求すべき徳として並べられてきた。石津氏はさらに踏み込んで,この3つには相関関係だけでなく因果関係があるのではないかという仮説を立てている。
何が真実か,何が良き行いかには絶対的な正解がなく,立場や状況や文脈によって変わってしまう。それでも人は判断しなければならない。本当に迷って決められないとき,最後に背中を押しているのは個人が持つ美意識ではないか,というわけだ。
こうして石津氏は,美の感覚を「嗜好(luxury)」ではなく「必需(necessity)」として位置づける。脳科学という比較可能な形で美を研究することで分かるかもしれないのは,我々が何を美しいと思うかだけではない。何を真実として認識し,何を良きものとして好むのか,という人間性の深い理解につながる。それが神経美学の問題意識だという。
では,これまでに何が分かったのか。石津氏が挙げたのは,「視る美」「聴く美」「視えない美」の話だ。絵画のような空間芸術の美と,音楽のような時間芸術の美は,美学において体験の質がまったく異なるものとして扱われてきた。加えて人間には,心根や数理的真実といった不可視の情報に美を感じる感受性もある。
ジャンルも質も異なるこれらに共通性はないのか。世界中の研究室がMRIを使って調べた結果,音楽,視覚芸術,人物,風景・建築,色彩,運動,数理,道徳・倫理という多様な美的体験に共通して働く脳の部位が特定された。眉間の奥にある,前頭部のごく限られた領域――内側眼窩前頭皮質(medial orbitofrontal cortex)である。
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絵画,音楽,映画,道徳,数理,そしてゲーム。多種多様な美が,脳の中では同じ価値として扱われているのかもしれない。イデア哲学が3つの徳として語ってきた真実と善性と美が,脳の中でも同じ価値として存在する可能性を,客観的な計測から主張して人文学にフィードバックする。それが神経美学の最も大事な研究成果だと石津氏は語った。
悲しみが美しくなる条件――混合感情,仮想の情動,そして距離
ここから講演は本題に入る。人間は多様な対象に美を感じるが,その中には生き物にとって好ましくないもの――悲しみ,死,別れ――も含まれる。悲壮な音楽,悲劇の舞台,悲恋の物語。人間の文化芸術の歴史にずっと寄り添ってきたジャンルであり,ときにハッピーな物語よりも強い感動を呼ぶ。
だが生物として考えると,これは奇妙な話だ。不幸や悲しみや死は,日常生活では回避できるなら回避したいものである。どうして娯楽や芸術という文脈においてだけ,人はネガティブなものを積極的に受容し,消費し,感動できるのか。石津氏はこれを「心的距離」「混合感情」「仮想の情動」という3つのキーワードで読み解いていく。
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まず心的距離について。アリストテレス以来,「自己とその情動の間に横たわるもの」は距離として定式化されてきた。20世紀初頭の美学者エドワード・ブロウ(Edward Bullough)は,これを「心的距離(Psychical Distance)」と呼び,さらに「距離のアンチノミー(antinomy of distance)」を提唱した。距離は必要だが,多すぎても少なすぎてもいけない,というジレンマである。
距離が消えるほど近ければ,そのネガティブは自分事になってしまい,鑑賞している場合ではなくなる。逆に遠すぎれば,自分の関与が消えてしまう。ネガティブなものを適正に感じて楽しむには,「距離を消さない範囲での最大限の縮小」が要る。
次に混合感情。石津氏が例に挙げたのは,シェイクスピア「ロミオとジュリエット」第2幕第2場,夜のバルコニーの場面だ。ジュリエットが愛するロミオに別れを告げるときの有名なセリフである。
“Parting is such sweet sorrow that I shall say goodnight till it be morrow”
sorrowは深い悲しみを意味する。ジュリエットは一時の別れなのにとても悲しい。ところがそのsorrowに,甘さを意味するsweetという形容が添えられている。明日になればまた会えるという再会への希望と,いま別れることの悲しみ。正と負が入り交じった恋人同士の複雑なセンチメントが,sweet sorrowという言葉に結晶している。シェイクスピアは生前に1500語以上の新語を生み出したと言われるが,これはその好例だと石津氏は言う。
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正負の感情が共起した状態を,美学では混合感情と呼ぶ。神経科学ではまだ研究が進んでいないが,芸術と美学の世界では長年にわたって議論されてきた。とくに美しさと悲しみが共起した状態は「悲哀の美」と呼ばれ,悲劇舞台や悲しい音楽の中に洗練された形で現れる。
そしてこの混合感情は,娯楽や芸術の外にも存在する。日常生活で見られる強い利他や自己犠牲的な行為がそれだ。自己犠牲はとても美しい行為だが,やっている本人は傷つき,死んでしまうかもしれないと第三者には分かり,それにより強い美しさと強い悲しみが同時に立ち上がる。
石津氏の研究室では,悲哀の美の状態に誘導した人たちにその後で社会的な課題に取り組んでもらう実験を行っており,多くの人でケアの感覚が促進される傾向が見られたという。正負の混合感情は,人と人との間の庇護の感覚という,極めて人間らしい性質と結びついているのかもしれない。
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人文学はこの問題をどう考えてきたのか。石津氏が引いたのは18世紀の2人である。1人はフリードリヒ・フォン・シラー。悲劇論「悲愴なるものについて」(Ueber das Pathetische)の中で,本質的にネガティブな不幸や悲しみをなぜ舞台の上では受容し,消費し,感動できるのか,その条件は何かを問うている。
シラーの答えは,パテーティッシュな(悲哀なる)ものは「人工の不幸」である,というものだ。リアルな不幸は急にやってくる。だが人工の不幸は作り物であり,こちらが構えた状態で相まみえることができる。そしてそれが人工の不幸だと認知している状態こそ,本質的にネガティブなものを楽しむための必須条件である,とシラーは言う。
もう1人はドゥニ・ディドロ。同時代のフランスの哲学者・美術批評家で,「第4の壁」の提唱者として知られる。演劇などの舞台には背後と左右の3つの壁があるが,ディドロはもう1つ壁があると言った。観客が座っている現実の世界と,役者がいる舞台の上とを区別する,見えない第4の壁である。芸術作品や舞台の世界は,この壁の内側,仮想の虚構の世界の中になくてはならない。シラーの「人工の不幸」とディドロの「第4の壁」は,本質的にはきわめて似たことを言っている。
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17〜18世紀から現代に至る哲学的な論考をまとめると,舞台や芸術作品,エンターテインメントから感じられる負の情動は,本物の負の情動ではなく,仮想の負の情動であると言える。音楽美学には「聴取者に悲しみは生じていないのに悲しいと思い込んでいるだけ」とする錯誤説(Kivy)があり,ケンダル・ウォルトンの「準情動」,川上らの「代理感情」といった概念もある。石津氏はこれらを「仮想の(負の)情動」として整理した。仮想の悲しみ,仮想の恐れ,仮想の嫌悪。芸術や娯楽の世界は,ネガティブな情動をこのように仮想化して提示している。
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では,ピュアな情動のほうが良いのではないか。ネガティブにポジティブが混ざると,何が起きるのか。実験の結果は明快だった。正負の複数の感情が混合するほど,最終的に感じられる作品の美的評価と魅力が強くなる。横軸に作品の美的な魅力,縦軸に混合の強度を示す指数(MI)を取ると,右肩上がりの線形の関係が現れる。純粋なポジティブや純粋なネガティブを感じているときよりも,混じったほうが作品の魅力度が上がるのだ。
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ならば混ぜてしまおう――と考えたくなるが,話はそう単純ではない。混ぜやすい情動と,混じりにくい情動があることが分かってきている。悲哀と美しさ,恐怖と美しさ,嫌悪と美しさの3組について平均的な混合度合いを比較すると,嫌悪だけが統計的に有意に低い。つまり嫌悪は混じりにくいのだ。
| 感情の組み合わせ | 混合度合い(平均) |
|---|---|
| 悲哀×美しさ | 2.36 |
| 恐怖×美しさ | 2.32 |
| 嫌悪×美しさ | 1.97 |
ではグロテスクな表現を扱うとき,嫌悪の量を増やせばいいのかというと,おそらく逆だと石津氏は言う。嫌悪は生物にとってきわめて強力な情報を含んでいる。だからこそブロウの心的距離の文脈でいえば,むしろもっと離さなければならないかもしれない。同じ強度の嫌悪であっても,文脈によって鑑賞者から距離を取ったほうが,混じり方は強くなるのではないか。これは現在,仮説として研究が進められている段階だという。
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ここまでは行動実験の話だ。神経美学は脳科学の一分野であるから,当然,脳と身体の反応も調べる。まず表情筋である。自然な感情が生じたとき,人は意図しなくても表情筋を動かす。しかもどの感情がどの筋肉に対応するかは決まっている。ポジティブな感情なら大頬骨筋,つまり笑うときの筋肉が収縮する。悲しみなら眉をひそめる皺眉筋だ。目に見えないほど微細な動きでも,筋電計を使えば記録できる。
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芸術作品を観て感情を回答させる課題で表情筋の反応を調べた結果は,意外なものだった。芸術鑑賞における悲哀の感情は,表情筋を活動させなかったのである。ここで重要なのは,実験参加者たちが心理的な回答としては「すごく悲しい」と報告している点だ。それが芸術作品だとラベル付けされたとき,皺眉筋は活動を示さなかった。言語的には悲しいと報告しているのに,身体は悲しがっていない可能性がある。
これは神経科学として非常に興味深い,と石津氏は言う。悲しみや恐れは生物にとって強い刺激であり,身体がストレスとして受け取っている可能性もあったからだ。身体がネガティブとして受け取っていない,ストレスとして感じていない。だからこそ本質的にネガティブな対象を,娯楽の世界では受け止められるのかもしれない。
ではネガティブとして受け取っていないなら,何として受け取っているのか。ここで石津氏は,通常の質問法の限界を指摘する。「悲哀の美とはどういう心の状態だと思いますか」と問われれば,人はまず間違いなく「悲しくて,美しい」と答える。しかし,悲哀の美と聞かれているから悲哀と答えているだけかもしれず,しかも本人がそう思い込んでしまっている可能性もある。そこで石津氏らは,言語情報に引っ張られないデータの取り方と分析法を組み合わせた。
感情の心の地図を2次元で描き,学習データによって歓喜の領域と悲哀の領域を線形判別する。そのうえで,歓喜の美と悲哀の美がどこにマップされるかを見た。歓喜の美は98%が歓喜領域に収まった。ところが悲哀の美は,判別線をまたいで大きくばらつき,62%が悲哀ではなく歓喜の領域に分布していたのである。
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悲哀の美は,まだ言葉になっていないところでは,悲しみよりも快さに近い心の状態なのかもしれない。石津氏はそう述べる。
脳活動の計測からも,これを裏づける結果が出ている。楽しい美,悲しい美,そして単なる悲しみを感じているときの脳活動をMRIで比べたところ,悲哀の美のときにだけ見られる領域間の強い結びつきが見つかった。審美の要である内側眼窩前頭皮質と,補足運動野・中部帯状回・背外側前頭前野との機能結合である。後者は,他人の痛みや悲しみへの共感,そしてネガティブな状況に陥っている他者の意図理解に関わる領域として知られている。
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つまり悲哀の美という混合感情は,審美のモジュールだけでなく社会的なモジュールも一緒に働くことで成立しているのではないか。しかもこれは音楽でも起きるし,人が描かれていない風景画でも起きる。見た目そのものではなく,その裏にある人間性やナラティブに対して感受性が働き,2つのモジュールを同時に起動させている可能性がある,というのが石津氏の解釈だ。
この単元のまとめとして石津氏が示したのは,次の点である。言葉でまだ表現しきれていない体験としての「美しい悲しみ」は,身体や脳の反応として現実の悲しみとは明確に異なる。それはまだ人類が言葉で探索していない情動空間の中に,ポジティブな情動の一種として存在するのではないか。そして,ネガティブをネガティブなまま差し出してはいけない。適切にデザインされたネガティブ感情は,ピュアな情動を伝える以上に,作品の美や満足を高めてくれるかもしれない。
「無」は無価値か――5秒の沈黙と,人間とAIを分けるもの
講演の最後の単元は「無」である。ここで石津氏は,会場に音を流した。ピアノの蓋を開けて閉じるところから始まる沈黙の演奏,ジョン・ケージの「4分33秒」だ。同じ流れで示されたのが,ロバート・ラウシェンバーグの「ホワイト・ペインティング」(1951年,MoMA所蔵)。キャンバスを白いペイントで塗り固めた,色も形も具象性もない空白の表現である。2人はブラックマウンテン・カレッジで親交があったことが知られている。
空白と静寂の感受は,西洋だけのものではない。日本のやまと絵にも,空白の美はきわめて高い価値をもつものとして用いられてきた。石津氏が挙げたのは酒井抱一の月梅図だ。前景には写実的な梅の枝,その奥に抽象的な月,さらに背後には何も描かれていない地のまま。西洋的な視点からは未完成に見えかねない。
だが江戸初期のやまと絵の大家である土佐派の土佐光起は,こう言い残している。「白紙ももやうのうちなれば 心にてふさぐべし」。何も描かれていない地は,決して虚無ではない。そこに何かがあり,鑑賞者はそれを心でふさぐことができる。何もないけれども虚無ではない。石津氏はこの点を強調した。
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ほかにも,ワーグナーの歌劇「トリスタンとイゾルデ」は,前奏曲に全休止と呼ばれる沈黙の部分がある。この作品には3秒から長いもので10秒に及ぶ無音部があることで知られ,音楽批評の世界では,この無音の中にこそトリスタンの不穏な美しさが感じられると議論されてきた。
同じことは現代のロックでも言われている。ローリング・ストーンズのギタリスト,キース・リチャーズは「画家にはキャンバスがあり,作家には空白の紙がある。そして音楽家には沈黙がある」と述べている。また,別のインタビューでも「自分たちの音楽はラウドなロックンロールだが,音がない瞬間がある,そしてその瞬間が一番大事だと思う」と語っている。
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無,余白,余韻,静寂は,古今東西を問わず重要な芸術的・音楽的表現技法とされてきた。ところが現代の高度情報社会は,情報伝達の最大化と効率化に向かって動いている。その中で無音は,単なる物理的な聴覚情報の不在でしかない。情報の不在があれば,そこにどれだけ効率よく情報を詰め込めるかが問われる。ショートコンテンツ,そして倍速視聴。現実の側でも余白と静寂は消えつつある,と石津氏は指摘した。
しかし人間は,無音に豊かな感性と情感を感じ取ることができる。聞こえない対象に意味や感性を見いだす心の働きは,きわめて人間らしい精神のあり方の1つだ。芸術にも音楽にも興味がないという人であっても,無の感受は日常的に行っている。
他人が気持ちや意識をもっていることは,原理的には分からない。自分の気持ちしか直接には感じ取れないのに,我々は目の前の人が自分と同じ気持ちをもっていると信じ,細かい機微からその人が何を感じているかを慮って生きている。話している人がふと言葉を止めた瞬間,歩いている人がふと足を止めたその所作の中に,何かしらの意味を見いだす生き物なのだ。
この話は,生成AIをめぐる議論にもつながる。無には原理的に物理量も知覚特徴量もない。深層学習をベースにする現在のAIにとって,学習データになりにくい性質をもっている。石津氏がLLMの開発者に「無をAIは学習できるのか」と尋ねたところ,答えは「できますよ」だった。
10秒の無だけを持ってこられても無理だが,トリスタンを全部持ってくれば,音と音に挟まれた形で無も学習できるという。ところがトリスタンは休みなく聴いても4時間ほどかかる。10秒の空白を学習するために4時間ぶんのリソースを使うことはできない。理論的には可能だが,現実的には不可能だという答えだった。それに対して人間は,大量の学習を経ずとも,相手が押し黙った瞬間に何かを見いだそうとする認知の仕組みをもっている。無は人間とAIを峻別する大事な要素の1つではないか,と石津氏は考えている。
では,無音の美は実験できるのか。石津氏らは,本当に無音に美を感じているのなら最適な無音長があるはずだと考えた。そこで無音の長さを1秒から9秒まで段階的に増減した刺激を作り,その無音を含む楽曲の美しさを判断してもらった。
結果,一般人は右肩下がりになった。1秒がもっとも美しく,9秒がもっとも美しくない。ところがプロのオーケストラ奏者たちは,約5秒をピークとする逆U字を描いたのである。ランダムではなく,明確なピークがあった。最適な無音長があり,無音に実際に美しさを感じていると考えられる。
これはプロの知識に基づくだけではないのか,という疑問も当然出る。だが一般人の中にも無音に美しさを感じる人たちがいて,彼ら彼女らが示した秒数もやはり5秒だった。では,どういう状況で素人でも無音を感じ取ったのか。
石津氏によれば,無音を挟んだ前半の音と後半の音がまだ連続していると感じている人たちにおいて,5秒をピークとする最適無音長が現れたという。物理的には5秒も6秒もかなり離れている。それでも,離れている音と音同士を心の中でつなぎ止めていた。
石津氏はこれを「music glue(音楽の糊)」と呼ぶ。遠く離れた2つをつなぎ止める力が,人間の鑑賞の中にはあるのかもしれない。
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また,その裏にある脳活動も脳波計で調べられている。それによると,無音部ではリラックス時や,さまざまな情報を統合する高度な認知にも関わるアルファ帯域が強い活動を示していた。最適無音長では音がなくてもアルファ帯域の活動が見られるのに対し,5秒を過ぎて9秒まで延ばすとアルファ帯域の活動が消え,後半の音が入ってきたところで戻ってくる。このアルファの消失と復帰が,music glueの脳活動を反映しているのではないか,というのが石津氏の見立てである。
そして石津氏は,同じことが音楽以外のジャンルでも起きていそうだと付け加えた。「ボケとツッコミを想像すると分かりやすいですが,長すぎても短すぎてもダメなんです」。連続している感覚を与える無音や空白の表現が重要であり,そのスイートスポットはきわめて狭い。だがそれを達成できれば,何も表現していないところに明確な価値が生まれるかもしれない。講演の終わりに,石津氏はこう語った。
ゲームの話はほとんど出なかったが,ゲームを含めたエンターテインメントやアートの背後には,ネガティブなものを感受する価値と,何も表現されていないからこそ感じさせる心の価値が隠れているのかもしれない――。
なお本セッションは時間の都合で質疑応答が省略され,会場では別途「Ask the Speaker」の場が設けられた。





















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