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イベントに登壇したのは,NVIDIAの創業者兼CEOであるJensen Huang(ジェンスン・フアン)氏のほか,セガからは代表取締役会長CEOの里見治紀氏,代表取締役社長COOの内海州史氏,元代表取締役社長の入交昭一郎氏,そしてバーチャファイターやデイトナUSAを手がけたゲームクリエイターの鈴木 裕氏というそうそうたる面々だ。
今では知る人も少ないセガとNVIDIAの関係について,当事者たちが語ったイベントの概要をレポートしたい。
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NVIDIA CEOが語るセガとの思い出
登壇者の中で,とくに注目したいのが入交氏と鈴木氏だ。2人は,NVIDIAの創業期を間接的に支えた,セガ側のキーパーソンである。
つまり,両氏とHuang氏が一堂に会した今回のイベントは,NVIDIAとセガの友情の歴史を振り返る同窓会とも言えるものだ。
イベントでは,Huang氏が終始マイクを握り,実質的な司会役を務めた。登壇したHuang氏を迎える大歓声が収まると,簡単な挨拶のあと,Huang氏の独演が始まった。
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Huang氏が最初に振り返ったのは,1994年の出来事だ。
「我々は,創業から間もない小さな半導体企業だった。新しいゲーム向けグラフィックスチップを開発していたが,その性能を生かすには,本格的な3Dゲームが必要だった」(Huang氏)。
Huang氏によると,1994年当時,欧米のゲーム市場には,高度な3Dグラフィックスを採用した作品がほとんど存在しなかったという。「Windows 95」や「DirectX」が登場する前であり,リアルタイム3Dグラフィックスの最先端はアーケードゲームにあった。
中でもセガとナムコは,独自の3Dグラフィックスシステムに加えて,それを搭載する基板まで自社で設計していた。
NVIDIAの創業メンバーがとくに衝撃を受けたのが,1993年登場の「バーチャファイター」と,1994年登場の「デイトナUSA」だった。
彼らは研究と称して,当時の米国に数多く存在したゲームセンターへ連日通い,両作品をプレイしたという。Huang氏は,美しいグラフィックスだけでなく,高いフレームレートにも感激したと振り返る。
「我々には,日本へ行く以外の選択肢がなかった。セガとの協業は,NVIDIAの技術をゲーム業界にアピールするために必要な足がかりだった」(Huang氏)。
「セガサターン」とNVIDIAのGPU「NV1」の共通点
NVIDIAが当時開発していたGPU――当時は3Dグラフィックスアクセラレータ,あるいは3Dアクセラレータと呼ばれていた――の「NV1」は,現在主流の三角形ポリゴンではなく,四角形ポリゴンを採用していたのがポイントだ。
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そのためNV1は,四角形パッチを基本的な描画単位としていた。さらに,4隅の制御点を用いてテクスチャ補間する「Bilinear Mapping」に加えて,9個の制御点で二次補間を行う「Quadratic Texture Mapping」(QTM)にも対応していたのだ。
また,四角形ポリゴンの4頂点と5つの制御点,計9個の制御点を用いて曲面を表現する「Curved Surface」機能にも対応していた。これにより,少ないデータ量で滑らかな3Dモデルを表現できるのが特徴だ。
1990年代前半には,1993年登場の「リッジレーサー」で知られるナムコのアーケードゲームシステム「SYSTEM 22」も四角形ポリゴンを採用しており,この方式自体は珍しいものではなかった。
商業的な大失敗で知られる「3DO」もそうなのだが,当時の3Dアクセラレータでは,2Dゲームの描画性能も重視する必要があった。そのため,拡大・縮小・回転・変形に対応する四角形ベースのスプライトアーキテクチャを発展させた設計が採用されていた。こうした3Dグラフィックスの描画方式は,「変形スプライト」アーキテクチャと呼ばれることがある。
それに対してNV1は,現在主流の「Inverse Texture Mapping」ではなく,テクスチャ側から画面上の投影先を求める「Forward Texture Mapping」を採用していた。この方式は,描画の隙間や重複が生じやすく,フィルタリングにも不向きで,画質が粗くなりやすい。
一方,Inverse Texture Mappingは,画面上の各ピクセルから対応するテクセルを逆算する方式で,Bilinear FilteringやMIP Mapping,異方性フィルタリングへ拡張しやすい。
テクスチャマッピングのジャギーを低減させるような処理を入れやすいことから,現在はInverse方式が主流だ。
1994年に登場した「セガサターン」の描画プロセッサである「VDP1」も,変形スプライトアーキテクチャをベースとしており,NV1と同様に四角形ポリゴンを採用していた。また,テクスチャマッピングには,どちらもForward Mapping方式を採用していた。
今回のイベントでHuang氏から言及はなかったものの,NV1とセガサターンのVDP1に共通点があったことも,NVIDIAが協業先としてセガを選んだ理由になっているかもしれない。
窮地に陥ったNVIDIAをセガが救う
その後,NVIDIAとセガの協業は順調に進んだ。
1994年末,セガはセガサターン向け3DゲームをWindows PCへ展開する計画を進めており,PC側の3DアクセラレータにはNVIDIAのNV1を採用した。
実際にNV1専用またはNV1最適化版として展開された代表的なセガ作品には,「バーチャファイター リミックス」「パンツァードラグーン」「バーチャコップ」などがある。
いずれも基本的にはセガサターン版からの移植で,Curved Surfaceにも対応していたという。ただし,実際には曲率をゼロに設定していたという説もある。また,NV1搭載グラフィックスカードの一部製品には,セガサターン用コントローラの接続端子も備わっていた。
1995年にはWindows 95と,マルチメディア向けアプリケーションプログラミングインタフェース(API)のDirectXが登場した。DirectXの3DグラフィックスAPIである「Direct3D」は,三角形ポリゴンとInverse Texture Mappingを採用しており,NV1とはまったく異なるアーキテクチャだった。
1995年末,Windows 95の登場とほぼ同時期に,Diamond MultimediaはNV1搭載グラフィックスアクセラレータの「EDGE 3D」シリーズを発売した。
魅力的なセガ製ゲームをそろえたNV1だったが,ユーザーのウケはあまりよくなかった。
NV1はDirectXとの互換性に問題を抱えていた。のちにDirect3D対応ドライバも提供されたが,ネイティブ対応ではないため性能が低く,一部のゲームでは描画が乱れる問題も生じてしまう。そのため,NV1の評価は上がらなかった。
Huang氏は以前の回顧録で,このときの状況について,「出荷した25万ユニットのほとんどが返品された。NV1によって,我々は倒産寸前に追い込まれた」と振り返っている。
幻に終わったGPU「NV2」開発中止の裏話
今回のHuang氏は,普段とはどこか様子が違っていた。セガのかつての要人と日本で再会したためか,これまで詳しく語ることのなかった「NV2」について明かし始めたのだ。
「NVIDIAは,セガの次世代ゲーム機向けGPUの開発を受託した。これがNV2開発プロジェクトの始まりだ」(Huang氏)。
NV2の開発が始まったのは,1995年春頃とされている。
Huang氏は,「我々は,NV2をNV1の発展形として開発しようとした。Forward Texture Mapping,四角形ポリゴン,Curved Surfaceを採用したんだ。NVIDIAは,誤った技術を選んでしまった」と振り返る。この発言に,来場者は大爆笑だ。
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プロジェクト開始から9か月後の1996年,Huang氏は自ら日本を訪れ,入交氏に「NVIDIAは,セガから依頼されたNV2を完成させられない。このまま開発を続ければ,セガにも大きな損害を与えてしまう。どうかNV2プロジェクトを中止させてほしい」と,開発の継続が困難であると告げた。
ちなみにHuang氏は,過去のインタビューでも,当時の状況を「NVIDIAは,NV2を完成させればゆっくり死に,中止すればすぐ死ぬ」と表現している。
さらにHuang氏は,驚くべき申し出をしたことも明かした。
「しかし,NVIDIAがセガとの協業プロジェクトから外れれば,資金が尽きて倒産してしまう。申し訳ないが,契約を解除したうえで,別途資金を支援してもらえないだろうか」と。この告白に,会場は再び大きな笑いに包まれた。
契約解除を申し出ながら,資金援助も求めるという,通常の商取引では考えにくい,極めて困難な申し出である。しかし,ここで面白いのが入交氏の対応だ。
入交氏は,NVIDIAの技術選択が誤っていたことを理解したうえで,同社への支援を決断した。セガはNVIDIAに約500万ドル(※当時)を出資。この資金が,新しいアーキテクチャへ転換するための時間をNVIDIAに与えたとされる。Huang氏の話を笑顔で聞いていた入交氏だが,当時,社内をどのように説得したのかも興味深いところだ。
セガから支援を受けたNVIDIAは,主流となりつつあった三角形ポリゴンとInverse Texture Mappingを採用するアーキテクチャへ転換し,新たな3Dアクセラレータの開発に着手した。
その成果として,Direct3Dに対応する「RIVA 128」を1997年に発売し,大きな成功を収める。1998年には,その発展製品である「RIVA TNT」を投入。
さらに1999年,それまでCPUが担っていた座標変換やライティング処理をハードウェアで実行する「GeForce 256」を発売した。GPUという名称も,GeForce 256からNVIDIAが使い始めたものだ。
Huang氏は入交氏と鈴木氏を前に,「セガがNVIDIAのためにしてくれたこと,そして入交さんがNVIDIAのためにしてくれたことがなければ,今日のNVIDIAは存在していない」と,当時のセガの決断がなければ,NVIDIAは現在まで存続できなかったとして,改めて感謝を伝えた。
今も忘れないセガへの感謝
Huang氏は,この一連の出来事を通じて,日本企業との関係から大切なことを学んだという。「企業同士の関係は,ビジネスだけで決まるものではない。友情やパートナーシップ,互いに支え合うことも非常に重要だと知った」。
NVIDIAの人材と将来性を信じてくれた入交氏には,今も頭が上がらないとHuang氏は語った。
「1995年,NVIDIAは倒産寸前だった。誤った技術を選んでいた我々が,今では世界最大級の企業になっている。当時は想像すらできなかった」
さらにHuang氏は,入交氏と鈴木氏に向けて,「皆さんの友情と支援,そして私たちを信じてくれたことは,私にとって非常に大きな意味を持つ。皆さんとの友情は,私にとってすべてだと思っている」と,改めて感謝を伝えた。
終始マイクを握っていたHuang氏だが,近年のイベントで見せる会場を圧倒するような姿とは異なり,終始穏やかな表情で語っていたのが印象的だ。なにしろ,近年のHuang氏の口から「我々は技術の選択を間違っていた」という発言が出ることは,非常に珍しい。
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実機で動作する「VIRTUA FIGHTER CROSSROADS」が世界初公開
Huang氏による回想のあとは,2026年6月に発表され,今秋に発売予定の新プロセッサ「RTX Spark」搭載製品を紹介するパートへ移った。
NVIDIAのWindows PC向けSoC「RTX Spark」はどんなプロセッサなのか。アーキテクチャや性能を考察する
2026年6月1日,NVIDIAのGPU技術関連イベントにて,さまざまな新製品やサービスが発表となった。そのなかでも最も多くの関心が寄せられているのが,Windows PC向けSoCである「NVIDIA RTX Spark」だろう。本稿では,ゲーマー向けにRTX Sparkの解説と技術的な考察を行う。
Huang氏は,発売前のRTX Spark搭載ノートPCを手に取り,「NVIDIAの新製品がこちらだ。Personal Computerを再発明するPersonal AI,それがRTX Sparkだ」と,入交氏や鈴木氏に披露した。
さらにHuang氏は,2027年発売予定のバーチャファイターシリーズ最新作「VIRTUA FIGHTER CROSSROADS」が,RTX Sparkの実機で動作する様子を披露した。
試遊はできなかったものの,鈴木氏がキーボードを操作するとキャラクターが動き,実機での動作が世界で初めて公開された形だ。
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約30年前,NV1とバーチャファイターをきっかけに結び付いた両社が,2026年にそれぞれの最新プロダクトで再び交わる構図は,実に感慨深い。
この演出は,両社の歴史が巡って再びつながったことを象徴するものとして,来場者の印象に残ったはずだ。
ちなみにイベントの最後には,一般招待者を対象にした抽選会も行われた。賞品は,超ハイエンドGPUのGeForce RTX 5090が2基と,未発売の新PCであるRTX Spark搭載ノートPCが2台だ。当たった人は実に幸運である。
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